前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交(外交の要諦 )の研究㉓』★『火事場泥棒的なロシア、ドイツ、フランスの三国干渉後の植民地を獲得』★『ドイツは鉄拳外交で膠洲湾を海軍根拠地として租借。ロシアは旅順、大連、関東州の二十五年間の租借権獲得、フランスは広州湾の租借、イギリスは威海衛を租借』

   

 ロシア、ドイツ、フランスの三国は三国干渉後に、どのような行動をとったのか。

日本が泣く泣く返還した遼東半島について、清国の日本への戦争賠償金をロシアはフランスから借款して、清国へ貸して、その見かえりを要求して、遼東半島の植民地化を企てた。

明治二十九年(1896)五月、サンクトペテルブルグで開かれたニコライ二世戴冠式に出席した李鴻章は、ロシア蔵相ウイツテとの間で秘密裏に「露清条約」(カシー二条約)を調印し、その見かえりにロシアは李鴻章に300万ルーブルの巨額のワイロを送った。露清密約である露清条約
日本を第1敵国とした軍事同盟で、①日本がロシア、朝鮮、清国を攻撃した場合、露清両国は相互に援助する②戦争となった場合、旅順など全港湾はロシア海軍に開放するーなどが骨子。さらにロシアは資金提供し国策会社の露清銀行、東清鉄道会社(満州内にシベリア鉄道を建設する)を設立するなどの内容、ロシアは満州支配の第一歩を踏み出した。

この密約は5年後の李鴻章が死んだ明治34年10月、次の清国の実力者、慶親王側からの知らせで日本政府は初めて知った。

小国日本がやっと手に入れた中国の領土を武力恫喝外交の『三国干渉』で、1兵も、1発の弾丸を撃つをことなく、火事場泥棒よろしく遼東半島を奪い去った『ロシア』の強盗行為に対して川上は一層の復讐心を燃やした。

一方、ドイツも同じハイエナであった。清国での利権獲得をめざし軍艦を派遣して膠州湾沿岸を測量していた明治三十年(一八九七)十一月、山東省でドイツ人宣教師二人が暴徒に殺害される事件が起きた。

清国側は即座に賠償金支払を申し出たが、ドイツ皇帝は拒否「われらの権利を阻害する者は、武装した拳で撃つべし」と皇太子を派遣し、暴徒鎮圧の砲艦外交を命じた。

この「武装の拳」は、第一次世界大戦の「条約は一片の反古なり」の言葉とともに外交史上に残る有名な鉄血主義である。皇太子の乗ったドイツ東洋艦隊は十一月十日に膠州に向い、あっという間に十四日には膠州湾を占領した。

ドイツは、①被害者の遺族、破壊された教会堂などの建設費など約七万両の償金②青島占領の軍費償還③山東省内鉄道敷設権、鉱山採掘の専有権をドイツに付与④膠洲湾をドイツの海軍根拠地とする九十九年間の租借権を要求した。

あまりの不当な要求に清国は朝野をあげて憤激し、「夷をもって夷を制する」の中国の常套手段で、ロシア、フランス、イギリス、アメリカに応援を頼んだが拒否され、泣く泣く要求をのみ、明治三十一年三月、独活条約を結んだ。

このドイツのやり方のさらに上をいったのがロシアで、明治三十年十二月、突然東洋艦隊九隻が旅順港に入港し、膠州湾問題がかたづくまでの臨時の処置であると通告、居座った。

ロシア流の強引な交渉で清国側に脅迫して翌明治三十二年三月、①旅順、大連、関東州の二十五年間の租借権獲得③付帯する鉄道権益の獲得と、シベリア鉄道の支線を関東州に延ばすなどーなどの『旅順大連租借条約』を結んだ。

さらに明治三十三年には、ロシアは韓国の馬山浦付近を租借し、明治三十四年にはシベリア鉄道をウラジオストックまで開通させた。

フランスも追随して、明治三十一年四月、広州湾の租借権(九十九年間)を得ていた。これに対して、イギリスはロシアの旅順租借は極東における均勢を破壊するとして日本軍の撤退後、旅順と同一条件をもって威海衛を租借する、と清国に申し出て、これまた同年七月、威海衛租借権(二十五年間)を得た。租借地というのは各国とも行政長官などを自国から派遣して植民地とまったく変わらないものである。

つまり、力の強い軍事国家が弱い国にささいなことに因縁をつけて、金や土地を奪っていくやく、暴力団と同じ行動パターンであり「植民地主義・帝国主義的な国家』がイギリス、ロシア、フランス、ドイツであり、万国法、国際法を旗印にして、ビスマルクの忠告も聞いていた日本は見事にだまされた。

