ハチャメチャ日本人列伝(36)ー『大正時代の不良少年NO1はサトウハチローだよ』★★『 転校十一回、落第三回、父親から勘当されること十七回。 ひどい時には一日二回勘当された」
ハチャメチャ日本人列伝(36) 大正時代の不良少年NO1はサトウハチローだよ
(改訂版)日本面白人列伝(36)
大正時代の不良少年NO1はサトウハチローだよ
前坂 俊之(ジャーナリスト)
サトウ・ハチロー。1903-1973。本名佐藤八郎。詩人。東京生まれ。大正の作家佐藤紅緑の長男で昭和を代表する童謡詩人。中学時代、不良少年として放校、転校をくり返し、十五歳で西条八十の門下生となり、童謡を研究。終戦直後のヒット曲「リンゴの歌」の作詞者、歌謡曲のヒット曲を数多く作詞。詩集「おかあさん」は一大ベストセラーとなった。日本童謡協会会長。
少年期、手のつけられない不良だったハチローは、一五歳から詩作を始め、詩人福士幸次郎や西条八十の指導を受け、大正一五年(一九二六)二三歳で処女詩集「爪色の雨」を出版。
しかし、ハチローの名を世に広めたのは流行歌の作詞者としてであった。昭和五年(一九三〇)、「麗人の唄」がヒット。昭和二〇年敗戦国日本の国民に明るさを取りもどさせてくれた「リンゴの唄」を作詞した。「赤いリンゴに唇よせて」の歌声は全国津々浦々に広がり、空前の大流行となった。
が、昭和二四年(一九四九)の「長崎の鐘」を最後に「もう流行歌は書かない」と宣言、以来、童話作りに専念。昭和二六年ごろから友人藤田重雄、野上彰らと〝木曜会″を結成、童謡作詩家を日ざす学生、OL、教師などを自宅に集め、後進の指導に熱心であった。童話誌『土曜手帖』を創刊、次々に新作童謡を発表するばかりでなく、誌の表紙絵、デザイン、カットなどにも自らの腕をふるった。
一方、ユーモア小説や随筆も多く手がけ、分かりやすくめりはりの効いた其の口語体文章家として達人でもあった。弟子の一人の体験記「サトウハチローさんと私」という文章によるとーー
「菊ちゃん(故菊田一夫)なんかねえ、百枚も二百枚も書いた芝居の原稿をね、ダメって1言……。破かれてストーブに投げ込まれちゃったんだよ』
日本放送で、ハチローさんが毎日一五分ずつ詩や歌の短い話を流す番組があった。
筆者はその放送原稿の下書きを時々お手伝いさせてもらった。ある時クオレの〝難破船″を四〇〇字二枚にまとめる仕事が私に割り当たった。どうしても縮まらない-。別の仕事の仲間はとっくに終えて、茶の間でビールを飲んでいる。明日は勤務校で運
動会だ。もう夜中の一時、早く帰りたい。しかし、どうしてもヤマの場面が盛り上がらない。紙数が足りないのだ。やっとどうにか…。とホッとして持っていくと、
「菊ちゃんなんか…」とやられて×≪ボツ≫になる。六、七回ほど書き直した頃、私の不出来に業を煮やされたのか、ポッンと言われた。
「こういう場合にはね。船が沈む直前のクライマックスから書くんだよ!おぼえといてね』
ああ、なるほど。その後は嘘のように早く仕上がり合格。パテローさんは職人芸のコツを教える大家でもあった、という。
そのサトウ・ハチローはけっさくエピソードは山ほどある。
サトウ・ハチローは学校で三回も落第した。
「頭のいい、勉強のできるヤツは、授業をわざわざ聞きに学校に行かない。だから落第する。スンナリ進級するヤツはバカで勉強のできないヤツばかりだから、学校に行かざるを得ない」との名(迷)言)をのこしている。
童心にあふれた純情詩人として知られたサトウ・ハチローは大正時代の不良少年ナンバーワン。父親は大正の有名な小説家、佐藤紅緑であり、二十歳以上離れた妹は作家の佐藤愛子である。
ハチローは大正時代の不良少年ナンバーワン。転校十一回、落第三回、父親から勘当されること十七回に及んだ。
ひどい時には一日二回勘当された。
朝のうちに父親のゲキリンにふれ「勘当だ!」と宣言され、荷物をまとめているうち、小便がしたくなったので、庭へ出てジャージャーやっていると、二階からそれを見つけた親父が再びドナった。
「お前のような不謹慎なヤツは勘当だ」
父親の紅線は、朝のうちに息子を勘当したのを、すっかり忘れていたのである。
