前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

終戦70年・日本敗戦史(75)大東亜戦争開戦「朝日,毎日の新聞紙面」ーマレー、シンガボール戦ー日本軍、マレ-半島に 奇襲上陸、英機械化部隊を撃破、進撃中

      2015/05/15

 終戦70年・日本敗戦史(75) 

大東亜戦争開戦の「朝日,毎日などの新聞紙面から」ー

マレー、シンガボール戦ー日本軍、マレ-半島に

奇襲上陸、英機械化部隊を撃破、進撃中

マレー総督、非常事態宣言〔昭和16年12月2日 東京日日〕

〔シンガポール特電一日発〕 トマス英マレー総督は二目、ポッパム英極東軍総司令官と協議後、非常事態の存在を宣言し、マレー植民地の志願兵、空軍全予備隊に召集令状を発した。

〔シンガポール特電一日発〕 マシー当局は非常事態宣言に関し、次のごとく発表した。トマス総督は軍当局の要請に基づいて、宣言書に署名し召集令を発した。これは東亜の事態の即時悪化を意味するものではなく、万一に備えるための措置である。

シンガポール全軍に集結命令〔昭和16年12月8日 東京日日〕〔シンガポール特電六日発〕

シンガポールにおける陸海空軍は六日、それぞれ集結を命ぜられ、上陸中の英国海軍士官、下士官、兵一同は同日、突如軍艦に帰還を命ぜられた。

また同日、マレー政庁は志願兵の動員完了とともに講ずべき種々の非常警戒措置をとった旨発表し、マレー駐屯兵全部に対して兵営に帰還するよう命令を発した。更に六日午後七時、マレー半島全滅に亘って軍隊の活動が活港に展開され、沿岸一帯に機関銃陣地が構築され、兵士が配置された。なお釆たる十日、

シンガポールにおいて英、印、一濠、マレー各部隊の三マイルに亘る大行進が開始される旨発表された。

日本軍、マレ-半島に奇襲上陸〔昭和16年12月9日 東京日日(夕刊)〕

(大本営陸海軍部発表十二月八日午前十一時五十分) わが軍は陸海緊密なる協同の下に、八日早朝、マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し、着々戦果を拡張中なり。

上陸の日本軍、英軍と激戦〔昭和16年12月9日 東京日日〕

〔上海本社特電八日発) 上海に入った報道によれば、英国の戦闘部隊はシンガポール北方のマレー海岸○○に上陸した日本上陸軍と白兵戦を演じている。南支那海の暗雲の下で、日本軍は強力な海軍援護の下に奇襲上陸を敢行した。日本軍は激しい攻撃を冒して、八日午前一時、敵前上陸に成功、約二十三キロにわたって上陸した。英軍司令部発表によれば、英空軍は日本軍並びにその艦船を空襲中であると。

〔ブエノスアイレス本社特電八目発〕 シンガポール八日の報道によると、日本軍は○○飛行場を占領した。

陸海軍航空隊、英軍航空基地など攻撃〔昭和16年12月10日 東京日日(夕刊)〕

(大本営陸軍部発表九日午前十時二十分)帝国陸軍航空部隊は咋八日、マレー半島敵航空基地に対し数次にわたり果敢なる攻撃を実施して、英マレー空軍の多数を撃滅し、かつ逐次マレー半島に躍進してシンガポール方面を攻撃中なり。

(大本営海軍部発表九日午前十時四十分)

昨八日未明、帝国海軍○○航空部隊はシンガポール附近テンガー、セレタ両空軍基地及び空軍司令部その他重要軍事施設に対し、夜間爆撃を敢行せり。戦果は大なりと認むるも、夜間爆撃のため明確ならず。当時敵の反撃極めて大なりしも、わが方に損害なし。

〔上海本社特電八日発〕 日本様は八日夜、マレー半島西岸の○○飛行場を爆撃したといわれる。

〔上海本社特電九日発〕 シンガポールからの報道によれば、日本空軍は九月午前四時、シンガポールに来襲、猛烈な爆撃を開始した。空には探照灯の光芝と高射砲の砲火が交錯し、凄烈な光景を現出している。

