<日中韓興亡史ー明治初期、日本が国交を求めた時の朝鮮側の態度はどうだったのかー歴史認識(パーセプションギャップ)の研究
<日中韓興亡史 150年の新聞記事資料>
明治初期、日本が国交を求めた時の朝鮮側の態度はど
うだったのかー歴史認識(パーセプションギャップ)の研究
うだったのかー歴史認識(パーセプションギャップ)の研究
足を踏んだ人は踏まれた人の痛みはわからない。覚えてもいない。これとおなじく、国際関係にはいつも歴史認識ギャップが立ちはだかる。
明治時代の韓国、朝鮮の日本認識はその約250年前の秀吉の文禄の役の痛みからの発想であり、日本側はそんな昔のことなど持ち出すのはおかしいと思う。そのパーセプションギャップが理解できない。そこにすれ違い、対立が生まれる。
明治時代の韓国、朝鮮の日本認識はその約250年前の秀吉の文禄の役の痛みからの発想であり、日本側はそんな昔のことなど持ち出すのはおかしいと思う。そのパーセプションギャップが理解できない。そこにすれ違い、対立が生まれる。
現在の日中韓のコミュニケーションの底にもこのギャップが連綿と続いていることに思いをいたさねばならぬ。(前坂俊之)
<1882(明治15)年8月3日 朝野新聞>
花房 義質・・朝鮮で小西行長と同様に嫌忌される
『聞く所に拠れば、朝鮮の頑民等は英米諸国よりも我邦を嫌忌すること甚だしく、殊に
花房公使を、文禄の役に従事せし小西行長等と同視し、又、彼の頑民共が国王に建白したる大意は日本と交通するは必ず往時、李唐の侵略に逢いたる覆轍を踏むや明かなれば、速に交通を絶つに若しかずとの旨趣なりと。
且つ、心に欧米諸国を侮ること甚しく、苦し之と戦を開かば、一挙して彼れの三軍を殲滅せんこと容易なり杯といい居る由、
これは先年米仏の軍艦に砲撃せしもその後右の二国が来侵せざりしによるなりとぞ。
当時、朝鮮全国の人惰たる利害も理非もなく、只管、外国交際を嫌忌しこれがため、今日迄、わずかに交際の跡を存しある者は日本、支那の両国のみなるが、
この中にても日本人は西洋外夷の奴隷と為り、聖人の道を棄て耶蘇の邪教に沈溺し、衣服頭飾髪の毛色まで既に化して夷となりたる者どもなればとて、攘夷論家に夷視せられ遂に今般の如き奇禍をも蒙りたることなり、
一般の人心、攘夷論を喜ぶのみならず在廷執権の大臣以下小吏使丁に至る迄何れも鎖攘家(鎖国・攘夷)ならざるはなし。
併し、朝鮮人も日本の誘導により初めて今代文明の光を見し、以来既に十年に近く中には活眼の有志もありて、西洋日新の文明を欽慕する者なきに非ずと雖ども、
実に寥々として星の如く当時全国中にて二十四五名に過ぎず、随て、その勢力も亦極めて微々たるものにて現在の政府に在て、政権を左右する者は悉皆、保守頑固党の人々にて左の数名はその中にて重立たるものなりと云う。
花房 義質とは・・
Wikiによると,
1877年、駐李氏朝鮮代理公使に任命されるが翌年1878年から、1876年月に締結された日朝修好条規に反して朝鮮政府が釜山の豆毛鎮に税関を設置し、朝鮮国内の輸入行者に対して関税の徴収を開始したことから、報復措置として代理公使の花房は軍艦と共に釜山に派遣され豆毛鎮に設置された税関の撤去を要求する。
58月10日
58月10日
最終的に、朝鮮政府が折れる形で事態は沈静化し、
1878年12月4日に豆毛鎮の税関は正式に撤去された。1880年月、日本政府は漢城への日本公使の常駐化を決定、初代公使として花房が任命される。だが、この時点ではまだ漢城に公使館は開いていなかった。この公使館開設の件と仁川開港問題について金弘集と折衝し、その後、漢城に日本公使館正式設置と仁川開港を朝鮮政府に認めさせ、それに併せ日朝間で国書の交換がなされ、花房は代理公使から公使へと昇格した。
4
その後朝鮮に駐在し朝鮮軍近代化の為別技軍を提案するが、それが原因となった
壬午事変では暴徒に包囲された公使館を脱出して命からがら帰国、直後に寺内正毅率いる日本軍と共に朝鮮へ渡り済物浦条約を締結させ、事件の損害補償とともに、漢城への日本軍駐留などを認めさせる。
