日本リーダーパワー史(511) 福沢諭吉の「日清戦争勝利後の三国干渉について」の社説を読み説く>⑤
2015/01/01
 
◎<日中韓150年対立・戦争史を踏まえて「脱亜論」でアジア
侵略主義者のレッテルを張られた福沢諭吉の「日清戦争勝利後の
三国干渉について」の社説を読み説く>⑤ー
<現在の日中韓の対立、紛争は120年前の日清戦争当時と全く同じである。
福沢は西欧列強によるアジア併呑に危機感を募らせて、日中韓の連携、協力、同盟を唱えて韓国の独立運動を助け教え子の井上角五郎を送りこみ、金玉均らの「朝鮮独立党」を全面支援したが、近代化、国際化を拒否し『中華思想(中国)』と「事大主義(韓国」から脱皮できなかった両国は再三日本を拒否して、ついに堪忍袋の緒をきった福沢の「脱亜論」「日清戦争開戦論」となった。
福沢の唱えた「独立自尊の精神」は「我、日本国人も今より学問を志し、気力を慥(たし)かにして先ず一身の独立を謀(はか)り、随(したが)って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。<一身独立して一国独立するとはこの事なり>。(「学問のすすめ」)」と書いている。
福沢は日清戦争は「文明の衝突である」という。「封建的な中華思想」対「中国思想から脱した明治日本の国際主義」との戦いであった。
「道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ」と福沢は日清戦争の最強硬論者」となって開戦の旗を振ったわけだが、「一身独立して一国独立す」は同時に国破れて「一国の独立なくなれば、一身の独立はなし」となる冷厳な現実も忘れてはならない。
福沢の旗振り通りに「日清戦争は大勝利」に終わったが、講和条約締結後に、突然、ロシア、フランス、ドイツの強奪国の共謀による「三国干渉」という名の「宣戦布告のピストル」が突き付けられた。
3国を相手に戦う力のない日本は涙を呑んで「三国干渉」に応じ、遼東半島の割譲は放棄せざるを得なかった。ロシア、ドイツは日本から奪った遼東半島を自分のものに中国を威嚇して、租借してしまう。世界中が『食うか、食われるかの』帝国主義万能時代の出来事である。
この時、三宅雪嶺は「臥薪嘗胆」論を唱えて、力をつけて他日を期すことを誓ったが、福沢も同じ趣旨の『ただ堪忍すべし』と訴えたのである。
以上の120年前の「日清戦争」時に、福沢がが現れず、「日清戦争で日本が
負けていた場合には、今日の日本はなかったであろう」ことだけは確かである。
地に足のついた現実的な歴史観を持って空想的平和主義、観念的防衛論から
一歩離れて、昨今の対中・韓・北朝鮮外交のすれ違い、ネジレ、対立エスカレ
ションの体験と対比させながら、120年前の「小日本」福沢の主張を読むと、
その先見性がよくわかる>
 
 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
『ただ堪忍すべし』福沢諭吉〔1895(明治28年6月1日 時事〕
 
「(三国干渉には)ただ堪忍すべし」
 国と国と相対して治にも乱にも自国の栄誉を全うするは、なかなか容易ならざることにして、政府の外交官はただ国民一般の後楯を以って交際を料理するのみ。
されば国民たる者がいったん事あるに臨んで粉骨砕身、国のために一命を棄つるは勿論なれども、外交の変化は秋の天の晴雨定まらざるがごとく、朝に友にして夕に敵たることあり、虚を以って嚇(おどか)すもあり、虚より実を生じて事実に動くもあり。
兵法に云う、虚々実の掛け引きにこそあれば、その入り組みたる場合には単に命を棄つるのみ能事にあらず、ただに能事にあらざるのみか、命を棄ててかえって事を破るの例えさえ多ければ、敗れてむ軽々しき挙動あるべからず。
要はただ堪忍して時節を待つに在るのみ。例えば今度の講和談判も、吾々国民が最初に心に待ち設けたる所と相違して、いささか不平なきにあらざれども、世界の勢いに於いて今はただ無言にして堪忍するの外あるべからず。
満腹の不平、不愉快は、吾々の生涯これを忘れず、子孫もまた忘れざることならん。その不平、不愉快こそ奮発の種なれば、心め底の深き処にこれと目的を定めたる上は、年月の長短を問わず、国中四千万の吾々は一心一向に商売、工業を勉強して、国.力の富実を謀り、万事万端、国の身代をたしかにしたる上の分別として、それまでの処は、たとい腕に千鈎を挙ぐるの力あるも、表面は
婦人のごとくにして外来の困難を柳と受け流し、言うて返らぬ既往を言わずして、無言の中に堪忍すべし。
俗に云う、ならぬ堪忍を堪忍するとはこの事なり。
右等の趣意は毎度「時事新報」に記して、読者に於いてはまたしてもうるさしと思うならんなれども、記者の老婆心は自から禁ずることあたわず。広き世の中には随分短気なる人も多し、たとい読者は既に事の道理を合点しても、その道理を広く世の中に伝えて方向を定めしむるこそ長者の義務なれ。花鳥風月の全席、茶話の序いでにも、懇々人に説き聞かして、過ちを少なくするは自ち報国の一端なるべし。
就いてはその話の種として一例を示さんに目下、東京の芝居に忠臣蔵を興行して、市川団十郎が大石由良之助をうとめ、珍しくもなき狂言なれとも、かの城渡しの一段に、無数の若侍が血気にはやり城を枕に討死するも明け渡すことは出来ずと騒ぎ立つ処を、由良之助が百方説諭し、
諸士の忠義心はもっとも至極、さこそあるべきなれども、亡君の遺言、自指す敵は足利殿にあらず、城受け取りの上使に敵するとは何事ぞ、さりとは御遺言を無にして、目的を誤るものなり、ここの処.はただ堪忍して時節を待たれよと、汗を流して大声を発し、或いは怒り、或いは慰め、果てはかくまでに申しても聞き入れずとあれば、拙者は亡君への申し訳け、この処に割腹すべしと死を決したる最後の1言にて、ようやくその場を取り鎮めたる由良之助の苦心はいかばかりなるべきや。
もしも諸士の決心に任せ、上使に抵抗して城渡しを拒むこともあらんには、百事瓦解、幾多の忠臣義士は犬死に終わりて、大目的を誤りたることならん。
流石は一藩中の長老大屋由良之助が一切万事を方寸の中に畳み込み不言の間に諸士の心を一にし、無限の不平を懐きながら沈黙堪忍して時節を待つことに同意せしたるその技量は平生なれば尋常一様の芝居にして.役者の巧拙を評すまでのことなれ、ども、これを今日の外交政略に照らして見るときは芝居とは思われず。
天下無数の人民は、今の外交の忠臣蔵に於いて、由良之助の心を心として沈着するか、或いは諸士の血気になろうて向かう所の目的を誤り、上使などを憎しとして軽挙暴動、益もなきことに騒ぎ立って世界中に侮り招かんとするか、
その国のために利害いかんは誠に明白なるべし。されば我輩は直ちに時事新報の読者に向かいて勧告、警戒を試るにはあらざれども、読者が常に社会の表面に立ちて身の重きを成すその義務として、広く世間に時事の要を説き、諄々(じゅんじゅん)人を諭してその血気を緩和鎮静すること、かの由良之助のごとくならんことを冀(こいねが)い、下流の人にも分かり易き忠臣蔵の一段を記して、談柄に供するのみ。幸いに立言の卑近を笑うなかれ。
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