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『リーダーシップの日本近現代史』(306)★『国難リテラシーの養い方②『関東大震災復興計画はどうなったのかー <約100年前の仏詩人・クロ―デルや海外の知識人の警告は取り入れられたのか』★『失敗病の日本』

      2020/03/06

 

  日本リーダーパワー史(141)記事再録 

 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
ポール=ルイ=シャルル・クローデル(クローデル)(1868年―1955年 86歳)はフランスの劇作家、詩人、外交官。女性彫刻家カミュ・クローデルは姉。1890年、外交官試験に首席で合格し、本省商務部の専門職員となった1935年に退官するまでの、外交官として活躍、並行して作家、詩人、評論活動も続けた。
大変な日本通で、1921(大正10)年に駐日フランス大使として来日し、大正12年9月1日正午の関東大震災を体験、必死で逃げのび、在日フランス人の救援を行い、1927(昭和2)年2月まで約7年間も滞在した。
能、歌舞伎などの日本芸能に親しみ舞踊詩劇『女と影』を書き、帝国劇場で上演されたこともある。(以上、Wiki)。渋沢栄一と協力し、京都の日仏学館の創設にもかかわった。          

ポール・クローデル 奈良道子訳『孤独な帝国 日本の1920年代―ポール・クローデル外交書簡』草思社((1999/07);によると、生々しい関東大震災回想録が載っている。

そのクローデル大使は大正12年9月1日正午に東京神田にあったフランス大使館で被災したのだ。
地震では持ちこたえたが、続いて起こった火災で全滅し、大使館員と共に車で横浜に逃げた。フランス人居住区、フランス関係施設も横浜にあったからだ。川崎まで行くと、橋が落ちており、あとは歩いて逃げた。

「2日夜明けごろ、横浜駅に、さらに桜木町駅にたどり着いたが「なんたる光景!横浜にはもはやなにひとつ残っていませんでした。日本人の住む街全体が破壊され、平らになり、ぺしゃんこになっていました。横浜港にいたフランス軍艦「アンドレ・ルボン号」にたどり着いた。(オリエンタル・ホテル) と (グランド・ホテル) のふたつのホテルは瞬時にして壊滅した。ポール・クローデル著『孤独な帝国 日本の1920年代』
 「4日、私は東京に戻りました。あらかた壊滅し、真っ平らになった東京へ。南部と西部の地区だけが無事に残りました。ビジネス街(アメリカの大きな建物を除いて)、歓楽街、教育施設、工業地帯、大学図書館もすべて焼失していた。
東京では家屋41万戸、行方不明23万、火災の死者7万人、横浜は数字は発表されていないが死者2万5000人(この数字は最終のものでない)。これは先例のない史上最大の災害です。日本は一夜にして日露戦争の物的損害以上の損害を被りました。しかし日本は、外国の援助は可能なかぎり最小限に求めようという強い決意をもって、精力的に仕事にとりくみはじめています。」(同著)
 
問題①関東大震災の人的、物的被害は日露戦争の何倍なのに、
安全対策はなぜ払われなかったのか。
 
<ここで、参考までに日本での人為災害(戦争、その他)、自然災害(地震、火災、津波、台風)を比較をすると、関東大震災の死者・行方不明者は 約14万人。日露戦争での兵士の死亡88,429人(靖国神社戦争別合祀者)、日露戦争の死者55,655 人傷者144,352人(以上は国会図書『日露戦争統計数字』よりhttp://www.jacar.go.jp/nichiro/keyword06.htm
1945年3月の東京大空襲は死者10万人、負傷者11万人、100万人が家屋喪失。原子爆弾では
その人数は
数週間のうちに広島で14万人、長崎で7万人。
第2次大戦では日本の兵士、230万人、一般市民80万人、http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM >          

