前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『日米プロ野球史の研究』★「大谷は本里打王になるか、野球の神様・川上哲治の『巨人8連覇の常勝の秘訣』とはー』★「窮して変じ、変じて通ず」★『スランプは<しめた>と思え』★『むだ打ちをなくせ』★『ダメのダメ、さらにダメを押せ』

   

2011/05/20  日本リーダーパワー史(154) 「国難脱出に名将から学ぶ」記事転載

前坂 俊之(ジャーナリスト)

川上哲治【1920年3月ー2013年10月)熊本県人吉市出身。(現役時代から“打撃の神様”と言われ、また監督としては巨人の黄金時代を築き上げ、v9(セリ―グ9年連続、日本一)を達成した。愛称は「打撃の神様」。
川上が巨人の監督になった最初のシーズンで負けが続き、ドン底のスランプに陥った。禅の教えを受けていた正眼寺の梶浦老師から川上に電話があり、「励ましか」と思い、電話に出ると、開口一番「おめでとう」と言う。
川上がア然として、言葉に窮していると、「しめたと思いなさい」と励ました。
しばらくして、川上はこの言葉の真意がやっと理解できた。ドン底ということは、もうこれ以上落ちない、あとは上がるということだ。チーム全員が真剣に立ち向かえばカベは破れる、スランプに感謝しろ、という意味だとわかった。
王選手の一本足打法によるホームラン王への道も、スランプを克服するための特訓の中から生まれた。人一倍熱心な王選手は、一日三百球から四百球も打った。スランプの壁を感じたら逃げてはいけない。トコトン練習して突き破り脱出すべきで、スランプを克服するたびに一回りも二回りも大きく成長する。スランプこそ飛躍のチャンスなのだ。

 

『川上哲治の回想』なる文章が(「底なし釣瓶で水を汲む」谷耕月編、柏樹社、1986年刊)に載っているので、紹介する。

わたしが初めて梶浦逸外老師にお目にかかったのは、正力松太郎さんのご紹介がきっかけであった。

当時、わたしは、現役をやめるか、続けるか、コーチとして残るか、あるいはユニホームを脱いで評論家としてやっていくか、いくつかの選択に迫られていた。わたし自身としては、二十余年間の野球生活から離れて、二年なり二年なり、別の角度から人生を見直してみたい、という気持であった。

ところが正力さんは、「まだやれる。そう引退を急ぐことはない」といわれた。また水原監督からは、「現役でやれないとしてもコーチでやってくれないか」ともいわれた。三者意見が別れている時、正力さんは、そんなに結論を急がないで、ワシが紹介するから、日本で一番やかましくて高潔といわれる梶浦逸外という老師のもとで、1ヵ月ぐらい坐禅をしてみて、それから今後の方針を決めたらどうか、とすすめられた。

正力さんの添書をもって正眼寺を訪ねたのは、昭和三十三年の十二月であった。

この時、逸外老師はわたしに数々の質問をされたが、ある質問の答えにわたしが「球が止まって見えた」と答えたのに対し、「よし、君は野球で一応のところは得ている。しかし、それだけでは駄目だ。それをもっと掘り下げて、諸事万般に応用が効くように修行することだ。今、自分が見えるところに酔っていたら、野球だけの人生で終わってしまう。

技術の面では本物であることには間違いないが、しかし氷のように固まってしまっている。これから私も指導するから、君もそのつもりで氷を水に溶かす修行をしなさい。水に成り切れば、高い所も低い所も自由に流れることができ、顔も洗えれば飲むこともできる。そして最終的に、野球道というものをつくり上げていくことを約束するなら許そう」といわれた。

わたしは、大変ありがたいお言葉と受けとり、その二日後から約1か月の僧堂生活に入った。僧堂での老師の指導は恐ろしく厳しいものであったが、遷化されるまでの20余年間、その修行は続いた。

厳格な老師は、「一方、やさしい人でもあった。監督に就任してからのことであったが、わたしのチームが三戦、四戦と敗けが続いていた時、老師から電話があって「おめでとう」いってこられた。

わたしには、何の意か分からなかったが、「四連敗もしていればこれ以上悪くはならんだろう。これからは登るだけだ。これが勝ち続けていたのでは、いつ敗けるのだろうかと心配でたまらん」とおっしゃる。

「窮して変じ、変じて通ず」とは、老師からよくいわれた言葉だが、敗けた時にはその敗因を考え、二度と失敗しないように心掛けることになるから、ひいては勝つことに通ずることを教えられた。まさに、あの九連覇の因は正眼寺にあった、と思っている。

【川上哲治】ムダ打ちを嫌った「野球の神様」

不滅のV9を達成した巨人の川上哲治監督は、昭和13年、熊本工から巨人軍へ入った。当時、巨人には専任のコーチはおらず、「選手同士で技術の教え合いをしてはいけない」という不文律があった。

先輩選手の技術や方法を〝盗む”以外になかった。川上は技術を盗む〝チエドロボウ″に徹して、バッティングはみるみる上達した。

川上選手は現役引退までに最高殊勲選手3回、首位打者5回、ホームラン王2回、球界初の2000本安打などの記録を作り〝打撃の神様〟と呼ばれた。その打撃の神様の打撃のh秘訣は「むだ打ちをなくせ」であった。

200打数で60安打の3割バッターは逆に140本のムダを打っている。2割5分のバッターは150本のムダ打ちである。3割と2割5分の差は結局、ムダ打ちが10本多いか、少ないかの差につきる。この10本を確実にものにすれば、2割5分から3割バッターになれるわけだ。

