前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

最高に面白い人物史⑩人気記事再録★『全米の少女からラブレターが殺到したイケメン・ファースト・サムライ』-『大切なのは英語力よりも、ネアカ、快活さ、社交的、フレンドリー、オープンマインドだよ』

   


2004、11,1

前坂俊之(ジャーナリスト)


1860年(万延元年)6月16日。ニューヨークは日本からのサムライ使節団を一目見ようと市初まって以来という約50 万人の市民たちがマンハッタンを埋め尽した。
日本人を乗せた馬車がくると、女性たちが一斉に「トミーはどこなの?」「トミーはどの人?」と大声で叫び興奮はピークに。馬車の条約箱の後ろに陣取ったトミーが現れると、「トミー!こっちを向いて!」「トミー、バンザイ!」と大歓声。トミーは笑顔で手を振って応えた。

『彼があの中で一番ハンサムね」とため息や悲鳴が上がり、ジャパンフィーバー、トミー・コールが続いた。(『ニューヨーク・ヘラルド』1860 6 17 日付)


ペリーが黒船で来航し、日米和親条約(安政元年=一八五四年)が結ばれてから今年でちょうど百五十年。万延元年(一八六〇年)二月、幕府遣米使節団=新見豊前守(正興)正使ら計77 人=は日米通商条約を米ホワイトハウスで批准するため咸臨丸とともに米軍艦の蒸気船『ボーハタン号』で太平洋を渡った。アメリカ議会は一行を国賓待遇で迎えたが、その中で一人、人気が集中しアイドルと化したのが、トミーこと最年少の十六歳の通詞見習い立石斧次郎である。

 

イケメンの〝ファースト・サムライ〟トミー(立石斧次郎)は、全米に一大旋風を巻き起こした。女性からラブレターが殺到し、彼をたたえる「トミーポルカ」という歌までできた。ヤンキースの松井選手やイチローの人気どころか、アメリカで最高にモテた仰天の日本人だった。


一行は太平洋を二ヵ月間かかってサンフランシスコに到着、ワシントンへ行き、ブキャナン大統領に謁見、ホワイトハウスで正式に条約批准書に調印。ボルチモア、フィラデルフィア、ニューヨークと回った。使節団はいく先々で、圧倒的な歓迎を受け、各都
市では盛大な歓迎祝典の行事が繰り広げられた。


米政府は鎖国を解いたアジアの大国・日本が米国と最初に通商条約を結び、使節団を派遣したことを歓迎し、メディアもはじめてくる日本人に興味津々で、特派員を派遣
して大々的な報道合戦を繰り広げた。ホワイトハウスの訪問や調印式、ニューヨーク
のパレードなどは大特集で数ページにわたって驚くほど詳細に伝えている。中でも使節団の一行よりも、トミーにスポットライトを当てて報道した。


『ニューヨーク・ヘラルド』紙(1960年六月十七日付)は「トミーは、若き日本の美しい代表である。一行の主だった人々は、冷たい威厳のある態度であるが、トミーはそれと対照的で、ざっくばらんで明るい。」


『ハーバース・ウイークリー・ニュース』(六月二十三日付)はトミ-の写真を掲げて、ワシントン滞在中の動静を伝えているが、『婦人たちの間で大変なお気に入りとなった。気立てのやさしく、人柄もかなり良く、その上新しい状景や珍しい同席者に自分を適
応させる道を心得た若者である』

 

「トミ-は記者に対して、この国で適当な妻を見つけて、その人と永久に和やかに暮したいので、日本に帰りたいなどとは決して思わない、と打明けた。』(トリビューン)などその一挙手一投足にスポットライトをあて、センセーショナルに報道した。

トミーは米国人とすぐにうち溶け、英語を積極的に覚え、他のメンバーがしりごみする中、ただ一人、客車から蒸気機関車にのり、汽笛を鳴らしたり、消防士に交じってホースで放水したり、コミュニケーションを深めていった。フィラデルフィアでは「ピアノの伴奏で日本の歌とアメリカの歌を歌って婦女子の喝采を浴びた」 (フィラデルフィア・インクワイヤラー)と報じられているが、この時の日本の歌は『お江戸日本橋』であった。


米国の少女に恋をして自分の髪を切って与えたとも報じられた。米国人女性とキスをした最初の日本人もトミーである。

トミーの人気を決定づけたのが、『ニューヨーク・イラストレイテッド・ニュース』(一八六〇年六月二三日付)で、第一面にトミーのイラスト全身像の写真とともに記事がドデかく掲載された。「トミー、日本人の陽気な男」と題した長文のトップ記事はこんな調子で絶賛した。

 

『良き一団には必ず随行する陽気なお供がいるもので、日本使節もその例外ではない。一行にはトミ-がいて、何人も楽しませ、婦人たちや美しい少女たちに、一目でもあいたいとおもわせる名物男で、しかも彼ほどの男は他にいない。彼ははしゃぎまわ
る、陽気な男で、その素敵ないい顔立ちはまんまるで、ふくよかだ。彼は不滅であり、この国の歴史のなかで今後もずっと永遠にトミ-である』と書いている。

今、ヤンキースの松井選手やイチロー選手のように米メディアでも大きく取り上げられているが、この150 年間でみてもトミーはほど米女性にもてた日本人はいない。トミーは異文化コミュニケーションのスキル(技術)を自然と体得していたのである。
長い鎖国が続いたので、使節団が異文化を理解できなかった中、ただひとりトミーは異文化コミュニケーションに成功し、人気者になった。


