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『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑳ 『日本帝国最後の日(1945年8月15日)をめぐる死闘―終戦和平か、徹底抗戦か⑤』8月13日の首相官邸地下壕

      2017/07/13

 

『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑳  

 


『日本の最も長い日―日本帝国最後の日(1945

815日)をめぐる攻防・死闘―終戦和平か、徹底抗戦か⑤』

 

       

 前坂 俊之(ジャーナリスト)

八月十三日の首相官邸地下壕


八月十三日の朝、関係各方面に連合国からの正式に回答文が配布された。


今朝の七時四十分に、在スイスの加瀬公使から公電があったとされていたが、実際は前日の十二日午後六時四十分に着電していたものである。
前記したように、松本俊一外務次官の機転で、受諾反対派を封じ込めるために秘匿していたのだ。


正式回答文の到着を受けて、午前八時半ころから最高戦争指導会議の構成員である鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、米内光政海相、阿南惟幾陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長の六巨頭会談が首相官邸の地下壕で開かれた。
連合国回答に対する態度を決定する会議である。
鈴木首相、東郷外相、米内海相は即時受諾を主張、阿南陸相、梅津・豊田両総長は「全陸海軍の武装解除、国民の自由意志に従う政体の樹立」などに難色を示し、修正と条件追加を強硬に主張して、譲らなかった。


ことに阿南陸相は〝聖断〟には従うが「国体問題に不安がある。とるべき手段はとれ」と反対意見を述べ、会議は再び暗礁に乗り上げていた。
午前十時ごろ、宮中から梅津・豊田両総長にお召しがあり、会議は一時中断される。
天皇は両総長に、外交交渉に入っている間は作戦を手控えたがよかろうと〝示唆″し、梅津参謀総長が「主導的な作戦は差し控えております」と奉答、首相官邸の地下壕に戻った。

 

3対3のまま平行線をたどる

 


そして会議は再開されたが、論議は3対3のまま平行線をたどり、午後三時ころに中止された。
この間の午後二時、東郷外相は天皇に拝謁して、連合国の正式回答が到着したことを上奏し、昨日以来の審議の模様を報告した。
天皇は「自分(東郷)の主張通りにて可なるにより、総理にもその旨を伝えよとの御沙汰を拝した」(東郷外相口述筆記)という。

午後四時、会議は閣議に切り替えられ、回答文の審議に入った。


前日、「この回答文では国体の護持が確認されないし、再照会してみよう。もし、聞き
入れられなければ戦争を継続するもやむを得ない」と発言して拒否派を喜ばせた鈴木首相は、「私の意見は最後に申します」 といって、閣僚一人一人にきわめて厳しい口調で意見を確かめていった。


東郷外相から再度、天皇の御沙汰を聞いた鈴木首相の心は、すでにこのとき決まっていた。
閣議は阿南陸相、安倍内相、松阪法相が昨日以来の再照会論を展開し、「連合国が明確な回答を与えなければ決戦もやむなし」という。
だが、残る十二名の閣僚は東郷外相の即時受諾論を支持した。そして、注目の鈴木首相の発言となった。


「各位の意見を聞きましたから、最後に所存を申しのべます。私は戦いをつづける決意で今日に至りましたが、ご承知の如く形勢に大なる変化を見たからは考えを変えざるを得なくなった」


と前置きして、昨日は平沼枢府議長の話を問いて、これでは国体護持はできないと思ったが、再三再四、回答文を読むうちに、米国は悪意で書いたものではないことが分かった。

 


鈴木首相はあっさりと前言をひるがえした

 


陛下も、この際、和平停戦せよとのことである。よって無条件で受諾すべきであると、あっさりと前言をひるがえしたのである。


なんとも人を食った見解ではあるが、七十七歳のぼうようとした大人・貫太郎の面目躍如である。


しかし、閣議は全会一致をみることができず、午後七時に散会した。そして東郷外相は閣議散会後、鈴木首相に「荏昇(じわじわと歳月が次第に過ぎ去っていくさま)時を移すの不可なることを述べたが、総理は参内して御聖断のことをお願いしようといった」 (東郷外相手記)という。
6
このころ、しきりに陸軍の将校たちによるクーデター説が流れており、もし部下たちの圧力に抗しきれずに、阿南陸相が辞任するという懸念もあったため、東郷外相は首相に早急に決定することを促したのである。
憲兵司令官を名乗る軍人が首相に面会を求めてきたのはこの直後であった。
本当は司令官ではなく、大越兼二という憲兵大佐であった。外務省編纂『終戦史録』に大越大佐の手記の一部が抜粋されているので紹介しよう。



陸軍の将校たちによるクーデター説がながれる

 


「車が官邸の玄関に入ると、私は降りていって、『憲兵司令官っ』と叫んで、かまわず入っていった。
すると、『あ、司令官閣下は?』と受付の爺さんが、あわてふためいて私の前にわってきて聞くのに、『いや済まん済まん、実はこうしないと首相にお逢い出来ないんでね』といったまま、首相の部屋へ入った。


