前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『ウクライナ戦争に見る ロシアの恫喝・陰謀外交の研究②』-★「日露開戦までのいきさつ➂」★『★『児玉源太郎のインテリジェンスはスゴイ!⑨』★『クロパトキン陸相の日本敵前視察に<すわ、第2の大津事件か!>と日本側は戦々恐々』★『児玉いわく、何も騒ぐことはない。クロパトキンに日本が平和主義で、少しも対露戦備がないことを見せけてやり、ロシア皇帝に上奏させるのが上策だ。クロパトキンの欲するものは包み隠さず一切合切見せてやれ、と指示した』』

   

 

  

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑬』★

    日本リーダーパワー史(792)ー「日清、日露戦争に勝利」 した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス』➉

                      前坂 俊之(ジャーナリスト)

児玉源太郎中将は明治3312月に発足した第四次伊藤内閣に続いて、翌346月成立の桂内閣でも陸軍大臣として活躍していたが、対ロシア問題が危機的様相を帯びてきた明治35年3月、陸軍大臣の職を寺内正毅中将に譲った。しかし、児玉は内務大臣兼台湾総督という地位で、依然として桂内閣の有力なメンバーであり、『対ロシア戦争指導の主任閣僚という役目』を密かに負っていた。

いわば内閣でのロシア戦担当であり、実際の参謀本部次長は後輩の田村田村怡与造だったが、故・川上操六参謀総長の跡を継いだ実質上の参謀総長格だったのである。

ロシアは満州撤兵約束に違反

ロシャが列国に対し声明して満州から撤兵することを約束したのは明治35年4月8日であり、3回に分けて全軍撤退を表明した。第一次撤退は約束通り実施したが、第2次撤兵は明治36年4月8目までに盛京省の残部と吉林省からの撤兵を約束していたのに守らなかった。

清国駐在の内田康哉公使の北京からの4月19日の電報によれば、ロシャは満州が治安不良なために新設鉄道が馬賊に襲撃されて危険に陥っていることを理由に、撤退を中止、第2次撤兵に関して新しく六ヵ条の要求を清国に突きつけ、その回答が出ない間は撤兵できないと居座った。

 しかし、このロシア側の主張は嘘だった。福島安正情報参謀の情報では、ロシャ軍は馬賊を使って故意に鉄道を襲撃させているとの事実をつかんだ。また鴨緑江下流の新義州に近い竜岸浦を占領して、軍事的施設を建設し、虎視眈々と朝鮮を狙い、旅順の総督府と一体となって、〝極東帝国建設に、邁進する姿勢を示した。

ロシアの撤兵延期策は単なる口実で、腹の中では実力で満州占領、居座って、手放さない野心を暴露した。

京都「無隣庵」で四巨頭の会議が開催

日本政府も、いよいよ腹を固める時期が迫ってきた。内田公使が北京急電に接した翌々日、4月21日、伊藤、山県の二元老、桂首相、小村外相は、山県の京都南禅寺畔にある別邸「無隣庵」で会談した。

、山県公ら四名は無隣庵2階の一室で対ロシア問題について長時間にわったって密議した。この時、山県から命じられて「対ロシア戦担当の児玉内相が呼ばれ、黒幕・杉山茂丸も東京から呼び出され『無隣庵』1階の別室で待機し、そのなりゆきを見守っていた。

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/24127.html

この後、ロシア側から突然、クロパトキン陸相の極東視察の途中、日本を視察したいとの申し出があった。日本の戦意を探り、特に対ロシャ作戦準備の状況を確認するための敵前視察であることは明白であった。

日本側はすわ「第2の大津事件か!」と驚き、慌てた。このクロバトキン大将をいかなる方針で迎えればよいのか、秘かに謀議したが結論が出ず逡巡した。

このとき、陸軍随一の知恵袋、インテリジェンスの持ち主の児玉は

タロハトキン大将の訪日について、何も騒ぐことはない。むしろこの機会を活用して、クロパトキンをして日本が平和主義で、少しも対露戦備に夢中になっていないということを認識させて、これをロシャ皇帝に上奏させるのが上策である。クロパトキンの欲するものは何んでも見せてやって、何も隠したりするような馬鹿なことはするな」の方針を言下に下した。 