異文化コミュニケーケーションでの言葉の占める割合は意外と低い。最も大切なのは、外国人と積極的に交流しようという気持ち、積極性、友好心、言葉以外の顔の表情、笑顔、米国人のような陽気な性格(はしゃぎや魂)、アイコンタクト(目配り)、ジェス
チャー(身振り)といったさまざまなボディーラングウエッジ(肉体言語)であり、根本は相手文化への尊敬、その文化を理解しようとする熱意、情熱である。


トミーの成功の秘訣は誰からも教わることなく、人権尊重、レディーファースト、個人主義の理念などの西洋文化をいち早く理解したその異文化コミュニケーションスキルの高さにあり、それを実践できたことだが、このような国際交流術を身につけたのは天
性の資質があったのであろう。

 
これだけ人気を博した日本人は、日米150年の交流史の中でも例がない。ただ、日本の研究者の間で評価はそれほど高くはない。咸臨丸で同行した福沢諭吉や勝海舟、小栗上野介らは研究し尽くされているが、トミーについては若くて人気者になった道化
役、トリックスターとして取り上げられることばあっても、異文化コミュニケーションにたけた先駆的な人物という視点でこれまで評価されたことはなかった。

 

日本では立石は成功しなかった。帰国後は明治政府から目をつけられ長野桂次郎と名を変え岩倉派米使節団に同行して、再び訪米し、その後、工部省の役人や、北海道で開拓史になったが出世せず、役人をやめハワイに渡って移民監督官になったが
うまくいかず、2年で帰国。47歳で大阪控訴院の通訳官などをして73歳でなくなった。海外留学生の多くが明治政府下で出世した中で、立石その卓越した異文化コミュニケーションの能力を活かされることはなかった。


日本のその後の英語教育は英語の読み書きのみに最重点がおかれ、異文化コミュニケーションへの視点が欠けていた。現代人がトミーから学ぶことば多いのではないだろうか。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

オリエント学の泰斗・静岡県立大学国際関係学部・立田洋司名誉教授の最終講義(1/31)を聴いたー『自然と人間文化の接点ーとくにキリスト世界とPasteralについて』

  静岡県立大学国際関係学部名誉教授・立田洋司先生の教育生活40周年を …

no image
『池田知隆の原発事故ウオッチ⑯』『最悪のシナリオから考えるー国難を打開するプログラムは』

  『池田知隆の原発事故ウオッチ⑯』   『最悪のシナリオか …

『日米戦争に反対した』反戦の海軍大佐・水野広徳の取材ノート/遺品の数々」★『水野広徳年譜●『国大といえども戦いを好む時は必ず滅び、天下安しといえども戦を忘るる時は必ず危うし』』

米戦争に反対した』反戦の海軍大佐・水野広徳の取材ノート/遺品の数々 前坂 俊之( …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(184)記事再録/「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』⑰「伊藤博文統監の言動」(小松緑『明治史実外交秘話』昭和2年刊)』★『 「朝鮮に美人が少い理由」は秀吉軍の美人狩りによるものか、 中国『元時代』の美人狩りのせいか、この歴史的論争の結果は?!』★『伊藤博文は具体的な数字と根拠を上げて秀吉の美人狩りを否定した。美人狩りをしたのは中国・元時代のこと』★『韓国・北朝鮮の現在まで続く反日/歴史歪曲偽造/日韓歴史認識ギャップは伊藤のように具体的な事実、数字を挙げて論争する必要がある』★『客観的な物的証拠(データ、資料、科学的、数字的な検証、論理的な推論によるもの)で行うこと』②

 2015/09/04  /「英タイムズ」「ニュー …

no image
『昭和天皇が田中義一首相を叱責した張作霖爆殺事件の真相』

                                    2009 …

no image
人気リクエスト記事再録/日本リーダーパワー史(878)-まとめ 『日本最強のリーダーシップー西郷隆盛論』★『NHK大型ドラマ<西郷どん>は歴史歪曲のC級ドラマ』★『尾崎行雄の傑作人物評―『西郷隆盛はどこが偉かったのか』ー『近代日本二百年で最大の英雄・西郷隆盛を理解する方法論とは・

  まとめ 『日本最強のリーダーシップー西郷隆盛』 『尾崎行雄の傑作人物評―『西 …

no image
速報(471)『日本の起業家:アベノミクスがもたらす希望』「中国の大手銀行:行く手に待ち受ける厳しい現実」(以上エコノミスト誌)

 速報(471)『日本のメルトダウン』   ●『日本の起業家 …

no image
速報(447)●『キャンベル前米国務次官補、マイケル・グリーン・元米国家安保会議アジア部長の会見「日本の戦略ビジョン」(.7.16)」

  速報(447)『日本のメルトダウン』   ●『カート・キ …

no image
片野勧の衝撃レポート『太平洋戦争<戦災><3・11>震災⑲ なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すか』
 原町空襲と原発<下>

  片野勧の衝撃レポート   太平洋戦争<戦災>と …

no image
日本リーダーパワー史(311)この国家非常時に最強のトップリーダー、山本五十六の不決断と勇気のなさ、失敗から学ぶ①

日本リーダーパワー史(311)     【世界最速の超老人国 …