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片野勧の衝撃レポート●『太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災㉒ 『第4の震災県の青森・八戸空襲と津波<上>』

   

  片野勧の衝撃レポート

 

太平洋戦争<戦災>と<311>震災㉒

『なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すか』

 

第4の震災県の青森・八戸空襲と津波<上>

 

片野勧(ジャーナリスト)

 

全国有数の漁業基地・八戸港

 

第4の震災県・青森の八戸港は被災した太平洋岸の東北4県の中でも最も水揚げ量の多い全国有数の漁業基地だ。東日本大震災で、この八戸港も高さ6・2メートルの津波に襲われ、大きな被害を受けたが、あまり語られることが少ない。なぜか。死者1万5816人、行方不明者2667人(2013年6月10日現在)を出した宮城・福島・岩手3県の津波の惨状の前に、言葉をのむためかもしれない。

 

たしかに、震災による青森県の死者は3人、行方不明者は1人である。だが、大きな被害を受けたにもかかわらず、なぜ、死者が少なかったのか。その要因を語る方が、今後の地震・津波対策を考える上で大切ではないのか。

私は、その要因と、68年前の戦災と今回の震災の両方を体験した人を求めて青森県八戸市を訪ねた。八戸市は変化に富んだ海岸線と青々とした緑輝く山々に囲まれている町である。その光景を見ていると、表面的には何事もなかったかのように見える。

私は、()いだ海を眺めながら、作家・三浦哲郎『白夜を旅する人々』を思い出した。三浦は青森県出身の唯一の芥川賞作家である。この作品には八戸の海岸を襲った津波の話が出てくる。

三浦は津波を「海嘯(つなみ)」と書いている。静かな海が突然、吠えるように(うそぶ)き、やがて何事もなかったかのように口つぐむというのだ。しかし、私にはその静かな海を見ていると、傷痕は奥深く、いまだに消えていないのを見て取れた。

私は八戸市へ行くのに、深夜の高速バスを使った。新宿西口発は21時50分、八戸駅着は翌朝の8時15分。予約していたレンタカーを借りて、まず向かった先は八戸市白銀町の八戸水産会館3階の事務所。八戸みなと漁業協同組合の前代表理事(組合長)の熊谷拓治さん(75)に会うためである。彼は約束通り2013年6月14日午前10時に待っていた。

 

彼は早稲田大学卒業後、海外で働くのが夢だったが、父・義雄氏(元衆院議員)からの勧めもあり1969年熊谷漁業㈱に入社。85年から代表取締役社長。2003年に発足した八戸漁連会長を3期9年務め、2012年6月に退任(現在は理事)。そのほか、水産庁水産政策審特別委員など県内外の公職を歴任した。

――3・11。その日はどこにおられましたか。

「青森市での会議を終え、車で帰途についていました。途中、ちょっと、つまむものが欲しくて、コンビニの駐車場に入りました。車を止めた、その瞬間、前に止まっていた何台もの車が、ボンボンと飛び跳ねていました」

ラジオのスイッチを押すと、巨大津波の襲来を告げていた。陸前高田市や宮古市の海岸部は全滅だという。八戸港も激しい波にさらされ、被害は甚大。「ライトを点灯した車が人を乗せたまま海中に消えた」というニュースも流れた。

交通信号はすべて消え、交差点は車で混雑。アナウンサーの興奮した声色が一層、不安を駆り立てた。やっと、八戸に着いたのが夕方、暗くなったころだった。しかし、港には近づけない。

 

その時の模様を熊谷さんは隔月刊『あおもり草子』(2012年2月1日発行)に「東日本大震災に想う――津波も海は壊せない!」と題する一文を寄稿した。以下、『あおもり草子』を参照させていただく。

――街はどんな状況でしたか。

「停電で街は暗黒でした。電話も携帯も通じません。街の状況はほとんど分かりませんでした」

――その日の夜はどうしていましたか。

「寒く暗い自宅で一夜を明かしました」

――目を覚ましてからは?

「いの一番、八戸港にいきました。もう、東北随一の威容を誇っていた八戸港が瓦礫と化しているではありませんか。その光景を見て、私は68年前の『あの日』の光景を思い出しました」

八戸港。岸壁には50メートルもある中型イカ釣り漁船が何隻も乗り上げ、無残にも横転していた。完成したばかりの最新の機器を備えた市場も流され、大型タンカーがその上にのしかかっていた。

熊谷さんは、自分が所有する中型のイカ釣り漁船を探した。しかし、これも八戸港から消えていた。茫然自失。被災地の荒涼とした、この光景は68年前の『あの体験』以来の衝撃だったと熊谷さんは語る。

八戸国民学校2年生だった1945年7月14日、米軍のグラマン戦闘機による爆弾空襲を受けた。海防艦・稲木をはじめ、多くの漁船が沈没した。船舶だけではない。工場も民家も鉄道も破壊され、炎上した。凄惨な光景だった。港に残されたのはオンボロの木造船だけ。

 

『日本の空襲1―北海道・東北』(三省堂)によると、この艦載機による銃爆撃は、北海道・東北地方各地にわたって行われたという。その機数は2000機近い。この攻撃は飛行機、船舶、鉄道、工場、倉庫などを爆撃して、日本の残存戦力に止めを刺そうというものだった。

米側の第三八任務部隊報告は書いている。「海岸線から70マイルの海上にある空母より発進、北本州の飛行場、船舶を攻撃した」と。この攻撃で八戸、三沢、青森、大湊、石巻、気仙沼などがやられた。

 

戦争も津波も海は壊せない!

