終戦70年・日本敗戦史(89)「バターン死の行進」以上の「サンダカン死の行進」ー生存率は0,24% という驚くべき事件①
2015/06/02
終戦70年・日本敗戦史(89)
「バターン死の行進」以上の「サンダカン死の行進」
約2500名のオーストラリア、イギリス軍捕虜が収容されていたが、
戦後まで生き延びたのはわずか6名でわず、生存率は0,24%
という驚くべき事件である。
◎<安倍首相が「バターン死の行進」元米兵捕虜を夕食会に招待http://www.sankei.com/world/news/150422/wor1504220037-n1.html
米下、上院議会で演説した安倍晋三首相が4月29日にワシントン市内で開催する夕食会に、第2次大戦中、フィリピンで起きた「バターン死の行進」の生存者で元米兵捕虜のレスター・テニー氏(94)を招いていた。日本軍にひどい扱いを受けた元捕虜へ償いの意向を示すためとみられる。
安倍首相の日米同盟強化のため、歴史認識問題への対応で米国を最優先した対応ぶりである。
驚くべき「サンダカン捕虜収容所の死の行進」〔生存率0,24%)
この「バターン死の行進」はよく知られているが、「サンダカン捕虜収容所の死の行進」はほとんど知られていない。これはオーストラリアの戦争史上、最も残虐な事件、悲劇といわれる。私も今回初めて知った。
その内容の紹介は以下のブログ[平和憲法を世界へ、そして、脱原発!林 俊嶺(syasya61)]http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/index.html#topkoumoku
からの引用、転載させていただいた。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/burogu.html
このサンダカンとは サンダカン(Sandakan)は、カリマンタン島(ボルネオ島)の北部に位置するマレーシア・サバ州の都市で、州都コタキナバルに次ぐ第二の商業都市である。戦時中は、ボルネオ島東海岸部の油田ブニュー、タラカン、サンガサンガやバリックパパンと日本を繋ぐ重要な連絡地で、このサンダカン捕虜収容所に英国軍、オーストラリア軍の捕虜たちが収容された。
サンダカン捕虜収容所には大東亜戦争開戦時から約2年後の1943(昭和18)年9月時点では約1800名のオーストラリア軍捕虜と700名のイギリス軍捕虜が収容されていたが、戦後まで生き延びたのはこのうちたった6名であった。生存率はわずか0,24%という驚くべき事件である。
あの悪名高いアンボン捕虜収容所http://opinion.nucba.ac.jp/~kamada/H19Australia/australia19-7.html
でさえ、528名の捕虜のうち123名が戦後まで生き延び、生存率は23%、過酷な強制労働で知られている泰緬(タイメン)鉄道建設工事に従事させられたオーストラリア軍捕虜は総数9500名のうち死亡者は2646名で生存率は72%という。
サンダカン捕虜収容所でいったい何があったのか。
以下の出典は「ボルネオツアー」(2015年1月8日―1月15日)資料編①サンダカン市の行進②ボルネオ捕虜収容所と台湾人捕虜監視員、計28Pのパンフレットから、転載させていただいた。
サンダカン捕虜収容所建設のいきさつ
サンダカンに軍用飛行場(航空基地)を作るために、サラワク州のクチンに本部を置くボルネオ捕虜収容所3の第一分所として1942年(昭和17年)に設置された。1942年2月15日、太平洋開戦後のシンガポール陥落後、チャンギ刑務所に抑留きれていた豪英の捕虜ら1500名が、7月にサンダカンに到着した。
それに先立ちジャワからインドネシアの民間人約6000人が運行され、飛行場建設のための使役に就いた。その後、1943年(昭和18年)3月と4月に飛行場建設のためにシンガポールからサンダカンに豪英捕虜が送られた。その内訳は3月、豪軍兵士B部隊15、00名と英軍兵士750名、4月、豪軍兵士E部隊500名、合わせて2750名。資料によって若干数字は異なるがだいたいこのような数字である。(2P)
入所した494人のオーストラリア軍第8師団の捕虜たちを前にして大阪帝国大学で教育を受け、英語はうまい大尉がこう訓示した、という。
「お前たちは帝国日本軍の捕虜だ、わしはお前たちの指揮官だ。おれの命令や部下の監視員の。命令に従え、お前たちはオーストラリア軍では優秀な兵隊だろうが、これからは日本の奴隷の身だ。お前たちは飛行場の建設のためにここに連行された。まじめに働け、脱走など企てるな。そんなことをしたらジャングルで命を落とすか、銃殺されるだろう。お前たちは大日本共栄圏のために働くのだ」(1P)
サンダカン死の行進の概要と日本軍の動向
第二次大戦末期、サンダカンはマッカーサー将軍率いるアメリカ軍の激しい空襲や艦砲射撃を受けた。日本軍はダメージを受けた飛行場の修復を断念し、アメリカ軍が北ボルネオの東海岸に上陸すると判断した。
南方総司令部の作戦命令と現地第37軍団司令部の作戦計画により、北ボルネオ東部海岸で守備の任務についていた独立混成第25連隊第2大隊と独立歩兵371大隊は日本兵のクワウからサンダカン経由で内陸部のラナウまでの600キロを、またサンダカンから捕虜収容所の捕虜たちをラナウまで約260キロの移動を命じ、豪英捕虜を泥土の道なき道の密林地帯を梯団輸送するという計画を実行した。
その中で捕虜のほとんど全員と日本将兵数百名(100名から1000名と言う説もある)が餓死や、病死した。双方にとって大きな犠牲者を出した事件である。(同3P)
死の行進の目的はなんだっだのか?
