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『中国紙『申報』などからみた『日中韓150年戦争史』㊸『朝鮮の革命』(日中韓ロシアの三つどもえの抗争が日清戦争へ)

      2017/07/05

 

 

『中国紙『申報』などからみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』

 

 1894(明治27)年616日 英国『タイムズ』

 

『朝鮮の革命』-

甲午農民戦争、妃と大院君の朝鮮王宮

腐敗と内部抗争、金玉均の暗殺李鴻章の陰謀、

日本の圧力、ロシアの侵攻の三つどもえの抗争が

日清戦争への引き金に>

 

 

朝鮮の革命は,イギリスでは絶えざるサモアの暴動ほどには注目に値するものとみなされていないかもしれない。だが,サモアの場合は.スティーヴンソン氏の鮮やかな筆さばきをもってしなければ,とうてい注目されることはなかっただろう。

 

仮にこれが外国人全体に向けられたものであったとしても.一般に朝鮮人が抱く根強い排外感情が原因ではないということになる。というのも,この朝鮮半島の人々はやや気短な面はあるものの温厚で穏やかな民族だからだ。

しかし,政府に対して不満を抱き.謀反を企てる一部の朝鮮人が.外国勢力の支配なるものの中に.事情に疎い大衆に訴えるには格好の口実を見出すことは考えられることであり.また,対外条約によって開国させられたことにいまだに不満を抱き.朝鮮は朝鮮人のため.つまりは自分たちのために保全されるべきものと考える反動的一派が存在することも否定できない。

 

1年はど前,この朝鮮民族主義者の一団が蜂起したが.数人が首を切られた後,崩壊したことがあった。それと同時に,朝鮮の外国勢が欧米人だけではないことも忘れてはならない。欧米人がこの国で占める割合はごくわずかであり.そのほとんどが首都か貿易港に居留しているが.そのほかにもまだ,中国人や日本人といった外国人がいるのだ。中国とは民族的にも地理的にも近い上,伝統的関係

があることから.朝鮮には数千人の中国人が住んでいるが.国民感情からすれば,現在同じような人口を占め,急増を続ける日本人に比べてはるかに不快感は少ない。日本人はこの国の輸出貿易をほぼ独占しており,朝鮮人に対する彼らの態度は傲慢かつ尊大なもので,これにはどれほど忍耐強い国民でも,さすがに怒りを抑えることは難しいようだ。

 

両国民の間には.もともとかなり強烈な敵対感情がある上.近年は軋轢をきたすようなできごとが頻々と起きるようになっていた。したがって,朝鮮における外国人排斥運動は,ヨ一口ッノヾ人同様,アジア人にも向けられたものと言える。

 

 しかし,国籍にかかわりなく外国人問題を持ち出すまでもなく,朝鮮の政治には謀反に発展するだけの大きな要因が存在している。この国には.政府が不評を買う原因となっている2大派閥がある。まず,政府の要職はすべて,氏と呼ばれる王妃一族の牛耳る一派で占められており,彼らが事実上,行政権を独占している。したがって.朝鮮で閏氏の出でなく.まして彼らと対立する一族の出身となれば.名誉と富を得る唯一の道ともいうべき公職に登用される確率は.きわめて低い。

 

そのため.非常に根強い反一派が存在するわけだが.その一派の重要性は,大院君として知られる国王の父が事実上の指導者であるという事実によって軽減されるものではない。

 

彼は国王が成人するまでの間.長年にわたって実権を奪い,摂政として仮借のない統治を行った。当年70歳になるこの老人は.波乱万丈の生涯を送ってきた人物で.摂政時代には国内のキリスト教徒に対し.自国民.外国人を問わず徹底的な迫害を加え,そのために外国の軍艦を呼び寄せることになり,数々の条約を結ばされるはめになった。

彼はまた,中国に誘拐追放されたこともあり息子である国王や王妃に対する謀反を陰で操ったこともこれまでに23度はある。筆者が1892年に朝鮮に来る直前、彼は間一髪のところで火薬による爆死を免れたが,彼の無事は国王一派に歓迎されるものではなかったといわれている。

 

しばらく所にも.国王と皇太子の爆死を企んで,彼が関与しているものと見られる報復的襲撃事件があったが.この爆破合戦においてどちらの側が最終的に成功を収めるかを見守るのは興味深いことだ。門閥の確執が支配していることを物語る事件が最近またしても発生した。

 

を唱える一派の指導者である金玉均が1884年に自ら謀反を起こして失敗し,それ以来日本に亡命していたが日本からおびき出されて上海に赴き,その地で同じ朝鮮人に暗殺されたのだ。

 

犯人は祖国のための価値ある使命を果たすべく.ソウルの国王一派から特命を受けていたのは間違いないと見られている。殺された金の遺体はソウルに連れ戻され四つ裂きにされた上でさらしものにされたが.暗殺犯は愛国者の鑑として歓迎された。

 

朝鮮にはこうした確執がくり広げられているはか.生の尊厳に対する認識が一般にはまだそれほど高まっていないことから,いっなんどき革命が起きても不思議はない。

 

 だが,宮廷を揺るがせ,首都を震撼させるそうした陰謀は,被支配者の権利の侵害や抑圧につながるため,暴動の下地となるものはいたるところに横たわっている。朝鮮政府の行政機構は.自らは身分をかさに安穏と暮らしながら.鈍重でがまん強い、農民に対する収奪をほしいままにする支配階級の貴族に利するようになっている。

 

