片野 勧の衝撃レポート③「戦争と平和」の戦後史(1945~1949)➁『占領下の言論弾圧ー① ■検閲されていた日本の新聞、放送、出版、広告』★『業務停止を命じられた同盟通信』
2016/10/17
片野 勧の衝撃レポート③
「戦争と平和」の戦後史(1945~1946)③
片野 勧(フリージャーナリスト)
『占領下の言論弾圧ー①
■検閲されていた日本の新聞、放送、出版、広告』
『業務停止を命じられた同盟通信』
■フリージャーナリスト・松浦総三さん(故人、享年96歳)
私は「占領下の言論弾圧」と聞くと、一貫して反権力を貫いてこられたフリージャーナリストを思い出す。松浦総三さん(故人、享年96歳)である。私が松浦さんを知ったのは、もう40年も前になる。
当時、松浦さんは「東京空襲を記録する会」の事務局長で、私は「宇都宮市戦災を調査する会」を立ち上げ、事務局長の任に就いたばかりのころであった。そのころ、東京空襲を記録する運動が新聞などで取り上げられ、全国的に空襲・戦災を記録する運動へと広まっていった。
宇都宮もそんな運動の中で「宇都宮市戦災を調査する会」が生まれたのである。それは昭和49年(1974)2月16日のことであった。 しかし、立ち上げたものの、どのように資料を収集していけばよいのか、見当もつかず暗中模索が続いていた。
そんなことから松浦さんに指導を受けに東京・新宿の事務所へ出掛けていったのが、初めての出会いである。松浦さんは確か、その時、60歳だったと思う。 「松浦総三」とだけ書かれた名刺を見て、この人は一体、どんな人なのか、よくわからない。もちろん、「東京空襲を記録する会」の事務局長ということは知っていたが、何を書いている人なのか、などと思案していた。
しかし、新聞記者とはいえ、ジャーナリズムの全体像と歴史に疎い私は、その時、目の前にいる人物が一貫して反権力を貫く大ジャーナリストだとは、無知蒙昧なことにまったく気付かなかった。
松浦さんは昭和14年(1939)、渋沢栄一伝記資料編纂所に入ったのが、ジャーナリストとしての第一歩であるという(私は1943年生まれだから、まだこの世に誕生していない)。つまり、松浦さんは戦前・戦中の言論弾圧や戦意高揚のジャーナリズムを身を持って体験していたのである。
私は松浦さんから1冊の本をいただいた。『占領下の言論弾圧』(現代ジャーナリズム出版会)である。サインの日付が1976年5月1日とあるから、恐らく、「東京空襲を記録する会」の事務所でいただいたものだろう。もちろん、1冊の本として松浦さんのものを読んだのは、この『占領下の言論弾圧』が最初である。
■検閲されていた日本の新聞、放送、出版、広告
そして私は、またしても自分の蒙昧ぶりを恥じなければならなかった。「ホンモノ」というのは、こういう人のことをいうのだろう。日本がアメリカ軍(連合国軍)によって占領されていた約6年7カ月間(1945・9~1952・4)、日本の新聞、放送、出版、広告などはすべて検閲されていた。
しかし、占領下の残酷な検閲は残念ながらアメリカ軍によって発明されたのではなく、天皇の特高警察によって昭和11年秋ごろから計画され、昭和14年ごろに完成した方法で、アメリカ占領軍式検閲の発明者は天皇の特高であることを、松浦さんは極めて具体的に明快なジャーナリズム史として描き出していた。
紙数の関係で、ここではその本の内容には触れない。その代わり、強調したいのは松浦さんの「ホンモノ」としての視点であり、ジャーナリズムの現場証人としての信頼性である。たとえば、大宅壮一の菊池寛と女性関係を論じた個所にこんな言葉が出てくる。
「菊池の生涯を通じて、男女関係に致命的な破綻を招かなかった最大の原因は、人に親しまれる人柄にもよるが、それよりも彼はその生涯を通じて精神的にも肉体的にも、ほんとの恋愛らしいものを一度も経験しなかったことにある」