ハチローは硬派のバンカラな学生だった。学校のヘイに穴をあけて、生徒が出入りできるようにしたり、巡査の帽子をひったくって川へ捨てたり、ケンカをふっかけたりして、権力へやたらに反発していた。
東京の旧市内にあった三十数カ所の警察署のうち、鳥居坂署と日本堤署の留置場以外はすべてぶち込まれた。
鳥居坂署が新築された時、友人が留置場は西洋式だというので入りたくなり、同署近くにいた巡査にからんで大暴れした。他の警察署はすべて日本式の留置場であった。
早速、拘引ということになり、シメタと思っていると、その巡査は神楽坂署員で、いきつけの神楽坂署へ運行された。
「いやだよ。俺は鳥居坂署へ入りたいんだ」とドナったが、もうおそかった。
結局、鳥居坂署へは入れずじまいだった。
サトウハチローがUFO、おばけ研究家・平野威馬雄と知り合ったのはハチローが十四歳、平野が十六歳の頃だった。二人は仲が良く、いつも一緒に遊んでいた。
Wiki平野威馬雄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E5%A8%81%E9%A6%AC%E9%9B%84
ある時、イタズラ好きのハチローは母親に頼んで、マントの裏にポケットを十個ほど作ってもらった。ハチローの友人に乾物屋の息子がおり、そこによくご馳走になりに行っていたが、その時にこのマントを着ていき、カンヅメやお菓子をポケットに隠して、かっぱらってきては、「おい、イマさん持って来たよ」と重そうにマントを脱ぎ、手品師のように盗んだ品物をごっそりあけた。
ハチロー、威馬雄が二十歳前で詩人ぶっていた頃、北原白秋から招待状が舞い込んだ。白秋は小田原に〝づくの家″という詩のスタジオを持っており、そこでパーティが開かれた。
北原白秋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%8E%9F%E7%99%BD%E7%A7%8B
会が終わり、二次会に二人とも呼ばれたが、白秋は酔っていたのか、二人にいきなり『チンポコを出せ』と命じた。大詩人の前なので、二人は恐る恐る暗いところで応ずると、白秋は〝ビュー〟と引っぱって、チンポコに墨で詩を書いた。
「煙よ、煙よ、空まで いぶせ 煙」
細かい字で同じものを書いて「お湯に入っても消すな、消さなければ色紙をやる」と言った。 二人はチンポコにタオルを巻き消えないようにして、風呂に入ったが、アッという間に消えてしまった。
ハチローの童心を感じさせる行為の一つ。犬に吠えられた時はこちらも犬の恰好をして、四つんばいになってほえると、犬の方が驚いて逃げていく-とか。
ハチローはテンプラ学生(ニセ学生)の常習犯でもあった。家でピアノをひき、詩を作って遊びながら、当時の東京芸術学校(今の芸大)のテンプラ学生になり、毎日学校に行っては絵播きのタマゴやモデルと一緒に遊んでいた。
小づかいかせぎのため、東大のニセ学生にもなった。新学期には帝大生として大学に行き、新入生をつかまえては謄写版の本を売りつけたりして、金をかせぎ、ずいぶんもうけた。ハチローの落第論がふるっている。
『頭のいい、勉強のできるヤツは、授業をわざわざ聞きに学校に行かない。だから落第する。スンナリ進級するヤツはバカで勉強のできないヤツばかりだから、学校に行かざるを得ない。「今は落第生を敬遠する企業もあるが、バカばかり採用しているんだね」と。
関連記事
-
日中ロシア北朝鮮150年戦争史(48) 『日本・ロシア歴史復習問題』★『樺太(サハリン)はどうやってロシアに強奪されたのか』―樺太千島交換換事件の真相は・・『「ユーラシア大陸全域でのロシアの膨張・侵略・南下政策 の一環で、まず軍隊を派遣、武力で占領し 居座る常套手段で、日本側は手もなくひねられた。 三国干渉以後のロシアの遼東半島占領計画、 強奪とまるで同じ手口。』
日中ロシア北朝鮮150年戦争史(48) 『日本・ロシア歴史復習問題 …
-
★『鎌倉カヤック釣りバカ人生30年/回想動画記』動画再録『百歳学入門』(230)『母なる海には毎回、大自然のドラマがあり、サプライズがあるよ!
