日本風流人列伝(35) アイヌ「ユーカラ」研究の金田一京助はメチャおもろい
日本風流人列伝(35)
アイヌ「ユーカラ」研究の金田一京助はメチャおもろい
前坂 俊之(ジャーナリスト)
金田一京助(きんだいち・きょうすけ)1883-1971。言語学者、文化勲章受賞者。東大、早大教授。学生時代からアイヌの叙事詩「ユーカラ」の研究をはじめ、北海道、樺太(サハリン)を実地踏査、アイヌ叙事詩「ユーカラの研究」を発表。石川啄木の中学時代からの友人であり、数多くの国語辞典の編纂でも有名。
金田一の講義はいつも長くて、二時間のところが三時間になることもよくあった。この癖は天皇への講義でも発揮された。十五分の制限時間であったが、ついつい調子にのりすぎて、ふと気がつくと、なんと四十五分もオーバーしていた。
ァィヌ語を研究し文化勲章を受賞した言語学者の金田一京助は言葉がていねいすぎて、女の言葉のようでおかしいと、家族からよく苦情が出た。奇行も多く、その点も重なって家族からバカにされることもたびたび。
そんな時、金田一は「他の人はわたしを神様のように尊敬しているのよ。エライと思わないのはお前たちだけなのヨ」と女言葉で怒って、ますますバカにされた。

金田一の講義はいつも長かった。授業でも終わりの鐘が鳴ってから二、三十分も延長するのはザラで、二時間の講演が三時間になったこともあった。
昭和二十九年五月、柳田国男ら四人と天皇の前で講義することになった。一人十五分ずつで最初に立った柳田は『日本人の起源』をピッタリ制限時間に終わらせた。
ところが、金田丁は話しているうちに調子にのり、気がつくと何と四十五分も過ぎていた。天皇の前なので、おそれおおく、合図するお付の者がいなかったのである。
青くなって柳田にそっと聞くと「あと五分で切り上げたまえ」とこわい顔でニラまれた。金田一は恐縮して、話を終わらせようと一生懸命努力したが、さらに十五分もかかってしまった。
数日後、天皇から四人が呼ばれて食事をご相伴になった。失態に恐縮して顔も上げられなかった京助に対して、天皇は「金田一、この間の話はおもしろかったよ」と声をかけた。 「恐れ入りました」と金田一は感激の涙をポロポロ流した。
このように、天皇の前でも失敗するのだから、一般の会合ではもっと多かった。
ある時、教え子の女性の結婚式に招待された。金田丁はスピーチには自信があり、あれこれ想を練って万全の準備をして出かけた。
ところが会場につくのが遅れて、すでに仲人のあいさつは終わっていた。 隅の方に座って、眺め回すと大変りつぱな披露宴で、花嫁と花婿の顔を見ると、いつもより違ってみえた。花婿は初めてだが、花嫁は化粧でこんなに変わるものかと感心しながらテーブルのおいしそうな料理を平らげた。
そのうち、新郎、新婦への花むけのスピーチに移ったが、新婦の名前が違っているではないか。金田一が名前を言ってボーイに確かめると「その方の結婚式はきのう終わりました」と告げた。何と日を間違えていたのである。金田「先生は耳まで真っ赤になりながら、脱兎のごとく会場を飛び出した。金田一京助の息子も国語学者で知られる金田一春彦である。
ある時、放送局から春彦が対談するために迎えのタクシーを寄こした。それに京助がサッサと乗って出かけた。春彦はいくら待ってもタクシーが来ないので、あわてて電車を乗り継いで遅れないように局へ行くと、京助がニコニコしながら待っていた。
驚いたのは放送局。大先生の京助に、あなたではございませんともいえず、三人で対談をすることになった。最後まで京助は春彦の対談であることに気がつかなかった。
京助はまた、無類のお人好しでもあった。卒業生が監修者に名前を貸してほしい、といえば即座に了承し、無名でも正体不明の出版社でも、「先生の愛読者です」といえば、相こうをくずしてすぐOKした。やたらと、金田一京助監修の国語辞典が多いのは、このためだった。
