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片野勧の衝撃レポート(66)「戦後70年-原発と国家<1955~56> 封印された核の真実」「平和利用原発なくして経済発展なし今なお、解除されていない緊急事態宣言(上)」

      2015/11/25

片野勧の衝撃レポート(66)

「戦後70年-原発と国家<1955~56> 封印された核の真実」

「平和利用原発なくして経済発展なし今なお、解除されて

いない緊急事態宣言(上)」

           片野勧(ジャーナリスト)

 
 3・11。その日のうちに原子力緊急事態宣言が発せられた。事故から4年半たった今も、この緊急事態宣言は解除されていない。10万人を超える人たちの生活は根こそぎ破壊されたままである。
放射能汚染で故郷に戻れない人々がいる。避難所を訪ね、家を奪われた福島の人たちの声に耳を傾けながら、なぜ、日本は「国策」として54基もの原発を造ったのか。私は歩きながら、何度も自問した。
戦後、日本は安価な石油を中東から大量に輸入し、水力発電から火力発電に切り替えた。しかし、1970年代の2度の石油危機で石油への過度な依存が見直され、石炭や天然ガスの利用拡大に加えて原子力発電を積極的に導入した。家電製品の普及や企業のOA化に伴い、原子力発電の設備容量は拡大していく。
「電気事業便覧」(2014年版)によると、1980年の原子力発電は15.689(単位 千kW)だったのが、1990年には31.645、2000年には45.248,2010 年には48.960と右肩上がりで原発数も発電設備容量も増え続けている。
「原発なくして経済発展なし」――。政界も経済界もこう叫んで原発建設ラッシュに走った。これからもあと12基、建設を計画中という(「電気事業連合会」HP)。なぜ、こんなに造る必要があるのか。ある人は「低コスト」、またある人は「絶対安全」という。しかし、福島原発事故でそれらの神話は打ち砕かれ、危機管理の脆弱さだけがさらけ出された。

原発は維持すべきか、廃止すべきか


 原子力発電を維持すべきか、即刻廃止すべきか――。答えを出すのは容易ではない。原発をめぐる現実はあまりにも複雑怪奇だからである。しかし、現代の科学技術は巨大な産業と結びついて自己増殖し続ける、この冷厳な事実を踏まえておかなければ、日本の原子力産業がどこからきて、どこへ向かおうとしているのかが、見えてこない。
日本が原子力発電に着手したのは、冷戦下、東西両陣営が核武装に狂奔しているさ中だった。敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下におかれていた日本は1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約を締結し、主権を回復していく過程で、原子力を「国策」に定めた。
広島と長崎に原爆が落とされた、その悲劇を繰り返すな――と核反対を叫ぶ人たちがいる一方、もう一つの核の「原子力」の「平和利用」を訴える人たちがいた。それは左右両翼にまたがって、原発人脈が形成されていた。
その人脈の一端にいたのが、戦中の大政翼賛会の面々である。国民は敗戦で体制は変わったと早合点したが、どっこい、軍国を陰で支えた官僚や政治家たちは生き残り、経済成長に狙いを定めていた。原子力産業は、支配体制を構築するには格好の標的だったのだろう。

中曽根康弘は原発導入の中心人物

前回は、原子力の父と言われた正力松太郎(読売新聞社主)とアメリカの関係を中心に描いたが、今回は正力と協力して原発を「安全」と吹聴してきた中曽根康弘を取り上げたい。
いうまでもなく、中曽根は日本に原発を導入した中心人物である。“平成の妖怪”ともささやかれているが、史上最大の東電福島原発事故から4年半が経過しているのに、中曽根の口から反省の声が聞かれない。
正力の原発推進の後継者は渡辺恒雄・ナベツネである。中曽根との絶妙なコンビは周知の通り。ナベツネは読売を官邸広報紙にした主役と政治評論家の本澤二郎はHP「ジャーナリスト同盟」通信(「日本の風景」1562)に書いている。その読売も反省・謝罪はない。中曽根同様、原発再稼働の世論操作に必死である。
中曽根に対する本澤の証言は厳しい。例えば――。
「中曽根とナベツネと、もう一人の児玉誉士夫を加えると、岸信介亡き後の日本の右傾化の3悪と呼ぶ向きもある。ロッキード事件で潰れた児玉、その児玉の靴を磨いたとの伝説もある中曽根である。利用できることは、何でもした。数々の疑獄事件に関与しながらも、すり抜けてきた。
今では安倍晋三の後見人を任じている、との噂も聞く。反省・謝罪に無縁の人物である。一連の特定秘密保護法の制定、武器輸出禁止3原則の排除、集団的自衛権行使容認の黒幕とも、永田町ではささやかれている」
私はこの政治評論家の言を疑うものではない、しかし、話半分に聞いても、リアリティーがある。中曽根を見事に表現した小話である。
1945年8月6日。広島に原爆が投下されたとき、中曽根は高松にいた。広島から150キロメートル以上離れていたが、西の空に巨大な入道雲が沸き上がるのが見えた。中曽根の証言。
「そのときの衝撃が、後に私を原子力の平和利用に走らせる動機の一つになった」(『政治と人生――中曽根康弘回顧録』講談社)
中曽根は1918年、群馬県に生まれ、東京帝国大学卒業後内務省に入省。それは太平洋戦争開戦の年である。その後、海軍経理学校を出て海軍兵備局の主計中尉として巡洋艦「青葉」に乗り込んだ。
もちろん、アメリカと戦争しても勝てるとは思っていなかった。なにしろ物量や技術力においてはとてもかなわなかったから、と記している(『天地有情――中曽根康弘五十年の戦後政治を語る』文藝春秋)。
戦後、中曽根は内務省に復帰したものの解体される同省に見切りをつけて政治家に転身する。1947年4月の衆議院選挙に群馬3区から立候補し、初当選。「自主憲法制定」や「再軍備」を唱えて吉田茂内閣を攻撃した。

