日本リーダーパワー史(337)☆『英外交官パークスに自分のフンドシをプレゼントした高杉晋作の剛胆機略!②』
2015/01/19
日本リーダーパワー史(337)
● 『橋下・大阪維新の会は坂本竜馬よりも、高杉晋作の『奇兵隊』に見習え。
● 『来年(2013年)は「奇兵隊創設から150年、明治維新は吉田松陰の開国思想と、その実行部隊長の
「高杉奇兵隊」(伊藤博文、山県有朋も部下)によって、
実現したのである」
● 『来年(2013年)は「奇兵隊創設から150年、明治維新は吉田松陰の開国思想と、その実行部隊長の
「高杉奇兵隊」(伊藤博文、山県有朋も部下)によって、
実現したのである」
☆『英外交官パークスに自分のフンドシをプ
レゼントした高杉晋作の剛胆機略!②』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
以下は具島兼三郎「幕末外交史余談」評論社(昭和49年)
「上海には下関から輸出される品物がたくさんあり、下関の港には外国品があふれているなどといわれた。」下関は形式上はともかく、実質上は開港されたも同然の状態となり、かつては外国船の間に魔の海と恐れられた下関海峡も、いまではかれらに巨利を約束する希望の海に変わった。摸夷の拠点が自由貿易の拠点に一変したわけである。
このような下関の変貌が自由貿易の発展をめざしていたイギリスにとって、好ましいものにみえたことは、いうまでもないことであった。昨日まで自由貿易の敵であった長州藩はいまでは自由貿易の味方になったように思われたからである。これは自由貿易を約束しながら、その約束を忠実に守らないばかりか、できればそれを反古にしようとしていた幕府の場合よりも、よほど頼もしくみえた。
「長州人を破ってからは、われわれは長州人が好きになっていたのだ。また、長州人を尊敬する念も起ってきていたが、大君(将軍)の家臣たちは弱い上に、行為に表裏があるので、われわれの心に嫌悪の情が起きはじめていたのだ。そして、それ以来、私はますます大名の党派に同情を寄せるようになったが、大君の政府は、われわれを大名たちから引き離そうと、いつも躍気になっていたのである」とアーネスト・サトウはかれの書物の中でのべている。
英公使の更迭
しかし、イギリスにとって好ましいこのような大きな変化を、長州藩の上にひきおこした当の立役者、イギリス公使オールコックは、馬関砲撃が当時のイギリス外相ジョン・ラッセル卿の訓令に反したかどで遥責され、その地位を罷免された。
この訓令というのは、イギリスはイギリス臣民の生命財産の保護のため止むを得ない場所を除き、日本の政府ないし大名に対し軍事力を行使してはならないとした一八六四年七月二六日付けの本国からの訓令のことであったが、当時セイロン以東にはまだ電信が通じていなかったので、オールコック公使が四国連合艦隊を動かして、長州藩に対し軍事行動をとったときには、この訓令はまだかれの手許に届いてはいなかった。それが届いたのは、かれによって推進された軍事行動が予期以上の成果を収めて終了した後であった。
かれの行動の正しさは、その後ラッセル卿宛かき送ったかれの報告によって全面的にみとめられ、ラッセル卿は直ちにこの出先使臣に対して
「女王がその行為を全幅の満足をもって承認された」
旨かき送ったのであったが、その書信が横浜についたのは、オールコックがすでに本国に向けて帰国の途についた後であった。
このようにしてイギリス公使は更迭され、オールコックの後任としては、アロウ号事件に際し中国で快腕を振ったパークスが、新たに着任した。かれが長崎に着くと、この地にあった大名の代理人たちは争ってかれに会見を求めたが、かれ自身は当時どこの藩よりも長州藩に一番大きな興味をもっていた。
かれが海路横浜に向かう途中下関に立寄ることにしたのは、そのためであった。長州藩では桂、井上、伊藤らが、かれを下関の応接館に迎えて大いに歓待した。
このときの長州側の好遇がパークスにはよほど嬉しかったとみえて、その翌年、藩主の毛利敬親としてもこの機会に下関に出て、公使に会見したいのは山々であったが、当時は幕府との関係が悪化して、いつ戦争になるかわからないという状態であったので、連日、御前会議が閲かれ、敬親は片時も山口を離れることができなかった。そこで藩当局としては、高杉、伊藤に命じて、公使を艦上に訪問させた。
公使は高杉や伊藤にはかれらと旧知のサトウを通じて、長州側の前年の好適に対して謝意をのべるとともに、かれらを大いに歓待した。かれらを招じいれた艦内の貴賓室ではいろいろな御馳走が出され、パークスが長州藩に対していかに好意をもっているが、如実に示された。
そして話は慶応元年九月のパークスの主唱でおこなわれた英仏米蘭四カ国連合艦隊の大阪に対する示威のことや、同年10月、長い間の懸案であった通商条約の勅許がおこなわれたことなどに及び、尽きるところを知らなかった。長英間の交歓は、高杉らの訪問によって充分にその目的を達したかに思われた。そのときのことであった。
高杉がテーブルにおいてあったガラスの大カビンをよほど珍しかったとみえて、しげしげと眺めていると、公使がそれに気がついて、
