『日経新聞(2月10日)は「日銀の黒田総裁の後任に、元日銀審議委員の経済学者、植田和男氏(71)の起用を固めた」とスクープ』★『政治家の信念と責任のとり方の研究』★『<男子の本懐>と叫んだ浜口雄幸首相は「財政再建、デフレ政策を推進して命が助かった者はいない。自分は死を覚悟してやるので、一緒に死んでくれないか」と井上準之助蔵相(元日銀総裁)を説得、抜擢した』
『リーダーシップの日本近現代史』(112)/記事再録☆
日経新聞は2月10日、「日銀の黒田東彦総裁(78)の後任に、元日銀審議委員の経済学者、植田和男氏(71)を起用する方針を固めた。副総裁には内田真一理事、氷見野良三前金融庁長官を起用する」とスクープした。日本銀行の正副総裁の人事案については14日の衆参両院の議運委で候補から金融政策に関する所信を聴取して質疑、衆参の本会議での承認を経て、内閣が正式に任命する。
統計不正問題で揺れる国会で2月12日、安倍首相と立憲民主党会派の岡田克也元外相の間で久しぶりに激しい舌戦があった。安倍首相の「悪夢のような民主党政権だった」との発言に岡田氏はかみついて、「自民党の経済、原発政策の失敗に足を取られた。自民党にこそ責任がある。発言を撤回せよ」と詰め寄ったが、議論はすれ違いに終わった。論争のあと、「ちっちゃな首相だ!」と岡田氏は吐き捨てた。
3月末の期限が迫る中で、相変わらずEUとの合意なき離脱問題でもめ続けている英国議会に対して、しびれを切らしたEUのトゥスク首脳会議常任議長(大統領に相当)は2月6日、英国の離脱推進派には「地獄に特等席が用意されている」と発言し、英国議会は猛反発した。
一方、トランプ大統領の言いたい放題、強圧的言動はやまずカベの建設を巡って「民主党はテロ、犯罪者、不法移民の擁護者だ」と攻撃はエスカレートし、ついに国家非常事態宣言を発してカベ建設予算の増額した。米議会の混乱はまだまだ続きそうだ。
このように、世界中で大統領、宰相らの過激発言によって、政治不信が高まり、政治家の責任が改めて問われる事態となっている。
今からちょうど90年前の1929年(昭和4)にニューヨーク株式市場の暴落に端を発した世界大恐慌がおこり、世界中が不況に見舞われた「悪夢の1930年代」を思い起こさせる。
この時の『ライオン宰相』浜口雄幸首相の政治力、決断力は日本憲政治史上、稀有のものであった。
1929年(昭和4)7月2日、中国張作霖爆殺事件の責任者の処分をめぐって処分が軽すぎると昭和天皇から叱責された田中義一首相(政友会)は責任をとって総辞職し、野党第一党の民政党の浜口内閣が誕生した。
浜口は外務大臣に幣原喜重郎(国際協調派)、大蔵大臣に井上準之助(貴族院、日銀総裁)を、海軍大臣に財部 彪(条約軍縮派)据えた。 政策として為替相場を安定させるための金解禁の実施、国民生活を犠牲にした英米との海軍力競争に追従すべきでないとの軍縮実現、行財政改革、綱紀粛正、官吏減俸(国家公務員の減俸)などを掲げて、翌昭和5年の総選挙では国民の圧倒的な支持を集めて絶対多数の273議席を獲得した。
浜口雄幸は土佐出身の「いごっそう」(快男児、頑固で気骨のある男)で無口寡黙正直一筋の不言実行のひと。板垣退助、吉田茂の宰相の流れの中間に位置する。東大法科卒で大蔵官僚となったが、大臣の予算を上げよとの上司の命令を拒否したため、地方へ飛ばされ左遷に次ぐ左遷となった。その間も英国タイムズの購読を続けて、世界経済を地道に勉強してきた。生来の無口訥弁も演説を猛練習して直した。節を曲げぬ剛直、清貧,知合一致の人格が後藤新平(内相、外相)に見込まれて、政治家に転出する。「政治は国民道徳の最高標準たるべし」を信念としていた。
浜口首相は大蔵大臣は井上しかできないと目をつけていた。「この内閣の最大の使命は財政整理だ。それには財政の専門家が要る、あなたしかいない。デフレ政策を推進して命が助かった者はいない。自分は死を覚悟してやるので、一緒に死んでくれないか」と誠心誠意、口説いた。
最初は断っていた井上もついに「そこまで自分を見込んでもらえるなら、私も命を投げ出しましょう」と引き受けた。浜口首相は実力本位の抜擢人事で派閥、根回しに頼らず、「唯一正道を歩まん」と反対を押さえて正面突破で政策を推進した。ところが、同年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落、「暗黒の木曜日」がおこり、世界は大恐慌に突入し、日本も深刻な不況に落ち込んだ。
浜口内閣は着々と政策を実行し、翌昭和5年1月11日、金本位制(金解禁)に復帰した。4月にはロンドン軍縮会議で米英日3国での軍備制限条約を締結した。ところが、これに猛反対する海軍の艦隊派の加藤寛治軍令部長の統帥権干犯問題が発生、右翼が一斉に声を上げ、浜口内閣打倒に動き出した。
