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野口恒の<インターネット江戸学講義⑤>第2章 庶民生活を支えたネツトワ-ク「講」と「連」―無数の庶民生活ネットワ-ク(上)

   

日本再生への独創的視点<インターネット江戸学講義
 
第2章 庶民生活を支えたネツトワ-ク「講」と「連」―全国に
無数に作られた庶民の生活ネットワ-ク「講」
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野口 恒著
 
第2章 庶民生活を支えたネツトワ-ク「講」と「連」()
 
全国に無数に作られた庶民の生活ネットワ-ク「講」
 
 江戸時代には、日本中に「講」という庶民の助け合いや寄り合いのようなネットワ-ク組織が無数に作られた。講とは本来、宗教組織の信仰を普及・促進するための集団であるが、しかし江戸時代には信仰目的の講とは別に、さまざまな目的をもった多種多様な講が作られた。
 
講とは、村や町の中で共通の志や目的を持った仲間同士の集まりで、いわば現代で言うサ-クルのような存在である。こうした講の存在が江戸の庶民生活を底辺から支えていた。江戸の講はその機能や役割から見て、次の4種類に分けることができる。
 
   1つは村組織としての講
   2つは信仰組織としての講
   3つは経済組織としての講
   4つは交流組織としての講
    
 村組織の講はその村の戸主たちの集まりであり、実質的に村の寄り合い組織である。村で行われる各種の祭祀を司り、水利の運営、日常生活での相互扶助などを行っていた。
信仰組織としての講は、山の神講、水の神講、田の神講など村内の鎮守を中心とした講と、さらに伊勢講、高野講、身延講、御嶽講、大山講、富士講などの寺社信仰や山岳信仰の講などがあった。
 
経済組織としての講は、頼母子講や無尽講が代表的である。それらは仲間内の資金の積み立てや融通などを行う互助的な金融組合のような存在である。
 
現在の信用金庫や信用組合の役割に似ている。その他、町人の間には頼母子講を通じて宝くじ(富くじ)を共同で購入するための宝くじ講や、商家のみんなが集まって商売繁盛の神である恵比須様や大黒様を祭る恵比寿講や大黒講などが存在した。交流組織としての講は、旅や茶道、俳諧や連歌など共通の趣味や嗜好を持つ仲間が集まり、互いに交流した旅講、茶講、俳諧講、連歌講などがある。
 
 とくに商都・大坂では頼母子講や無尽講が庶民の生活に網の目のように深く浸透し、彼らの商売や生活をしっかり支えていた。たとえば、江戸時代の浮世草子作家・井原西鶴の代表作「日本永代蔵」にこんな話がある。
 
現在では起業・創業・再生支援のさまざまなベンチャ-支援策があるが、江戸時代にはもちろんそのような支援策はなかった。新たな商売を裸一貫起こすとなると、自分の才覚と努力で行うしかなかった。ましてや、女性が商売を起こすとなると、至難の業であった。ところが、井原西鶴(1642~1693)の「日本永代蔵」巻の一、第五章「世は欲の入れ札に仕合せ」に描かれた松屋の後家はそんな才覚のある女性の鑑で、頼母子講の富くじを活用して、頓死した夫が残した借金を返済しただけでなく、新たに商売を起こして大儲けした成功譚が載っている。
 
 松屋は、もともと老舗の質問屋で羽振りのいい大店であった。ところが、当主は五十歳ぐらいで死んでしまった。妻子には銀五貫目(現在の貨幣に換算すると500万円ぐらいに相当するが、実際の価値はそれ以上)の借金を残された。
 
当然、妻子の元には借金とりが日参し、厳しい取り立てにやってくる。幼い子供を抱えてこの先、どうしたらよいか途方にくれた。しかし、後家は絶望することなく、ここから大胆でしたたかな才覚を発揮した。借金取りに苦しめられた後家は、いろいろ考えた末に自分たちの家を頼母子講の入れ札(富くじ)に売りに出して、それで得たお金を借金返済に当てようと企画した。自分たちの困窮した生活を救済して、再建するには頼母子講の富くじを利用するしかないと考えたのである。
 
 その富くじは、銀四匁(もんめ、約4000円)で入れ札をさせ、それに当たった人に家を渡すというものだ。たとえ損をしても銀四匁にすぎないということから、3000人もの大勢の人が入れ札に参加した。
 
その結果、後家はなんと銀十二貫目(約1200万円)の大金を受け取り、そこから借金銀五貫目を返済した。それからが後家の本領発揮である。彼女はさらに残りの七貫目を元手に商売を起こして大儲けして大成功したという話である。ちなみに、入れ札にあたった人はわずか銀四匁でこの家を手に入れた。
 
