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『50,60,70歳のための晩年長寿学入門』★『エジソン(84)の<天才長寿脳>の作り方②」★『発明家の生涯には助産婦がいなくてはならない。よきライバルを持て』★『エジソンの人種偏見のない、リベラルな性格で、日本人を特に愛した』★『失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が全知全能力を傾けた努力の結果であるならば』』

   

 

百歳学入門(96)記事再録

 

百歳学入門(96)再録

第8条 発明家の生涯には助産婦がいなくてはならない
敵も味方も多かったエジソンだが、最大の味方は自動車王・ヘンリー・フォードだった。フォードは21歳でエジソン照明会社の主任技師になり、50歳のエジソンに出会った。
フォードがガソリン自動車を製作したのを知ったエジソンは、フォードにしつこく説明を求め、自動車開発の可能性について議論した。最後にエジソンは「君の勝ちだ。根気よくやりなさい。電気自動車は発電所の側に置かねばならないし、蓄電池は重すぎる。蒸気自動車もうまくいかない。君の自動車は完備している。」と折り紙を付けた。

この日以来、ふたりの友情は30年以上、エジソンの死ぬ日まで続く。フォードは自分の本社のあるディア・ポーンにエジソンの記念館を建てたほどである。 

一方、エジソンのライバルの筆頭といえば、グラハム・ベルだろう。

電話を先に発明したのはベルだったが、彼の電話は話すのと開くのが同じ口からなっていた。

そして人の声に必ず弱い電流が流れ、聞き取りにくかった。しかし、エジソンの電話では開くのと話すのが別々の口で、電流の弱点もなく、長距離にも耐えられる長所を備えていた。

エジソンとベルの電話の競争はヨーロッパでも展開されたが、エジソンの圧倒的勝利に終わっている。

第9条 エジソンの人種偏見のない、きわめてリベラルな人間。許可された日本人

1905年から6年間、エジソン研究所に勤務した日本人技術者に岡部芳郎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E9%83%A8%E8%8A%B3%E9%83%8E

がいた。当時のアメリカの有色人種に対する偏見には根強いものがあったが、エジソンは、

「彼は私の秘密の研究所にも出入りを許している唯一の研究員と、岡部の才能を高く買っていた。そこにエジソンの人種偏見のない、きわめてリベラルな一面が見える。

松下幸之助はそんなエジソンを一番尊敬し、大きなエジソンの銅像を、本社内に建立、周囲より一段と高くそびえている。

エジソンは独学で6か国語を話した。研究のために外国の文献を読むには、他国の言語に習熟する必要があったのだ。

「エジソンは一度読んだら、まるで写真に撮ったようにその文を覚えてしまった」との証言がある。

第10条「私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの
全知全能力を傾けた努力の結果であるならば」

エジソンはアインシュタインとも親しかった。研究に失敗した時も彼らは落胆せず、「私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの全知全能力を傾けた努力の結果であるならば」という前向きの考え方を共有していたから。

しかしエジソンは、一方でアインシュタインに対してライバル意識も持っていた。当時、物理学界で議論の的だったエーテルの研究に着手し、このように語っている。「空間、時間、幾何学についての発見は出来ても、彼はエーテルについての権威ある見解は未だ発表していないさ」

第11条―未来へのビジョンを持つ、将来に信仰を持ちなさい、前進しなさい
60才になったエジソンにある記者が質問した。

「いつになったら研究をやめるんですか」

『70歳にでもなれば、ハイカラなボタンのついたチョッキでもきてみよう。75歳になったら、トランプを覚えて、80歳になると女性と馬鹿話でもしてみようか』

70歳代になったエジソンには、周囲から研究の時間を16時間に減らすようにと何度も勧められたが、仮眠をとっては、起きていおる間は働くというやり方は生涯変わらなかった。

「85歳を超えたら、朝晩、きちんと礼服を着て食堂に出る。それで90歳になったなら…いや、待て待て、私は30年以上先のことは考えないようにしているんだ」とエジソンはジョークを交えて答えた。歳とることにはまったく無頓着に、若い時の全身発明家の情熱を持続した。

多くの逸話を残したエジソンだが、未来予測としてこんな言葉を残している。

「これから先の科学文明において、人類最大の友は太陽で育った植物である」。未来戦争は兵士が登場しない科学兵器によって取り行なわれるであろうと言った彼の、自然と調和して生きろという勧めだ。

100年後の現在、広がりつつある「植物工場」「ロボット兵器」「無人飛行機」をすでに先取りしていたのである。

彼は死者からの使いを伝える占い板に注目し、科学的な心霊研究に着手している。晩年には経営から身を引くが、研究所にこもり死者との交信の実験(霊界との通信機の研究)を続けた。1931年(昭和6年)10月18日、84歳8ヵ月でその偉大な生涯を終えた。

彼の臨終の言葉は

第12条 「将来に信仰を持ちなさい。前進しなさい。私は人々のためにするだけのことはした。もう思い残すことはない。ブルーに輝いた美しい国の人々が待っている。さようなら」

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

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