終戦70年・日本敗戦史(126)大正年間の日中関係の衝突と変遷ー戦前までの「大日本帝国」は「軍事大国」「外交低国」であった。
2015/08/09
終戦70年・日本敗戦史(126)
<世田谷市民大学2015> 戦後70年 7月24日 前坂俊之
◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』
<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、どこに問題が
あったのか、500年の世界戦争史の中で考える>⑨
大正年間の日中関係の衝突と変遷ー戦前までの「大日本帝国」は「軍事大国」「外交低国」であった。
大正年間の日中関係の衝突と変遷①
①日露戦争を契機にして日中関係は大きく変化、日本は思ってもみなかった勝利で極東の3等国から世界の1等国になったという自尊心が一挙にふくらむ。同時に、対中国、アジアへの優越感と、蔑視が強くなってくる。
②中国でもナショナリズムが強くなり、近代国家建設が進められ、租借地、利権などの回収運動が起こり、ロシアに代わって日本が仮想敵国となった。
③1912(明治45)年1月、清国は崩壊し、中華民国(孫文の臨時大統領就任)が誕生する。
④1914(大正3)年7月、第一次世界大戦が勃発した際、元老の井上馨は「日本国運の発展に対する天佑にして、直ちに挙国一致の団結を以ってこの天佑を享受すべし…⊥との書簡を大隈重信首相におくった。
英、仏、独、米など列強が欧州の戦争で手いっぱいの間に、火事場泥棒のごとく中国の権益をすばやくおさえていった。
-大正年間の日中関係の衝突と変遷②
①1915(大正4)年1月18日、大隈内閣(加藤高明外相)は袁世凱政権に対して権益確保、租借地の期間延長など対華21ヵ条の要求をした。中国民衆はこれに憤激して五月七日を「国恥記念日」と定め、激しい日貨排斥運動が起った。
②1919(大正8)年5月4日、北京の学生が21ヵ条要求の取消しを求めて大規模な反日デモを行い、全国に波及して民族運動へと発展した。この五・四運動は21年の「中国共産党誕生」のきっかけとなった。
③こうした中国のナショナリズム、排日運動の高まりに対して、1920(大正9)年の原敬内閣以降、高橋是清、第一次若槻礼次郎までの歴代内閣は、「満蒙権益」は手放さないものの、国際協調主義の観点から、中国との協調を重視して、内政不干渉、中国の関税自主権の尊重、直接的な軍事干渉を避ける方針をとった。
世界が尊敬した日本人(39) 国際協調外交を推した進めた幣原喜重郎
http://maechan.sakura.ne.jp/japanese_r/data/39.pdf
約 150 年の日本外交史で、独自の外交哲学、世界戦略を持った首相・外相は残念ながら皆無といってよい。戦前までの「大日本帝国」は「軍事大国」「外交低国」であった。
昭和動乱の幕を開いた田中義一首相、軍部拡大派、政友会らによって「軟弱外交」『協調外交』と攻撃されて倒された幣原喜重郎は戦前で唯一の国際協調外交を推進した外 相であった。
第一次世界大戦で、日本は漁夫の利を占めて、ほとんど戦わずして戦勝国になった。 交戦国への軍需品を一手に輸出して、ヨーロッパが戦場となり、西欧列強が世界市場からい ない間に、国内企業は輸出でぬれ手に粟の大もうけで、中国への強大な発言権と利権を獲得した。
明治維新以来六十年間にして念願の〝富国強兵″が実現、日本は五大強国の一つに成金し、一等国民へのしあがったとおごりが出てくる。
ロシア革命の勃発し、中国の民族運動、反日運動が高まった結果、戦争終結後に、列強が貿易市場に復帰してくると、劣悪な日本商品は中国市場から順次駆逐され、鬼の居ぬ間に獲得した中国に対する政治、外交的優 位が順次くつがえされていった。
国内的には1918年(大正七)の米騒動以来、第一次戦後恐慌 、第一次戦後恐慌の余波で社会、労働運動などが 激化して、大正末期の日本は騒然としてきた。ここで根本的な変革に取り組んだのが憲政 会であり、その中心政策が幣原外交である。
1924年(大正十三)七月、護憲三派内閣 、護憲三派内閣の外務大臣として、はじめて議会の演壇に立った幣原は「国際間の不和は、一国が他国の立場を無視し、偏狭な利己的見地に執着することで発生する。 我々の主張は列国の共栄共存主義である」とそれまでの武力外交 を転換した。
対中国政策では「内政不干渉、経済的提携での共存共栄、中国への寛容と 同情、合理的権益の合理的擁護」の四原則を示した。
幣原外交は明治以来、日本が初めて示した世界政策であった。 幣原はシベリア出兵以来、ロシア革命への干渉戦を続けていのを即座にストップし、同 14 年 1 月、北樺太から撤兵した。
英米より先にソビエトとの国交回復、通商条約を締結した。 翌十五年の北京での支那関税特別会議 での支那関税特別会議では、関税自主権を求める中国に対しいち早くこれを承認して、英・米などの関係国を驚かせた。
中国からの日本信頼は一挙に好転した。
幣原は従来の領土、資源を武力で奪う大陸政策に対し、武力行使は日中関係に悪影響しか及ぼさないとして、平和的に貿易によって共存共栄する政策に切り替えた。
このため、大正十四年(1925)、満州で郭松齢が張作霖に叛いた時も、閣内でも強硬な 出兵論があったが反対した。 昭和二年(1927 年)四月、上海、南京などで内国民革命軍 などで内国民革命軍が各国外交団を襲撃して、 英国が共同出兵を日本に提案した際も、幣原はこれを敢然と断っている。
軍部は激怒して「軟弱外交」『強調外交』と激しく攻撃し、田中義一内閣に取って代わられる。 その後、浜口内閣、第1次、第2次若槻内閣でも再び外相として登場し、国際協調路線を堅持するが、軍部、政友会の激しい倒閣運動で結局、満州事変の収拾がつかず、犬養内閣にかわり、幣原外相は政界から引退した。
以後、政党政治に終止符が打たれ、軍国時代に入るが、もし幣原外交 が堅持されていたならば「昭和動乱の悲劇」は起こらなかったことは間違いない。
昭和16年(一九四一)、日米戦争が一触即発の状況にあった最後の日米交渉で、 駐日グルー米大使はギリギリまで日米整調に努力したが、「かつて幣原外交は存在した。これからも存在し得る」と戦争回避の希望を捨てなかった。日本へのかすかな信頼は幣原によ って支えられたのである 。
昭和20年年8月15日、太平洋戦争の敗戦、幣原は73歳で首相にカムバックする。新憲法を幣原内閣は制定するが、その憲法9条の 「戦争の放棄」はマッカーサーと幣原との共作であるが、幣原の思想からいって故なき説ではない。
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