前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(369)世界が尊敬した日本人・白洲次郎―『グローバルリテラシー』を持った唯一の日本人

   

日本リーダーパワー史(369)
世界が尊敬した日本人・白洲次郎―
◎『グローバルリテラシー』を持った唯一の日本人
戦後民主主義の基礎を作った男
 
 
 前坂俊之(ジャーナリスト)
 
 
白洲次郎は飛びきり異色の日本人で、サムライとジョンブルとの混血である。
 
『日本人には哲学がない』と喝破したのは中江兆民だが、『プリンシプル』(原理・哲学)を持った稀有の日本人としてもっとも困難な敗戦・占領期に吉田茂首相の片腕として歴史の表舞台で活躍し、GHQ(連合国総司令部)と対決して一歩も引かぬタフネゴシエイター(手ごわい交渉人)ぶりを発揮した。
 

戦後民主主義の基礎を作った男であり、昭和史の影武者といってよい。

 
白洲は兵庫県芦屋の超金持ちのボンボンに生まれたが、

1919年(大正8)、17歳の時に英国ケンブリッジ大学のクレア・カレッジ・スクール
(全寮制)にただ1人の東洋人として入学し、以後9年間にわたって
英国貴族、英国紳士のタマゴたちと寝食をともにした。

 
ここで徹底して英国紳士道(カントリージェントルマン)を叩き込まれた。

白洲は見かけは日本人、それも身長180センチの長身のハンサムで英国人
をしのぐ日本人だが、中身はすっかり英国流に鍛え上げられたのである。

英国人からみても彼の英語はちょっと古いが完璧なキングスイングリッシュだったという。

 
この英語力と世界、日本を客観視するグローバルリテラシーを養って昭和3年に帰国する。以後、日本で英字新聞記者、貿易業などに従事しながら、日本には年の半分もいない生活をするが、国内では坂道を転がるように軍国主義が吹き荒れ、反英米主義が高まってくる中で、本人はさぞかし窮屈な思いをしたに違いない。
 
昭和15年、白洲は日米戦争になれば日本は必ず敗れる、東京は空襲によって灰燼に帰して、食糧難になると見通して、さっさと町田市鶴川町の田舎に引っ込んだ。『グローバルリヒテラシ―』から当然の結論だった。
 
以後、理想としていた「英国田舎紳士」(カントリーゼントルマン)となって、米、野菜づくりに励んだ。
 
 
案の定 昭和20年8月、敗戦。旧知の当時の外相・吉田茂から乞われて終戦連絡事務局参与となり、GHQとの交渉にあたった。戦争はゲームである。勝つこともあれば負けることもある。負けても卑屈になることはない。相手がだれであろうと、理不尽な要求に対しては断固戦い主張する、というのが英国流であり、また白州の信念でもあった。
 
 
その対外コミュニケーション、異文化コミュニケーション能力の差は次のように表れる。
 
① ただ外国に行ったというだけではプラスではない。国を一歩も出たことのない井の中の蛙よりはましであるというだけで、下である。
② 外国語ができてもまだ中である。コミュニケーションの文字通り、日本人、外国人の中に入っても翻訳の、仲介の業務を行っているだけである、下よりは中である。
③ 外国の言葉、外国人と付き合うことによってからその精神、哲学、思考の源を理解してこそ上である。さらにその言葉の深い意味を理解し、論理をもって相手と対話、交渉して、有利な状況を勝ち取ることができるのがそれこそ上である。
④ 白洲はこのタフネゴシエイターであり、GHQからも恐れられた存在であった。
 
勝者のGHQと敗者の日本、昨日まで鬼畜米英を唱えていた日本人は一転、総ざんげし、英米に卑屈となり、浴び追従する。
 
その中で、唯一「従順ならざる2人の日本人」の吉田、白洲のコンビが交渉役となって、新憲法制定にも深くかかわった。日本側が提出した憲法草案は天皇の絶対性を残した明治憲法とさして変わりはなかった。
 
激怒したGHQは「天皇はシンボル」とし、議会制民主主義にする大胆な改革案を日本側に示し、「シンボル」を「天皇を象徴とする」と訳したのは白州であった。
コチコチの保守の吉田やその取り巻きの中で、白州はリベラルで英国の王室、議会民主主義を構想していた。天皇も戦争の責任をとって退位すべきであるとの考えを持っていた。白州はマッカーサーが天皇のお土産をぞんざいに扱った際に、怒りをあらわにして抗議して一歩も引かなかったが、日本側のへりくだった対応にももっと毅然とせよと外務省や、政府のメンバーをも絶えずしかりつけた。
 
