『Z世代のための日本戦争学入門⑥』★『明治大発展のキーマンたちは誰でしょうか?』★『1871年(明治4年12月)の岩倉使節団(欧米12ヵ国を2年10ヵ月間視察調査)の『政府首脳の大半が国外にでる壮挙』この知的探求心、国家改造力、ベンチャー精神こそが『明治の奇跡を生んだ。』
2016/02/22/日本リーダーパワー史(668)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(50)記事再編集
政府首脳のなかばをあげて国外にでる』ー「勇敢といえば勇敢、軽率といえば軽率(三宅雪嶺『同時代史』)驚くべき大胆な措置だった。
前坂俊之(静岡県立大名誉教授)
「…岩倉使節団の遣欧米米欧回覧全権大使岩倉具視の出発
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%80%89%E4%BD%BF%E7%AF%80%E5%9B%A3
『廃藩置県』という統治システムの大改革を完全断行してわずか4ヵ月後の明治4年11月12日(1871年12月22日)、横浜の波止場は朝からたいへんなにぎわいだった。何台もの馬車によってつぎつぎと荷物の箱が運び込まれ、渡航する大物たちを乗せて、波止場に到着した。遣欧米特命全権大使岩倉具視の一行48人と、それに同行する華族、士族の有志留学生59人の出発日だった。
メンバーは岩倉具視(右大臣、46歳)をトップに、木戸孝允(参議、38歳)、大久保利通(大蔵卿、41歳)伊藤博文(工部大輔、30歳)、山口尚芳(佐憲出身、外務少輔、29歳)の四者を副使とする一行総勢48人は、そのほか留学生のなかには中江兆民
、金子堅太郎、団琢磨、牧野伸顕、もいた。
なかでは、稚児髷(ちごまげ)に振袖の山川捨松、永井繁子、ら女子留学生五人の姿が人目をひいたが、最年少の7歳の少女・津田梅子などは、父親から肩に赤いショールをかけてもらい、お人形をいれた鞄をかかえていた幼女だった。この他にも、使節団の記録係として幕末外交のヴェテラン田辺太一を筆頭に、塩田三郎、何礼之福地源一郎、渡辺洪基、林董(はやし ただす、外相)川路寛堂など、ほとんどが旧幕府系である西洋通、洋行経験者を各等書記官として配属し、さらに各省から派遣の法・工・経・教・軍の専門理事官7名がまたそれぞれ部下をともなって随行した。
『政府首脳のなかばをあげて国外にでる』それはたしかに「勇敢といえば勇敢、軽率といえば軽率(三宅雪嶺『同時代史』)と評されるにあたいする、おどろくべく大胆な措置だった。
この「遣欧米岩倉使節団」こそ明治政府が海外におくった最初にして最大の外交・文化使節団だった。
近代的国家建設への一歩をふみだしたばかりの新興小国・日本の空前の壮挙、大航海だったといえる。1492年のコロンブスのアメリカ発見と比較するのは少し大げさかもしれないが、新しい国造りの新地図を発見しようとした新興国の意気としてこれほどの知的情熱を燃やした国、政治集団があったろうか。残念ながら、ほかの国には筆者の浅見からはないと思うし、この知的探求心、国家改造力、ベンチャー精神こそが『明治の奇跡』を生んだのである。
このとき一行全員に与えた太政大臣三条実美の「送別の辞」は
明治期を代表する「国家戦略立案」の一文である。
「外国ノ交際ハ国ノ安危(安全保障)ニ関シ、使節ノ能否(成功失敗)ハ国ノ栄辱二係ル。今ヤ大政維新(明治維新)、海外各国ト並立ヲ図ル時ニ方(あたり)リ、使命ヲ絶域万里(世界中)ニ奉ズ。外交内治(外交、内政)、前途ノ大業(大計画)、其成其否実ニ此挙ニ在リ(その成功、または失敗するかはこの使節団の行動にかかっている。
豈大任ニアラズヤ(まさしく大任である)。大使天然ノ英資ヲ抱キ(岩倉大使は英才でり)、中興ノ元勲タリ。所謂、諸卿皆国家ノ柱石、而テ所率ノ官員、亦是一時ノ俊秀。各欽旨ヲ奉ジ、同心協力以テ其職ヲ奉ジ。我其必ズ奏功ノ遠カラザルヲ知ル。行ケヤ、海二火輪ヲ転ジ、陸二汽車ヲメグラシ、万里馳駆(ちく)、英名ヲ四方二宣揚シ、無恙(つつが)なく帰朝ヲ祈ル」
芳賀徹は「大世界史㉑、明治100年の序幕」(文芸春秋社、1969年)、日本海海戦の参謀秋山真之の電文「敵艦見ユトノ警報ニ接シ……」、明治天皇の「五ヵ条の御誓文」とならんで、この送別の辞を「知識ヲ世界二求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ」とする明治ナシナリズム高揚の一ピーグとみなしているが、正鵠を得ている。