浜口は11月14日朝、東京駅で右翼暴漢からがモーゼル型拳銃で腹部を狙撃された。この時、「男子の本懐!」との有名な言葉を残した。銃弾が体内に残っていたため、三回もの大手術を行ったが、容態は回復せず、昭和6年1月、2月になっても衰弱が続いき、復帰できなかった。
政友会からは『総理が国会に来られない以上、政権を渡せ』と矢の催促。両党の対立が激化し、乱闘事件まで起きた。民政党は『必ず浜口は登壇する』と答えたが、浜口の容態は絶対安静でとても起きられる状態ではなかった。
城山三郎「逆境に生きる」(新潮社、2010年)によると、浜口首相は病床で「会期中に国会に出るという総理の約束は、国民に対する約束だ。自分は死んでもいいから国会に出る。邪魔しないでくれ」と医者、家族に決意を告げた。ところが、浜口は、靴を履くこともできず、靴が重くて、倒れてしまうほどの衰弱ぶり。靴なしで国会へは行けないので、家族で布を靴の形に切って墨を塗って、足につけるという前代未聞の悲壮な覚悟で登院した。
3月10日に開会中の衆議院本会議に出席してあいさつ、以後、連日出席して、鳩山一郎らの長い質問に答え続けた。
疲労困憊、衰弱は限界に達し、4月に再び入院手術したが、現職復帰は困難となり、同13日についに総辞職した。浜口はそれから5ヵ月後の8月26日に61歳で不帰の客となった。この2週間後に関東軍は満州事変を起した。昭和15年戦争の道を転落していった。
関連記事
-
-
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑦1903(明治36)年4月30日『英ノース・チヤイナ・ヘラルド』 『ロシアは満州撤退せず』『ロシアと日本』
『日本戦争外交史の研究』/ 『世界史の中の日露戦争』⑦ 1903(明治3 …
-
-
人気記事再録/百歳学入門(183)-現在、65歳以上の人は「2人に一人が90歳以上まで生きる時代」★『義母(90歳)の『ピンコロ人生』を見ていると、「老婆(ローマ)は1日にしてならず」「継続は力なり」「老いて学べば死しても朽ちず」の見事な実践と思う。
2017/10/29 &nb …
-
-
「75年たっても自衛権憲法を全く変えられない<極東のウクライナ日本>の決断思考力ゼロ」★「一方、ウクライナ戦争勃発3日後に<敗戦国ドイツ連邦議会>は特別緊急会議を開き、防衛費を2%に増額、エネルギーのロシア依存を変更した」★『よくわかるオンライン講座/日本国憲法制定真相史①』★『なぜ、マッカーサーは憲法制定を急いだか』★『スターリンは北海道を真っ二つにして、ソ連に北半分を分割統治を米国に強く迫まり、トルーマン米大統領は拒否した』』
  …
-
-
『オンライン/<日中歴史認識>講座』★『袁世凱の政治軍事顧問の坂西利八郎(在中国25年)が 「日中戦争への原因」(10回連載)』●『万事おおようで、おおざっぱな中国、ロシア人に対して、 日本人は重箱の隅を小さいようじでほじくる 細か過ぎる国民性が嫌われて、対立がエスカレーとし戦争に発展した』
『リーダーシップの日本近現代史』(164) 2019/1 …
-
-
『オンライン/現代版葛飾北斎の富嶽三十六景動画版』★『地球環境異変で鎌倉海から見る富士山の映像も変わってしまったよ』★『 鎌倉サーフィン(2021 /08/08/pm600)-ある夏の夕暮れの鎌倉材木座海岸の潮騒のセレナーデ,黄金色の夕焼けがまばゆいばかりの美しさ』
鎌倉材木座海岸からみる富士山(2021 /08/07/pm500 -江の島上空の …
-
-
知的巨人の百歳学(119)-『元祖スローライフの達人・超俗の画家/熊谷守一(97歳)』★『文化勲章もきらいだが、ハカマも大きらい。正月もきらいだという。かしこまること、あらたまること、晴れがましいことは一切きらい』
知的巨人の百歳学(119)- 『元祖スローライフの達人・超俗の画家/熊谷守一(9 …
-
-
世界の最先端テクノロジー・一覧 ④『フェイスブックは「人生の幸福度を下げる」米研究結果』●『「勝手にWindows10」騒動、MSついに屈服? 「更新回避法」を動画で紹介する事態に』●『Twitterが140文字制限の緩和を正式発表』●『「プログラミング界のライザップ」で本当に人生が変わるのか体験してきた』●『最も危険なパスワード 利用者数は依然トップ』
世界の最先端テクノロジー・一覧 ④ … フ …
-
-
『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』-戦時特別任務➁
『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』-戦時特別任務➁ …
-
-
日本リーダーパワー史(112)初代総理伊藤博文⑧伊藤の直話『下関戦争の真相はこうだ・・』
日本リーダーパワー史(112) 初代総 …