日本一の「徳川時代日本史」授業④福沢諭吉の語る「中津藩で体験した封建日本の差別構造」(旧藩情)を読む④
2021/05/02
日本一の「徳川時代の日本史」授業④
「門閥制度は親の仇でござる」と明治維新の立役者・
福沢諭吉の語る「中津藩で体験した封建日本の
差別構造の実態」(「旧藩情」)を読み解く④
前坂俊之(ジャーナリスト)
徳川封建時代の武士はどのような社会、政治。経済環境の中で、
生活をしていたのか、福沢諭吉の「旧藩情」を読み解く④
徳川幕藩体制の支配の構造は家康が天下を取った後に天海僧正らブレーンの参謀のアドバイスで打ち出したものだ。織田、豊臣の興亡を眼前に見てきた家康は人を頼る愚を避けて、制度・機構に頼る以外には、永久政権樹立の道はないことを知っていた。家康は過去の歴史を調べ、側近や天海僧正らの意見を聞いて、新制度を設計した。
① 皇室は敬してこれを遠ざけ政治との関係を断つ(鎌倉幕府の方針と同じ)
② 大名は三家、譜代、外様の三種に分類し、親藩三家(尾張、紀州、水戸)と譜代大名のうち特別の関係あるものを除き、その他に対しては厳に政治権力と、経済力(武力)を、分離する方針で臨む。外様大名には高禄は与えるが、幕政に参加させず、譜代大名,旗本は小禄に甘んじさせるが、幕政に参加させて老中、大目付、目付、奉行等の重要な役職につける。
③ 大名の全国配置を、計画的に再編し従来の歴史を考え、仇敵感情を持つライバル同士の外様大名を隣国に配し、相互に牽制させ、その付近には必ず、譜代大名、または天領代官(旗本)を置いて常時、外様大名を監視する体制を築いた。
④ 全国の水陸交通の要衝、皇室の関係地(伊勢神宮)、金銀銅山などの産出地に、天領(幕府直轄地)を設け、幕府の財源とすると同時に、天領代官(旗本)をして付近の大名の監視役を兼ねさせた。
⑤ 京都に所司代を置き、幕府の保護、幕府との連絡に当らせる外、大名と皇室との接触の監視をさせた。
⑥ 大阪に城代をおき、直接支配をするとともに、その経済力を幕府の掌中に握る。
⑦ 参勤交代と賦役制度を設け、外様大名の出費の増大を計り、その経済力の増大を抑えて・あわせて江戸邸にある大名の正妻を人質としてとって、万一の変に備えた。
⑧ 厳格な武家を律する法律(武家法度)を宣布して、いかなる場合でも必要とあればこの法律に当てはめて、自由に大名を懲罰(国替、取潰し)できる弾圧監視体制を作った。
制度の骨子は以上の八項目に尽きるが、特に②権力と経済力(武力)の隔離③大名の計画的配置⑦外様大名の経済力制限策⑧過酷な武家べからず法律は、その政策の核心をなすもので、分割・支配・監視・スパイの徹底と、その基盤である被支配者間の不和の恒久化を制度的に実現することに成功したのである。
直参の旗本は、禄がすくなく不断に大名を嫉視し、譜代の小藩も、外様の大藩に反感を持ちつづけ、大藩はまた、政権の座につく小藩を羨み、幕府の幕府の権威を笠に着る、旗本を憎む。すべてこれ家康の作りだしたものだが、巧妙にお互いに恨み合い、憎悪しあう体制は家康の狭智によるものであった。
これに、鎖国を徹底し、世界とのもコミュニケーション、外部世界の発展、進歩に完全に目をつぶり、孤立した島国内のみ閉じこもり、3猿主義(見ざる、聞かざる、言わざる)に国民を閉じ込め、士農工商の徹底した身分制度、階級制度に縛り付けて日本史上空前の徳川230年の長期支配政権を完成したのである。
中津藩という小藩のなかの、武士の抑圧体制も次のようなものであった。
福沢諭吉の「旧藩情」の現代訳です
「旧藩情」④
④第四、上等の士族は衣食に乏しくなかったので、文武の芸を学ぶ余暇も余裕もあった。或は経史
http://kotobank.jp/word/%E7%B5%8C%E5%8F%B2
を読み、或は兵書を講じ、騎馬・槍剣、いずれもその時代に高尚と名んある学芸に従事するができたために、自から品行も高尚にして賤しからず、士君子
http://kotobank.jp/word/%E5%A3%AB%E5%90%9B%E5%AD%90
として風致
http://kotobank.jp/word/%E9%A2%A8%E8%87%B4
の観るべきもの多い(人品・風格のある人物が多かった)。
