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日本リーダーパワー史(294)3.11福島原発事故から1年半-メディアの報道は『過去の戦争報道の教訓』を生かしてるか(1)

   

日本リーダーパワー史(294)
 
3.11福島原発事故から1年半-
今は戦時下―核放射能50年戦争が続いている。
日本メディアの原発報道は『過去の新聞の
戦争報道の教訓』を生かしているか(1)
 
 
以下は1993年に『毎日新聞労組主催』のジャーナリズム研究会での講演の全文です。今から19年前の講演ですが、その後の9・11テロ、対イラク、アフガン戦争での日本のメディアの戦争報道はどうだったのか。また、対中国報道における日本メディアの問題点はそのご克服されたのかどうか、3・11福島原発事故以来の日本メディアの原発報道は戦争報道の教訓を組んでいるのかー参考のために全文そのまま掲載します。
 
新聞は15年戦争(満州事変―大東亜戦争)をどう報道したか
                              
静岡県立大学教授(前毎日新聞情報調査副部長)
                            前坂 俊之
 

Ⅰ太平洋戦争終結(1945)から半世紀。歴史の復讐
 
①2年後の1995年は太平洋戦争終結から50年目に当たる。ここでは太平洋戦争と書いたが、正式には「大東亜戦争」であり、アジア全域で戦争が行われ、日本の兵士、市民の死傷者約300万人。アジア全体でも500万人以上の被害者を出した。
②「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と言い換えているように、「アジア」への視点、アジアの被害、多大な迷惑をかけたことへの反省の視点が欠落している。戦前も戦後もアジア蔑視、無視の姿勢は変わらない。「加害者日本」への不信、批判がアジア隣国からいつまでたっても消えない。
3)冷戦体制の崩壊によって、第2次世界大戦の終結で封じ込められていた歴史のパンドラの箱が開いた。それはボスニア紛争に象徴されており、近い将来、韓国、北朝鮮の統一によって、歴史の亡霊が再びよみがえる。
 
Ⅱ 新聞は15年戦争をどう報道したか
 
「歴史に学ばない国民は亡びる」とは吉田茂の言葉だが、戦争を知らずして、平和を語ることはできないし、又、過去を知らずして、将来を語ることもできない。
 
 「水に流す」「過去を忘却する」のが日本人の国民性であり、特に、その無責任体制と加害者意識の忘却病は被害を受けたアジア各国との意識のギャップを大きくしている。 歴史の教訓に学ばぬ国民は再び歴史に裁かれるし、同じ誤りをくり返す危険性が高い。
そんな中で、新聞は15年戦争の報道について、自ら検証したのか。残念ながらこの「新聞の死んだ日々」について、自らの恥部としてふれていないし、戦争責任もタブー視したままである。
(ロ)新聞の戦争責任についての日本、ドイツの比較
 
   ドイツは第二次世界大戦中にナチスに協力した新聞は戦後全部廃刊となり、新聞人も全員やめた。ユタヤ人虐殺についての責任を永久に追及しているドイツと日本の差は大きい。
 
(ハ)日本の新聞と8月15日
 
   8月16日付け敗戦の日の毎日新聞西部本社版の新聞の2面は、白紙のまま発行された。16日から20日まで5日間、表裏の各ペイジが白紙という異例の紙面が続いた。当時の高杉孝二郎編集局長(西部本社)は「昨日まで国民を戟争にかりたてていたペンで今さら何を書ける。昔なら切腹ものだ。埋め草は一切いらぬ。発表ものだけでいくJとこの白紙の発行を続けた。
 
 高杉局長は本社に対して「戦争をあおった新聞の責任を国民に謝罪せねばならぬ。本社は解散、毎日新聞は廃刊、それが出来ぬならば、役員と局長以上の幹部は即時退l印せよ」と主張した。8月29日、毎日は奥村社長、高田主筆、高杉局長、束京、大阪の編集主幹ら5人が辞任。
 
 朝日は8月23日に「自らを罪する弁」という社説を掲げて戦争責任について国民に謝罪。村山社長以下、全重役、局長、論説主幹らが総辞職した。11月7日付社説「国民と共にたたん」で戦後の再出発を誓った。
 