〔マニラ八日発同盟〕 マニラで傍受したロンドン放送によれば、八日、日本軍のシンガポール空襲により相当の被害があった。その他より成る日本艦隊は八日、タイ国沿岸シンゴラ方面を攻撃した。また日本空軍は八日朝、九龍を襲撃した。

北部の戦略要地を占領〔昭和16年12月10日 東京日日〕

(大本営陸軍部発表九日午後十時) マレー方面に作戦中の帝国陸軍部隊は九日、英軍が頑強に死守せんとしたる北部英領マレー戦略上の大要衝○○を完全に攻略せり。

〔上海本社特電九日発〕 シンガポールより上海に達した情報によれば、日本軍精鋭部隊のマレー半島奇襲作戦は全く敵の虚を衝いたもので、敵陣内は乱脈状態を呈している。すなわちシンガポール政府は左のごとき正式公報を発したが、それによってもその周章狼狼振りが察せられる。公報の内容、次のごとし。

・月曜日午前一時半頃、軍艦00隻に護送された日本貨物船団○○隻は○○に到着、日本軍上陸部隊は掩護射撃の下に上陸せんとしたのに対し、英軍は銃砲火を浴びせたが、日本軍は上陸に成功し、目下○○を中心に同地一帯に大戦闘が展開中である。

  • 上陸作戦の直後、同上陸地点より南方十マイルの沖合に日本の大船団を発見、直ちに爆撃機が出動、攻撃したが、戦果は不明である。英軍爆撃機三機はまだ基地に帰還せぬ。

 英機械化部隊を撃破、日本軍進撃〔昭和16年12月15日 朝日〕

(大本営陸軍部発表十四日午後同時四十分)

マレー方面に作戦中の帝国陸軍部隊は、北部英領マレー方面において敵前上陸に引き続き、英軍の激烈なる反撃を撃砕しっつ逐次戦果を拡大中にして、すでに堅固なる国境陣地を突破して深く英領に突入し、一昨十二日、○○方面においては英国軍機械化一個師団を撃滅し、多数の停虜および多数の兵器を鹵獲せり。その主なるもの、左のごとし。戦車20輌、速射砲18門、自動貨車約60両。

〔サイゴン特電十四日発〕 当地外字通信によれば、マレー国境突破の皇軍精鋭部隊は十一日、北部マレーの要衝○○附近において有力なる赦機械避幣逼遇、ほとんど瞬間的にこれを潰滅せしめ、敵戦車数十、速射砲十数門、トラック数十台を鹵獲した。続いて鉄条網を張りめぐらした敵既設陣地を猛襲、敵の約一個師団を撃滅して、十二日夕刻、同陣地を完全碇占領、○○に肉薄していると伝えられている。

〔上海特電十四日発〕 ロンドンよりの来電によれば、英マレー守備軍は十三日、精鋭なる日本軍に抵抗し得ず、マレーの北西ケダーの新戦地に後退を余儀なくされた旨発表した。

陸鷲、ビルマを初爆撃(大本営陸軍発表十四日午後二時)

帝国陸軍航空部隊は咋十三日、大挙、飛来及びビルマ方面敵空軍基地を空襲し、敵の嬢烈なる防空火力をおかして大塚撃を敢行し、これに多大の損害を与えたり。その状況、左のごとし。

(一)わが有力なる部隊はそれぞれ英領マレイ東西北海岸の要衝ペナン港及びビルマ領ビクトリア飛行場を急襲して、敢船団及び敵機に対し猛烈なる攻撃を加え、小型戦闘機四機を炎上し、輸送船二隻爆沈、同じく一隻を大破せしめたり。

(二)他の一隊はビルマ領メルギー飛行場を攻撃し、基地附属設備及び燃料庫を徹底的に爆砕せり。この方面の敵機はしょう伏、遁走せり。

(三)また他の一隊は馬来クワンタン飛行場を襲撃して、飛行場施設を破砕するとともに、大型爆撃機を一機炎上せしめたり。

(四)この日におけるわが方の損害三機なり。

 - 戦争報道

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(927)北清事変(義和団の乱)で見せた日本軍のモラルの高さ、柴五郎の活躍が 『日英同盟』締結のきっかけになった』★『柴五郎小伝(続対支回顧録、1941年刊)』