その有名なエピソードが、1952年のサンフランシスコ講和条約締結の際の吉田の受諾の演説スピーチである。これは当初、米側と事前に文面を協議して「米に感謝、感謝」という内容のものになっており、しかも英文で書かれていた。これを見た白州は「日本は独立した、その式典で日本語ではなく英語でスピーチするとは何事か」と叱り飛ばして、急遽日本語で書き直させた。
 
 
 1985年11月83歳で亡くなる。遺言は、「葬式無用、戒名不用」のわずか二行だった。
 

 - 人物研究 , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(731)再録記事・日本の最強の経済リーダーベスト10・本田宗一郎の名語録⑥『怖いのは失敗することではなく、失敗を恐れて何もしないこと 』●『⑤需要がそこにあるのではない。われわれが需要を作り出すのだ』

日本リーダーパワー史(731) 再録記事ー日本リーダーパワー史(80)   日本 …

no image
日本リーダーパワー史(951)-「ジャパンサッカー『新旧交代の大変身』★『パスは未来(前)へ出せ、過去(後)でも、現在(横)でもなく・』(ベンゲル監督)★『老兵死なず、ただ消え去るのみ、未来のために』(マッカーサー元帥)

日本リーダーパワー史(951) ジャパンサッカー大変身―「「パスは未来(前)へ出 …

『Z世代のための<憲政の神様・尾崎咢堂の語る「対中国・韓国論⑦」の講義⑮』★『本邦の朝鮮に対して施すべき政策を論ず』★『朝鮮の独立を認め、日本を敵視せず、トルコ、ベトナム、清仏戦争の失敗に学ばねば、清国は滅亡する(尾崎の予言)』

    2018/02/14  『本邦の …

no image
日本の「戦略思想不在の歴史」⑵(記事再録)-日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか②『「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』『日本を攻めようにも風涛艱険で、 モンゴル軍が安全に進攻できるところではない』

「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』『日 …

no image
再録『世田谷市民大学2015』(7/24)-『太平洋戦争と新聞報道』<日本はなぜ無謀な戦争を選んだのか、500年の世界戦争史の中で考える>③

『世田谷市民大学2015』(7/24)- 戦後70年夏の今を考える 『太平洋戦争 …

no image
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集②>「発明は技術者の命である」日立製作所創業者 小平浪平ほか10本

    <名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集②>   …

『リーダーシップの日本近現代史』(239)/★『三井物産初代社長、『千利休以来の大茶人』益田 孝(91歳)(下)『「鈍翁」となって、鋭く生きて早死により,鈍根で長生き』★『人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬ一番の健康法』★『 一日に6キロは必ず歩く』★『長生きするには、ご馳走は敵』★『物事にあくでくせず、常に平静を保ち、何事にもニブイぐらいに心がけよ、つまりは鈍感に』

★ 2012/12/06  百歳学入門(59)記事 …

no image
百歳学入門(95)「史上最高の天才老人<エジソン(84)の秘密>10ヵ条③ー「天才は1%の霊感と99%が汗である」

   百歳学入門(95)  「史上最高の天才老人<エジソン(84)の秘密>③ & …

no image
知的巨人の百歳学(124)ー『天才老人・禅の達人の鈴木大拙(95歳』-『長寿の口癖は「わしは死神と競走で仕事をする」★『死を恐れるのは仕事を持たないからだ。ライフワークに没頭し続ければ死など考えるヒマがない。死が追ってくるより先へ先へと仕事を続ければよいのじゃ』

知的巨人の百歳学(124)  『天才老人・禅の達人の鈴木大拙(95歳) …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(83)記事再録/ ★『ブレブレ」『右往左往』「他力本願」の日本の無能なリーダーが日本沈没を 加速させているー 日本の決定的瞬間『西南戦争』で見せた大久保利通内務卿(実質、首相) の『不言実行力』「不動心」を学ぶ③

2016/11/02/日本リーダーパワー史(694)再録 『ブレブレ」『右往左往 …