「何としても打ってやろう」という気魄、気力、精神の集中、一球一球をムタにしないことが、この差を生むのだ。

  • ダメ押しだけではダメで、ダメ押しのダメ押しのさらなるダメ押しをお

  • 川上はマスコミから〝非情の監督″とか、冷酷とかいわれたが、勝つためには不評など一切気にしなかった。五点、六点もリードした試合でも、スクイズで加点した。大差のゲームでもダメ押しの点を取った。相手チームにやる気をなくさせ、「なんともいやらしいチームだ」との印象を植えつければ、それだけ精神的優位に立てる。

勝負において 「カッコいい勝ち方」 とか、「いやらしい勝ち方」 とか区別するのが、おかしい。ルールにかなっていれば、いやらしい勝ち方などあるはずがない。

試合するからには勝たねばならない。その場その場で全力を尽くす。

「勝負の心」 に徹する。勝つためにはあらゆる手段を使う。

とはいっても、あくまでルールを守った上でのことだが、ダメ押しだけではダメで、ダメ押しのダメ押しのさらなるダメ押しで、点を拾い、相手につけ入るスキを与えず、勝ち続けていって、やっとペナントで優勝できるのである。」

 
〝打撃の神様″はついに〝V9″という不滅の連勝記録を達成し、〝監督の神様″になった。
川上監督の優勝のときの言行録をたどってみよう。
 
Vl  (昭36) 「今年の経験を踏み台にして」
V2 (昭38) 「勝ちとった日本一」
VS (昭40) 「日本一になって」
V4 (昭41) 「連続日本一になって」
V5 (昭42) 「為せば成る」
V6 (昭43) 「野球も人なり」
V7 (昭44) 「得るは捨てるにあり」
V8 (昭45) 「勝負は天なり」
V9 (昭46)   「子は親の鏡」
V10(昭47)      「野球是道」
V11(昭48)      「日々優勝」

 

常勝ジャイアンツのサイ配を振いながら、川上監督の心は変化していった。

36~38年ごろは、ただただ「必勝」 の精神に燃えた。40年、41年は「常勝」

の精神で戦い、42年、43年と勝ち進むにつれて「常勝」は「不敗」にかわり、つづく5連覇、6連覇で「不敗」は「無敗」の精神にかわった。以後は「無敗」の精神に貫かれて9連覇を達成したのである。
まさに、日本のスポーツ界での空前絶後の名選手であり、名監督である。

 

 - 人物研究, 現代史研究, IT・マスコミ論

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
 池田龍夫のマスコミ時評ー(13)普天間基地グアム移転騒動・「日米合意」の問題点を検証せよ

 池田龍夫のマスコミ時評(13) 普天間基地グアム移転騒動・「日米合意」の問題点 …

no image
池田龍夫のマスコミ時評(116)集団的自衛権など、松坂市長の勇気ある発言(8/20)

    池田龍夫のマスコミ時評(116) 集団的自 …

「パリ・ぶらぶら散歩/ピカソ美術館編』①」(5/3日)周辺の光景 ー‏開館前から行列ができ、終日長蛇の列、20世紀最大の画家・ピカソの圧倒的な人気がしのばれる。

 2015/06/01  記事再録 『F国際ビジネスマンのワ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(191)記事再録/百歳学入門(76)日本長寿学の先駆者・本邦医学中興の祖・曲直瀬道三(86歳)の長寿養生俳句5訓を実践せよ

    2013/06/20 / 百歳学 …

★『ゴールデンウイーク中の釣りマニア用巣ごもり動画(30分)』★『5年前の鎌倉カヤック釣りバカ日記(4/26)「ファースト・ダブル・キス」で釣れ続く、わが「ゴールデン・キスウイーク」の始まり始まり』★『今や地球温暖化、海水温上昇で、 鎌倉海も魚、海藻、貝などの海生物が激減し、<死の海>に近づきつつある、さびしいね』

     2015/04/26 &nbs …

終戦70年・日本敗戦史(137)1932年(昭和7)のロㇲ五輪の馬術で優勝した国際人・西竹一は陸軍内では左遷に次ぐ左遷で『戦車隊長」で硫黄島に配属、玉砕した。

終戦70年・日本敗戦史(137) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

no image
梁山泊座談会★『若者よ、田舎へ帰ろう!「3・11」1周年―日本はいかなる道を進むべきか③』『日本主義』2012年春号

《日比谷梁山泊座談会第1弾》 超元気雑誌『日本主義』2012年春号(3月15日発 …

no image
池田龍夫のマスコミ時評(81)◎「講和条約記念式典 「4月28日」は、沖縄屈辱の日』

 池田龍夫のマスコミ時評(81)   ◎「講和条約記念式典  …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(127)/記事再録★『「長崎の平和祈念像」を創った彫刻家・北村西望(102歳)★『わたしは天才ではないから、人より五倍も十倍もかかるのです」★「いい仕事をするには長生きをしなければならない』★ 『たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ』★『『日々継続、毎日毎日積み重ね,創造し続けていくと、カタツムリの目に見えないゆっくりした動きでも、1年、2年、10年、50年で膨大なものができていくのだ。』

     2018/01/17百歳学入門 …

no image
日本リーダーパワー史(158)『江戸を戦火から守った”三舟”の高橋泥舟の国難突破力②-泥舟の槍・淋瑞の禅』

日本リーダーパワー史(158)   『江戸を戦火から守った&rdquo …