前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

<知的巨人たちの往生術から学ぶ①〉一休さんの遺言、「なるようにしかならん。心配するな」

   

2010/01/21      記事再録

百歳学入門ー知的巨人たちの往生術から学ぶ

   前坂 俊之(泥舟一竿)

「確かに、宗教家は死の芸術家、『死に方の美学』の追及者ですからね、死に方のりっぱなお手本を示してもらわないと困るというわけです。

しかし、葬式坊主が日本の宗教者の大半を占めているように、いまや世の中全体が”偽(にせもの)と戯(たわむれ)の人間ばかりになってきている。そんな気がしますが、宗教者以外に見事な最期だったなという人はありますか・・」

皆さんの生きるクスリとなる『禅話』がありましたら、言ってください」

『私が一番好きなのは一休さんの頓知話ではなく、これはホントの話のようです。

「なるようにしかならん。心配するな」』(一休の遺言)

応仁の乱(1467 – 1477)によって焼け落ちた京都・大徳寺に一休宗純が勅命で住持(第47代)に任じられたのは81歳の時のことです。一休は寺の再建をはたすと、さっさとやめ、1481年に87歳で亡くなります。亡くなる直前に遺言状を書き、その開封にはきびしい条件をつけました。

「この遺言状は決して開けてはならん。しかし将来、大徳寺が危機存亡の淵に立った時はその限りではない。ただし、開封する前に役僧が集まって1週間、真剣に検討して、どうしても名案が浮かばない時にのみ開けてもよい」

一休の没後百年ほどたって大徳寺の存立にかかわる重大問題が起こった。役僧が集まり鳩首会談を何度も繰り返したが、対案は浮かばない。遺言を守ってさらに1週間、会議を続けたが、ついに名案は浮かばなかった。ギリギリの瀬戸際に追い込まれた。

最後の手段は一休の知恵にすがり、教えを乞うしかない。ふるえる手で一休の遺言状を取り出し、全員緊張に震えるながら開封した。そこには次のように書かれていたといいます。「なるようにしかならん。心配するな」』

 私は人生の壁にぶつかるといつもこの話をおもいだしますね」

『ウーン・・人生の知恵ですね。将来の起りうることで人があれこれ心配したり、不安を覚えることで、実際に起ることはその何十分の一と言います。

起らないことのほうが圧倒的に多いのです。どうも心配性の人、不安がる人、不安が心配となって心痛になる人が多いのですが、一休のように『なるようになる』と心の持ち方を帰ることが大事ですね、

生きる知恵です。なるようなって、もしおこってしまえばそのときはそのときで考え、対策をとればよいこと、つまり取りこし苦労をしないことですね』

『この一休さんという号のいわれは、禅宗の『碧巌録』の一節に 『有漏路(うろじ)から無漏路(むろじ)へ通う一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹け』というのがあります。ここからきています。

「一休」と号した由来

(有漏路)」とは迷い、煩悩の世界、「無ろじ(無漏路)」とは悟り、仏、あの世の世界のことです。

人生とはまったく一時のもの。この世からあの世に行く、ほんのひと時であり、その一休みが人生であるというわけです。人生は迷いのある状況から惑いのない境地への旅であり、そこでの一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹けといって、「一休」と号したんですね。雨が降ろうが風が吹こうが、大したことはないという意味ですね。

人間本来無一文、無生命ー

広大な宇宙の世界、人類の進化とくらべると、人間の生命なんて一瞬の光のようにすぐ消えていく。

10年や20年長生きしたところで、大したことはない、宇宙の何万光年という時間と比べればみんな等しく一瞬のうちに死んでいく。人間本来無一文、無生命、なんでそんなに急ぐのか、あくせくしなさんなということになる。

「まあそんなに硬くなって肩肘張って、ツッパって生きていくことはないではないか、大西良慶さんの「ゆっくりしいや」「ぼちぼちいこか」というところにかえってくるね。

まあ、人間本来無一物なんですね。おぎゃあとハダカデ生まれて、ハダカで新で死んでいく。死ねばわずか1畳にみたない棺に入るしかない。

権力の栄華を尽くして世界中の黄金財宝金銀カネも、富と、山海の珍味と美食、贅沢をあじわい、ハーレムをつくって世界中の美女をはべらして性的なものをこれまた味わいつくしても、死ねばも壮大なピラミッドや、金銀でかざった巨大な墓をつくってみても、死ねばわずか1畳にみたない棺に中に入るしかない。