【3〕15年戦争と新聞の戦い、屈伏、協力の3段階について
 
 ジャーナリズムの戦いは、5・15事件(昭和7=1936年)で90%終わり、2.26事件(昭和11=1936年)で100%終わったJといわれる。
 
(イ) 第一期(昭和6年-11年)満州事変から2.26事件まで
 
   戦争へ発展する小さな芽のうちに、これをつぶしていないと、大きく発展した段階では遅い。 この点で15年戦争の発火点となった満州事変で新聞が砲列を敷いて抵抗していたならば、あるいは歴史は変わっていたのではないか--
 
というのは朝日の戦争中の責任者・緒方竹虎の戟後の回想だが、この第一期では戦争へと大きく発展する過程で、毎日、朝日などの大新聞は軍部と二人三脚で協力し、ほんの一部「福岡日日新聞」などが抵抗した。全体的にはなだれをうって挙国一致の協力をしたのである。
 
(ロ) 第二期(昭和12~16年)日中戦争から太平洋戦争の勃発まで。
 
新聞は統制時代に入り、「1県1紙」に統合されて内閣情報局に組み込まれる。言論の自由は99%息の根を止められた。
 
(ハ) 第三期(昭和16~20年)太平洋戦争から敗戦まで。「新聞の死んだ日々」
 
 
26種類もの言論統制の法規によってガンジガラメにされ、大本営発表、ニ重三重の検閲によって、新聞はウソを書き続けた。
 
4〕最大のターニングポイントとなった満州事変を新聞はどう報道したのか
 
 日本を亡国におとし入れた満州事変。中国への侵略は昭和6年9月18日に関東軍の謀略によって引き起こされた。
 その背景には「満蒙の特殊権益論」がある。日露戦争で手に入れた満鉄の権益、日本の対ロシアへの防衛線としての満州の立地条件、鉄鉱、石炭など豊富な満州の資源に対して、長年の日中関係の悪化によって中国では「反日」「排日」「日本商品のボイコット運動」など中国ナショナリズムが高まってくる。それに加えて満鉄の赤字、大陸経営の危機もあり、関東軍は石原完爾、板垣征四郎らのコンビが「満州国」独立を計画、満州事変をその突破□にしたのである。
 
(イ) 当時の新聞、全国紙は朝日、毎日しかないが、どうだったのか。
 
「大阪朝日」「東京朝日」は米騒動、普選運動をリードし、リベラル、反軍閥の色彩が強かった。一方「大阪毎日」は商業、農村部に強く、軍部寄り、
 
 「満蒙は日本の生命線」(当時のキーワード)は松岡洋右が最初に議会で演説したものだが、毎日はこのキャンペーンを行った。満州事変勃発までに中村震太郎大尉殺害事件、万玉山事件などがあり、日中関係は緊迫、新聞は戦争ムードをあおり、世論も硬化していく。特に、毎日が強硬路線を展開する中で、「大阪朝日」の高原操編集局長は逆に軍部を批判して、戦争ムードを抑制していた。
 
(ロ)満州事変の報道について
 
 「毎日」は勃発と同時に関東軍の軍事行動を正当防衛として即容認し、強硬姿勢に終始する。又、中国側が国際迎盟に提訴して国連が事変に介入することも断固排撃した。「朝日」は最初は慎重であったが、途中で「木に竹をついだ」ように180度転換した。そして、満州事変前までは軍部への批判的なムードのあった新聞界は「軍部自身が予想した以上の絶大なる協力」によって、挙国一致して満州事変を支持した。
 
(ロ)   朝日の180度の転換の裏には何があったか。その背景には右翼の総本山「黒竜会」の内田良平による「大阪朝日」攻撃と脅迫が陸軍幹部と一体となってあり、その暴力、テロを恐れて、朝日は屈伏したのである。一昨年出版された「朝日新聞社史」にはその経過が詳細に書かれている。
 
 〔経過〕 9月18日 満州事変勃発
         19日 笹川良一、大阪朝日訪問
         24日 内田良平、大阪朝日訪問
         25日 村山長挙社長出席して重役会開催
      10月1日 社説「満州緩衝国論」
 高原編集局長はそれまでの「満州は中国の一部」という社説を180度転換して、軍部の認める満州独立論に切り換えた。
      10月12日 「満州事変については絶対批判を許さず」の重役会決定
          13日 編集局内で重役会決定の内容を高原局長が説明
  「軍部に協力するのか」の質問にも「船乗りには“潮待ち”という言葉がある。いかんながらわれわれもしばらくの間、潮待ちする」と回答、毎日・本山彦一社長は満州事変は「正当防衛」という声明をアメリカの25の新聞に発表(10月)。
 11月4日には日本新聞協会が「満州事変は自衛権の行使である」との声明を各国に送った。
 
