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『Z世代のための百歳女性学入門②」★『日本の女性百寿者(センテナリアン)リスト①』加藤シヅエ(104歳)、木村霊山尼(104歳)、嘉納愛子、蔦清小松朝じら

      2025/05/31

百歳学入門(25)記事再録再編集
以下は2011年6月までの調査データです。年齢その他はもう一度ご確認ください。
108歳 蟹江ぎん   
 
107 蟹江きん   
 
105
 
小倉遊亀
 
小林ハル(長岡瞽女(ごぜ)
 
104
 
加藤シヅエ(婦人運動家)
 
<明治30年(1897)3月2日-平成13年12月22日>
元国会議員日本家族計画連盟会長
 
 「奇跡の人」とは評論家の樋口恵子さんの批評だ。裕福な家庭に生まれ、男爵家に嫁ぎながら、夫の赴任先の炭坑で極貧の女性たちに接して産児調節運動へ。産めよ増やせよの時代に避妊具・薬を輸入して配り、警察に勾留。戦時下にも労働運動家、加藤勘十さんとの愛を貫き、離婚、再婚、出産。無事生き延びて女性初の国会議員となり、国連人口賞など数々の賞に輝く~。しかし、「奇跡」の連続のような人生の陰には、透徹した理性と情報力があった。
 敗戦直前の空襲が相次ぐ中、48歳で娘の加藤タキさんを生んだ。「まもなく戦争は終わり、女は忙しくなる。それなら今しかないと、あなたを産んだ」と。
 性を直視し、体の自己管理こそが自立の基礎と見抜いて活動した人ならではの家族計画だった。 情報収集と発信は100歳を超えても変わらなかった。がんで舌の1部を切り取った後もベッドの上から発言を続け、自力で言語能力を取り戻した。多様なメディアに目を通し、「頑張っている人」には無名でも男女問わず、励ましの一筆を送った。「私の仕事は人間開発」と笑っていた。
 100歳を迎えた97年、憲法について取材した。「男女平等は与えられたもの
ではない。日本の女性の戦前からの地道な活動のたまもの」と言い切った。
最期の言葉は「みんなに愛してもらって幸せです」
 
 
飯田深雪(アートフラワー創始者)
中村テル(女性登山家)
 
千紫千恵(元日本小唄連会長)
 
木村霊山尼(日本のマザーテレサ)
1882.10.10~1987.05.01 )104歳
 
本名マツ。「生んでもらっただけでありがたい」群馬県の前橋から母の実家・新潟県柿崎町へ連れて 来られてそのまま置いていかれた。生活に困る年寄りや子供たちを預かり托鉢しながら 生活の面倒を見続けた。庵寺に来た子は、みんな実の 子、お年寄りはみんな母親だと思って一緒に生活した。庵寺は季節託児所の草分けで保育園を建て、里子制度により県からも子供たちを預かった。70人もの里子を育て上げた「日本のマザー・テレサ」。
 
桐生清二『越後の慈母さま』柏樹社(昭和58年の前書きで「恵まれない子ども連を掌として七十人も育ててきた尼さまが関川村に住んでいる」と聞いて霊山さんを訪ねたのは、昭和55年11月のこと。霊山さんは明治15年生まれですから、ちょうど100歳ですが、今もなお、かくしゃくとしておられ、生きてこられた道を淡々と語ってくれました。
霊山さんはやっと雨露をしのぐ庵寺で、自ら質素な衣等粗食に甘んじて托鉢しながら、葛まれない子供達や生活に困るお年寄りたちと共に生きてきました。「別にこれが苦労だなんていうことは1つもなかった。みんなあたりまえだと思ってきた……」霊山さんは回想しています。
 
 
嘉納愛子(声楽家)
●[私の一代記、今日は、しゃべり続けるわね』嘉納愛子さん
(大阪・1907年1月1日生れ)
 
103歳 
 片岡球子(日本画家)
 
102歳 
 奥むめお(婦人運動家)
 
宮操子(現代舞踊家)
 
長岡輝子(女優 1908年1月ー2010年10月)
 
文学座を退団し座友。その後は、同郷の宮沢賢治の作品の盛岡弁による朗読や、聖書の朗読などに新たに取り組んだ。
晩年は高齢となったこともあり、活動の主体を演劇から朗読に移していた。宮沢賢治の童話と詩を岩手の方言で読む朗読会を続け、平成15年に菊池寛賞。、死去直前の時点で存命している日本の全芸能人中、最高齢であった。
 
