『オンライン講座・日本戦争外交史➂』★『日露戦争・樺太占領作戦①―戦争で勝って外交で敗れた日本』★『早くから樺太攻略を説いていた陸軍参謀本部・長岡外史次長』★『樺太、カムチャッカまで占領しておれば北方問題など起きなかった?』
★′日露戦争・樺太攻撃占領作戦
ルーズベルト米大統領も勧めた樺太占領作戦は日露の講和条件をより有利にしようと、長岡参謀次長が画策するが軍政首脳によって延期を重ねていた。それが急転直下に決まった理由は……。
前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部名誉教授)
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早くから樺太攻略を説いていた陸軍参謀次長・長岡外史
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日本海海戦で期待のバルチック艦隊は壊滅したが、ロシアは戦争をあきらめてはいなかった。ネボガトフ少将が日本海で降伏旗を掲げた翌々日の五月三十日、ロシアは宮廷の軍事会議で戦争続行を決定した
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同時に極東箪総司令官のタロハトキン大将を降格し、第一軍司令官のリネウィッチ中将を総司令官に任命した。そしてロシア本国からさらに精鋭部隊三十万を満州に送り込んで、反撃態勢を整えていた。一方、「ないない参謀本部」(長岡外史参謀次長の自嘲的な命名)の日本は兵力、弾薬、装備、かんじんの戦費がすでに底をつき、これ以上戦う余力は残っていなかった。
↑ 樺太での日本とロシアの降伏会見(ハムスサダで、明治38年7月1日)
日本は日本海海戦後、ただちにルーズベルト米大統領に講和の斡旋を依頼した。ルーズベルトもすぐに動いた。ドイツ皇帝に親書を送って、ロシア皇帝ニコライ二世を説得してもらった。
六月三日、ルーズベルトから「ニコライ皇帝が大統領の提案を承諾した」という電報が入り、いよいよ講和あっせんが本格化し、日本側は一息ついた。
ルーズベルトも樺太占領を指示
六月七日、ルーズベルトはハーバード大学の同級生で、日本政府の特使でもある友人のか金子堅太郎を大統領官邸に呼び、食事の後に講和斡旋の経過を話した。
「いよいよ講和談判の開始になると思うが、ここで君に忠告することがある。この際、日本はすみやかにサガレン(樺太)に出兵し占領する必要がある。一旅団の陸軍と二、三の砲艦を派遣すれば、すぐに占領できる。講和談判が開始される前に早くサガレンを攻撃するよう日本政府に言ってもらいたい」と樺太占領を強く指示した。
日本の参謀本部でも、開戦直後から樺太攻略作戦は練っていた。ことに満州軍総参謀長の児玉源太郎大将の留守居役ともいえる陸軍参謀本部参謀次長長岡外史(ながおかがいし)少将は、次長就任直後から熱心に樺太攻略を推進してきた。しかし、周囲からの猛反対と旅順攻略に予想以上の時間がかかったため攻略作戦は延期を重ねてきた。
日本の樺太領有権(1624)はロシア占領(1803)より200年前のこと。
その長岡は周囲から「また樺太攻略の話かー」といやがられるほど熱心な樺太攻略主義者だったが、その理由は次の点にあった。
- ① 日本の樺太領有権はロシア占領はるか以前からである。日本は一六二四年に官吏を派遣したが、ロシアがきたのは一八〇三年のこと。日本は一八七五年に樺太千島交換条約でわずか八万円で樺太をロシアに譲ったが、これは圧力によって屈したものである。
- ② 樺太はアジア大陸の自然の連続ではなく、日本帝国を構成する群島半島の連鎖の一部である。中国・黒龍江の前哨線でもあり、樺太を占領しなければ日本海の制海権の半分をロシアに依然握られたままになる。
- ➂ 樺太には鉱産物などの天然埋蔵量が多く、林業資源と同時に漁業権の獲得によって豊富な魚業資源を得ることができる
山県、寺内が反対す。
長岡は旅順攻略戦開始の明治三十七年七月以前にも、樺太攻撃作戦を立案して山県有朋参謀総長に説明したが、山県は気乗りうすで、寺内正毅陸相(てらうちまさたけ)にいたっては樺太攻撃を持ち出すと「ことには軽重、主戦支戦があり、そんな支戦はだめだ」といつも怒りだす始末だった。海軍もバルチック艦隊が東上中でもあり、旅順、ウラジオストクにロシア艦隊が控えている段階では「軍を二分するのは愚策である」と山本権兵衛海相は強く反対し、取り合わなかった。
それでも長岡は粘り強く説得し続けてきたが、旅順攻略に思いのほか手間取り、派遣部隊や人員は一応決定したのに、攻撃作戦は延び延びになっていた。長岡は前線の児玉総参謀長に手紙で樺太攻略の必要性を訴え、側面援助を頼んだ。
明治三十八年四月、児玉が帰国して側面から樺太攻略を進言したが、状況に変わりはなかった。バルチック艦隊が迫りくるなか、軍首脳はメインの作戦で頭がいっぱいで、樺太攻略作戦を考える余裕はなかったのである。
状況が一変したのは日本海海戦の大勝利だった。いまこそ、「樺太攻撃の絶好のチャンスが到来した」と長岡は喜び勇んで説得に走り回った。
ルーズベルト大統領の講和提議が日本に到着した六月九日、伊藤博文枢密院議長は桂首相、寺内陸相、小村外相と山県参謀総長室で会談した。そのあと長岡が部屋に入ると、伊藤は葉巻を吹かしながらルーズベルトの電文を読み上げた。
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樺太占領計画は2転3転
長岡が「樺太攻撃の準備は完了し、作戦はすぐ実行できます」と説明すると、「それはやるがよい。何も戦争を進めるのと大統領の平和勧告とは全く別物である」とOKを出し、山県総長も「準備はできており、外交を妨げぬならやってよい」とはじめて賛成した。山岡は嬉しさのあまり総長室内を小躍りして回った、という(谷寿夫『機密日露戦争』)。
翌六月十日、長岡は小村外相を私邸に訪ね、自説を展開してバックアップを求めた。小村をはじめとする外務省筋はもともと樺太攻略には理解を示しており、「是非やってもらいたい。講和談判にも都合がよい。ただ海軍がどうであろうか」と心配した。
軍の一部には依然として、樺太攻撃は火事場ドロボウに類する行為として反対の声もあった。問題は海軍だった。山本海相も伊集院五郎次長(中将)も相変わらず態度がはっきりしない。日本海海戦で破損した軍艦の修理や、霧による視界の不良など、あれこれ難癖をつけては賛成せず、「七月以降ならなんとか……」と先延ばしにされてしまった。
六月十二日、宮中で日本海海戦の大勝利を祝う御前会議が開かれた。そして、その後の元老会議で、樺太攻略作戦はまたも中止と決定されてしまった。
長岡は気が気ではなかった。ルーズベルト大統領までが樺太攻略を指示しているのに、いまだにその戦略的な意味を理解しない海軍や大本営のトップの石頭ぶりに腹が煮えくりかえった。このまま樺太占領をせず、北韓軍の進出もなければ、宗谷海峡の半分は依然としてロシアの勢力下に残り、日本海の制海権も不完全のままになってしまう。すでに作戦費用として六百万円も使ってしまっているのに・・
つづく
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