〔5〕戦争報道のおとし穴
 
イ)満州事変当時、すでに新聞は政論新聞からニュース報道中心の新聞にかわっており、大衆化、スピード化、客観報道へ進んでいたこと。 このため、事変のエスカレーションを重視、ニュース報道の名のもとに次々に大々的に報道し 関東軍が作り出した既成事実を追認していく結果になった。気がつくと、とんでもないところ まできている。客観、ニュース報道=速報性の持つ陥穽にはまった。
 
(ロ)戦争は新聞にとって最大のニュースであり、部数も大幅に伸びる。
(ハ)当時のハイテク(伝送写真)、中国からの飛行機による戦況写真のピストン輸送、写真号外などの大量の発行、センセーショナルな報道、それによる部数の増加。
(ニ)朝日、毎日の全国紙化による情報の寡占化
 
(ホ)過当競争⇒朝日の反軍的記事に各地の在郷軍人会が不買運動を起こし、これに毎日も加わって朝日の足を引っ張り、部数が落ち込んだ。これも「朝日」が社論転換した一因となった。
 こうした要因以上に新聞の大々的な報道によって国民の問に熱狂的な中国に対する反中、排外熱、戦争熱のナショナリズムが高揚した。新聞の『挙国一致報道』が世論をあおった結果になった。高原操局長の「今は潮待ち」の時であるという発言にも、満州事変を支持する世論の高まりという 「潮」をみて、このファシズムのうねりにさからえないという、自分が作りだした状況に逆にのみ込まれていくということになった。
 
(6】5.15事件から2.26事件にかけての新聞
 
(イ)宮沢前首相が半年ほど前の政治改革法案をめぐって混乱する政局をみて、犬養毅首相がテロで倒された5.15事件の頃の政治的状況が似ていると発言しことがあった。
 新聞にはアクセルとブレーキの二つの役割がある。大きく報道することによって、国民に広く真実を知らせ、その結果、状況を既成事実化し、より状況を発展拡大していく。アクセルを踏んだのと同じで、新聞の報道が事実(満州事変では謀略によって中国が先に仕掛けたというウソの)をより大きく「あおる」結果になりセンセーショナリズムと批判されるのもこの点である。逆に「ブレーキ」役となり、誤った事実や方向へ行こうとするのを止める役割も持つことは言うまでもない。
 
  満州事変で一挙に噴き出した軍部の中国侵略と、それを熱狂的に支持した国民。マスコミも挙国一致で支持し、気がついてみると状況は抜きさしならぬことになっていた。
 暴力とテロが頻発する。右翼による個人、新聞への攻撃がひんぴんとある。当時、朝日の情報局に日本刀を持ったヤクザが乱入して、編集幹部が斬られて重傷を負うという事件もあり、新聞社も自衛策として木刀や日本刀、スティックを護身用に持って自衛するという手段に出ていた。
 
(ハ)     外圧としての言論弾圧と内圧としての自己規制、自己検閲、言論萎縮
 
  これまで新聞は、外圧としての言論弾圧を強調しすぎていなかったか。確かに明治の保安条例以来、日本の新聞は極度に制圧され、昭和に入って特に、15年戦争下では、言論取締法規によってガンジガラメにされていたことは聞達いない。書こうにも書けなかったと。
   「5.15事件や2.26事件のテロや暴力に記者は戦慄してベンを投げた。これに右翼によるひんぴんなる個人襲撃があり、特高と憲兵による無法極まる妨害で記者のペンと口を封じてしまった」
「陸軍省詰めの記者ほその異動すら社では行えなかった。一人の記者を動かすにも陸軍報 道部長は必ず社へどなりこんだ。情報局、陸海軍は記事の扱いかたから見出しまで甲大小をこと細かく指導して一勝手にしろ」というのが心ある記者の捨てゼリフだった」
これは山根真治郎・東京新聞編集局長が昭和20年12月に「日本新聞報」に書いた「新聞に戦争責任はない」という文章の一節である。
 確かに、このようなテロ、暴力、記事の書きかたまで、外圧があったことは間違いないが、新聞自体、果たして記者自身はこれとどこまで戦ったのか。
 
