日本リーダーパワー史(799)ー「日清、日露戦争に勝利』した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス⑮『日露戦争開始7ヵ月前、対ロシア交渉開始の『第一回元老会議」の翌日(6/24)、桂首相は辞表を提出した』
日本リーダーパワー史(799)ー
「日清、日露戦争に勝利』した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、
インテリジェンス⑭
対ロシア交渉開始の『第一回元老会議」の翌日、桂首相は辞表を提出した。
第一回元老会議によって廟議は一決し、いよいよロシアとの最後の交渉に入ることになった。
しかし、桂首相は国内情勢をまとめていく自信はなかった。
日本リーダーパワー史(797)ー「日清、日露戦争に勝利』した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス』⑭『 未曾有の国難来る。ロシアの韓国侵攻に対して第一回御前会議が開かれた』
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/24428.html
日本リーダーパワー史(798)ー「日清、日露戦争に勝利』した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス⑭『ロシアの韓国侵攻に対しての第一回御前会議に提出された小村外相の対霧交渉意見書全文』★『現在進行中の北朝鮮暴走と110年前の日露戦争前の軍事侵攻は類似パターン』
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/24446.html
とくに、元老の筆頭格の伊藤博文が政友会を結成し総裁となったが、その政友会は前年桂内閣の地租継続案に反対し、ついに議会解散となるなど、ことごとく桂内閣と対立していた。議会解散後、桂、伊藤の妥協が成立したおかげで、対ロシア政策でも最低限必要な海軍拡張案の実現にやっとこぎつけたほどだ。
しかも伊藤は、本来、親ロシア派の「日露協商論者」として知られる元老であり、山県とその子分である桂首相らの『親英派』『日英同盟派』とは意見対立があった。その伊藤が野にあって、桂内閣の対抗勢力の政友会総裁の地位にあることは、未曽有の国難に当たって、「戦争か、和平か」の決断と挙国一致の体制を作る上で最大の障害となってきた。
桂はこの際、身を引いて、この重責を担うことのできる元老に首相の職を譲る決意をして御前会議の翌日、六月二十四日、伊藤、山県を首相官邸に招いて、三者会談を開いた。
この席上、桂首相は
「前日の御前会議において、対露方針はすでに一定したが、その目的を達成することは容易でない、この国家最大の問題を解決するには、非才な私のごときもののできることではない、よろしく国家の元老として、声望、勲業の兼備した第一等の人物を挙げて、これに当たらねばならぬ。
この際、願わくは両元老のうち一人が起って総理大臣となって頂きたい、自分は決して責任を回避せんとするものではなく、ただ首相たる職を辞して、諸元老の下に共同の責任を負うて時局に対処したい考えである」
と述べた。
桂の内心は「現下の情勢では伊藤を内閣の首班にするのが、国家万全の策である、伊藤が野にあって政党の首領である間は、何びとが総理大臣になっても、国家の重大問題を解決することは困難である。
この時にあたり、国家唯一の有力者にして、特に信任厚い伊藤をして、挙国一致内閣の首班にすることが必要である」
すなわち、「伊藤をして政党首領の地位を去らしめる」ことをもって、桂は、対露交渉の前提として解決せねばならない内政上の最大緊要事との考えであった。
伊藤と山県とは、桂の辞任も申し出に、言下に反対した。
「このごときは今日決して実行し得べき問題ではない」と言い、
伊藤は怒りをあらわに「そういう相談ならば自分はすぐ帰りたい」と言って座を立とうとした。
桂はこれを止めて、重ねて辞職の決意の固いことを述べ、「自分は、国家のため最上策と信ずるところを両公に陳述したのである、
もし両公が聞かれないならば、自分としては上奏して聖断を仰ぐ外はない、両公は御諮絢に奉答されるべきことと思うので、自分は予め両公のご諒承を願ったのである」と説明した。
三者会談は、当日なんの結論も得ぬまま散会した。
翌二十五日、桂は内閣会議を開いて決意を告げ、閣僚みな首相の意を諒として辞表を桂に提出した。七月二日、桂は参内して辞表を提出した。
関連記事
-
-
ジョーク日本史(3) 宮武外骨こそ日本最高のジョークの天才、パロディトだよ、 『 宮武外骨・予は時代の罪人なり(中)』は超オモロイで
ジョーク日本史(3) 宮武外骨こそ日本最高のジョークの天才、パロディトだよ、 …
-
-
百歳学入門(42) 『岩谷産業創業者・岩谷直治(102歳)』百歳「否凡」経営』と名言『岩谷精神12カ条』
百歳学入門(42)『岩谷産業創業者・岩谷直治(102歳)語録』 『 …
-
-
『知的巨人の百歳学(157)記事再録/早稲田大学創立者/大隈重信(83歳)の人生訓・健康法ー『わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る
『早稲田大学創立者/大隈重信(83歳)の人生訓・健康法ー『わが輩は125歳まで生 …
-
-
「百歳生死学入門(107)まとめ「中江兆民」(日本最初の民主主義者」の奇人・ガン超闘人生「生き急ぎ、死に急げ」
「百歳生き方、死に方」入門(107) まとめ「中江兆民伝 …
-
-
知的巨人たちの百歳学(176)記事再録/「東洋のビール王」「大日本麦酒創業者」(アサヒ、サッポロビールの前身)・馬越恭平【88歳) 「健康10ヵ条」ー「2つの養生<体の養生と財布の養生とは怠るな>」 「四気の保持を忘れぬこと―元気、勇気、長生き(気長の意味) 、腹の落付き(沈静)の四つ」
2015/09/16   …
-
-
『オンライン講座/死に方の美学』★『中江兆民「(ガンを宣告されて)余は高々5,6ヵ月と思いしに、1年とは寿命の豊年なり。極めて悠久なり。一年半、諸君は短命といわん。短といわば十年も短なり、百年も短なり」★『森鴎外、一休禅師、大西良慶、熊谷守一の往生術』
2010/01/21/百歳学入門②ー知的巨人たちの往生術 …
-
-
百歳学入門(152)元祖ス-ローライフの達人/「超俗の画家」熊谷守一(97歳)② ひどい窮乏生活の中で、3人のわが子を次々に失う。 しかし、病児を医者にかけるために絵を描き、 絵を売ることはできなかったのです。
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/03am930) &nb …
-
-
知的巨人たちの百歳学(181)記事再録/<料理研究家・飯田深雪(103歳)の生涯現役/健康長寿法>「毎日を創造する気持ちで過ごす生活に飽きはこない」「すべては祈りによって与えられた大きな恵みです」
2015/10/13/知的巨人たちの百歳学(129)の再掲載 103歳 料理研究 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(89)記事再録/★『地球温暖化によるスーパ台風19号の日本直撃は甚大な水害被害をもたらしたが、今後とも増えることは間違いない』★ 『100年前に地球環境破壊と戦った公害反対の先駆者・田中正造から学ぶ①』
世界が尊敬した日本人(54) 月刊「歴史読本」(2009年6月号掲載) 『地球温 …