問題② 日本は地震列島、津波列島

ー東京は江戸時代から世界一の『危険都市』

 『外国記者の見た関東大震災―正午二分前』(ノエル・ブッシュ著、早川書房、一九六三年刊)によると、ヨーロッパと比べて、石造りの建物と、
木造、紙が中心の日本家屋の違いをあげながら、
『日本では、ほとんどの大地震が、大火災の原因となっているが、

それどころか、日本の大都市では、いろいろな原因から大火災が起る危険性があると次のように指摘している

 
●『徳川幕府250年を通じてーこの間に江戸の人口は、百万から二百万のあいだを往復したが1500件以上の大火災が記録されている。
そのなかの100件以上が、3千戸以上を焼失しており、同時代に西欧諸国に起った火災の最大のものに匹敵するという1666年の江戸大火を、焼失面積においても、死傷者においても遥かに上回る規模のものが、五十件をくだらないのである。
江戸の最大の火事は一六五七年の大火事だったが、北西の強風にあおられて、繁華街の24平方キロをなめつくし、海岸までいってやっと消えるまでに、十万人の死者を出した』。
 
●『一六一五(元和元)年から一九二三年までのあいだに、東京の街は地震あるいは津波で(火災は数えません)、なんと九回も破壊されているのです!一六一五年、一六二八(寛永五)年、一六三〇(寛永七)年、一六三五(寛永十二)年、一六九七(元禄十)年、一七〇三(元禄十六)年、一七〇七(宝永四)年、一八五五(安政二)年、そして一九二三年です。』(クローデル前掲書)
 
この間に、ヨーロッパでは1755年リスボン地震は1755年11月日にあり、 西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルの首都・リスボンが直撃され、津波によって死者1万人を含む、5万5000人から6万2000人が死亡した。推定されるマグニチュード8・5で、この地震でポルトガルが衰退する原因となった。また、イタリアのメッシーナでは1908年12月8日に大地震に襲われ、津波によって60,000人が亡くなり、古くからある建物の多くが破壊され、死の町となった。
 
●『徳川時代の江戸には、水道はなく、消火設備としては手桶と、破壊用具くらいで火が出るとすぐ消し止める以外にはなかった。いったん一軒の家が燃え出すと、必ずほかの家に燃え移ってしまう。そういう場合には風向きのまま火を家の建っていないところ、町の終るところまで進ませて消えさせるか、雨の降り出すのを待つかということだったのである」。
 
つまり、一旦火事が起きると、自然に消えるまで待つしかない、大火事は、江戸の日常生活にはつきものになっていた。江戸っ子は3度火事に出くわさなければ一人前じゃあない、とまでいわれた。『火事と喧嘩は江戸の華』『宵越しの金は持たなねえ』とやけのヤンパチ、仕方ないとあきらめ、一から出直す、といわれていた江戸っ子気質がこの「災害都市」の中で培われたのである。真の江戸っ子-江戸に少くとも三代は住んだものは、どんな不幸に見舞われても、鼻の先でせせら笑い、同様に厳寒にも家の中を温めるようなことを軽蔑したのである。
困難を堪え忍ぶということは、厳格で誇り高いサムライ精神のひとつの表れでもあり、それはスパルタ精神をはるかにしのぐものであった」と「正午2分前」は指摘している。          

 
問題③<なぜ、そんな世界一危険な『ボイラー都市』に首都を置き続けて平気なのか>
ークローデルの疑問と驚き!?
クローデルの9月23日(震災から3週間後の外務大臣への報告書)より。
「(今回)首都移転は取りざたされず、東京を旧に戻せと言う利益団体が非常に多い。行政と政府の中心はもっと安全な場所に置くべきだと言う論議も元首相で現政友会総裁の高橋(是清)子爵らから出ている。
『貴重品を新聞の切れはしにくるんで、うかつにそこらにおきっぱなしにする人はいない。みな安全な金庫にしまっておく。それなのに、国家の命運にかかわる、重要で貴重な、国の頭脳である首都の機構を、安全な場所におかずに、災害に最もさらされている場所においておくのは、矛盾しているではないか」
確かに、イタリアが首都をメッシーナ(シシリア島の北東端の港湾都市、1908年の地震で全滅)におくようなものです、というのだ。
一国の首都をかくのごとき(ボイラーの蓋)の上に、崩れかかった崖のフチに置くのはじつに非常識なことです。
 