私の芝居だったのである。ちょうど最高会議を控えての臨時閣議で、一休されている
ところらしく、すぐ首相は逢ってくれた。時も時だったから、秘書官やら何やらがいるので、「閣下、お人払いを……」た。
私は早速、「閣下、私は決してポツダム宣言受諾に否を申しあげに参ったのではありません。


ただこの文中『自由に表明された国民の意思』というところですが、この自由も抑圧された自由と解せなくはありません。
この点をもう一度おたしかめになってしかるべきかと存じますので、借越ながら参ったのです」
一息に言葉になった。


私のしゃべっている間、すーとドアが開いたり、窓ガラスが開いたりするのに気がつい
たが、これは私が軍刀をもつていたし、人払いなどをさせたので、首相に斬りつけでも
したらいかんと側近の者が警戒していたのに違いなかった。
私のいうのをじっと聞いておられた首相は、「もうせぬのじゃ」といきなりいわれるので、「…と申しますと、もうすでに米英に対して駄目をおされたのですか」 開きかえす

ので、「いや、確証が、いや確心があるのじゃ」と慌てていいかえしたが、「お黙りなさいツ」私の声はいつか大きくなっていた。


「閣下は今総理大臣の印綬を帯びておられても、たかが千葉の百姓の子ではありませんか。また我々とて同じことです。
しかしいやしくも、天皇と我々臣下との絶対的な相互信頼の関係は、たとえ悪用した
者がありましょうとも美しい世界の宝ともいうべきかと思います。



その陛下と万民の今後

 


の関係についての重大な事柄を閣下お一人が確信をおもちになったとて何になりましょう……」
つめよらんばかりに申すと、「いや、わしではないんじゃ」「では、陛下がそうお思い
になっていらつしやるのですか?」


首相は困ったような顔で、「とにかくはっきりいえぬが確心があるんじゃ」
またドアを少し開けて、誰かが様子をうかがっているようである。


「では、陛下は臣下の我々が絶対に陛下を信頼しているので、抑圧下の自由でも大丈夫だとお思いになっていると解してよろしいのですか?」
「君がそう解釈するなら、それでもよい」
ホッとしたようなものの、一抹の不安もあって足どりも重く、私は官邸を辞した」思わぬ闖入者が帰った後、鈴木首相は小石川の私邸に帰り、東郷外相はいったん渋谷の新官邸に戻って、かねて約束してあった松平恒雄、芳沢謙吉両前大使を中心にささやかな小宴を開いていた。その席に、梅津、豊田両総長が至急会見したいといってきた。

 


最早一日も遅延を許さぬ

 


外相は宴を中座し、心配気な松本次官に「なに頑張るよ」といい残して再び首相官邸に車を走らせた。
両総長との会談は夜の九時から十一時まで官邸の閣僚室でつづけられたが、東郷外相の手記によれば、会談の内容は「彼我共午前の構成員会同の際の意見を繰返すのみで何等、進捗するところはなかった」という。


会談は両総長から外相との懇談を懇請された迫水内閣書記官長がセッティングしたものだった。それだけに迫水は気がきではない。
「私は少しでも空気を和らげようと思って、とつておきの紅茶やウィスキーを持ち出して接待したが、これらのものには手も触れず、両総長は外相に対して再照会を懇請したが、外相はまったく取り合わなかった。


私は、時々部屋に入っていったが、両総長が懇々と話されたのに対し、東郷外相が鹿児島なまりの特徴のある発音で、簡単に、『そういうことはできません』と断わり、両総長は、とりつく島もないといった形であったのを印象深く覚えている」(『機関銃下の首相官邸』)
会談も終わりに近づいたころ、大西龍治郎軍令部次長が入ってきた。


大西中将は緊張した態度で両総長に終戦決定の一時延期を訴え、「今後二千万の日本人を殺す覚悟で、これを特攻として用いれば決して負けはせぬ」と涙ながらに〝具申〟におよんだ。だが、二人の総長はさすがに一言も発せず、黙っていた。

 


東郷手記は書いている。

 


「次長は自分に対し外務大臣はどう考えられますかと聞いて来たので、自分は勝つことさえ確かなら何人も『ポツダム』宣言の如きものを受諾しよぅとは思わぬ筈だ。ただ勝ち得るかどうかが問題だよ、といって皆を残して外務省におもむいた。


そこに集まっていた各公館からの電報及び放送記録などを見て、益々切迫して来た状勢に目を通した上、帰宅したが、途中車中で二千万の日本人を殺した所で総て機械や砲火の餌食となるに過ぎない頑張り甲斐があるなら、何んな苦難も忍ぶに差支えないが、竹槍やどう弓では仕方がない。


軍人が近代戦の特質を了解せぬのは余り烈しい。最早一日も遅延を許さぬ所まで来たから、明日は首相の考案通り決定に導くことがどうしても必要だと感じた」


<前坂俊之編著『大日本帝国の最期の日』新人物往来社 2003年7月刊>

 

 

 

 

 

 

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