この明治三十一年(一八九八)は、アジアだけではなく世界中で列強の侵略主義の嵐が吹きあれた年でもあった。

四月にアメリカはスペインと開戦した(米西戦争)

七月には米国はハワイを併合した(日本・ハワイ関係史では明治十四年に、ハワイのカラカウア王が外国元首として初めて来日し、西欧列強の支配に対抗してハワイと日本の合併まで提案していたが、これは日本がそこまでの力はないと拒否していた)。

九月にはイギリス・エジプト軍がスーダンを占領し、十二月には米西戦争の講和が成立し、米国はスペインからプエルトリコ、グアム、フィリピン、キューバを順次獲得した。

日本は大国のパワーゲームに揉潤される弱小国の悲哀を胸に、軍事力の増強以外にこの苦境を脱する道はないと「臥薪嘗胆」して復讐戦に備えていった。

川上のこの時期(明治28-31年)の戦略はモルトケの「熟慮断行」の応用段階である。

モルトケは86歳まで参謀総長を続けたが、晩年は特に視察、巡視、旅行についやす時間が増えた。インテリジェンスで収集した情報を分析し、トップの敵前視察で情報の制度と現実を確認チェックして整合したうえで、決断命令する。そのための『チェック旅行』であったが、川上もこれに倣い、部下を連れて、参謀旅行を繰り返した。

明治二十九年9月、明石元二郎少佐をつれて台湾より対岸の広東省、ベトナムなどを巡視した。明治31年春にはロシア・ウラジオストック港に航行し、東部シベリアをまわった。田中義一をロシアに派遣し、花田仲之介をひそかにシベリアに送り込み、参謀本部の精鋭たちをヨーロッパにも派遣して情報収集に全力を挙げた。

ロシアの満州侵攻、満州経営のスピードぶりに危機感を持った。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日中北朝鮮150年戦争史(39)<歴史復習問題>『120年前の日清戦争の真実]』④中国側から見た清国軍の実態ー腐敗していたので北洋水師は 全滅したと結論。解放軍も全く同じ体質。

 日中北朝鮮150年戦争史(39) <歴史復習問題> 『120年前の日清戦 …

no image
日本メルトダウン脱出法(727)「年金では暮らせない“下流老人”を苦しめる格差の実態」●「ふらつく安倍政権を見て余裕が出てきた中国ー安保関連法案に想定外の逆風」

 日本メルトダウン脱出法(727)   年金では暮らせない“下流老人” …

no image
『中国紙『申報』などからみた『日中韓150年戦争史』㊽『英タイムズ』「(日清戦争2週間前)「朝鮮を占領したら、面倒を背負い込むだけ」

     『中国紙『申報』などからみた『日中韓15 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊻』余りにスローモーで、真実にたいする不誠実な態度こそ「死に至る日本病」

   『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㊻』 …

★「英国のEU離脱の背景、歴史の深層を読む』「英国のEU離脱へのドイツ、フランスなどの対応』(ジャーナリスト・ディープ緊急座談会)動画80分

  「英国のEU離脱の背景、歴史の深層を読む』① 「英国のEU離脱の背 …

no image
『「申報」や外紙からみた日中韓150年戦争史」(73))『日本は朝鮮で,アイルランド問題に手を染めたようだ」『英タイムズ』

   『「申報」や外紙からみた「日中韓150年戦争史」 日中 …

no image
「国難日本史の歴史復習問題」ー「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス⑥」◎「ロシアの無法に対し開戦準備を始めた陸軍参謀本部の対応』★『決心が一日おくれれば、一日の不利になる』

  「国難日本史の復習問題」 「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリー …

no image
日本メルトダウン脱出法(726)「スズキとVWの離婚騒動に学べ! 生き残れる自動車提携の条件」●「“イケア帝国”を一代で築いた男 イングヴァル・カンプラードとその経営哲学」

   日本メルトダウン脱出法(726)   池上彰が斬る!「朝日より読売、産経が …

no image
日本リーダーパワー史(267)名将・川上操六伝(39)野田首相は伊藤博文首相、川上参謀総長の統帥に学べ②山県有朋を一喝

日本リーダーパワー史(267)名将・川上操六伝(39) <野田首相は明治のトップ …

no image
★『地球の未来/明日の世界どうなる』< 東アジア・メルトダウン(1072)>★『北朝鮮の暴発による第2次朝鮮核戦争の危機高まる②』★『プーチン大統領は、北朝鮮の核ミサイルの危機が、大量の犠牲者を伴う「世界的な大惨事」に発展する』●『関係各国の「軍事ヒステリー」にも警告し、危機を解決する唯一の方法は外交によるとも語った。』★『金正恩暴走の影にロシアの支援あり、プーチンはなぜ北を守るのか』

★『地球の未来/明日の世界どうなる』 < 東アジア・メルトダウン(1072 …