朝鮮人はきわめて素直で忍耐強い民族であり.長い受難の果てに身につけたあきらめの姿勢で,ひたすらこの搾取に耐え忍んでいる。

しかし,ある晴れた日,久しく眠ってはいても激しやすいこの弾薬庫に火の粉が落ち.虐げられた集団が統治者を襲って殺害し.肯敵こ向かって進撃する。けれども.彼らの武装はあまりにも貧弱で.ほんのわずかの武力を見せつけられればまたたくまに逃げ去ってしまう。

暴動は鎮圧されたと報じられ,踏みにじられた残り火は,また新たな侵害行為に勢いよく燃え上がるまで静かにくすぶり続けるというわけだ。

 

 今回の暴動に関してはるかに興味深い特徴は,中国が暴動の発生とともに急きょ,自国の大軍を朝鮮の首都に派遣することを指示したと新聞に報じられたことだ。それに引き続き,日本政府も自国の公使館や市民を保護するために同様の措置をとったという情報が伝わった。

大陸の電信網を飛び交うこうした情報は.瞬時にしてわれわれにこの政治紛争の核心を伝えてくれる。

 

中国は何世紀にもわたって朝鮮の宗主国だった。朝鮮の国王と王妃は北京からその位を授かり.ソウルからは毎年,朝貢のための使者が北京に遣わされる。

朝鮮の宮廷では,中国の駐在官はいわば実権を握る大宰相だ。国王は中国から,独立国家の君主の体面を保つことを許されているだけでなく.列強の思惑がぶつかりあって,結局はこの崩壊しかかった小国に手をつけられる心配はあるまいとの中国側の判断から,列強と条約を結ぶことを認められ.推奨されてもいることは事実だ。

 

しかし,いざというときに国王が必ず伺いをたてる先は中国であり,指示を仰ぐのは,中国の朝鮮政策を一任されている天津の李鴻章総督なのだ。李総督の対応の速やかさは見事なまでに徹底している。1882年にソウルで暴動が起きた後,彼はソウルに中国軍の大部隊を派遣し,3年近くも城外に駐屯させた。賢明にも李総督はこのやり方をくり返したのだ。

朝鮮国王に対し,日ごろから国王こそ独立国家の君主であると吹き込み,完全独立という絵空事を説いてやまない空理空論家たちが.どんなに抽象的理屈を振り回そうとも,ことあるごとに国王が頼る先は中国であり,その後ろ盾なくしては,この小さな王国はトランプの家のようにすぐにも崩壊してしまうという否定すべくもない現実は変わりようもないのだ。

 

 しかし,なぜ日本軍までもが騒乱の真っただ中に兵を進めていったのか,という疑間が出てきても不思議はない。だが,これは1882年(壬午事変)と1884年の暴動を考えれば当然のことと言えるだろう。双方の事件とも,宮廷や政府の陰謀によって起きたものでありながら,ソウルの日本公使館員を直接襲撃するという民衆暴動の形をとった。

 

両事件とも.日本公使は命からがら海岸地まで退却したが,2度目のときは(甲申事変),日本政府が多額の陪償金を要求すべく公使を送還したことから,要求の実現と,彼の身柄保全の意味で大部隊が派遣された。

 

この措置には確かに正当性がないわけではなかったが.日本軍が中国軍と対抗する形でソウルに駐留することは,中国を不安にさせ,その存在自体がいっそう危険の原因となっていた。

 

しかし,両国とも1歩たりと譲ろうとはしなかった。中国は宗主国として,朝鮮国王が秩序を保てないときは自らその任に当たる権限を有していると主張した。

 

一方,日本もまた歴史的に見て宗主権を保有しており,日本の使節の身柄を守る必要のあることを指摘した。そして,とうとう日本からは今の首相である伊藤伯爵が自ら天津に出向き,李鴻章との和解に乗り出した。

これによって双方とも軍隊の撤退を合意するとともに,将来,朝鮮において暴動や騒動を鎮圧する際には,互いにしかるべき通告なしに軍隊を派遣することのないよう申し合わせた。

これが今起こっている状況であり,軍隊派遣が重なった理由だ。

 

 むろん.この状況が変則的なものであるのは言うまでもない。なぜなら,仮に中国が紛れもない朝鮮の宗主国と認められているなら,日本が平時にこの国へ軍隊を派遣する権利のないことは.たとえば,ロシアがカブールに.イギリスがポバラに軍隊を派遣する権利がないのと同じことだ。

 

しかしながら.朝鮮では万事が変則的であり.このきわめて異常な事態にかかわる場合,両国はそこに絡む大きな利益のためには,もはや論理的首尾一貫性を捨てざるを得ないのだ。

今ここで互いに真っ向から衝突するようなことになれば.それが第三国の出現を許すことになるのは両国とも十分に心得ており,この舞台にそうした国の登場してくることを警戒している。

したがって,ロシアが介入してくる口実を与えないために,互いが厳密に言えば自国の主張とは相いれない相手国の行動を見て見ぬふりをせざるを得ないのだ。

結局のところ,朝鮮の政治というドラマ-というよりこっけい劇と呼ぶのがふさわしいかもしれないが-で最後のせりふを吐くのは日本ではなく.常に中国だ。

というのも.中国にとってロシアが朝鮮を占領することによる危険と屈辱は,日本の場合よりもさらに大きいからであり,歴史的主張だけでなく,地理的位置関係から言っても,自ちかこの小さな王国とその脆弱な王座を保護するのは当然と見ているからだ。

 

 

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