前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン/ベンチャービジネス講座』★『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の長寿逆転突破力(アニマルスプリット)はスゴイよ➄★ 『徳山製油所の建設で米国最大の銀行「バンク・オブ・アメリカ(BOA)」からの1千万ドルの融資に成功』★『出光の『人間尊重』経営は唯一のジャパンビジネスモデル』★『独創力は『目が見えないから考えて、考え抜いて生まれた』★『87歳で失明からよみがえった「奇跡の晩年長寿力!」』

   

 

  • アニマルスプリット(企業家精神)を発揮

その後、出光はすることなすこと破天荒な創造力(アニマルスプリット)を発揮した。日章丸事件(1953年)で出光の名は世界にとどろいたが、その後、徳山製油所の建設、米銀行からの巨額の融資に成功、1962年には当時世界最大の第三世日章丸(13万9千トン)のタンカーを建造してマンモスタンカー時代の幕を開いた。

1952年(昭和32)、戦後出光の再出発の地となった山口県徳山市の旧海軍燃料タンク跡地を国から払い下げを受けた。

「さァ、日本一の製油所をつくるぞー」と佐三は宣言し、直ちにスタッフを米国に派遣、優れた製油所をすべて調査研究させた。それを基に戦略を練って初めて自ら渡米して、米国第一の石油精製開発会社に総合設計と工事監督の契約を結んだ。

総工費は百十億円(現在では七百億円以上)の巨額にのぼったため、日本興業銀行を筆頭に日本の銀行からは軒並み融資を断られた。67歳の佐三は米国最大の銀行の「バンク・オブ・アメリカ(BOA)」に乗り込んで、融資を申しこんだ。

BOAは1つ返事でOKしたのです。しかも、「一千万ドルを無担保、返済期限七年、金利四・五%」の好条件に佐三は飛び上がらんばかり喜んだ。その頃、日本一の八幡製鉄(日本製鉄の前進)でさえBOAから政府保証付きで530万ドルを借りるのがやっとだった。

BOAは日章丸事件以来、出光を良く知っており、その経営哲学に一目置いていたのです。出光が「私の会社はわずか資本金2億円の小さな会社です。なぜですか!?」と聞くと「資本金で貸すのではありません。あなたに合理的経営に貸すのです」と答えた、という。

徳山製油所の建設コンセプトは「市民のための工場」で、敷地面積(55万平方キロ)の22%を緑地面積と公害防止に重重点を置き世界最新のオートメイション工場を作った。工場内にもに購買部や食堂は作らず「徳山の商店街買いますから、いいものを安く売って下さい」。「市から迎賓館をつくってはと提言されたが、市内のホテルを利用させてもらいます」と断ったというから徹底している。

  • 学問、読書のドレイとなるな

  • 出光は「入社式には『まず卒業証書を捨てよ』といい、現代の世相は学問、知識に依頼心を持って、肝心の人間を忘れている。学問にとらわれ、理論のドレイになるな」と説いた。「不景気大いに結構。人間は、苦労しなけりゃあダメ。苦労するほど、人間りっぱになるんです。世の中の中心は人間。金や物じゃない。引きずられてちゃいかん」

  • この大時代的に思える出光の人間主義的経営学と、努めて苦難にぶつかって突破していった逆転突破力が成功のエネルギーとなった。

  • 日本一の異色経営者の出光佐三

出光興産は再び世界に飛躍し、日本を代表する民族系石油会社に発展していきました。「首切りなし」「定年なし」「出勤簿なし」という破天荒な「人間尊重」「大家族主義」「独立自治」「金の奴隷になるな」「生産者より消費者へ」「株式も上場せず、労働組合もない」などを「100万人ともわれ行かん」という出光佐三の『アニマルスプリット』が世界的な注目を浴びていった。

〝昭和の紀伊国屋文左衛門″、石油業界の異端児、ユダヤ商人、石油王、横紙破り、海賊など、さまざまなニックネームがつけられましたが、彼にとって「革新的・創造的な経営者」の勲章であったのです。

彼ほど一貫して日本人としての誇りと信念を持ちつづけた経営者はない。回りがヘキヘキするほどの強烈な日本主義、神がかり的な天皇主義者だが、明治初期の生れの人たちは大なり小なりこのような個性的で独創的、野性的、行動派の破天荒な人物が多い。

このブログで紹介した松永安左ェ門、渋沢栄一、御木本幸吉、平櫛田中らもこの流れで世界史を変えた「明治維新」の志士たちのDNAを引き継いでいます。昭和戦後の日本的経営なるものの、大半は英米ビジネスモデルのコピーですが、出光の『人間尊重』経営はその対極にあるもので唯一のジャパンビジネスモデル。「和を以って尊とする」日本式経営モデルの極致といえる、と思います。

 

  • 独創力は『目が見えないから考えて、考え抜いて生まれた』

出光は子供の頃から眼が悪く、読書や勉強も十分できなかった。眼科の良医を求めて、探し歩いたが、どこでもサジを投げられた。眼は年を取るほど悪化し、視力は0・01で、ほぼ失明と紙一重だった。

ご飯のおかずも大型の懐中電灯で照らし、ゆで卵を半分に切ったほどの分厚い眼鏡で眼鏡をかけた目をくっつけて、やっと見える状態。それでも出光は悲観せず、「目がよく見えないから、オレはよく考える。だから、独創的なのだ」と豪語していた。

