『Z世代のための日本戦争史講座』★『陸軍の内幕を暴露して東京裁判で検事側の証人に立ったリ陸軍の反逆児・田中隆吉の証言⑥』★『『紛糾せる大東亜省問題――東條内閣終に崩壊せず』』
終戦70年・日本敗戦史(86)「敗因を衝くー軍閥専横の実相』の記事再録
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%9A%86%E5%90%89
ミッドッドウェイ及びガダルカナルの敗戦は私をして、大東亜戦争の前途に対する悲観的見解を決定的のものにした。
この戦争は必敗である。必敗と定った戦争ならば、機を捉えて速かに和平を行わなければ、終に国は危うくするとの見解を抱かしめた。しかも東条首相及びこれををめぐる軍閥は、勝てば馬車馬の如く着地に突進して止まる所を知らぬであろうし、負けれは必ず最後の一人まで戦わんとして狂気の如く騒ぎ回るであろうことは疑う余地がない。
東条氏の如く独善にして直諫を好まず、阿諛追従の徒を喜ぶ私心の強き人を総理の地位に戴くことは国家の滅亡を招く以外何物もない。
従って私は一日も速かに東条氏をしてその地位より去らさせることが日本を救う道であると考えた。たまたま九月の始め頃から大東亜省設置問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E7%9C%81
http://www.c20.jp/1942/09daito.html
http://www.mekong.ne.jp/directory/military/daitouasho.htm
をめぐって東条首相と東郷外相の対立が表面化して来た。
大東亜省設置の発案者は鈴木企画院総裁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%9E%E4%B8%80
と及川興亜院総裁
http://sakurataro.org/db/%E5%8F%8A%E5%B7%9D%E6%BA%90%E4%B8%83
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E4%BA%9C%E9%99%A2
である。その目的とする所は表面はこれに依って、日本軍の占領地域内における、各独立国との関係を円満に処理せんとするに在るも、事実は、この地域内の戦用資源を最大限に利用せんとするものであって、ある意味においては、範を英国の印度省に採った、東亜諸民族に対する一種の搾取機関である。
この処置は大東亜戦争の遂行途上においては、或は巳むを得ざる所であるかも知れぬが、それがためにはむしろ外務省を拡大強化するのが、東西各地域の諸民族をして、あたかも日本の属領化さたるが如き誤解を抱かす点において、はるかに勝っておるのである。
ある消息通はこの大東亜省設置問題を捉えて宇垣一成外相の当時、陸軍が、外務省の反対を押し切って興亜院を設置したことがあるため、いまさらを外務省に併合することはその面目に関るものとし、これを拡大強化して大東亜省なる別個の機関を作り、しかも前興亜院総裁鈴木氏が大臣に、当時の興亜院総裁及川氏が次官たらんとした野望から出たものであるという。あまりにうがち過ぎた言なるも、もし事実なりとすれば正に唾棄すべき軍人の陰謀と言わねばならぬ。
この問題は是が非でもこれを設置せんとする東条首相と、絶対にこれを非とする東郷外相
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E8%8C%82%E5%BE%B3
との間に超られないミゾを作った。
東郷氏と同郷で親交ある臼井胤正氏が使いとして私を訪れ、東条対東郷の間は既に緩和の方法が絶無となった。この際東郷氏は如何なる態度を採るを可とするやと質問した。
私は「東条首相は速かに首相を止めて第一線に出るか、或は引退するのが国家並に本人の為であると信ずる。それは東条氏の性格から見て好機を捉えて、この戦争を打ち切ることは絶対に出来ないからである。若し此戦争を中途で打ち切り得ずとしたならば日本は、亡滅の外はない。