増補版/ 日本リーダーパワー史(775) 北清事変(義和団の乱)で見せ …

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉕ 「日本亡命中の金玉均から朝鮮王への嘆願書」(「ノース・チャイナ・ヘラルド」)

   『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中 …

『Z世代のための日本興亡史研究①』★『聖将・東郷平八郎元帥の栄光と悲劇」★『ネルソンに匹敵する日本海海戦で完勝した東郷平八郎の戦略が約40年後の太平洋戦争の大敗北につながった』

<2009、04,020>日本興亡学入門⑦記事再編集 歴史の逆転=<栄枯盛衰・奢 …

no image
日本リーダーパワー欠落史(748)『 対ロシア外交は完敗の歴史、その歴史復習問題』  欧米が心配する『安倍ロシア朝貢外交の行方は!?』 プーチンの恫喝外交に再び、赤子(お人よし外交) の手をひねられるのか!?北方領土の悲劇―ロシアの残虐殺戮、無法占領の責任を追及せず、 2島返還で経済援助までつける安倍外交の失敗』★『戦争終結後に非戦闘員3700人を大虐殺』●『軍人ら約60万がシベリアに送られ、強制労働に従事させられ、6万3000人が死亡した』

  日本リーダーパワー欠落史(748) 対ロシア外交は完敗の歴史、その歴史復習問 …

『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の研究講座⑤』『米中対立は台湾有事に発展するのか』『130年前の日清戦争と同じ』★『頑迷愚昧の一大保守国』(清国)対『軽佻浮薄の1小島夷(1小国の野蛮日本)と互いに嘲笑し、相互の感情は氷炭相容れず(パーセプションギャップ)が戦争に発展した』『トランプの政策顧問で対中強硬派のピーター・ナヴァロ著「米中もし戦わば」(戦争の地政学)と同じ』

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/08am700)   &n …

no image
日本リーダーパワー史(681) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(60) 『世界史の中の『日露戦争』 (英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」は 「日露戦争をどう報道したか」を読む (20回連載の1~10回まで)

日本リーダーパワー史(681) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(60) 『ま …

『Z世代のための昭和100年、戦後80 年の戦争史講座』★『「元寇の役」はなぜ勝てたのか⑸』★『当時の日本は今と同じ『一国平和主義のガラパゴスジャパン』★『一方、史上最大のモンゴル帝国は軍国主義/侵略主義の戦争国家』★『中国の『中華思想』『中国の夢』(習近平主義),北朝鮮と『核戦略』に共通する』

 2017/12/01日本の「戦略思想不在の歴史」⑸ 記事再編集 クビ …

『Z世代への昭和史・国難突破力講座㉖』★『 自動車修理工からー代で”世界のHONDA”を築いた本田宗一郎』★『「いたずらの天才から発明・ビジネスの天才へ」★「私の仕事の99%は失敗だったが、1%の成功がHONDAに」★『このチャレンジ精神で本田は戦後の高度経済成長のシンボル的な存在となり、世界の自動車王に輝いた』

    写真は建設ラッシュが続く岡山駅前   20 …

『歴史問題人物クイズ?』★『記者会見で英語で答えられた歴代総理大臣は一体誰でしょうか?』★『初代総理大臣・伊藤博文は積極的に欧米メディアに登場して、その得意の英語力とコミュニケーション能力を発揮して、日清戦争で勝利し一躍世界から注目された日本の立場、日本人の思想について説明している。』

  2010/02/08  日本リーダー …

日本リーダーパワー史(605)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(元寇の役、ペリー黒船来航で徳川幕府崩壊へ)ー日清、日露戦争勝利の方程式を解いた空前絶後の名将「川上操六」の誕生へ①

  日本リーダーパワー史(605) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 (元寇の …