クロパトキン大将一行の東京到着

タロパトキン大将の極東視察はロシャ皇帝の勅命によるものであった。一行は4月28日露都を出発し、当時8分通りが出来上がっていたシべリヤ鉄道の実態を視察しながらまずウラジオに到着し、ウラジオ要塞の戦備の状況を視察した。またウラジオ附近の沿海州一帯には当時満州撤兵用に備えて収容施設を建設中であったので、これも念入りに実況を調査した。

その後、在満州ロシャ軍の状況等を巡視した後にウラジオ軍港から巡洋艦アスコリ号に乗艦して日本海より関門海峡を経て神戸港に上陸。大阪、名古屋等の日本国中央部の実況を車中から視察しながら6月12日東京に到着した。

 

『「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」

今こそ杉山の再来の<21世紀新アジア主義者>が必要な時」』①

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/323.html

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
速報(456)『日本のメルトダウン』 『規制改革の方針―岡素之議長 の会見動画』●『市場に広がるアベノミクス賞味期限切れの声』

   速報(456)『日本のメルトダウン』 &nb …

no image
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟の影響」⑫ 1902(明治35)年8月27日『ノース・チャイナ・ヘラルド』★「満州の将来ーロシアは満州から撤退すると中国に約束したが,その約束を実行しない限り、日露戦争は避けられない』●『ロシアの植民地獲得の常套手段は、まず軍事的な行動で占拠し、強引な居座り、条約無視、人口を増加させて、商業経済を活発化させ、軍事基地を建設して、自国の領土に組み込む。交渉しても満州からの撤退は絶対あり言えない。』

     ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟の影響」⑫  19 …

no image
速報「日本のメルトダウン」(492)「国借金が1000兆円でも国債が暴落しなかった 訳」「独占公開、サムスンが呑み込んだ日本技術」

     速報「日本のメルトダウン」(4 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(83)記事再録/ ★『ブレブレ」『右往左往』「他力本願」の日本の無能なリーダーが日本沈没を 加速させているー 日本の決定的瞬間『西南戦争』で見せた大久保利通内務卿(実質、首相) の『不言実行力』「不動心」を学ぶ③

2016/11/02/日本リーダーパワー史(694)再録 『ブレブレ」『右往左往 …

『最悪の国難(大津波)を想定して逆転突破力を発揮した偉人たちの研究講座①』★『本物のリーダーとは、この人をみよ』★『大津波を予想して私財を投じて大堤防を築いて見事に防いだ濱口悟陵のインテリジェンス①』

  2012/09/11  日本リーダーパワー史( …

『Z世代のための日本インテリジェンス史』★『「日露戦争の日本海海戦で英海軍ネルソン提督を上回る完全勝利に導いた天才参謀・秋山真之のインテリジェンス①』★『山梨勝之進大将の証言』

2019/12/30 『リーダーシップの日本近現代興亡史』(229)記事再録再編 …

no image
速報(422)『日本のメルトダウン』 『デフレ社会でインフレ期待を高める難しさ』『80歳総勤労時代へ仕事争奪戦の幕開け』

    速報(422)『日本のメルトダウン』&nb …

日本リーダーパワー史(557)日本近代史上最大の英雄・西郷隆盛―死後も「西郷伝説」でよみがえる。

  日本リーダーパワー史(557)  日本近代史上最大の英雄・西郷隆盛 …

「6年前の鎌倉カヤック釣りバカ動画日記」再録-『地球環境異変はますます深刻化」★『豊穣の鎌倉海も海生物が激減、魚クンたちは逃げ出してしまったよ』●『米離脱後のパリ会議の行方はどうなる』

   2017/12/27  「湘南海山ぶらぶら日 …

no image
世界、日本メルトダウン(1019)―『トランプを討つ明智光秀は誰だ! 早くも余命のカウントダウン始まり、ペンスの注目度急上昇』●『トランプを勝たせたロシアのスパイ、その見事な手口 ヒラリーを標的にウィキリークスと巧みに連携、さて日本訪問では・』★『ナチス、ソ連の二の舞を演じ始めた米国 科学リテラシーゼロの宰相が国家を崩壊に導く』●『仏大統領選、最有力候補をスキャンダルが直撃 家族に不正給与を支払っていたフィヨン元首相』●『世界に溢れる「偽ニュース」から学べること 人を動かす情報とは何か』●『トランプ政権誕生で注目される 「インターネット・アーカイブ」とは何か』

世界、日本メルトダウン(1019) トランプを討つ明智光秀は誰だ! 早くも余命の …