知的巨人たちの百歳学(177)記事再録/『創造力こそが長寿となる』★『葛飾北斎(89歳)「過去千年で最も偉大な功績の世界の100人」の1人に選ばれた』(米雑誌ライフ、1999年特集号)➀
葛飾北斎(89歳)「過去千年で最も偉大な功績の世界の100人」の1人
「ジャパンアニメ」+「ジャパンクール」の元祖
前坂俊之(ジャーナリスト)
私は富士山マニアです。富士山の風景をあらゆる場所からビデオ撮影し、Youtubeでアップしています。毎回、東海道新幹線にのれば富士山を撮影しています。天気が良ければ、今日の富士山はどんな感じかかなと胸躍ります。2017年(平成29)12月25日に故郷の岡山に新幹線で帰省しました。この日は青空がクリーンに広がり雲一つない。雄大、壮麗な富士山の全景がくっきり見えるのではと出発前から胸がおどりました。
250キロ近いスピードの新幹線ひかり号が三島駅を通過すると、その3分後くらいに左車窓に富士山が徐々に姿をあらわします。富士市に近づくと徐々に台形、円錐状の雄大な富士山の山頂かが少しづつ見えてきます。富士駅付近では5合目まで雪化粧した富士山全景が製紙工場の煙突が林立する町並みのバックに雄大な裾野を広げたその華麗で優美な富士山の全景が雲1つない青空の中でパノラマ的に刻々と変化していきます。
富士川鉄橋をわたるまでの約15分間ほどの絶景、絶景、また絶景の、目くるめく瞬間の富士山をばっちりとビデオ撮影することができました。シニア―ユーチュウバーの私(73歳)にとって最高にハッピーな瞬間でした。
1970年代(昭和40年代)には富士市内の製紙工場を相手に住民の『富士公害裁判』が起きました。そのころは富士市内では製紙工場の多数の林立した煙突から黒煙がもくもくと上がり、悪臭が町全体に立ちこめ富士山の姿もカスんで、全く見えないほどで、高度経済成長を養進中の「日本経済大国」「工業立国」の表看板とは裏腹に「公害大国日本」の現実を象徴する風景でした。
 
明治以来の外国人による日本イメージの代表は「フジヤマ,芸者ガール」ですが、富士山人気は今も変わりません。富士山は日本の多様性に富む自然の代表であり、自然崇拝教の日本人の信仰の対象であり、日本人の美の心そのものと思います。富士山ほど芸術家に愛されたものはありません。富士山は永遠の生命であり、普遍的な美を見て、生涯描き続けた長寿芸術家も数多いのです。葛飾北斎(89歳)、横山大観(89歳)、片岡球子(103歳)、中川一政(97)ら。
米雑誌「ライフ」は1999年の特集企画で「過去1000年で最も偉大な功績をあげた世界の100人」の1人に、日本人では唯一、浮世絵師の葛飾北斎を選んでいます。90年のその生涯に、版画、肉筆画、挿絵、漫画など森羅万象3万点以上を描いた北斎は西洋絵画を超えた表現技法を創造し、ゴッホらフランス印象派の画家たちに多大な影響を与えています。今、世界を席巻する「ジャパンアニメ」「ジャパンクール」の元祖そのものです。
北斎は1760(宝暦10)年9月、江戸本所割下水で石工の子に生まれた。本所はもともと葛飾郡に属しており、のちに葛飾の姓を名のった。「われ幼少よりものの刑状を写すクセあり」と書いているように、5,6歳のころから絵心があり、19歳で浮世絵界の大物・勝川春草に弟子入り、役者絵などを学んでいます。はじめは、絵はあまり売れず、貧乏暮しが続き、唐辛子や暦を売り歩いたりしたこともありました。
ちょうどその頃、北斎は三十代の半ばに達していましたが、画狂への道を歩むことになるエピソードが伝えられている。「ある人から子供の端午の節句のお祝いに鯉職(こいのぼり)の絵を頼まれて描き、金2両を得た。貧乏暮しの身にこれを無上の宝物と受け取り、ここで一念発起した、というのです。
飯島虚心著『葛飾北斎伝』によると、北斎はたちまち志を一転し、生涯画工として世を終ることを誓い、それからというもの、朝はやくから筆をとって人の寝静まる夜更けにおよび、腕が萎え、眼が疲れるまで仕事を続け、ソバ2杯を食べてから寝るというぐあいで、この夜食のソバ2杯の習慣は死ぬまで続いたという。39歳で北斎を名乗り、浮世絵から大和絵など幅広いジャンルを手がけ、滝沢馬琴とコンビを組んだ挿絵で売れっ子となりました。その後も常に新しいジャンルへの研鑽、技巧の研究に余念はなかった。
美人画で有名な喜多川歌麿は北斎より若かったが、54歳と若くして亡くなった。一方、北斎は齢五十をこえてますます円熟期に入り、まず「北斎漫画」(絵手本)を完成しました。これは人間、歴史、風俗、風景から動物、植物、生物など森羅万象3191点にのぼるスケッチ集。いわば『イラスト版、マンガ版大百科事典』とでもいうべきもので、北斎の本質をつかむ的確なデッサンカが示されています。
ヨーロッパに輸出された『日本陶器』の梱包材として、浮世絵がたくさん入っていたが、1856年(安政3)にフランスの石版家ブラクモンがパリでこの1冊を目にして大きな衝撃を受けた。一躍「ホクサイスケッチ」として、ヨーロッパ中に広がり、北斎の名を世界的なビッグネームにし、フランス印象派には大きな影響を与えました。
続く
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