『オンライン講座/三井物産初代社長/益田 孝(90歳)晩年学』★『『千利休以来の大茶人・「鈍翁」となって、鋭く生きて早死により,鈍根で長生きせよ』★『人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬいちばんの健康法』★『 一日に一里半(6キロ)ぐらいは必ず歩く』★『長生きするには、御馳走を敵と思わなければならぬ』★『物事にアクセクせず、常に平静を保ち、何事にもニブイぐらいに心がけよ、つまりは「鈍」で行け。』
人気記事再録/百歳学入門(59)
三井物産初代社長、『千利休以来の大茶人』鈍翁 益田 孝(90歳)
① 人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬいちばんの健康法。
② 一日に一里半(6キロ)ぐらいは必ず歩く。
③ 長生きするには、御馳走を敵と思わなければならぬ。
④ 私の粗食は、地産地消のものを、なるべく手をかけないで食べる。
⑤ 俗にいう粗衣、粗食は、いつの世にも健康の基。
⑥ 人間、鋭くなろうと気ばると、長生きなんぞできるものではない。
⑦ 「鈍翁」になりきって、鋭く生きて早死にするより、鈍根で長生きせよ
⑧ 天海僧正は百二十五歳、その養生訓は「正直、粗食、日頃だらり、たまには放屁なさるべくそうろう」
⑨ 物事にアクセクせず、常に平静を保ち、何事にもニブイぐらいに心がけよ、
⑩ つまりは「鈍」で行け。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
三井物産初代社長、『千利休以来の大茶人』鈍翁 益田 孝(90歳)
益田孝(ますだ たかし)嘉永元年10月1848年11月―昭和13年(1938)、草創期の日本経済を動かし、明治維新後、世界初の総合商社・三井物産を設立、初代社長。
人間は歩くのが何よりよい。金のかからぬいちばんの健康法で、体が適当に運動している間、頭の方は適当に休ませることができる。それに歩けば必ず腹がへる。腹がへれば、そのあとの食事がきっとうまい。
粗食でも、どんどんこなれて栄養になるわけだ。粗食には金もかからず、台所でも大いに助かる。四方八方よろしいのである。
それに歩くといっても、ただボンヤリ歩くのではなく、途中で何か新しいことも勉強してかえる。知人にでもあえば、おついでにと無沙汰の義理も果たせるというものだ。
私は用さえなければ、一日に一里半(6キロ)ぐらいは必ず歩く。雨が降って外へ出られなけ
れば、いろいろ仕事をさがして、一里半ぐらいの散歩代りになる軽い労働をやる。ふき掃除でもまき割りでも、家の中に仕事がないということはない。
朝などは早く起きて寝床の取片付けをするが、家人が手伝いにくると、わしの職務を奪うのか、と叱りつける。
うまく食べる
人間長生きをしようと思ったら、御馳走を敵と思わなければならぬ。俗にいう粗衣、粗食は、いつの世にも健康の基で、これをいとわなければ、何人も無病、息災うたがいなしである。といっても、私の粗食というのは、栄養にならぬオソマツな物を指すのではなく、ごくありふれた、その季節々々の物、その土地々々の物を、なるべく手をかけないで食う
ことで、つまりそれがいちばんに安く、いちばんにうまく、いちばんの食養になるというのである。
お茶の方の料理もそれがねらいで、シュンでないもの、土地でできないもの、変った料理法をしたものなど一切を排する。御馳走というのは季節的にめずらしいもの、遠くから取り寄せたもの、殊更に手をかけて本来の味を殺したものをいうが、そんなものは栄養的にみても下の下で、これを毎日あさりつづけていては、だれしも健康の保てようはずはない。食物は本人の方の腹工合でうまく食うことこそいちばんの大切。
鈍翁の由来
私は名工鈍九郎という人の作った茶碗を手に入れたのを機縁に、「鈍翁」の茶号を名のることにした。
人間、鋭い生まれつきでなくとも、鋭くなろうなどと気張りつづけていては、とても長生きなんぞできるものではない。
そこで「鈍翁」になりきって、鋭く生きて早死にをする代りに、鈍根ながらの長生きで、はるかそうした人にもまして、大いに働き、大いに世を楽しもうと考えたのである。
有名な天海僧正は百二十五歳までも生きたといわれるが、その養生訓を将軍家光に問われたところ、
「正直、粗食、日頃だらり、たまには放屁なさるべくそうろう」と答えた。
だらりというのは畢丸がだらりと下がっていることで、物事にアクセクせず、常に平静を保ち、どちらかと申せば、何事にもニブイぐらいに心がけよ、つまりは「鈍」で行けという教えであるように私は解釈する。
益田はドイツの医者が書いた『不老長生の秘訣』なる本を翻訳してまだ雲水時代の若い円覚寺管長・朝比奈宗源に贈ったことがある。これを書いたドイツ人医者は40歳ころまで、体のどこかがいつも悪くて弱っていた。
ところが、ある時、ハッと悟った。電気が普及するもではどこでも火を焚いたが、火をうまく燃やすには決して釜の中にいっぱい薪を入れてはだめ。ちゃんと適当な空間を作って、薪を少し入れてうまく空気が通るようにしなければ燃えない。
たいがいの人がカマドいっぱいに薪を入れるように、食べ物を胃の中に入れる。胃袋は明けても暮れても忙しくて、それだけで疲れる。それをこなすために、人間のエネルギーをほとんど使ってしまう。入れるエネルギーよりも、使うエネルギーが多くなる。カマドの薪を減らして、十本入れていたものを五本、三本にしてうまく焚けば薪は少量で火はよく燃える。これにヒントをえて、食べ物を減らすと丈夫になった。減食健康法を説いた本であり、摂取カロリーを3分の1減らせば長生きすると説いていた。ご飯の食い過ぎがいけない。
益田がこの本をだしたのが五十歳の頃だが、これを実践して九十歳まで長い生きしたのである。
関連記事
-
-
「来日した『21世紀の資本』の著者 トマ・ピケティ氏が日本記者クラブで会見、記者の質問に答えた動画90分」(1/31)
『来日した『21世紀の資本』の著者 トマ・ピケティ氏が日本記者クラブで会見し、記 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(40)記事再録/『150年かわらぬ日本の弱力内閣制度の矛盾』(日本議会政治の父・尾崎咢堂の警告)』★『日本政治の老害を打破し、青年政治家よ立て』★『 新しい時代には新人が権力を握るものである。明治初年は日本新時代で青壮年が非常に活躍した。 当時、参議や各省長官は三十代で、西郷隆盛や大久保利通でも四十歳前後、六十代の者がなかった。 青年の意気は天を衝くばかり。四十を過ぎた先輩は何事にも遠慮がちであった』
2012/03/16   …
-
-
『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(40)』★『日本海海戦』★『敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動、コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高し(秋山真之)』
バルチック艦隊の航行偵察で大活躍した三井物産上海支店総監督・山本条太郎(39歳) …
-
-
『明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破の交渉力」➃『『軍事、外交は、嘘(ウソ)と法螺(ほら)との吐きくらべで、吐き負けた方が大損をする。国家の命脈は1にかかって嘘と法螺にある。『 今こそ杉山の再来 が必要な時」』
2014/08/09 /日本リーダーパワー史(520)「ほら丸を自 …
-
-
『Z世代のための 百歳学入門』★『日本超高齢者社会の過去から現在の歴史②』★『80年前までは人生わずか50年だった日本』★『創造力は年齢に関係なし、世界の天才老人、夭折の天才少年の年齢調べ』
2024/10/18/記事再録再編集 百歳学に学ぶ健康 …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究➄』★『日本史決定的瞬間での児玉源太郎の国難突破決断力』★『『2階級降下して参謀次長になり、この機会(日露戦争開始4ゕ月前)に起って、日本は文字通り乾坤一擲の大血戦をやる以外に途がない。不肖ながらわしが参謀次長として蝦蟇坊(大山厳陸軍参謀総長)の忠実なる女房役になろう』★『強欲なロシアが満州を奪えば、その侵攻は朝鮮半島に及び、朝鮮を呑めば対馬に向かう。ロシアの出鼻をくじき、大軍を集めない以前に叩かねばならぬ』
2017/05/24 日本リーダーパワー史(814)『「日清、日露戦 …
-
-
『オンライン/75年目の終戦記念日/講座➄』★『太平洋戦争下の新聞メディアの戦争責任論』★『新聞も兵器なり』との信念を堅持して、報道報国のために挺身したすべて新聞』★『戦う新聞人、新聞社は兵器工場へ』★『●大本営発表(ウソと誇大発表の代名詞)以外は書けなくなった新聞の死んだ日』
2015/06/29 /終戦70年・日本敗戦史(101) …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(129)』「大東亜戦争の真実を知る最上のテキストは藤原彰氏の著作です
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(129)』 「 …
-
-
『「申報」からみた「日中韓150年戦争史」(63)『(日清戦争開戦1ヵ月後)-『日本.まさに滅びんとす』
『「申報」からみた「日中韓150年戦争史 …
-
-
速報(73)『日本のメルトダウン』-『放射能汚染水を海へ捨てるな。早く巨大タンカーを』『送電線解放が原発廃止の近道』
速報(73)『日本のメルトダウン』 『放射能汚染水を海へ捨てるな。 …