ではなぜ、大使節団を派遣したのか、その理由、目的は何であったのか。
- 旧幕府が結んだ不平等条約の改正通告期限(1872年(明治5)7月とせまってきたこと。このため、領事裁判権の廃止と関税自主権の奪還の二点を中心に改正をもとめる動きが、政府内で高まってきたこと。
- 明治三年秋には外務省に条約改正取調係が設置され、欧米各国間諸条約の翻訳と研究を行った。その結論として岩倉外務卿に提出された諮問書(明治4年9月)によれば、「列国公法」(国際法)に依拠して現行条約を改正し「独立不羈ノ体裁ヲ定」めなければならない。
- だが、国内従前の諸法制に「列国公法」に背反し齟齬するものがあるままで改正交渉にでれば、相手側にそこをつかれ、利用され、かえって旧来以上に国権をうしなう恐れがある。
- それゆえ、1872年の条約改正期限をとらえて、むしろわが方から「先発」として列強に条約改正の暫時延期を申し出、その間に国内の諸法制・諸制度を列強にならって改革し整備することが肝要である、「改正」よりも「改革」が先決問題であるとしたのだ。
芳賀徹は「大世界史㉑、明治100年の序幕」(文芸春秋社、1969年、220-221P)との結論であった。
関連記事
-
-
『リモートワーク/京都世界文化遺産/外国人観光客へお勧め/豊臣秀吉ゆかり醍醐寺をぶらり散歩動画(2016/09/04 /30分)』★『桃山時代の面影を残す秀吉ゆかりの古刹』★『秀吉が設計した三宝院の庭園の天下の名石・藤戸石』★『秀頼の作った西大門から入り広大な伽藍に向かう』★『本堂の金堂(国宝)は秀吉の命で紀州湯浅から移築、本尊の薬師如来像がある』★『西大門の仁王像、運慶、快慶以前の現物残る傑作、なぜ国宝でないのか』
★⒑外国人観光客へお勧めベスト①『京都古寺・醍醐寺」のすべて➀桃山時代を残す秀吉 …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(20』『オーストリア・ウイーンぶらり散歩④』『旧市街中心部の歩行者天国を歩き回る』★『ウイーン国立歌劇場見学ツアーに参加した。豪華絢爛、素晴らしかったよ』
2016/05/17 『F国際ビジネスマンのワールド・カ …
-
-
『70-80代で世界一に挑戦、成功する方法②』★『100歳でロッキー山脈を滑った生涯現役スキーヤー・三浦敬三氏(101歳)は三浦雄一郎のお父さん』★『ギネスブックの「世界一のスキー・ファミリー」の驚異の長寿健康実践法とは』
2015/03/27 /「百歳・生涯現役学入門(108)記事再編集 …
-
-
百歳学入門(192)「生死一如」「生者必滅」の『遺偶』★『仙厓は「死にとうない、死にとうない」の横に「ほんとに」』★『一休禪師は「なるようにしかならん。心配するな」★『「禅のクスリ」を2服召し上がれ』
2018/02/07  …
-
-
『百歳学入門』(211)-『日本の人口の高齢化率(65歳以上)は27.3%』★『2065年には約2.6人に1人が65歳以上、4人に1人が75歳以上』★『2015年では高齢者1人に現役世代2.3人が支え、2065年には1.3人となるが、社会機能はマヒする』
『百歳学入門』(211)- 『2018年高齢社会白書』によると、 ➀日本の総人口 …
-
-
百歳学入門(15) <日本超高齢社会>の歴史とは⑤…<徳川歴代将軍の年齢、実力調べ・・・・・>
百歳学入門(15) <日本超高齢社会>の過去とは⑤… …
-
-
『テレワーク、SNS,Youtubeで快楽生活術』★『鎌倉/稲村ケ崎サーフィン(2020/7 /12日曜日am900)-九州に大雨を降らせた梅雨前線が停滞し荒波に苦労するサーファー10人』★『どどど^波力!すげーぞ!◎ 台風24号接近中の怒涛の稲村ケ崎サーフィン10分間(2018 /9/29am720-8.30の圧縮版)-怒涛の大波とサーファーの決闘編!』
鎌倉/稲村ケ崎サーフィン(2020/7 /12日曜日am900)-九州に大雨を降 …
-
-
知的巨人の百歳学(113)ー徳富蘇峰(94歳)ー『生涯現役500冊以上、日本一の思想家、歴史家、ジャーナリストの健康長寿、創作、ウオーキング!』
2018/11/30 2018/12/01 …