大成してからも部下への訓示が独善的、神がかり的になったのは、この眼の不自由』と大いに関係があった。 読書や他からの知識ではなく、自分の頭で考え抜いた結果だけに、細部にこだわらぬ大胆不敵な発想と行動になって現れ、「日章丸」や石油の国際資本に対しての、徹底した戦いを可能にしたのです。

 

87歳で失明からよみがえった奇跡の「晩年長寿力!」

1967年(昭和42)2月、87歳の時に慶応病院眼科で当時白内障に関しての第一人者の医師から手術を受けた。瞼(まぶた)を切り開いて角膜の取りだす手術。初めで包帯が外された時、看護婦の白衣姿を見て、「白とはこんなにきれいな色だったのか」と驚嘆した。

手術した直後に岸信介(元首相)がお見舞いにきて、「どこまで見えるか」と聞くと出光は「君の腹の黒いのがよく見えるよ」と答えて大笑いになった。その後は、視力はメガネをかけて0,4までに回復していました。

  • 90歳の元気の秘訣は「指圧と週一回のゴルフ

財界最長老となった出光は90歳になっても一向に衰えない元気の秘訣は「指圧と週1回のゴルフ」で「ハンディー今は24,5。90にもなってゴルフやってるのは、僕ぐらいでしょうね。

今、一生でいちばん生きがいを感じてますね。楽しくてしょうがない。運命学では、ぼくは93歳で死ぬと言われてるんだ。それを越せば百歳までは生きるというんだがね。 果たして、どうなりますか・・・」(月刊文芸春秋1981年3月号)

 

1981年(昭和56)3月7日、出光は渋谷区青葉台の自宅で95歳で大往生を遂げた。生前、「金の奴隷、物の奴隷になるな」「事業は金もうけのためではない」と排撃していたが、死後にはその遺産額は77億円で、全国で第1位となっていた。

 

 - 人物研究, 健康長寿, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(315 )★『コロナパニック/国際舞台で戦う方法⓹』「MBAでレッドソックスを優勝に導いた守護神・上原浩治投手の<セーブ完勝力>「どんどん行く、結果がどうであれ、1日ごとに気持ちを リセット、真っ向勝負<瞬殺>する精神力もスイッチ!」

  2013/10/29  日本リーダーパワー史( …

no image
世界、日本メルトダウン(1019)―『トランプを討つ明智光秀は誰だ! 早くも余命のカウントダウン始まり、ペンスの注目度急上昇』●『トランプを勝たせたロシアのスパイ、その見事な手口 ヒラリーを標的にウィキリークスと巧みに連携、さて日本訪問では・』★『ナチス、ソ連の二の舞を演じ始めた米国 科学リテラシーゼロの宰相が国家を崩壊に導く』●『仏大統領選、最有力候補をスキャンダルが直撃 家族に不正給与を支払っていたフィヨン元首相』●『世界に溢れる「偽ニュース」から学べること 人を動かす情報とは何か』●『トランプ政権誕生で注目される 「インターネット・アーカイブ」とは何か』

世界、日本メルトダウン(1019) トランプを討つ明智光秀は誰だ! 早くも余命の …

no image
最高に面白い人物史➂人気記事再録★コスモポリタン「バロン・サツマ」(薩摩治郎八)の花の生涯(上)「空前絶後の完勝の日露戦争―山本権兵衛のリーダーパワーに学べ」―パリで最高にもてた日本人の話(伴野文三郎)

  コスモポリタン「バロン・サツマ」(薩摩治郎八)の花の生涯(上) h …

no image
終戦70年・日本敗戦史(146)「戦陣訓」と戦時国際法違反(ジュネーブ条約)のダブルミスで大量集団自決と捕虜虐殺

終戦70年・日本敗戦史(146) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(35)記事再録/『憲法第9条と昭和天皇』ー<憲法9条(戦争・戦力放棄)の最初の発案者は一体誰なのか>「マッカーサーによって押し付けられたものだ」、「GHQだ」「いや,幣原喜重郎首相だ」「昭和天皇によるもの」―と最初の発案者をめぐっても長年論争が続き、決着はいまだついていない。

 2006年8月15日/『憲法第9条と昭和天皇』       …

no image
最高に面白い人物史⑨人気記事再録『日本風狂人伝(28)』 大預言者(?)で巨人の大本教の開祖・出口王仁三郎のジョーク

日本風狂人伝(28) 大預言者(?)で巨人の大本教の開祖・出口王仁三郎のジョーク …

日本リーダーパワー史(651) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(44)日清戦争を外国はどう見ていたのか、『本多静六 (ドイツ留学)、ラクーザお玉(イタリア在住)の証言ー留学生たちは、世界に沙たる大日本帝国の、吹けばとぶような軽さを、じかに肌で感じた。

日本リーダーパワー史(651) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(44)   …

no image
日本リーダーパワー史(361)国難突破の日本史最強のリーダーシップー山本権兵衛『海軍建設経営CEO」の決断力①』

日本リーダーパワー史(361)          <国難突破の日 …

『安倍・トランプ蜜月外交を振り返る②』★『グラント将軍((米大統領)の忠告ー『琉球帰属問題で日清両国の間に事をかまえるのは得策でない』★『なぜなら介入の機会をねらっている欧州列国に漁夫の利を与え、百害あって一利なし」

2019/06/26 記事転載   前回に続いて、グラント将軍の明治天 …

no image
日本リーダーパワー史(123)<辛亥革命百年(25)>犬養木堂と孫文の友情ー国民外交の重要性

日本リーダーパワー史(123) 辛亥革命百年(25)犬養木堂と孫文の友情 <日本 …