下等士族は全くそうではない。役前の外、馬に乗る者とては一人もなく、内職の傍(かたわら)、に少し武芸を勉め、文学は四書五経歟
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%9B%B8%E4%BA%94%E7%B5%8C
なお進みて「蒙求」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%99%E6%B1%82
、左伝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E5%B7%A6%E6%B0%8F%E4%BC%9D
の一、二巻に終る者が多い。
特にその勉強するところのものは「算筆」
http://kotobank.jp/word/%E7%AE%97%E7%AD%86
に在って、この技芸に至ては上等士族の及ぶところではなかった。ししその由縁は、下等士族が、やや家産の豊になって、仲間の栄誉を得る路はただ「小吏」
http://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E5%90%8F
になることだけで、この吏人には必ず算筆の技芸を要するが故に、あたかも毎家教育(どこの家でも)をなして、いかなる貧小士族でもこの技芸(スキル)を勉強したのである。
今から考えれば、算筆の芸はもとより賤しむべきものではないが、、当時の封建士族の世界にこれを賤しむ風があったのは、これに従事する者は自からその品行も賤しくして、士君子の仲間に列せられなかったことである。
たとえば上等士族は習字にも唐様(中国流)を学び、下等士族は御家流
(おいけりゅう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%AE%B6%E6%B5%81
を書き、世上一般の気風ではこれを評価すれば、字の巧拙(うまいへた)を問わずして御家流をば俗様(ぞくよう、世閒普通の様式のこと)として賤しみ、これを書く者をも俗吏俗物(無能な役人。俗物の役人)として賤しむ傾向が強かった。
⑤第五は上士族の内にも小禄の貧者なくはなかったが、概してこれを見れば、その活計〈生計〉は入(収入)に心配なくして、ただ出の一部(支出)に心を用るいたのみ。下士族は出入共(収入にも、支出にも)に心を砕いて苦労するものなれば、その理財(経済・家計)の細かいことは上士の夢にも知らなかったものが多い。
二人扶持とは一ヵ月に玄米三斗なり。夫婦に三人の子供あれば一日に少なくも白米一升五合(1升は1・5キロ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%87
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7545882.html
より二升は入用なるため、現に一月二、三斗の不足となるが、内職の所得を以て麦を買い、粟(あわ)を買い、或は粥(かゆ)や団子、様々の趣向にて食を足していた。
これを通語にて足し扶持
http://www.weblio.jp/content/%E9%A3%9F%E3%81%84%E6%89%B6%E6%8C%81
という。食物はやっと足りるにしても衣服はない。これは家婦の仕事にして、昼夜の別なく糸を紡ぎ木綿を織り、およそ一婦人、世帯の傍に、十日の労働で百五十目の綿を一反の木綿に織上れば、三百目の綿に交易することができる。これを方言にて替引(かえびき)という。
一度は綿と交易してつぎの替引の材料として、一度は銭と交易(交換)して世帯の一分を助け、非常の勉強して、この際に一反を余して私家の用に供する。娘の嫁入前の母子ともの忙しきは、仕度(したく)の品を買ってこれを整えるのではなく、その品を自分で作るためである
或はこれを買うときは、買うための銭を作るがためである。かかる理財の味(生計の必死のやりくりは)は、上士族で知っているものはない。この点より論ずれば、上士も一種の小華族というべきなり。
廃藩(廃藩置県)の後、士族の所得は大に減じて、困窮しているといえども、もしも今の上士の家禄を以てこれを下士に附与して、下士従来の活計を立てしめれば、三、五年の間に必ず富有となることができよう。(理財活計の趣を異にす)
