日本リーダーパワー史(164)『江戸を守った山岡鉄舟の国難突破力④ー『常在戦場の胆力、まず走りだしてから考えろー』
日本リーダーパワー史(164)
『江戸を戦火から守った山岡鉄舟の国難突破力④
『常在戦場の胆力、まず走りだしてから考えろー』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
無刀流の由来
勝海舟、高橋泥舟とともに、幕末の三舟と謳われた鉄舟は、人も知る当代一の剣の達人で、当時の剣客中、かれに勝つ者は江戸中にいなかったといわれる。しかし上州(群馬)の浅利又七郎だけは、なんど立ち合っても二本も打ち込めなかった。
「この上は、技だけの練磨では駄目だ」
鉄舟は京都へ飛び、天竜寺の満水和尚について禅の修行に励み、江戸へ帰ってからも『剣禅一致』の工夫に没頭した。いつもまぶたに浮かぶ浅利の姿に向かって剣を構えると、浅利の顔が大きく迫ってきて圧倒され、手が出ない。
座禅数年。ある夜半、翻然と悟るところがあった。剣を構えると、浅利の姿がふっと消えてしまった。山岡は、「籠手田!起きろ」
と、門下生をたたき起こし道場へ引っ張りだした。籠手田は木剣をとって、構えたが、鉄舟が巨人の仁王像のように見えて、木剣を投げだした。
「先生!おゆるし下さい、今夜の先生は、いつもと違います。恐しくて立ち合えません」
翌日、鉄舟は、ちょうど出府していた浅利又七郎に試合を申し込んで、道場で相対した。浅利は一度、正眼に構えたきり、金縛りにあったように身動きできない。一呼吸おいて竹刀を引き、
「参った。もうわしはお主の敵ではなくなった」
鉄舟はこのあと、無刀流の一派を開いて開祖となったが、禅の無の悟りから開いたものであった。
度胸免許の腕前、清水次郎長と山岡鉄舟
山岡鉄舟は晩年、清水次郎長を愛して、なにかと教え導くことが多かった。ある日、次郎長に、
「長五郎、お前の身体には刀痕というものが一つもないのはふしぎだな。たいして剣の上手とも思えぬが、一ども斬られたことはないのか」と聞いた。
「あたりまえですよ。斬り合って見て相手が自分より上だなと思ったときには、すたこら逃げ出すし、オレより弱いなと思ったら叩き斬るんでさあ……」
「ふむ、それは安全な戦法だが、相手の強い弱いはどうして見分けるのだ」
「それは、互いに刀を向け合いましょう。そのとき刀の切っ先でチョイチョイと向こうの切っ先を押して見るんです。こっちで押したとき、むこうで逆らってすぐ押し返してくるような奴は弱いにきまっている。
こういうやつらはひと突きにやっつけますが、強い奴だと、チョイと当たって見たときに、逆らってはこねえが、ネバっこく、こっちの刀についてきます。そういう奴にあったら、一目散に逃げるんです。それで私は、いつも普通より寸の長いドスを持っていましたよ」
「なるほど剣の極意によくかなっている。真剣勝負に刀を構えて、それだけ心に余裕があるとは、感心なものだ。お前は世にいう『度胸免許』の腕前とみえる」と鉄舟はほめた。
寝衣のままの参内した鉄舟
明治11年(1978)8月23日に起きた「竹橋騒動」は、西南戦争のときの論功行賞に不服であった、皇居近くの竹橋兵営の近衛兵部隊が夜中に起こした武装反乱事件である。
この時、明治天皇の侍従だった山岡鉄舟は、乾門ぎわの邸で寝ていたが、陛下の御座所近くで突発した事件に跳ね起きると、寝衣の上に袴をつけ、太刀をとり裸足のままで皇居へ駈けつけた。明治天皇は、すでに起きていたが、側近を護衛する者は一人もいなかった。
「おお、山岡か、よう参った」
陛下は山岡の顔を見て、ひと安心された。山岡はそのまま、太刀を引きつけてお側を守った。それから一時間も過ぎてから、ボツボツ、馬車や人力車で参内してきた重臣や宮内官は、いずれも礼服を着用していた。
「この危急の場合に、礼服を着ているヒマがあるのか」と山岡は叱責した。しかし、鉄舟はわが姿のあまりのひどさに、お詑びを申し上げると、陛下は、「構わぬ。山岡にはそれが似合いじゃ」と笑った。そして、忠誠の記念として、山岡の刀をお召し上げになった。
明治二十二年(一八八八)、鉄舟の没後、明治天皇は山岡の嗣子、直記に、その「誠忠の記念」の品を下げ渡された。