「その花カビンが珍しいですか? お気に入りましたらさしあげますよ。」
という。天衣無縫の高杉が、
「ありがとうございます。それじゃ御遠慮なしに頂きます。」
と答える.考公使はすかさず、
「このカビンはさしあげますが、その代りひとつ外国にないものを、友好の印にわたしにお頂きしたいものです。」
といい出した。ちょっと考えていた高杉はやがて大きくうなずくと
「よろしい。日本にだけあって、外国にないものをさしあげましょう。」
といったかと思うと、やおら自分の袴をぬぎ、帯をとき、締めていた越中フンドシ(昔の男のパンツのこと)を外すと、
「失礼ですが、これをさし上げます。これは日本にだけあって、外国にはないものです。日本ではこれを越中褌(フンドシ)と申しまして、油断をすると外れてしまうものです。日本人はともすると、この越中フンドシのように、外れたがる……特に幕府の連中ときたら、よく外れますから、閣下としてもよほど御注意なさる必要があるかと存じます。アッバッハハハ……」
と、大笑しながら、件のものをさし出した。高杉の放胆ぶりは天下無類であったが、この自由奔放、天衣無縫の奇行ぶりに、さすがのパークスもあ然とした。
これが日本人なら
「なんたる無礼なことを!」
と怒り心頭で立腹するところであったが、そこは外交のべテランの、パークスのことであった。高杉の行動のジョークの意味をすると、かれは高杉の手をとって
「気に入りました。御好意ありがとう。」
といって、高杉に対し謝意を表し、一層の好意をもった。
このようにして長州藩とイギリスとの連携は、一段と強化されたのであった。
関連記事
-
-
「今、日本が最も必要とする人物史研究➅」★『日本の007は一体だれか→福島安正中佐➅』★『ウクライナ戦争と比べればロシアの侵略体質は変わらない』★ 「福島はポーランドの情報機関と協力しシベリア単騎横断でシベリ鉄道の建設状況を偵察した』★「福島をポーランド紙は「日本のモルトケ」と絶賛した』
ホーム > 人物研究 >   …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(142)再録★『異文化コミュニケーションの難しさ― 「中華思想」×『恨の文化』⇔『ガマン文化』の対立、ギャップ➃『『感情的』か、論理的か』★『中国の漢民族中心の「中華思想」華夷秩序体制)」 ×韓国の『恨の文化』(被害妄想、自虐 と怨念の民族的な情緒)⇔日本の『恥の文化』『ガマン文化』 『和の文化』のネジレとギャップが大きすぎる』
2014/06/17 /月刊誌『公評』7月号の記事再録 中国の漢民族 …
-
-
「トランプ関税と戦う方法論⑬」★『日露戦争勝利と「ポーツマス講和会議」の外交決戦始まる①』★『ロシア皇帝ニコライ二世は「あの黄色子猿の日本軍」などは簡単に勝てる」と侮っていた』★『皇帝が寵愛したロシア総司令官・アレキセーエフと陸軍大将・クロポトキンの2重指揮体制が対立し分裂、混乱、敗戦した』
2022/04/04 オンライン講座/ウクライナ戦争と日 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(12)記事再録/『世界史の中の『日露戦争』ー<まとめ>日露戦争勝利の立役者―児玉源太郎伝(8回連載)★『児玉は日本のナポレオンか』
2016年3月5日/日本リーダーパワー史(683) 日本国難史にみる『戦略思考の …
-
-
日本リーダーパワー史(55) 海軍トップリーダー・山本五十六は国難にどう立ち向かったかーハワイ攻撃を立案した悲劇①
日本リーダーパワー史(55) 海軍トップリーダー・山本五十六は国難にどう立ち向か …
-
-
『Z世代のための日本敗戦史研究』★『日本敗戦の日(1945年8月15日)、惨殺された森赳(たけし)近衛師団長の遺言<なぜ日本は敗れたのかー日本降伏の原因』★『日露戦争に勝利すると、本当の実力で勝ったと錯覚し、一躍、五大強国にのし上がったと思いあがった』★『近代合理的精神の欠如、秘密隠ぺい主義など<人間を幸福にしない日本というシステム>がいまだに続いている』
2010/02/10 日本リーダーパワー史 …
-
-
日本リーダーパワー史(59)名将・山本五十六のリーダーシップ・人使い・統率の極意とは・・⑤
日本リーダーパワー史(59) 名将・山本五十六のリーダーシップ・統率の極意とは⑤ …
-
-
「知的巨人の百歳学」(144)ー『世界最長寿のギネス芸術家は平櫛田中ではないのか!?』★『日本超高齢社会』のシンボル・彫刻家・平櫛田中翁(107歳)の気魄に学ぶ
「知的巨人の百歳学」(144) 『超高齢社会』のシンボル・彫刻家・平櫛田中(10 …
-
-
梶原英之の渾身歴史ルポー『日本の物語としての辛亥革命(2)』ナゾに包まれた孫文像と盛宣懐(下)
<辛亥革命百年と近代日中の絆―辛亥百年後の‘‘静かなる革 …
-
-
日本リーダーパワー史(759)-『名門「東芝」の150年歴史は「名門」から「迷門」「瞑門」へ」●『墓銘碑』経営の鬼・土光敏夫の経営行動指針100語を読む①』★『『日本老舗大企業にとって明日は我が身の教訓、戒語です』
日本リーダーパワー史(759) 名門「東芝」の150年歴史は「名門」から「迷 …