文藝春秋社長であり、文壇の大御所である菊池に向かって随分と激しい批判をしたものである。そして自らのことを棚に上げて、他人を批判する棚上げジャーナリズムは詐欺ジャーナリズムと松浦さんは大宅をも厳しく批判する。
■『戦後を疑う』清水幾太郎の転向
もう一人のジャーナリス清水幾太郎に対しても松浦さんは遠慮なく批判している。清水の『占領下の天皇』のなかに、こんなくだりがある。
「天皇制権力を構成するものは、軍閥、官僚、重臣、財閥の諸勢力であって、アンドリュー・ロスの説いているように、体裁は君主制でも、実質は寡頭制ということになる。天皇制とは、簡単にいえば、これらの勢力が、内部的な衝突を重ねながら、そして、天皇の名で民衆を脅かしながら、お互いに勝手なことをしてきた体制を意味する」
素晴らしい天皇制論で、それはマルクス主義者では発想できない天皇制批判であった。ところが、清水は『戦後を疑う』を書き、転向してしまう。なし崩し転向であり、180度転向である。
リベラルだと思っていたら、いつの間にか極左の新左翼となり、あれよあれよと思う間に、こんどは超保守主義の天皇制支持者に変わっていく。一度は天皇制批判や戦後民主主義を承認しておいて、それを何ら検証なしに否定するやり方について、松浦さんは「その思想や論理はグロテスク以外の何物でもない」と言う。
このように松浦さんの人物論はかなり辛辣で過激。しかし、意外な一面も。旅の好きな私は、たびたび松浦さんと那須温泉に行く機会があった。その車中での話。あるパーティーで大宅壮一の昌・夫人と会った時、てっきりお叱りを受けると思っていたら、「あなたの文章には愛情がありますね」といわれたという。いかにも、松浦さんらしいエピソードである。
松浦さんは体制ジャーナリズムや反共ジャーナリズムには厳しいが、よく読むと、単に体制的だから、反共だから叩くという教条主義的態度とは違うことが分かる。共産党の権力的、教条主義的体質に対しても手厳しい。
また創価学会を批判することもあれば、擁護することもある。特に創価学会の反戦出版には高い評価を下していた。要するに、松浦ジャーナリズムはジャーナリストとしての揺るぎない視点であり、信頼度が高いということだろう。
■業務停止を命じられた同盟通信
前置きが長くなったが、さて本題。 8・15。戦争が終わり、国民の多くは生きながらえた喜びをかみしめていた。戦地からは親、兄弟たちが続々と帰還してきた。街中には戦争からの開放感が漂っていた。そんな中でアメリカ占領軍が進駐してきて、東京に総司令部(GHQ)が設けられたのは1945年9月8日であった。
GHQは日本に対して直接統治を避け、間接的“占領”政策をとった。しかし、新聞、放送、出版など言論界に対しては直接、指令を下した。全国のすべての新聞社、放送局にニュースを配信していた『同盟通信』は9月14日、次のように報じた。
「戦争の終結は、連合国の軍事的優越性によってではなく、むしろ天皇の“大御心”によってもたらされた。従って占領軍は、単なる日本帝国の“客”にしかすぎない」
さらに、➀日本は原子爆弾さえなければ戦争に勝っただろう。原子爆弾はあまりにも恐ろしい武器で、野蛮人だけが使える➁米国および連合国軍部隊は、残虐行為を行っている➂占領軍が到着して以来、犯罪が増加している、などと報じた。(西鋭夫『マッカーサーの「犯罪」』大手町ブックス)
ところが、このニュースが流れた14日、同盟通信社は突然、公安を害したとしてGHQから即時業務停止を命じられた。また海外ニュースを送ることも禁止された。
また『朝日新聞』(45/9・15付)は、「新党結成の構想」として鳩山一郎にインタビューし、次のように報じた。
「“正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう。極力米人をして罹災地の惨状を視察せしめ、彼ら自身、自らの行為に対する報償の念と復興の責任とを自覚せしむること」