 外圧によって萎縮して、自己規制、自己検閲して、テロや暴力を恐れて「これを書くとやられるのではないか」と必要以上に書かなかったのではないか-この点こそ問題ではなかろうか。本当に書けなかったのか。書こうとしなかったのか。
 
 昭和11年末に毎日新聞に合併された「時事新報」という明治、大正にかけては「日本一の時事新報」とうたわれた新聞がある。この編集局長で海軍記者として有名な伊藤正徳は、昭和9年の「新聞総覧」に新聞の社説が最も宿指すべき時に「出来なかったJその不甲斐なさを自ら反省しながらその原因を3点あげている。
 
  ① 新聞人の勇気の欠如
  ② 言論に対する抑圧
  ③ 新聞の大衆転化
 
 この中で特に「新聞人の勇気の欠如」を嘆いて「新聞人が勇気を欠いたことは争えない。一般にみて、必要以上に遠慮し回避したことは争えない。刃物に刃にふれることを警戒して、手を出さず、無為に傍観した例は少なくない。言論生命のために、命ををかける進攻的な勇気はあえて求めないにしても、防御の筆陣を包囲的に展開する程度なら当然新聞人に要求されてしかるべきであろう」と述べている。
 
まさにこの通りで、必要以上に遠慮して、自己萎結したのではないか。この自己規制、委縮現象は、昭和天皇の病気報道をみても今だに続いている。(以下は、今回追加したー福島原発事故の当初の判断も、爆発による放射線の拡散を知らせると不安感を増大させると、人体への火外の影響は少ないという報道委縮が見られた。なによりもメディアには事実の報道、真実の報道が優先される。)
 
 これも「時事新報」の社説部長で、2.26事件以降、朝日、毎日、読売などの大新聞が沈黙して、軍部、テロ批判に口を閉ざしていた段階で、10ヵ月近くにわたって60本の社説で軍部批判のペンをとった近藤操社説部長は戦後の回想でこう述べている。
 
近藤社説部長も軍部批判の社説を書きながら、おっかなビックリで、毎日、万一の場合を考えて新しいサラシの巻いて出社していたが、結局、1回しか抗議が来なくて逆に拍子抜けLたという。
 こうした経験から、「各紙が筆をそろえて批判直言したならば、軍部や革新官僚に対する批判効果は必ずあったに違いない。しかし新聞は萎縮して、その言論責任を果たさなかったJと述べている。
 
 2.26事件の時に作家の広津和郎が「中央公論」で「八百長的な笑い」と題して痛烈な新開批判の文章を番いている。
「第一の不満は今の時代に新聞が本当の事を言ってくれない不満です。日本のあらゆる方面がみんなサルグッワをはめられたように何も言わない。信じられない記事を書くことに煩悶している問はまだいい。信じられない記事を書かされて何しろこれより外、仕方がないから』といわんばかりの八百長的な笑いをエヘラエヘラ笑っているに至っては沙汰の限りです」
 以上のように、2.26事件で、日本の言論は完全に息の根を止められたのである。
 
〔ニ】日独伊三国同盟から太平洋戦争へ
 
2.26事件以降、日中戦争、三国同盟、ヒトラーによる第2次世界大戦勃発、ヨーロッパ戦線の拡大で、日本は「バスに乗りおくれるな」となだだれをうって、坂道を転がるように戦争に向かっていく。
 新聞は沈黙したまま時局に流されていく。三国同盟が太平洋戦争への直接の原因となったが、緒方竹虎は「三国同盟が調印された時、日本の新聞の幹部の大多数はこれに反対であったろうと思う。日本国中一つの新聞すらも腹に反対を抱きながら筆で反対を唱えなかったのはいかなる悲惨事であったか」と書いている。
 
 太平洋戦争が始まると新聞は完全に国のよる宣伝機関になり下がり、緒方自身も「(戦争に突入して)逆に良心の負担は軽くなった」と発言している。
 新聞が戦争への道を抑止できるのは、戦争への開始までである。問題は戦争が始まってからではなく、戦争へいたるまでの一歩一歩の過程でジャーナリズムがどれだけ歯止めをかけたのか、抑止力を発揮したかである。
 次々に起こる現象に流され、その追認に追われるだけでなく、現象の奥にひそむものを的確に見抜く見識、冷静な批判力こそもとめられる。
 
〔8〕日本の新聞の特質(これまでのまとめと総括)
 