大東亜省の設置は、東亜各地域の民族としてややもすれば、我日本を帝国主義的国家なりと曲解させて結束を乱す恐がある。外相はこの問題を提げて東条内閣を総辞職させることが国家の為である。しかしこの意見は兵務局長としては政治に干興することになるから外相がもし失敗すれば、私も必ず軍職を去る」と答え、その伝言方を臼井氏に依頼した。
それかあらぬか東郷外相は決然として内閣の総辞職を固執して譲らず、最後まで頑張り通さんとしたが、嶋田海相が東条氏に替って東郷氏を慰撫し、最後に「外相の行為は御上(天皇)に於て喜れず」と、その翻意を懇請するに及んで、外相はこの上天皇をを煩し奉るは臣子の分にあらずと信じて単独辞職を決行した。こうして東条内閣は倒壊の危機を脱した。
私は東郷氏との約束に基き、その職を辞して、1942(昭和17)年9月22日午後1時陸軍省を去った。去るに当って来訪した、年来の親友、東亜海運の副社長内田茂氏に辞職の理由を問われたので、机上に在った白紙に「軍閥亡国」の四字を書いて示した。内田氏は「自分もそれを恐れる」と答えた。

関連記事
-
-
日本メルダウン脱出法(676)「大都市は急速に老化する(池田 信夫)」●「歴史問題は「安倍談話」で終わるわけではない」など8本
日本メルダウン脱出法(676) 「大都市は急速に老化する(池田 信夫)」 ーh …
-
-
歴代首相NO1は明治維新の立役者・伊藤博文で『歴代宰相では最高の情報発信力があったと英『タイムズ』の追悼文で歴史に残る政治家と絶賛>
2010/11/26 日本リー …
-
-
前坂俊之最終講義・ガラパゴス日本の没落
国際コミュニケーション論・最終講義(15) 2009、1,21 …
-
-
日本リーダーパワー史(290)「日本最強の宰相・原敬のリーダーシップー藩閥政治の元凶・山県有朋をどう倒したか②
日本リーダーパワー史(290) 「日本最強の宰相・原敬のリーダーシ …
-
-
『オンライン/日本リーダーパワー講座』/野球の神様・川上哲治の『V9常勝の秘訣』とはー ①「窮して変じ、変じて通ず」 ②「スランプはしめたと思え」 ③「むだ打ちをなくせ」 ④「ダメのダメ、さらにダメを押せ」
2011/05/20/ 日本リー …
-
-
「Z世代のためのウクライナ戦争講座」★「ウクライナ戦争は120年前の日露戦争と全く同じというニュース⑧」『開戦1ゕ月前の「独フランクフルター・ツワイトゥング」の報道』ー「ドイツの日露戦争の見方』★『『ヨーロッパ列強のダブルスタンダードー自国のアジアでの利権(植民地の権益)に関係なければ、他国の戦争には関与せず』★『フランスは80年代の中東に,中国に対する軍事行動を公式の宣戦布告なしで行ったし,ヨーロッパのすべての列強は,3年前,中国の首都北京を占領したとき(北支事変)に,一緒に同じことをしてきた』』
2017/01/09 / 『日本戦争外交史の研究』記事再録 …
-
-
『昭和天皇が田中義一首相を叱責した張作霖爆殺事件の真相』
2009 …
-
-
日本リーダーパワー史(29)ー明治、大正、昭和の40年にわたって活躍した全盲の代議士・高木正午
日本リーダーパワー史(29) 明治、大正、昭和の40年間活躍した全 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(682)「私が決して日中友好パーティーに出席しない理由」●世界経済の減速の兆し:円安のインパクト」(英エコノミスト誌)の7本
日本メルトダウン脱出法(682) 私が決して日中友好パーティーに出席し …
-
-
★「本日は発売(2023年6月9日)「文芸春秋7月号」<100年の恋の物語のベストワンラブストーリーは・・>山本五十六提督の悲恋のラブレター』②★『山本五十六の家族との最後の夕餉(ゆうげ、晩御飯)のシーン』★『久しぶりの家族六人一緒の夕食で山本も家族も何もしゃべらず無言のまま』★『日本ニュース『元帥国葬」動画(約5分間)』
★『東郷神社や乃木神社にならって、山本神社を建てようという運動が起きたが「神様な …