2013/06/21の記事再録『百歳学入門』(230) 『鎌倉30年カヤック釣り …
-
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(222)/★『北朝鮮行動学のルーツ(下)』ー150年前の「第一回米朝戦争」ともいうべき 1866(慶応2)年9月、米商船「ジェネラル・シャーマン号」の焼き討ち事件(20人惨殺)の顛末を見ていく。<事大主義と小中華思想、中華思想=エスノセントリズム (自民族中心主義)のギャップ、対立が原因>
2016/03/14 /日本リーダーパワー …
-
『知的巨人の長寿学』・富岡鉄斎(87)に学ぶーー「万巻の書を読み 万里の路を行く」の超人的な画業
『知的巨人の長寿学』・富岡鉄斎(87)に学ぶ 『創造 …
-
知的巨人たちの百歳学(108)ー『世界天才老人NO1・エジソン(84)<天才長寿脳>の作り方』ー発明発見・健康長寿・研究実験、仕事成功の11ヵ条」(下)『私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの 全知全能力を傾けた努力の結果であるならば」』
再録・ 百歳学入門(96) 「史上最高の天才老人<エジソン(84)の秘 …
-
『リーダーシップの日本近現代史』(68)記事再録/ 日本の「戦略思想不在の歴史」⑶日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか③『現在の北朝鮮問題と同じケース、一国平和主義に閉じこもっていた鎌倉日本に対して世界大帝国『元』から朝貢(属国化)に来なければ武力攻撃して、日本を滅ぼすと恫喝してきた!、国難迫る!』
日本の「戦略思想不在の歴史」⑶ 日本で最初の対外戦争「元寇の役」の内幕 第4回目 …
-
『 オンラインウクライナ戦争講座・日露戦争の研究』★『レーニンは日本を先進的な若い力と高く評価し、旅順陥落を絶賛』★『ヨーロッパの全新聞が難攻不落の折り紙を つけた旅順港要塞を、ちっぽけな、今まで誰からも 馬鹿にされていた日本がわずか8ヵ月で攻略した」★『いざ、学ばんかな、日本人に!」』
2016/01/17 日本リーダーパワー史(643)、日本国難史にみ …
-
『巣ごもり動画で金閣寺を一挙公開(60分)』これを見るだけで観光には行かないでね』★『外国人観光客で超人気の春の京都・金閣寺の全光景4K撮影(2019/3/30)★『The Japanese Golden Templeー外国人観光客に圧倒的・人気ナンバー1の金閣寺へ向かう(2014/04/01)』
➀外国人観光客で超人気の春の京都・金閣寺の全光景4K撮影➀(201 …
-
日中北朝鮮150年戦争史(13)日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。 日本最強の陸奥外交力⑥『北朝鮮は世界最悪の人権弾圧国家、腐敗国家であり、李氏朝鮮が今も続いているとみれば、納得できる。』●『朝鮮事情』(ダレ著、東洋文庫)『〝生き地獄″を生きた李朝朝鮮の農民たち』
日中北朝鮮150年戦争史(13) 日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇 …