前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

「陸羯南の日清戦争論」④韓国問題が日清、日露戦争の原因である『我東洋問題の起因』(『日本」明治27年11月13号)

   

 

By: ume-y

 


<名論>陸羯南(くがかつなん)の日清戦争論④
韓国問題が日清、日露戦争の原因―明治初年から
日清(日中)外交、日朝(日韓朝)外交の年表
 『我東洋問題の起因』④

 対清韓外交の失敗は「寛仁大度は彼等の眼より

見れば因循怯儒となる。東洋問題は政府が之を

拒んで解決できなかった」ことにある。

 

陸羯南(くがかつなん)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E7%BE%AF%E5%8D%97


 『我東洋問題の起因』 【日本】明治271113日号

 故に吾輩は断じていわく、
朝鮮に出兵するの理由と支那に宜戦する理由とは、二十七年の今日をまたずして十二年に既にこれあり。理由ありて而して之を為さざる所以のものは何ぞや、無事を以て政策と為せばなり、いな当時政府の服中に東洋問題なければなり。
 
政府の眼中に東洋問題なしといえども、帝国の周囲には東洋問題は遂に絶えざるなり。見ずや花房義質公使去りて竹添公使に代わりわずか二年を経て復た起りし事変を。寛仁大度(かんじんたいど)=心が広くて情け深く、度量の大きいこと=。は彼等の眼より見れば因循怯儒(いんじゅんきょうだ)= 古い習慣や方法などに従うばかりで、それを一向に改めようとしない、臆病で気の弱い事です=
 
と為る。東洋問題は政府が之を拒んで解決できなかった。
 
○明治十六年四月、朝鮮国貿易規則及び間行里程取極書に日本
 漁民取扱条規を約す。
○明治十七年十月、仏国政府(フランス)は清国と交戦して台湾を封鎖しこれを我れに告ぐ。この月、朝鮮京城(ソウル)に領事官を置く。同十二月四日、朝鮮の革命党が王宮を囲み大臣閔泳翊を傷く。我公使国王の請によって兵を率い王宮を護るや、韓兵清兵来りて我れを攻む事すこぶる急なり。
 朝廷乃ち外務卿井上馨を全権大使と為し軍隊を従て赴き救う。
 
○明治十八年一月、大使井上馨が朝鮮より帰る。この時革命党の領袖金玉均、朴泳孝ら逃れて我国に至り、よって刑せられざるを得たり。
 同四月、参議兼宮内卿・伊藤博文を清国に遣わし、昨年京城の変(甲申事変)では清兵が我れに寇(挑んできた)ことを告げ、且つ両国の交際を全うする所以を協議した。いわゆる『天津条約』なるものは此の時に成れり。時人はこれを憾む(遺憾とおもった)。
 
 日本子いわく、今二十七年の役(日清戦争)は実に十七年の役(甲申事変)に其の源を有すというべし。是より先き十五年の乱(壬申の変)に当り、我れ兵を派して京城公使の護衛と為すや、清国はまた三千の兵を派遣して暗に朝鮮の乱民を助く。
 
十七年の変(甲申事変)は実に革命党と支那兵との争にして、我に対する責任は清廷が当に之を負ふべし。今、清廷にその責を問はず、反てこれを協議せんとす、これ盗賊に金銭をやるのと均し。況んや互に撤兵することを約するが如き、侮(あなどり)を招かずして何をかまたん。
○明治十九年、朝鮮政府は穆鱗徳徐相両を使として我国に遣わし金玉均等の引渡しを乞う。我れ之を許さず。国事犯なるを以てなり。
○明治二十年八月、近藤奥鋤を以て代理公使となし京城に駐す。
○明治廿一年十月、清国及朝鮮の領事に判事を兼任せしむるの制を廃し、領事の職制に裁判権を入ることと為せり。この歳、朝鮮京城に数百の清国兵、商民と称して来り、陰に警戒す。
○明治廿二年十一月、日韓両国各々委員を任じて通漁規則を約す。事は済州島沿岸に於ける漁業の紛議を規するに係る。
 
○明治廿三年、朝鮮政府その貨制を改めんと欲し、我が大坂の商人大三輪長兵衛を詔す。この歳十月公使近藤典鋤は罷められ、陸軍中佐梶山鼎介がこれに代る。その武人たる故に時人窃に望みを属す。
 東洋問題は天津条約に因てその動機を制せられ、世人復た清韓を説かず、以て明治廿三年帝、帝国議会創設の時に至れり。しかし、憲法実施は当時に至るまで最も人心を注傾せしむるに足り、官民復た対外策を思わず。いわゆる対外策は唯だ条約改正のみ。
 
明治十九年、井上伯の時代より以来、世は条約改正と国会開設との世となりて官民功名の地は、唯だ此にありといい、政事家たる者皆なこの二事に熱中し、東洋問題の如きはこれ同旧(原文のまま)の陳論として言う者はなかりし。
 
然りと雖ども反動あんに起らずして已まんや。党派軋轢の状は識者をして顰視せしめ、公卿宴安の態は志士をして憤慨せしめ、井上、大隈の条約敗れてより、黒田、山県の内閣替はりてより、世人漸く厭●(にんべんに巻く)を感じたり。ここに於て東洋問題は機を伺ひて起らんとするの運に到着せり。
 

(明治27・11・13 第1899号)

 - 戦争報道 , , , , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『世界サッカー戦国史』②ー『W杯ロシア大会と日露戦争(1904)の比較』★『児玉源太郎参謀次長と西野新監督の戦略論は的確』★『W杯日露戦争で10対0で最強ロシアを破った児玉の戦略と東郷平八郎の決定力(1発必中の砲は100発一中の砲に勝つ)』

  W杯ロシア大会2018と日露戦争(1904)の戦略を比較すると、 …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 』⑫』★『児玉源太郎・山本権兵衛の電光石火の解決力⑧』★『軍事参議院を新設、先輩、老害将軍を一掃し、戦時体制を築く』★『日露開戦4ヵ月前に連合艦隊司令長官に、当時の常備艦隊司令長官の日高壮之丞ではなく、クビ寸前の舞鶴司令長官の東郷平八郎を抜擢した』

 2017/06/05 日本リーダーパワー史(821)記事再 …

no image
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 ㊾ 「日清戦争開戦10日前)『中国が朝鮮問題のため日本と一戦交えざるを得ないことを諭ず』

    『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』 日中韓のパーセプション …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(141)』『ロシア機墜落ー中東情報は、やはりイギリスが早い。BBCの報道が常に他を圧しています」

『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(141)』 『ロシア機墜落ー …

no image
終戦70年・日本敗戦史(68)大東亜戦争開戦日の「毎日新聞紙面」「東条首相、国民に殉国の覚悟を説くー」

 終戦70年・日本敗戦史(68)  大東亜戦争開戦日の「毎日新聞紙面」 「 東条 …

no image
 日中北朝鮮150年戦争史(43)★『米国防省が恐怖の分析、中国の核攻撃で日本は絶滅? 日中戦争に備えて米国は日本の核武装容認も』●『北朝鮮の核の脅威:悪の総帥 (英エコノミスト誌)』●『北朝鮮国民は心の中で金政権を激しく憎んでいた 米国研究機関が北朝鮮で世論調査を敢行』★『北京の国防省前、元軍人ら1000人がデモ 待遇に不満』●『中国漁船、韓国海警ボートを沈没させるため再衝突も』●『韓国漁民による拿捕にも「全然平気」 中国漁船、西海NLLに300隻出没』

  日中北朝鮮150年戦争史(43) 米国防省が恐怖の分析、中国の核攻撃で日本は …

no image
『米中新冷戦時代に突入しているが、中国の思想・行動パターン(中華思想)を理解するためには清国新聞『申報』で150年前の日中韓対立戦争史の論説を読むとよくわかる』★『前坂俊之HPで「申報」の検索結果は 153 件あるので見てください。』

●前坂俊之HPで「申報」の検索結果 153 件ある、ので見てください。 http …

no image
アジア太平洋戦争で日本軍占領地で日本の新聞社は<どのような「戦時外地新聞」を 発行したのか① >

   アジア太平洋戦争(1941-1945)で日本軍が占領し …

no image
日露300年戦争(5)『露寇(ろこう)事件とは何か』★『第2次訪日使節・レザノフは「日本は武力をもっての開国する以外に手段はない」と皇帝に上奏、部下に攻撃を命じた』

  結局、幕府側の交渉役の土井利厚生https://ja.wikipedia.o

no image
日露300年戦争(1)-『徳川時代の日露関係 /日露交渉の発端の真相』★『こうしてロシアは千島列島と樺太を侵攻した』

徳川時代の日露関係     日露交渉の発端(ロシアの千島進出と樺太) 以下は『日 …