(今、日本は人類史上初めてと言っていい、最強最毒の放射能阻止の100年戦争下にある。日本列島は見えない戦場と化して、犠牲者が続出中なのである。まさに常在戦場である。その戦時下にあって、本来、戦場なら指揮官、司令官であるべき、政治家、リーダーたちはいったい何をしているのか。東京にいて背広を着て、化粧して、国会で質問するでもなく、行動するでもなく、TVのトーク番組のおしゃべりに花を咲かせ、菅が悪いだの、役人が悪いだのコメントしている亡国の税金泥棒たちである。議会制民主主義という名の無責任形式主義によって日本は確実に亡びつつある。)
関連記事
-
-
●「日本の新聞ジャーナリズム発展史(下)-『 昭和戦前期 ・軍ファシズムと新聞の屈伏』★『新聞と戦争「新聞の死んだ日」』★『 昭和戦後期・占領時代の検閲』★『「60 年安保からベトナム戦争まで」』★『「安保で死んだ新聞はトベトナム戦争でよみがえった」』
「日本の新聞ジャーナリズム発展史」(下) 2009/02 …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(15)』『オーストリア・ウイーンぶらぶら散歩➁』郊外の「ハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)」で ベートーヴェンを偲ぶ』
2016/05/17『F国際ビジネスマンのワ …
-
-
●『徳川封建時代をチェンジして、近代日本を開国した日本史最大の革命家・政治家は一体だれでしょうか講座➂』★『国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップとは『山県有朋から廃藩置県の相談された西郷隆盛は一言で了承し、即、断固実行した』★『規制改革、憲法改正に60年以上かかっている日本サボリ政治の<バカの壁>』』
2012/03/26 日本リー …
-
-
日本リーダーパワー史(432)政治家はすべて私心を捨てよ,高橋是清は「小さな 政治の知恵はないが、絶対にものを恐れない人」
日本リーダーパワー史(432) …
-
-
『Z世代への昭和史・国難突破力講座①』★『アジア・太平洋戦争で全面敗北した軍国日本(1945年)は、戦後一転し「平和経済国家」を目指し、奇跡の高度成長を遂げ米国に次ぐ経済大国にのし上がった』★『鈴木貫太郎、吉田茂、田中角栄、松永安左衛門、田中角栄、松下幸之助らの国難突破バトンリレーが成功した』★鈴木は『負けっぶりをよくやってもらいたい」と吉田に注文をつけた。』
1945年(昭和20)8月14日、昭和天皇の聖断によってポツダム宣 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(165)記事再録/『安倍総理大臣の在任期間は11/20日で通算2887日で憲政史上最長となったが、『ガラパゴスジャパン(日本システムの後進性)』の改革は未だ手つかずだ』★『150年かわらぬ日本の弱力内閣制度の矛盾』を警告した日本議会政治の父・尾崎咢堂のリーダーシップとは何かを読む』
2012/03/16 日本リーダー …
-
-
日本の最先端技術「見える化」動画ー『よくわかるIoT/スマート工場』-『第3回スマート工場EXPO(1/19)ー蔵田 武志・産業技術総合研究所/筑波大学大学院(教授)の「現場のラボ化とラボの現場化」のプレゼン
日本の最先端技術『見える化』チャンネル 第3回スマート工場EXPO …
-
-
ジョーク日本史(6)西郷隆盛の弟・西郷従道②ー兄以上の超大物 で 『バカなのか、利口なのか』『なんでもござれ大臣」の面白エピソード、機智、ユーモア
ジョーク日本史(6) 西郷隆盛の弟・西郷従道は兄以上の超大物 『バ …
-
-
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」-「日英同盟はなぜ結ばれたのか」①1902(明治35)年2月12日付『英タイムズ』『大英帝国と日本、重要な協約』(日英同盟の締結)
「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」 「日英同盟はなぜ結ばれたのか」① 1902 …
-
-
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2022年11月16日)-逗子マリーナ沖で大カワハギ(30㎝)をゲット。
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2022年11月16日)-逗子マリーナ沖で大カワハギ( …
