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日本経営巨人伝⑨中上川彦次郎ー三井財閥『中興の祖』・中上川彦次郎<悍馬(荒馬)よ来たれ!>

   

日本経営巨人伝⑨中上川彦次郎
 
三井財閥『中興の祖』・中上川彦次郎
<名言ー悍馬(荒馬)でなければ千里の道はいけない>
 
中上川彦次郎君
明治36
菊地武徳
中上川彦次郎 1854-1901
(解)前坂俊之
00.09
5,000
大空社
 
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
 
中上川彦次郎は明治中期に活躍した近代実業家の先駆者であり、三井家の『中興の祖』というべき経営者である。
中上川は安政5年(一八五四)八月、豊前国中津城下金谷村(現・大分県中津市)の中津藩士、中上川才蔵の長男として生まれた。母は同藩の福沢百助の娘で、福沢諭吉の姉である。
 
彦次郎は藩校で学んだ後、明治二年(一八六九)、十五歳の時、大阪に砲術修行のために出たが、叔父の福沢諭吉から上京するようにとの誘いによって慶応義塾に入った。明治四年、一旦、帰郷した後、宇和島藩立洋学校の教師となったが、翌年、一家を挙げて再び上京した。
福沢から最も愛された弟子であった中上川は海外での知識を深めたいと念願していたが、福沢の資金援助によって明治七年(一八七四)十月、二十歳の時に英国に星亨らとともに留学した。
 
 三年間にわたって滞在したイギリスでは専門的な勉強や大学に入学するでもなく、時たまロンドン大学の英国商業史のレオンピー教授の講義を聞いたぐらいで、あとは毎日、ロンドンの町中を隅々まで歩いて知り尽くし、文明の新知識を身をもって体験、学んできた。在英中に元老院議官・井上馨と知り合い親しくなり、その才能を認められたが、この関係が以後、三井家に迎えられるきっかけとなった。
 
帰国するや、中上川は工部卿となっていた井上の引きで工部省の官僚になり、さらに井上が外務大臣となると、外務書記官(今の外務省局長)となった。
明治十四年の政変で大隈重信が下野するや、井上に従って官僚をやめて、十五年には福沢と共同で日刊紙「時事新報」を創刊して、その社長になり、ジャーナリズムの世界に身を投じた。
 
 この時事新報が軌道に乗ったころ、井上の肝入りで、明冶二十年(一八八七)に山陽鉄道会社(現在のJR西日本)社長となった。四年間山陽本線の鉄道敷設の大事業に取り組み、勾配やカーブを安全性から緩やかにとり、将来の複線化を見込んで莫大な用地の買収を行うなど、先見性と視野の広い計画を立てた。神戸から福山間を開通させ事業を軌道に乗せて、その豪腕ぶりを社会に示した。
 
ところが、その声望が高まると、社内からの嫉妬や妬みで追い出しを画策するものが出てくる。これに中上川が嫌気のさしていた時、たまたま旅行中の井上と電車の中で出会った。井上は当時、三井家の顧問的な存在であり「三井の改革を行う人物を探している」との話に「自分にやらせてもらいたい」と志願して、三井銀行の再建を任されることになった。
 
 明治二十四年(一八九一)八月に、三井銀行に入ったが、この時、中上川は三十八歳である。
 
 政府は民間の国庫金無担保運用権を取り上げて新設の日本銀行に任せることになり、三井銀行は政府関係者への多額の資金提供が焦げつき、三分の一が不良貸し付けという危機的な状況にあった。
 
 さらに、十八、九年に好景気で数多く生まれた企業がハタハタと倒産して、各銀行は取付け騒ぎが起こり、金融界は恐慌状態に陥っていた。三井銀行の本店、支店もその波に飲まれ、三井は最大の危機を迎えた。
中上川は一大整理を敢行するため、鉱山、呉服店、物産の要職と三井元方参事を兼ねて、翌年四月から縦横無尽に腕を振るい、不良債権を遠慮会釈なく取り立てた。
 
益田孝ら一、二の首脳部以外の旧来からの幹部番頭を全員辞めさせ、三十歳前後の若手気鋭の、その後いずれも財界のリーダーとなった藤山雷太、武藤山治、波多野承五郎、和田豊治、朝吹英二、鈴木梅四郎、平賀敏、藤原銀次郎、池田成彬ら福沢の門下生の英才たちを次々に入社させた。
 