原子爆弾の使用を「国際法違反」と決めつけ、アメリカを批判したこの報道から2日後に『朝日』は、さらに「比島日本兵の暴状」という記事を掲載した。これは「比島戦における日本軍の典型的残虐行為」という太平洋米軍総司令部からの報告書をもとに報道したもの。
この文章は加害者である日本軍の残虐さをルポルタージュしたもので、実に生き生きと描かれていた。
例えば、その1節。
――「1944年12月、バラワン島にいた米軍俘虜150名は防空壕に入れられ、ガソリンを投げ込まれた。俘虜がビックリして飛び出すと、日本軍の機銃掃射で殺された。奇跡的に助かったのは数名だけであった。日本軍が米軍俘虜を殺したのは、こればかりではなかった。生きたまま俘虜を解剖したこともあった」
■マニラで宣教師40人虐殺報道
さらにこんな記述も載せた。
「マニラ寺院の廃墟の付近には宣教師40人が殺された。彼らは縛られ、射殺または銃剣で刺殺されたまま放り出されていた。修道僧を含めると、82名が殺された。サンチャゴではフィリピン人の死体600体が発見されたが、彼らは餓死または窒息死であった」
「22歳のフィリピン人看護婦は日本兵によって75名から100名の市民が殺されるのを目撃した、と語った。
その看護婦も女子供と一緒に身を潜めていた。ちょうどそのとき、赤ん坊の泣き声に気づいた日本兵は中に入ってきて、看護婦の足めがけて自動小銃を撃ってきた。彼女は死んだふりをしていたら、日本兵は銃剣で赤ん坊の頭を突き刺し、そして母親を射殺した」
この占領軍の発表を書いたのは当時、外務省担当の団野信夫記者。担当デスクは森恭三。
森は戦時中の日本軍の占領地住民(非戦闘員)に対する残虐行為を、はじめて知らされる読者のショックを考え、「日本国民としては信じ難いことであるが……」という意味のリード(前置き)をつけた。 ところが、GHQは「信じ難いこととは何事だ」と、こっぴどく怒られ、発禁処分になったという。(森恭三『私の朝日新聞社史』田畑書店)
当時、朝日新聞の編集局長は細川隆元。彼もGHQの民間情報教育局(CIE)から呼びつけられ、ひどく怒られた。CIEの局長は、ニューディーラー左派のダイク准将、新聞校閲主任はライアン中佐であった。ライアン中佐は細川にこういった。
「9月15日付の朝日新聞の鳩山一郎の『新党結成の構想』という記事は、連合軍の占領政策に違反するものだ」
それに対して細川はこう反論した。
「鳩山は日本における最大の自由主義者である。戦争中も彼は戦争に不協力の態度を示した。鳩山の意見のどこが悪いのか」
占領軍の言論弾圧に対する細川の、やむにやまれぬ抵抗であった。しかし、細川氏がCIEへ呼びつけられてから4日後の9月21日付の『朝日』に、次のような社告が載った。
「本社はマ司令部の命令により15日、16日、17日の記事にマッカーサー司令部指示の新聞記事取締方針第1項“真実に反しまたは公安を害すべき事項を掲載せざること”に違反したものありとの理由によって、18日午後4時より20日午後4時まで新聞の発行停止を受けた。よって19日付および20日付本紙は休刊の止むなきに至りました」
これは細川隆元が執筆して、ライアン中佐の許可を取って載せたものであった。(松浦総三『占領下の言論弾圧』現代ジャーナリズム出版会) この『朝日』の発禁事件を契機に、アメリカ占領軍は検閲体制を強化した。
9月19日には「プレスコード」を、同月22日には「ラジオコード」を発し、これに違反する報道は、「発行停止・業務停止」の強権を発動するという戦時中の日本軍部の言論弾圧に匹敵する法規を作ったのである。
つづく
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