 

戦後、ボロボロになって戦地から還って来た八戸の男児たちは、港に残されていたオンボロの木造船に乗って沖に出た。たくさんのイカを水揚げし、八戸港に活気が戻った。これが現在の「日本一のイカの水揚げ港・八戸」のスタートとなった。

熊谷さんは、当時を振り返った。

「戦争は船も工場も家屋も破壊しました。いや、そればかりではありません。人間の心まで破壊しました。しかし、海だけは壊すことはできません」

東日本大震災にも同じことがいえる、と熊谷さんは言う。

「大津波が襲っても、依然として海にはたくさんの魚がいます。しかし、その魚を獲る漁船がやられたのですから、漁師はたまったものではありません。漁船がなければ、漁師の生活は成り立ちません。まずは漁船の確保が第一です」

そうすれば、水産都市・八戸は必ず、復活すると熊谷さんは断言する。

 

2次災害の怖さ

 

3・11の前。八戸港には大・中・小型の漁船が500隻あった。しかし、そのうち、300隻が被災した。その半分は全損。さらに八戸港の3つの魚市場や関連施設も被災した。いつも八戸港に集まるはずのイカの量は大きく減った。

津波による死者は1名。その方は組合員の奥さんだった。彼女は夫とともに小型船を操業。しかし、津波襲来の警報に、夫は沖に船を出して難を逃れたが、見送りに来ていた奥さんは、車に乗ったまま激流に呑まれた。

さらに1カ月後、これも組合の小型底曳船が沈没し、乗組員6人全員が犠牲になった。この時は時化(しけ)もなく、積荷もないままの原因不明の事故といわれているが、熊谷さんには、そうは思えない。瓦礫が漁網を引きずり込んだと見ている。

海上保安部も後になって、そのような見解を発表した。つまり、これは大震災の2次災害というわけである。公式の被害報告には含まれていないのだ。

「震災による公式発表は死者1名ですが、私の心の中には犠牲者7名という思いが常にのしかかっています。2次災害の恐ろしさを知ってほしい」

と熊谷さんは強調する。

 

八戸港は被災地の復興の拠点

 

特筆すべきは八戸港の復興の早さだった。それはなぜなのか。熊谷さんは言う。

「宮城や福島、岩手の被災地の復興の拠点として八戸港を活用した国の方針が有利に機能したことは間違いありません。漁船や運搬船の航路を確保するための瓦礫除去がなされたからです」

震災後4日目にして、沖合底曳漁船が水揚げし、救助物資を積んだ運搬船も着岸が可能となったという。その後も熊谷さんは被災した船の代船取得や修理作業のために、国・県・市に支援を訴え続け、奔走した。

「幸いにして九分の七の建造費に対する補助が可能となりました。これは前例のない画期的なことです。しかし、残り九分の二は自己資金を用意しなければ、漁をやっていけません。多くの漁業者は、そのことで悩んでいます」

さらに熊谷さんは言葉を継いだ。

「戦後、日本人は等しく焦土から立ち上がりました。平和で繁栄した国を造ろうと、心を一つにして……」

要するに、国民の気持ちがまとまっていたから復興できたというのだ。しかし、震災後、日本人は等しく被災者の側に立っているのだろうか。

 

被災現場に立ったリーダーこそ

 

被災地の悲しみと再生への道――。政治家や官僚の責務は大きい。しかし、日本に被災者に寄り添ったリーダーがいるのだろうか。被災地の浜風に身を委ね、瓦礫の山をよじ登る、被災現場こそリーダーは赴くべきだ。

先の大戦で、前線を知らない大本営の机上作戦が、どんな惨めな結果を招いたかを思い出してみよう。東日本大震災は第3の敗戦といわれている。第1の敗戦は幕末の黒船ペリーの来航である。明治維新のリーダーは江戸を東京と改め、天皇を京都から移した。

第2の敗戦は太平洋戦争。戦争に負けて軍部は失墜。そこへ現れたのが親英米派の吉田茂や幣原喜重郎、石橋湛山。また社会党の片山哲や浅沼稲次郎などのリーダーだった。彼らは大政翼賛会の翼賛政治でない新しい政治をつくろうと志した。

しかし、今、そうしたリーダーがいるのか。政争に明け暮れ、保身に走る。そして国民には負担を強いる、こんな体たらくな政治家が何と多いことか。もちろん、当時と、今回の大震災とは同次元で論じることはできない。

しかし、国家再生という点では似ているのではないのか。現在の政治家は皆、小粒になり、政策は小手先にしか映らない。国家100年の大計に立った新しい総合的な国づくり、町づくりの発想が必要なのに。

津波に呑まれた人たちは帰ってこない。失われた船も戻ってこない。だが、それを乗り越えて進むことはできるはずだ。船を失った熊谷さんも、皆の気持ちが一つになれば、必ず、八戸は復興する、と信じている。

「明朝、イカなどの漁業交渉に向けてペルーへ出発します」

漁業もグローバルな時代。世界を相手に戦う熊谷さんの表情は明るい。

 

1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判戦後編』『メディアは日本を救えるか権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。近刊は『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。

 

                                   続く

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