つづく
関連記事
-
-
『新型コロナウイルスのパンデミックの影響で2020年慶応大学入学式(当初は4月1日,3日に予定)は9月入学式(学部・大学院)に、4月入学者も参加する形で開催することを検討している』★『2017年度慶應大入学式ー清家篤塾長の式辞(動画)』★『2019年度慶応大入学式-長谷山彰塾長の式辞(動画)』★『福沢諭吉先生』の旧居、福沢記念館(大分県中津市留守居町)(動画)』★『日本近代化の父・福沢諭吉に関する論考、雑文一覧 』
前坂俊之(ジャーナリスト) 新型コロナウイルスのパンデミックの影響で2020年 …
-
-
『Z世代のための< 日本議会政治の父・尾崎行雄の日本政治史講義』★『150年かわらぬ日本の弱体内閣制度のバカの壁』★『 明治初年の日本新時代の 当時、参議や各省長官は30代で、西郷隆盛や大久保利通でも40歳前後、60代の者がなかった。 青年の意気は天を衝くばかり。40を過ぎた先輩は何事にも遠慮がちであった』
2012/03/16 日本リーダーパワー史(242)『日本 …
-
-
速報(286)『世界初の内部被曝研究会が発足、総会を開催ー肥田舜太郎氏『内部被曝の真実』『『澤田昭二氏の講演』①
速報(286)『日本のメルトダウン』 ●『世界で初めての内部被曝研究会が発足、総 …
-
-
★『オンライン講義/コスモポリタン・ジャパニーズ』◎『192,30年代に『花のパリ』でラブロマンス/芸術/パトロンの賛沢三昧に遊楽して約600億円を使い果たした空前絶後のコスモポリタン「バロン・サツマ」(薩摩治郎八)の華麗な生涯』★『1905年、日露戦争の完全勝利に驚嘆したフラン人は、日本人を見るとキス攻めにしたほどの日本ブームが起きた』
ホーム > IT・マスコミ論 > & …
-
-
日本リーダーパワー史(696)日中韓150年史の真実(2)「アジア開国の父」ー福沢諭吉の「西欧の侵略阻止の日中韓提携」はなぜ「悪友とは交際を謝絶する脱亜論」に逆転したのか『<井上角五郎は勇躍、韓国にむかったが、清国が韓国宮廷を 完全に牛耳っており、開国派は手も足も出ず、 孤立無援の中でハングル新聞発行にまい進した』②
日本リーダーパワー史(696) 日中韓150年史の真実(2)「アジア・日本開国 …
-
-
『Z世代のための日本の超天才人物伝③』★『約120年前に生成AI(人工頭脳)をはるかに超えた『世界の知の極限値』ー『森こそ生命多様性の根源』エコロジーの世界の先駆者、南方熊楠の方法論を学ぼう』★『「 鎖につながれた知の巨人」熊楠の全貌がやっと明らかに(3)』
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授) 奇人貴人2人の裸 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(190)記事再録/『忘れられたユーモアある哲人政治家・田淵豊吉―太平洋戦争中に東條英機首相を批判した反骨でならし『世間では仙人と呼んでいるが、わしはカスミの代りに飯を食い酒も飲む、だから半仙人とでもしておこうか、と大笑い』
2010年9月7日日本リーダーパワー史(92)記事再録   …
-
-
「75年たっても自衛権憲法を全く変えられない<極東のウクライナ日本>の決断思考力ゼロ」★「一方、ウクライナ戦争勃発3日後に<敗戦国ドイツ連邦議会>は特別緊急会議を開き、防衛費を2%に増額、エネルギーのロシア依存を変更した」★『よくわかるオンライン講座/日本国憲法制定真相史②』★『東西冷戦の産物として生れた現行憲法は・・わずか1週間でGHQが作った憲法草案 』
日本リーダーパワー史(356)●『東西冷戦の産物として生れた現行憲法」 『わずか …
-
-
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉔ 西欧列強下の『中国,日本,朝鮮の対立と戦争』(下)(英タイムズ)
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中韓のパーセプ …