(1)日本の新聞は世界の中でみても数百万部から1000万部という全国紙から、地方紙まで「新聞王国」といってよいくらい発達している。これをみても、商品としての新聞は確かに成功し、完成しているが、果たしてジャーナリズムとしてどこまで完成しているか、言論の自由という点ではどこまで機能しているのか。
 
  国にも新聞にも特有の「病気」がある。例えていえば日本が15年戦争を引き起こし、亡国したのは外的要因もさることながら内部矛盾、国民性などの「病気」(以下、書き加えるたー愛国的、反中、反米ナショナリズム)によって起こったものと言えるし、戦後にまともになったのは米国という外圧によって、徹底して手術が行われたからである。日本は自らの「病気」を自己で克服し、直して「免疫」ができたわけではない。免疫がなければ再び伝染病によって病気が再発しないとも限らない。
 
   一時期、戦後民主主義がうたわれ、昭和の戦前と戦後は180度転換して、断絶していることが強調された。ところが、この大手術をしたアメリカが最近、強調しているが、日本人の国民性は、政治システム、政と官の構造的癒着の問題など、戦前、戦後は断絶しているどころか、一貫してその根底の部分では同じではないのか、ということである。新聞も同じく自らの「病気」を克服はしているのか。新聞の体質は虚弱であり、先の「昭和天皇の病気」の際など、その病気が再発したのをみればわかる。
 
◎清沢例。戦時下の「暗黒日記Jを書き続けたジャーナリストは、日記の中で「この敗戦によって日本国民は果たして賢明になるであろうか」との疑問を何度も呈している。清沢は日本人の特性として「官僚主義、形式主義、あきらめ主義、権威主義、セクショナリズム、精神主義、道徳的勇気の欠如、感情中心主義、島国根性など日本人の劣性は戦後何十年かたって果たして克服されるのだろうか」と書いている。残念ながら清沢の疑問は当たっていないか。
 
② 日本の新聞の大勢順応、画一性、迎合性 一つの有力なムード、雰囲気ができかかると、新聞はそれに反対できないムードになり迎合していく。戦時下の新聞はしかりだし、戦後の左翼に迎合した点や中国報道を見ても指摘できる。
新聞が迎合してあおり立てると、ますますその空気は増幅されていき、圧倒的な空気、世論となり、少数派、批判的なものは排除され、抹殺されていく。この大勢順応、画一化は挙国一致報道となってあらわれる。国民は自らに相応しい政治を持ち、ジャーナリズムを持つといわれるが、日本の国民性とも照合している。
 
 <紙面づくりにおいても、この画一化、同じ考え方を全面的に押しつけるのではなく、いろいろな考え方、少数意見も同じ紙面の中で紹介していく。社論として統一するのもいいが、各記者の意見、多様な言論を紹介して、意見をたたかわせていく紙面づくりが必要>
 
③日本の新聞の持つ閉鎖的な体質、ナショナリズム、インターナショナリズムの欠如、西欧コンプレックス
とアジアへの優越感。
 
大ウソの発表の代名詞となった大本営発表。このウソ情報のタレ流しは今の記者クラブ制度、発表づけ、レクチャーづけ、情報操作へのチェックの弱さとすべてに密接にからんでいる。
  官庁と財界の癒着は15年戦争中に作りされたものだが、今は「政・官・財」だけではなく「政・官・財・マスコミ」の絵癒着によって事態はニッチもサッチもいかなくなっている。
 
④ 日本の新聞は商品としては完成したが、ジャーナリズムとしては未だに未完成品であると言ったが、言論の自由を徹底して貫き通すことが新聞の最大の使命であることを忘却した。戦後のGHQのインポデン新聞課長が「日本の新聞が一斉に砲列を敷けば軍部にかくもたやすく屈伏しなかったのではないか」と質問したことがあったが、新聞人そのものに言論の自由をあくまで死守するという気概やバックボーンが欠如していた。
  新聞同士で、全国紙は全国紙、全国紙と地方紙で互いに足の引っ張りあいに終始して新聞の企業性にはかり目が向いていた。
  今はどうなのか。会社主義、お家大事の発想から抜け出しているのか。企業本位が先行して肝心のジャーナリズム精神は脱け殻になっていないかどうか。(以下は書きくわえー○○新聞社記者はいても「国民の知る権利に奉仕する真にジャーナリストの名に値する記者が何人いるのか」
 
                                        (つづく)

◎『日本の15年戦争と新聞メディアの敗北(50回連載)』                         http://maechan.sakura.ne.jp/war/
 
 
 

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