「捕虜殲滅」説があるが、それならなぜ空爆を避けるとはいえ、胸までつかるような泥土や密林のジャングルを抜ける260キロもの道を1500人近い捕虜を日本兵や監視員を付けて行進させたのか?「捕虜使役」説もある。日本軍や捕虜たちの食料や軍事物資の運搬作業に使役させた。いわばクーリエとして利用したのだろうか?生存者の一人はもう一生、米は見たくないと語った。(同4P)
つづく
関連記事
-
-
『オンライン講座・歴代宰相で最強のリーダーシップを発揮したのは誰か?』★『太平洋戦争で終戦を決然と実行した鈴木貫太郎ー山本勝之進の講話より』★『 兵を興すは易く、引くは難しい。ーウクライナ戦争でプーチンは敗北する』★『アベクロミクスも7年間の先延ばしをした結果、出口戦略に失敗し ハードランニングしかないだろう』
2019/09/13 日本リーダーパワー史(7 …
-
-
★『地球の未来/明日の世界どうなる』< 東アジア・メルトダウン(1078)>『日本は「朝鮮半島」に深入りするべきではない 今後の日韓両国関係の在り方とは?』★『北朝鮮問題で今後起こりうる3つのシナリオ 武力衝突か直接交渉か、クーデターは薄い』●『安倍首相、NYタイムズに寄稿…「北との対話は意味がない』★『北朝鮮暴走に対する中国の見解――環球時報社説から』●『北朝鮮の核実験、今後は頻発する公算大』
★『地球の未来/明日の世界どうなる』 < 東アジア・メルトダウン(10 …
-
-
速報(104)[海に流れでたトリチウムは雨になって戻ってくる』『寂しい日本人が求める新しい形の安らぎ』
速報(104)『日本のメルトダウン』 [海に流れでたトリチウムは雨になって戻って …
-
-
日本メルトダウン脱出法(736)「トテツモナイ9300億“新品”訴訟! それでもなお、再稼働させますか? ―広瀬隆氏講演会」●「習近平主席は民間部門に権限を譲れー権力の本質を理解している指導者の矛盾」(FT紙)
日本メルトダウン脱出法(736) トテツモナイ9300億“新品”訴訟! …
-
-
[『オンライン講座/平櫛田中(107歳)、鈴木大拙(96歳)の教え」★「六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百から、百から」 平櫛田中』★『人間は過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる。老人は過去から、未来に生きるスイッチに切り換えなさい」(鈴木大拙)』
2017/11/28&nbs …
-
-
百歳生涯現役入門(178)-『晩年の達人の渋沢栄一(91歳)③』★『別に特種の健康法はないが、いかなる不幸に会おうともそれが人生なのだと達観し、決して物事に屈托せざるが(くよくよしない)私の健康法です』★『いつまでも「若々しい」人はドコが違うのか 中曽根元首相に茂木健一郎氏が聞いた秘訣』
百歳生涯現役入門(178)ー 『生涯現役/晩年の達人の渋沢栄一③』 筆者は現在 …
-
-
日本リーダーパワー史(763)今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮独立党の金玉均ら」をバックアップして裏切られた結果、「脱亜論」へと一転した福沢諭吉の転換理由がよくわかる➀『金正男氏“暗殺”に「北偵察総局」関与浮上 次のターゲットに息子の名前も…』●『狂乱の正恩氏、「米中密約」でささやかれる米軍斬首作戦 正男氏毒殺の女工作員 すでに死亡情報も』
日本リーダーパワー史(763) 今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮 …
-
-
『リーダーシップの世界日本近現代史』(292 )★『鈴木大拙は1945年『日本亡国の3つの『日本病』を上げた。そして、約70年後、大拙師のいう『日本病』を克服できなかったために、 3/11原発事故を引き起こし、日本は再び沈没中である。
2012/06/19 日本リーダー …
-
-
世界/日本リーダーパワー史(920)米朝首脳会談開催(6/12)―「結局、完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)は先延ばしとなりそう』★『米朝会談の勝者は金正恩委員長か!』(下)
結局、一番問題の非核化(CVID)についてはどうなったのか。 前坂俊之(静岡県立 …
-
-
日中北朝鮮150年戦争史(15)日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。日本最強の陸奥外交力⑧『「蹇蹇録』の結論「他策なかりしを信ぜむと欲っす」(これ以外の策はなかった)最後の1戦だった」
日中北朝鮮150年戦争史(15) 日清戦争の発端ー日本最強の陸奥宗光の外交力 …