当時の大坂では、頼母子講が庶民の商売や生活を支えるネットワ-クとして、いかに身近な存在で深く浸透していたかを示す好例である。
 
講と講のつながりを媒介に全国に広がったネットワ-ク社会
 
江戸時代には多種多様な無数の講が作られた。そして講と講をつなぐネットワ-クが形成されて、日本全国網の目のように繋がっていた。講と講のつながりを経て人々の交流関係や経済活動は活発に行われ、全国に広がった。江戸時代は封建社会だから、人々の関係や活動は大名の支配する領国に限られ、閉ざされていたと考えがちだ。
 
しかし、実際には講と講のネットワ-クを通じて、人々の交流関係や経済活動は全国に広がっていたのである。とくに伊勢講や富士講のような信仰の講や頼母子講や無尽講などの経済活動の講は、狭い領国に閉じることなく全国的に活動していた。
 山岳信仰の講には冨士講、浅間講、白山講、御岳講、三峰講などたくさんある。その中でも富士講は伊勢講と並んで庶民にもっとも人気の高い全国組織の講である。日本人は昔から霊峰富士山を崇め、一生に一度は自分の足で富士山に登ってみたいという願いを持っている。江戸時代には、富士山に上り、富士山霊に帰依して心願を訴え、報恩感謝しようとする富士信仰を持った人たちがたくさんいた。
 
江戸後期になると、そうした人たちが日ごとに増大して、全国津々浦々無数の枝講が作られた。講員(講の会員)は講と講のつながりを経て情報を交換し、活発に交流していたのである。とくに最盛期の文化・文政の頃(1804~1830年)には俗に「江戸八百八講」といわれるほど富士講は盛んであった。
 
いわゆる修験者や行者だけでなく、一般の庶民が富士講に加入して、仲間と一緒に富士山に上り参拝したのである。また道中では、こうした参拝者の心身を清め、病気や災難除けの呪術をしたり、無事に参拝できるようお祈りして、参拝者の信仰や参拝を世話する人たちもいた。
 
 さまざまな種類の講が増えるにつれて、複数の講に加入する人たちが増えていった。たとえば、裕福な商家の主人は信仰の関係から伊勢講や富士講に加入する同時に、商売に関係の深い恵比須講にも加入した。
 
また、大工職人などの建築関係の職人は仕事上の太子講だけでなく、仲間同士で富士講や御岳講にも加入するなど、複数の講に加入し仲間同士で交流する人たちが多かったのである。そうなると、その人たち(講員)のつながりを経由して、それぞれの講に加入している人たちの交流関係が間接的に網の目のように拡大していった。まさに江戸の庶民社会は、土地・村落に縛られた狭い地縁社会では決してなく、講と講のつながりを通じて全国的に、重層的に広がったネツトワ-ク社会といってよい。
 
 ネットワ-ク社会では、複数のものをさまざまに繋ぐことによって新たな出会いや縁が生まれる。日本全国が講と講のネツトワ-クでつながり、そうしたつながりやネットワ-クから新たなビジネスや文化が生まれてくるのである。
 
講と講が出会えば、新たなビジネスチャンスが生まれる
 
 戦国時代以前の商人の経済活動はあくまでも大名が支配する領国の範囲に限られていた。しかも経済的な商取引は既存の座・株仲間に独占されていた。しかし、戦国時代になると、六角定頼(近江国)、今川義元(駿府・遠江)、織田信長、豊臣秀吉といった戦国大名が、それまで座・株仲間によって独占されていた既得権益(独占販売権・非課税権・不入権などの特権)を排除し、領内の城下町で「自由な市場・自由な商取引」を認める政策をとった。それが楽市楽座である。
 
楽市楽座を通じて領内の経済活動が活発になれば、当然戦国大名の税収も増え、領国は豊かになる。とくに織田信長は、自身が支配する尾張・美濃・近江などの領内だけでなく、支配下の諸大名にもそれぞれの城下町で楽市楽座を実施するよう奨励した。
 
 徳川幕府もまた、楽市楽座のような商取引や経済活動を活発にする経済政策をとった。幕府が講の多様な活動を認め、頼母子講や無尽講など講の経済活動を積極的に奨励したのもその例である。江戸時代には多種多様な講が作られたが、講は実質的に何らかの経済活動を伴う人と人のつながりである。
 
村組織の講、信仰目的の講、交流活動の講もすべて何がしかの経済活動を伴っている。ある意味で経済活動を伴っているからこそ、庶民の間にこれだけ多くの講組織が生まれたといえる。
 
講と講が出会えば、互いに情報を交換し、人と人のつながりができ、新たなビジネスチャンスが生まれる。まさに講と講をつなぐネットワ-クは、今日でいうベンチャ-ビジネスの孵化器のような役割を果たしていた。講はだいたい20~30人の集団で構成されており、講員は互いをよく知った仲間同士である。
 
講に入るということは仲間から信頼されたということであり、講員同士は信頼関係で結ばれていた。だから、仲間同士でお金の貸し借りや資金の融通も行われた。
商取引や経済活動の基本は信頼関係にある。互いの講に信頼関係があるからこそ、講と講の出会いの中から新たなビジネスが生まれたのである。
 
講の組織とネットワ-クから生まれたベンチャ-ビジネス
 
 江戸時代には、講の組織やネットワ-クを通じてさまざまなベンチャ-ビジネスが生まれ、地場産業として発展したものが多い。その中でも、輪島塗・黒江塗・根来塗・会津塗・津軽塗など有名な漆器産地では、膳・椀・家具などの漆器を販売する漆器ビジネスが大いに隆盛した。
 
漆器は一般庶民にとって高級品であり、簡単に買えるものではない。それでも庶民は膳講や椀講、頼母子講を通じてお金を積み立て、資金を出し合って膳・椀・家具の漆器を購入した。
 
 輪島塗は、数多くある漆塗伝統工芸の中でも堅牢かつ華麗な特徴から高級品として昔から知られている。輪島塗の起源は、紀州・根来寺の寺僧が輪島に来て漆工技術を伝えたといわれ、鎌倉後期から室町時代に成立した。輪島塗・輪島漆器は、講の組織とネットワ-クから生まれた様々なベンチャ-ビジネスの中でも、独特の生産体制や販売方法において最も進んだ成功例である。
 
江戸中期(天明年間)に笠屋佐次右衛門ら10人が発起人なって「大黒講」(福徳の神・大黒天を信仰する者たちの講)という製造業者の講を作り、塗物の製造工程や標準技法を定めた。塗師屋と木地屋など「六職」という分業体制を整えて生産体制を確立すると共に、高級品としての高い品質とブランドを維持するために、販売価格を統制して不当な価格で販売することを禁じ、販売区域の協定等も定めたのである。
 
輪島塗・輪島漆器は、「沈金技法」と呼ばれる独特の華麗な製造技術を開発した。輪島漆器が全国に広く普及した最大の理由は、膳講・椀講や家具頼母子講など講の組織とネットワ-クを通じて全国に積極販売した販売方法の巧さにある。
 
大黒講の講中と椀講・頼母子講の講中が出会ったことにより、販売のビジネスチャンスが一気に拡大した。とくに、文化文政(1804~1830)の頃には椀講や頼母子講を通じて全国的に販売され、輪島塗・輪島漆器は高級漆器として広く知られるようになった。
 
椀講や頼母子講では講中で定期的に資金を積み立て、一定の資金が貯まると順繰りに購買を希望する講員のために、輪島漆器をセットで購入していた。それは今日でいう「共同購買方式」である。そのほか、頼母子講では季節払い・年払いなどによる「月賦販売(クレジツト販売)」も行われていた。講自身が講員の後払いの信用保証をしていたのである。
 
 
膳講・椀講や頼母子講による優れた販売方法は、一般庶民でも高級品の輪島漆器を購入できるチャンスを与えた。

膳講・椀講や頼母子講が、全国規模で潜在需要を掘り起こすことにより、輪島漆器の製造業者は安定した生産・販売体制を確立することができた。それは、生産とマ-ケティングと販売が三位一体となった先進的なビジネスモデルである。それは、今日でいう製販統合によるダイレクトビジネスモデルの先進例である。

 
 
 
野口 恒氏は
1945年生まれ、和歌山大学経済学部卒業。法政大学大学院社会科学研究科(経済学専攻)中退。群馬大学社会情報学部・静岡県立大学国際関係学部特任講師
、社会経済生産性本部・VJA専任講師、「情報化白書」編集専門委員(白書執筆)
・モノづくりを中心とした製造業・テ-マパ-ク、コンテンツビジネス、カラオケなどの文化産業・コンピュ-タ、パソコン、ITなどの情報産業の研究など幅広くカバー。
 
著書は多数。


『工業が変わる現場が変わる』(日刊工業新聞社)
『日本企業の基礎研究』(日刊工業新聞社)
『製造業に未来はあるか』(日刊工業新聞社)
『バーチャル・ファクトリー』(日刊工業新聞社)
『シリーズ・モノづくりニッポンの再生(5巻シリーズ)』(日刊工業新聞社)
『トヨタ生産方式を創った男』(TBSブリタニカ)
『アジル生産システム』(社会経済生産性本部)
『超生産革命BTO』(日本能率協会マネジメントセンター)
『オーダーメード戦略がわかる本』(PHP研究所)
『中小企業の突破力』(日刊工業新聞社)
『カードビジネス戦争』(日本経済新聞社)
『新カードビジネス戦争』(日本経済新聞社)
『ICカード』(日本経済新聞社)
『データベース・マーケティング』(日本経済新聞社)
『「夢の王国」の光と影―東京ディズニーランドを創った男たち』(阪急コミュニケーションズ)
『東京ディズニーランドをつくった男たち』(ぶんか社文庫) 等多数

 

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