「立って半畳、寝て1畳、天下をとっても2合半」

所詮、権力とはむなしいものです。ピラミッド、中国の漢民族の皇帝の墓をみてもおなじでしたね。

「立って半畳、寝て1畳、天下をとっても2合半」という昔の武士の戯歌がある。それだけの生活空間があれば人ひとり生きてゆけるのです。

また、天下をとっても、その美酒に酔えるのは酒を2合半も飲めば人間満足するという意味です。

50代までは浴びるように飲んでいたのが、60歳も過ぎれば日本酒ならせいぜい3合ほど、ワインだって半ボトルくらいしか飲めなくなります。所詮人間の胃袋とはそんなもの。

無理をせずあるがままに任せて淡々と無欲に徹し切る。

肩肘張って、百万人といえどもわれ往かんなんて・悲壮がることもない。権力や富などとは別の地平で、自然のまま、運命に従順に静かに生きてゆく。古来からそのような自然の中に隠棲して風雅に生きてきた西行、吉田兼好、一休、96歳まで長寿を保った『超俗の画家』「仙人画家』の熊谷守一のような生き方を理想としている人も多いですね。

 – 人物研究健康長寿IT・マスコミ論

 - 健康長寿, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

日本リーダーパワー史(845)★記事再録『伊藤博文の『観光立国論』ー『美しい日本の風景・文化遺産こそ宝』<百年前に唱えた伊藤首相のビジネス感覚を見習え>

日本リーダーパワー史(845)      2010/12/08の記事再録日本リー …

『オンライン/-『早稲田大学創立者/大隈重信(83歳)の人生訓・健康法] 『わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る』

  2018/11/27 記事再録/知的巨人たちの百歳学(112)- …

『スゲーぜよ!」今季最高の稲村ジョーズ❣の出現だ。稲村ケ崎サーフィン名場面集/決闘編⓵ (2022/4/16/am700)、台風1号の小笠原を直撃の余波のジョーズ。ビッグジョーズが楽しみだ。

『鎌倉サーフィンチャンネル11年」(前阪俊之チャンネル)   &nbs …

no image
『鎌倉カヤック釣りバカ日記』懺悔録②バンクーバーでカヌーのスローライフを見て以来、釣りバカ暮らし50年に。

 『鎌倉カヤック釣りバカ日記』懺悔録②   45歳の時にカナ …

鎌倉カヤック釣りバカ日記(2/28)−坂の下周辺でシーバースに挑戦『老人と海』<金を残すより「筋肉貯金で百歳生涯現役めざせ」

鎌倉カヤック釣りバカ日記(2/28)−坂の下周辺でシーバースに挑戦、空振りの巻① …

no image
『オンライン/日本リーダーパワー史講座』★『 近代日本二百年で最大の英雄・西郷隆盛を理解する方法論とは何か(上)  <リーダーシップは力より徳>』★『西郷隆盛はどこが偉かったのか』(下)』憲政の神様・尾崎行雄が語る』

   前坂俊之×「尾崎行雄」の検索結果 106 件 &nbs …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(86)記事再録/ ★『日本で最も偉かった財界人は一体誰か?③>』 ★ 『単に金もうけだけしか考えない人間が多すぎる、そんな拝金亡者が 世界中で地球の有限な資源を食い尽し、地球環境は瀕死の状態だ。 三井、三菱、住友その他の実業家より偉大な財界人・ 社会貢献の偉大な父・大原孫三郎から学ぶ③ 』

    2012/07/15 / 日本リ …

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(119)』プラハ(チェコ)の美しい旧市街と「歴史的大事件の広場」をぶらり散歩(‏5/7,8)④

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(119)』  プラハ(チェコ共 …

no image
『鎌倉・安らぎの癒しチャンネル』開始ー朝比奈切通のせせらぎ、落ち葉のつもる古道は安らぎの歴史散歩道』

『鎌倉・安らぎの癒しチャンネル』開始   『鎌倉時代の面影を留める朝比 …

no image
『冬こそサーフィン。いざ鎌倉へ』●世界一のサーフィン『ジャイアント・ウエーブ30m』成功(ポルトガル・ナザレで)スゲーよ!

<サーファーズパラダイスKamakura> ◎『冬こそサーフィン。いざ鎌倉へ』 …