壬午事変では暴徒に包囲された公使館を脱出して命からがら帰国、直後に寺内正毅率いる日本軍と共に朝鮮へ渡り済物浦条約を締結させ、事件の損害補償とともに、漢城への日本軍駐留などを認めさせる。
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(925)人気記事再録『戦時下の良心のジャーナリスト・桐生悠々の戦い②』★『権力と戦うには組織内ジャーナリストでは不可能とさとり、フリージャーナリストとして個人誌「他山の石」(いまならSNS,ブログ)で戦った』★『言論機関は今、内務省と陸軍省の二重の監督下にある。私たちは『三猿』の世界に棲む。何事も、見まい、聞くまい、しやべるまいむ否、見てはならない。聞いてはならない。しやべってはならない「死の世界」に棲まされている』★『「言論の自由を圧迫し、国民をして何物をもいわしめない。これが非常時なのだ」』★『「畜生道に堕落した地球より去る」と 69 歳で壮絶死』
2010年1月26日 日本リーダーパワー史(34) 日本リーダーパワー史(34 …
-
-
日本リーダーパワー史(790)ー 「国難日本史の歴史復習問題」★「日清、日露戦争に勝利」 した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス⑧』 ★『元勲伊藤博文と巨人頭山満の日露開戦の禅問答』「伊藤さん、あんたは今日本でだれが一番偉いと思いますか」と意外極まる一問を放った。
日本リーダーパワー史(790) 「国難日本史の歴史復習問題」ー 「日清、日露戦 …
-
-
記事再録/知的巨人たちの百歳学(129 )-日本興業銀行特別顧問/中山素平(99歳)昭和戦後の高度経済成長の立役者・中山素平の経営哲学10ヵ条「大事は軽く、小事は重く」★『八幡、富士製鉄の合併を推進』『進むときは人任せ、退く時は自ら決せ』★『人を挙ぐるには、すべからく退を好む者を挙ぐるべし』
2018/05/12 /日本リー …
-
-
「トランプ関税国難来る!ー石破首相は伊藤博文の国難突破力を学べ④』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテリジェンス』『ルーズベルト大統領をホワイトハウスに訪ねると、「なぜ、もっと早く来なかったのか、君を待つていたのに」と大歓迎された』★『米国の国民性はフェアな競争を求めて、弱者に声援を送るアンダードッグ気質(弱者への同情)があり、それに訴えた』
2021/09/03 『オンライン …
-
-
百歳学入門(236)『百歳挑戦・鎌倉バカ仙人のカヤック釣り日記』(9/15) 人気動画再録「60,70はなたれ小僧、生涯現役、カヤック人生」★『定年なし、年齢差別なし、老人観の全く違う米国では65~74歳はベビーオールド(赤ちゃん老人)、75~84歳まではリトルオールド(小さい老人)、84~94歳はヤングオールド(若い年寄り)、95歳以上がリアルオールド(真の高齢者)』
2014/09/15 記事の再録/百歳学入門(99) 『百歳挑戦・鎌 …
-
-
<わが『釣りバカ』が大好きな超人・奇人たち>「開高健が尊敬したコスモポリタン・釣聖の福田蘭童のビッグフィッシュ!」
<わが大好きな超人・奇人たち> 「開高健が尊敬したコスモポリタン・釣聖の福田蘭童 …
-
-
日本経営巨人伝⑩岩下清周ーー明治の大阪財界に君臨した岩下清周<百歩先をいった男>
日本経営巨人伝⑩岩下清周 明治の大阪財界に君臨した岩下清周 &nb …
-
-
最高に面白い人物史②人気記事再録★勝海舟の最強の外交必勝法①「多くの外交の難局に当ったが、一度も失敗はしなかったヨ」『明治維新から150年の近代日本興亡史は『外交連続失敗の歴史』でもある』
日本リーダーパワー史(499)勝海舟の外交必勝法ー「多くの外交の難局に当ったが、 …