金田一が石川啄木の親友で、その生活の面倒を見たことはよく知られている。その石川啄木全集の企画を桑原武夫らが集まって進めていた時のこと。
啄木の未発表の日記が函館の図書館にあり、これを活字にしようと、桑原が提案したが、京助が猛反対した。反対などついぞしない人が珍しく徹底して反対するので、帰りに、桑原がそっと京助にその理由を開いた。
すると、京助は真っ赤になりながら弁解した。
「あの日記には啄木を誘って浅草の赤線へ出かけるところがある。私は潔白で一線を越えずに帰ってきたが、私には今、嫁入り前の娘がある。もし婿になる人があそこを読んであらぬことを空想して、破談にでもなったら娘が可哀想だから、どうか日記の公開は見合わせてくれ」
あまりの純情さに桑原も目をパチクリ。
関連記事
-
-
★『巣ごもり動画で私の鎌倉古寺巡礼で最も好きな<苔の寺/妙法寺』を紹介します』★『鎌倉通―梅雨で美しい<奇跡の苔石>800年前の鎌倉時代の面影を残す唯一の古寺』★『<鎌倉古寺巡礼>『鎌倉で最高の巡礼のお寺はどこでしょうか?ー妙法寺(苔寺)の山道じゃ。単独で往け』
「秋の紅葉の鎌倉めぐりのおすすめは!・・苔寺/妙法寺 …
-
-
『オンライン・日中国交正常化50周年記念講座』★『日中関係が緊張している今だからこそ、もう1度 振り返りたいー『中國革命/孫文を熱血支援した 日本人革命家たち①(1回→15回連載)犬養毅、宮崎滔天、平山周、頭山満、梅屋庄吉、秋山定輔ら』
2016/07/25」/記事再録『辛亥革命/孫文を熱 …
-
-
『Z世代のための大谷イズムの研究』★『「神様、仏様、大谷様」―大谷が世界を変える』★『大谷の市場価値は「世界のトップへ」「MLBでは1位』★『真田広之の「SHOGUN 将軍」がエミー賞18部門を独占1』
10月には80歳(傘寿(さんじゅ)を超える私の「生きがい」と「元気」「やる気」の …
-
-
『日中台・Z世代のための日中近代史100年講座⑤』★『世紀の恋の果たし状ー九州の炭鉱王の良人・伊藤傳右衛門氏に送った「筑紫の女王」柳原輝子の絶縁状の全文ー愛なき結婚と夫の無理解が生んだ妻の苦痛と悲惨の告白』★『1921年(大正10)10月23日「大阪朝日」朝刊掲載』
1921年(大正10)10月23日 「大阪朝日」朝刊掲載 朝刊新報の「筑紫の女王 …
-
-
日本経営巨人伝④・麻生太吉–明治期の石炭王『九州財界の重鎮』の麻生太吉翁
日本経営巨人伝④・麻生太吉 明治期の石炭王『九州財界の重鎮』の麻生太吉』 <麻生 …
-
-
日本リーダーパワー史(518)「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」➁ 日露戦争の決定的場面に杉山の影
日本リーダーパワー史(518)   …
-
-
130年に1度の三浦半島2大霊場大開張奉修(4/29) ー『浄楽寺』(横須賀市芦名)の運慶作の国宝『阿弥陀仏三尊』に感動す。(動画2本あり)』●『5月28日まで公開中、お宝拝観にでかけよう』
130年に1度の三浦半島2大霊場大開張奉修(4/29) ー浄楽寺の運慶作の国宝『 …
-
-
日本リーダーパワー史(454)「明治の国父・伊藤博文の国難突破のグローバル リーダーシップに安倍首相は学べ②」⑥
日本リーダーパワー史(454) …
-
-
日本リーダーパワー史(703)★100全リーダー必見、全国民必見の感動ビデオ★『佐藤 康雄東京都緊急消防援助隊総隊長: 3・11いかに原子炉災害の冷却作戦に臨んだか』(動画26分)
日本リーダーパワー史(703) 全リーダー必見、全国民必見の感動ビデオ &nbs …
-
-
★『2018年(明治維新から150年)「日本の死」を避ける道はあるのか④ 『2050年には日本は衰退国ワーストワンなのか!
★『2018年「日本の死」を避ける道はあるのか ー―日本興亡150年史』④― < …