建白書「原子科学研究の解禁」訴える

中曽根は対日講和の交渉で来日するジョン・フォスター・ダレス大使に「国防論」の建白書を送って原子力研究の解禁を訴える。建白書には日本の完全独立、琉球、小笠原、千島の帰属、移民の容認などを並べ、こう付け加えた。
「原子科学も含めて科学研究の解禁と民間航空の復活を日本に許されたいこと」(山岡淳一郎『原発と権力』ちくま新書)
中曽根は1953年7月、米ハーバード大学の招きで訪米。ニクソン政権で国務長官を務めたキッシンジャーが主宰する国際セミナーに参加し、ニューヨークで米財界人と懇談した。
またアメリカの原子力平和利用研究の進捗(しんちょく)ぶりもつぶさに視察して回った。経済界がつくった原子力産業会議が活動し始めていることを知り、日本も世界の大勢に遅れてはならぬ、と痛感した。
帰国の途次、中曽根は西海岸サンフランシスコ近郊の米バークレーのローレンス研究所に立ち寄り、気鋭の実験物理学者で理化学研究所の嵯峨根遼吉博士(東大教授)と懇談。嵯峨根は戦時中、日本の原爆製造計画「二号研究」に参加。父は日本の物理学の祖ともいえる長岡半太郎。中曽根は嵯峨根に日本の原子力平和利用研究をどう進めるべきか助言を求めた。

国家の意思を明確にせよ


 嵯峨根の回答は①まず長期的な国策を確立すること。②法律と予算をもって国家の意思を明確にし、安定的研究を保証すること。③このような方法で第一級の学者を集めること――の3点だった。中曽根は述べている。
「このとき私は、原子力の平和利用については、国家的事業として政治家が決断しなければならないという意を強くした。左翼系の学者に牛耳られた学術会議に任せておいたのでは、小田原評定を繰り返すだけで、2、3年の空費は必至である。予算と法律をもって、政治の責任で打開すべき時が来ていると確信した」(前掲書『政治と人生』)
中曽根が米国から帰国して間もない1953年12月8日、国連総会でアイゼンハワー米大統領は「Atoms for Peace(平和のための原子力)」の演説を行った。アイゼンハワーは核開発競争の過熱をけん制し、原子力の平和利用のために国際原子力機関(IAEA)をつくろうと呼びかけた。
この演説の直後、中曽根は岸信介と東京・四谷の料亭「清水」で会っている。吉田首相の引退後の政局や憲法改正のことなどについて話し合ったらしい。この会談で二人が原子力について話し合った記録はないが、話題に上ったとしても不思議はない。
年が明けて1954年1月、防衛産業の育成に力を注ぐ経団連会長・石川一郎は日本航空の米国航路開通初乗り入れに招待されて渡米。同行したのが郷(ごう)古(こ)潔(きよし)。郷古は戦中、三菱重工業社長や東条英機内閣の顧問として、艦船や兵器生産を指導した財界人。大政翼賛会の生産拡充委員長も務めていた。
戦後は戦犯に指名されたが、46年4月に釈放。朝鮮戦争がはじまると、兵器生産協力協会(日本兵器工業会の前身)の会長に就任し、運輸省航空審議会会長、経団連防衛生産委員長などを歴任した(前掲書『原発と権力』)。

政界と財界の外堀は埋められた

日本の原子力利用のスタートに向けて、政界と財界の外堀は埋められつつあった。「アトムズ・フォー・ピース」演説から3カ月ほどたった1954年3月2日、衆議院予算委員会。自由党の中曽根を中心とする若手代議士たち(川崎秀二(ひでじ)、椎熊三郎、桜内義雄、稲葉修、斎藤憲三ら)が突如、自由党、改進党、日本自由党3党による原子炉開発予算として総額2億3500万円を含む科学技術振興追加予算を提出した。
2億3500万円はウラン235をもじったもので、もちろんわが国“初”の原子力予算であった。中曽根も述べているように、この提案は各界に衝撃を与えた。新聞は一斉に“暴走予算”と非難し、学界、文部省など官界も、「無謀な独走」「時期尚早」として反対した。しかし、非難ごうごうの中、わずか3日間で予算案は成立した。
この予算案は中曽根が「学者がボヤボヤしているから、札束でほっぺたをひっぱたいて目を覚まさせる」と言われていたが、当の中曽根は一貫して否定している。その予算案が衆院を通過したのは、アメリカが世界に極秘のまま、ビキニ環礁で水爆実験を行った、いわゆる「第五福竜丸事件」の3日後の3月4日だった。もし、中曽根たちの原子力予算案がもう少し遅れたら、成立の見込みはなかったに違いない。
日本政府が原子力予算を組んで、アメリカから原子炉や原子力技術を得ようとしていた矢先に第五福竜丸事件が起こり、東京都杉並区の婦人が始めた原水爆禁止署名運動はまたたく間に全国に広がり、署名数は3000万人にも及んだ。
アメリカは日本政府との間で被爆者補償の交渉を急ぎ、翌年に200万ドルの「見舞金」が支払われたのである。当時、駐日米大使ジョン・アリソンが外相・重光(しげみつ)葵(まもる)に宛てた書簡には、こうある。
「200万ドルの金額を受諾するときは、日本国並びにその国民および法人が原子核実験から生じる身体又は財産上のすべての傷害、損失または損害について米国またはその機関、国民もしくは法人に対して有するすべての請求に対する完全な解決として、受諾するものと了解する」

つづく

 - 現代史研究

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