藤山を抵当係長、藤原を大津支店次席、波多野を調査部長、池田を足利支店長に、それぞれ適材適所に配置して薫陶した。
大口の貸し付けの筆頭は東本願寺の百万円、第三十三銀行の百万円、正金銀行金庫課長のからんだ五十万円、桂太郎の関係などだったが、中上川は一切の情実を排して厳しい貸し付けの回収を指示した。東本願寺には同寺にとって最重要な枳殻邸を差し押さえる、と強行に談判させ、中上川は「明治の仏敵」と呼ばれても、断固として手を緩めず取り立てた。
 
 当時、第三師団長だった桂太郎に対しては、藤山雷太を派遣して邸宅の引渡しを強く迫って、取り立てに成功した。相手が大臣であろうと、トップであろうと、中上川は部↑を徹底して信頼して交渉を任せた。
 
 また、能力主義を実践して、多く儲けた者には、思い切った高給を払い、二年に三度も昇給させてことがあった。中上川の経営スタイルは強権には強く、弱者には優しく、業績を上げた者には思い切った高給で報いる近代的な合理主義経営に徹していた。 こうした合理的な人使いと並行して、中上川は三井内部の強い反対を押し切って官金取り扱いの返上、支店の閉鎖、調査係の新設、各店の貸出限度額の設定、貨幣単位の厘の廃止など銀行業務の諸改革を断行し、三井銀行の再建と発展の基礎を築いた。
 
もし、当時、三井銀行の大改革を行った中上川がいなかったならば、その後三井財閥が果して大きく発展していたかどうかは、疑問であろう。
 
 中上川は三井の工業化、工業資本主義を棟極的に押し進めたが、三井物産の益田孝は「商業資本主義」に立脚しており、明治二十七年の日清戦争以後はその対立が先鋭化してくる。
 
 三井銀行に在籍約十年、明治三十四年(一九〇一)二月、四十七歳で中上川は急逝してしまう。
 日本産業史上における中上川の意義について、「中上川彦次郎伝」の著者である白柳秀湖は次の三点を指摘している。
 
① 明治維新後も長年続いていた藩閥の権力者と富豪との間の慣れ合い的な金のやりとり、財政の私物化を断ち切った。
 
② 三井の工業化を押し進めたこと。それまでの金貸し、ブローカー的な銀行業務を近代化し、官金預託業務を廃止し、商業銀行化を進め、銀行、物産から、生産的な工、鉱業に比重を移していった。また、三井を総合的な企業グループへと切り替え、三井銀行、三井物産、三井鉱山、地所、工業部などの機構を整備した。
 
③ 少壮有為の人材を思いきって登用した。旧幕からの商人タイプから近代的な実業家に切り換えたため、この実業家たちが日本の産業を転換させた。毎日新聞を大新聞に発展させた本山彦二東洋の砂糖王といわれた藤山雷太、製紙王といわれた王子製紙の藤原銀次郎、三越を創った日比翁助、三井財閥の総帥・池田成彬、阪急グループの創設者小林三、森永製菓の森永太一郎らその後のわが国の代表的な実業家を育て上げた。
 
 本書は菊池武徳著『中上川彦次郎君』(人民新聞社出版部、明治三十六年)の復刻である。
 
中上川については白柳秀湖著『甲上川彦次郎先生伝』(中朝会、昭和十四年、普及版『中上川彦次郎伝』は岩波書店、昭和十五年)、北山米吉編『中上川彦次郎君伝記資料』(昭和二年)などがあるが、本書は中上川が亡くなってすぐ出版されたもので、現在ではほとんど入手できない稀書である。

著者は慶応で中上川の後輩にあたり、中上川から直接薫陶を受けた池田成彬、波多野承五郎、武藤山治、高橋義雄、朝吹英二、藤山雷太、本山彦一から取材・執筆しており資料的な価値が高い。明治期の傑出した経済人・中上川の全貌にふれた一書であり、研究者にとっては待望の復刊である。

 
               (静岡県立大学国際関係学部教授)
 
 

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