 首都移転の提唱者のなかには軍人が大勢います。国家の戦略的かつ工業的基盤が、一夜にして灰塵に帰したことにびっくり仰天したのです。愚かにも町の中心に設置されていた兵器庫が日本海側に移されることは確実です。
 
 東京と横浜という、あわせて数百万人の人口を擁するふたつの大都市が、わずか数時間で壊滅したのは、いくつかの要因がかさなったことによります。外的要因もあれば内的要因もあります。
 
クローデルの原因分析はこうである。
 
① 内的要因としては、慎重さに欠け、知識のない建築家たちが、安普請で外国式の建物を建築した。とくに横浜における被害の原因がこれ。横浜ではロシア銀行、三井倉庫ビル、中央電話局などの鉄筋コンクリートの建物を除き、(外人居留地)に建つ建物が、まるでトランプでできた城のように瞬時にして崩壊した。
② また、通りの道幅の狭さが災害を大きくした。
③ 東京や横浜は都市というよりは巨大な村というべきで、乾燥した木造の掘っ建て小屋が密集して際限なく広がっていた。災害の広がりをくい止める準備は全くできていなかった。
④ しかし、将来なにが起こるか、誰に予測できるでしょうか。一九二三年の地震は、人々の予想をはるかに超えるものでした。私は今、地質学者テルミエの書いた『アトランティスの崩壊』をひもといています。この本には、多くを教えられ考えさせられます。
  

問題④<後藤新平の大計画は10分の1に削減される結果をクローデルは予見、
日本人は船底1枚下は地獄の漁民の一生懸命(一所県命、一生懸命)精神と分析する>

 
 
クローデル『政治情勢・震災復興問題』1923年10月29日より(同著)
 
「日本の納税者の大半は、後藤新平の広大な計画つまり昔の葦原(あしはら)を鉄筋コンクリートにおきかえるエルドラド(スペイン人がアマゾンにあると信じた黄金卿)計画について耳にし、不安をつのらせています。
 
すでにかなり減少している国庫から、何十億もつかうのです。これによって一時的に安全は得られるにしても絶対安全とは言えないからです。
また、ひどく立ち遅れてしまった産業界が、みずからの安全のためとはいえ、固定資産にかね金をつぎこむ余裕があるでしょうか。伝統的な暮らしや、小さな庭、木造の家にたいへんな愛着をもっている日本人に、これまでの風俗や習慣を百八十度転換して非人間的な兵舎のような大きな建物に住むようなじませることが、はたしてできるでしょうか。
 
 少しずつ大規模な反対運動が現われてきており、これに気づいた政府は、豪華な(後藤新平)計画を認める時期、あるいはこれを知らせる時期をいっそう先延ばしにしているのです。最終的には、鉄筋コンクリートを使用しなければならないという規制を、いくつかの大きな道路のみに限定し、あとは大きな公園をつくり、道路幅を広げ、あらたな水路を掘ることに落ち着く可能性が最も高いでしょう。
 
日本人は、コンクリートの建物のなかで仕事をし、商売をしたいとは思っても、大昔からの習慣どおり、相変わらず木造の家のなかで生活し、食事をし、楽しく過ごすのでしょう。内務省にとって、国民に等しく備わっている本能にしたがわないやり方は、ひじょうに危険なものがあります。
 
 結局のところ日本の国民にとって、九月一日に起こったような大災害は、船乗りには海の危険がつきまとうのと同じたぐいの危険でしかないのです。

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