 天真爛漫、気さくな語り口がさわやかだ。フランスのモダンな芝居の翻訳者、演出家としても長いキャリアをもつ。最近ではNHKの「おしん」。幼いおしんが奉公する加賀屋の大奥様がはまり役で広い 自然に与えられた仕事をやってきただけで、自ら「主役に」とか、「目立つ役でないとイヤ」とか、わめき立てて役柄を得た覚えはない。
大の運動音痴」だったが、健康のためにヨガを始めた。ひとつだけ気掛かりなのは白内障で、最近、頭の中がぼわっとしている感じがする。好きな読書もままならない。周囲から「思い切って手術したら、人生観が変わるよ」とも言われたけれど、いまだに決心がつかないでいる。
 

浮田胤子(神戸・1905年生れ)102

『俳句に綴る一代記』
 
今日の読売新聞の長谷川櫂氏による「四季」に明治38年生れの浮田胤子さんの作品が紹介されている。浮田さんは現在102歳、今年ふらんす堂から『らちもなき』という句集を刊行した。その本に今年の一月に撮られた浮田さんの近影写真が入っているが、とても美しいご婦人である。ついこの間、中井がお電話をさしあげたところ、とてもお元気であるとのことである。なにしろ日露戦争当時のお生まれ。長谷川氏によって、山口誓子に俳句を学んだ現役の俳人として紹介されている。さてその一句。
知らぬ間に生身魂とは笑止なり  浮田胤子
●『夫 104 歳 妻 102 歳 共に歩んで79 年』
 
 上杉 是(ただし明治39 年(1906)、妻フシエ 明治41 年(1908)生
 
歳の肖像
 是さん夫婦は、七十七歳の時に、山口県から川西市に住む娘夫婦の近くへ引っ越してきた。「そんな年でよく来てくれたと思います。父は家庭菜園をしてたんですが、今は私がやって、ご近所にも配っています」と邦彦さん。
 「折角おいでいただいたんですから、どうぞゆっくりなさって下さい」と言いながら、フシエさんは、玄関から門まで出て、いつまでも手を振って下さった。「あんな嬉しそうな華やいだ顔、久しぶりに見た。やっぱり人に来てもらうのって大切なことなんやね」と良子さん。どうやら、上杉家の長寿の秘訣
は、明るく温かなご家族にあるように見えた。
 是さんが立ち上がろうとすると「せぇーの、よいしょ!」と良子さん夫婦がズボンの後ろを持ってサポートする。この呼吸がまたピッタリなのだ。
 
長寿の秘訣
 
 是さんのノートやメモには「物事は誰でも自分の思うようにはならない。イライラしたり、クヨクヨしたりしないで、のんびりと、いらない気を遣わないようにして周りの人たちと円満に生活をする」と長寿の秘訣らしきものが書かれているそうだ。フシエさんに聞くと、「格別、思い当たることありません。好き嫌いもありません。寝たいとき寝て、起きたい時起きる。のんびりしてます」。
 
 
101歳 
 
蔦清小松朝じ(つたきよこまつ あさ)101歳
 
(蔦清小松は屋号、名は朝じ。本名加藤はる。(明治27年(1894年)―平成8(1996)年8月18日)
 
 
東京下谷生まれ。平成6年2月8日、百歳の誕生日を迎えた。根っからの三味線好きで、みずから芸者を志額。芸事厳しい吉原で芸者修行を積み、16歳ではじめて柳橋のお座敷へ。以来80年以上の長きにわたって格式の高さを誇る柳橋で芸者をつづけ、いまも≠柳橋朝じ〝として多くのごひいきに愛される、花柳界最高齢の現役芸者である。常磐津の世界では、「岸沢式あさ」の名で知られる第一人者。昭和63年「伝統文化ポーラ賞」「文部大臣賞」、平成元年「黄綬褒章」受章。
 
『女は、キリッとしていないと光りません』

平成六年二月八日、あたしは百歳になりました。うれしいことに、いまも週に一度はお座敷がかかります。「朝じを呼んどくれ」のひと言をお客様からいただくのが、あたしにとってなによりの喜び。そのためには、芸に対して.も、身じまいもだらしなくしてはいられません。キリッとした柳橋芸者だからこそ、お客様はお座敷に呼んでくださるのです。芸者にかぎらず、女はキリッとしていないと光りませんし、シャンとしていなくては見場も悪い。顔の造作や着る物がよくても、だらしなくてはどんな仕事もつとまらないし、女もつとまらないものです。心がキリッとしていれば、姿もシャンと引き締まります。女なら、いつもき。きりしゃんで、光っていなきや、つまらないじゃありませんか。』
『女は女はきりきりしゃん―あたしは百歳現役芸者 蔦清小松 朝じ (単行本 -1994/5)
 

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