『オンライン講座・『近世日本国民史』(戦国時代から徳川時代末(全100巻)の徳冨蘇峰(94歳)の長寿人生作家論』「体力養成は品性養成とともに人生の第一義。一日一時間でも多く働ける体力者は一日中の勝利者となり、継続すれば年中の勝利者、人生の勝利者となる』★『史上最大のジャーナリスト/徳富蘇峰(94歳)』
知的巨人の百歳学(114)史上最大のジャーナリスト/徳富蘇峰(94歳)
徳冨蘇峰は明治以降の文筆家、ジャーナリストで、最も多くの著作を出した。明治、大正、昭和と三代にわたって新聞人として、七十年間ほぼ毎日、書き続けた。その政治的な姿勢は平民主義から国権論者、国家主義者に変転し、明治後期には山県有朋、柾太郎らを支持する「国民新聞」主宰、1941年12月の大東亜戦争からは大日本言論報国会会長として、文字通り日本の知識人、新聞人のトップに君臨した。蘇峰の人生はまさに日本近代の精神的縮図である。
ライフワークの「近世日本国民史」を一九一八(大正七)年、五十六歳で「国民新聞」に連載を開始し、一九四〇(昭利十互年、七十八歳で一万回を突破し、毎日書き続けて三十四年間、ついに一九五二一昭和二十七)年四月、九十歳で全首巻を完成した。個人が書いた歴史書では世界でも最長編であり、このほかにも合計三百冊以上の著書がある。その超人的な著作活動を可能にしたのは、九十四歳という長寿とそのエネルギッシュな体力である。
創作の秘訣は「原稿より健康、体力第一」 だと力説、心の持ちようとして、
①好きなものは早起き、読書、富士の山、律義、勉強、戯痴をいわぬ人。
②思慮を倹約すること、必要以上に思い悩んで精力を消耗しない。
③過ぎ去ったことにはこだわらず、くよくよしない。
④まだ起きもしないことを想像して取越し苦労をしない。
- をあげて、「この世に本がなかったら、今日の長寿は保てなかった」 と述懐している。
八十三歳で敗戦、GHQによりA級戦犯容疑者になった蘇峰は、公職を辞し、自らの戒名を「百敗院泡沫頑蘇居士」(ひゃっぱいいん ほうまつ がんそこじ)と定め謹慎した。A級戦犯にに指定されたが、後に不起訴処分となった。徳富の死後半世紀たった2006年、蘇峰が終戦直後から綴った日記「終戦日記」が初めて公開された。遺言によってすべての印税、所有する不動産を公共機関に寄付した。
「言論界の天皇的存在だった」蘇峰は83歳で敗戦を迎え、94歳で亡くなるまでの最晩年の10年間ははさぞ精神的に、経済的、肉体的にもドン底j状態にに落ち込んだであろう。「終戦日記」にはこの10年間の毎日の出来事、世界情勢、政治経済、社会についての所見を記し、敗戦までのいきさつや、自己の生活、心情を織り交ぜながら詳細に記録している。
その最晩年の生活ぶり、94歳の最後まで少しも衰えなかったその頭脳明晰と健康長寿について、
名和長昌氏(蘇峰の令孫、医学博士)は次のように書いている。
「この九十五年の活動のもとになったエネルギー、一体どこに潜んでいたのだろうか。祖父は生れつきは病弱で、とても30歳までは生きられまいと、いわれていた。外遊中、ロンドンでの大病、林病院での盲腸の大手術、昭和に入ってからも、前立腺肥大、そして晩年大へん苦しめられた三叉神経病等と、一生の間、何回か大病と闘って来ている。
しかしこの激動する三代を生き抜き、人の一生の仕事としては、正に空前絶後に近い仕事をしたその頭脳と、それを支えたエネルギーのもとは、やはりその健康にあったと思われる。
ある時、祖父は私にこう話した。「人は私を大へんな活動家だというが、私は人の見ていないところで、十分休養をとっているのだよ」と。私の覚えるようになった祖父は、もう七十以後の祖父であるが、その日常生活は全く規則正しいものだった。
朝五時に起きて執筆、朝食後の散歩、午前の勉強、午後は新聞社、民友社へそして七時前の夕食、九時半には就寝、十時過ぎに祖父の部部屋に明りがついているのを見た事はない。これが山中湖、冬の熱海、そして旅行中でも、また病気七入院中でさえも、ほとんど変らなかった。
忙しいから徹夜で執筆したとか、疲れたから1日寝たとか、いうことは、全く聞いた事がない。この規則正しい生活の中で、日頃常に心がけていた事は、必ず適当な運動をするということだった。山王草堂時代でも、朝は必ず庭の散歩。日曜などヒマの時は、4キロはなれた本門寺、洗足池まで出かけた。
夏、山中湖では、朝の湖畔、双宜園の散歩、そして昭和十六年頃には、私どもがついて奥山の樹木採集に毎日の様に出かけた。
、当時すでにに八十に近い老人とは思えぬ足取りで、行動範囲も、また採取する樹木も、次第にエスカレートされ、時には一里近い山奥まで進出した。そして晩年、晩晴草堂の生活でも九十に達していたが伊豆山権現までの山道を歩いた」
「次に、祖父の健康を支えていたものはその食生活があったと思う。その食事は朝はパンにミルク、卵、ホットトケーキ、うどん、そば粉を練ったそばかき、夜は米食で、動物質の物も多くとっていた。デザートには、新鮮な果物も多くとっていた。このような食事で炭水化物をおさえ消化器への負担を少くしていたと思われる。もちろん、病院から渡される以外の、無意味な保健薬などは全くロにしなかった。」
「祖父は、人の一生の限界は十分知っていた。その決められた間に、自分のしたい、しなくてはならぬ仕事のいかに多いかも十分知っていた。、健康に注意し、何時もの状態で、仕事へ向えるよう、常に自分の体力を自分で制御し、大へん合理的な健康法をあみだし、実行し、九十五年の生涯を生き抜いた。人一人が努力し、かち得た最大最高の天寿であったと私共には思える。」(「思い出の蘇峰先生」蘇峰会、1969年、264-268P)
世界的作家の執筆量ベスト1は一体だれか。
を議論した。すると、これは50年以上前の話では、一番著述の多いのはボルテールの全集七十巻といわれるが、わが国ではどうか。一九八〇年代の初めのことだが、現存するのなかでは山岡荘八や、松本清張、司馬遼太郎らが多作の代表選手であろうと言われた。ただ、誰れがトップになるかは今後の作家活動によって変わってくる。
一昔前では『近世日本国民史」で知られる徳富蘇峰(一八六三-一九五七)で、『近世日本国民史』(一〇〇巻)の政治論、人物評伝、史論、随筆など三百冊は書いており、著述の総計は四百冊に達する。蘇峰が明治以降の明治以降では最多量の作家ではないか。
この蘇峰の旺盛な執筆力と長寿の秘訣の一つは禁酒であった。蘇峰が六歳の時、大酒飲みの父敬一が腎臓を患い、病に伏せた。蘇峰は神社に拝うでて「私は一生酒を飲みませんからどうぞ父の病気を直して下さい」と願をかけた。
父の病気は直り、九十三歳の長寿を全うした。それ以来、蘇峰は一滴も酒を飲まなかった。「トソだって酒ですから、たとえ正月でも一滴も飲みません」
戦争を賛美し、日本の軍国主義のイデオログの旗手だった蘇峰は敗戦後の昭和二十一年八月十五日に自ら戒名をつけた。「百敗院頑蘇泡抹居士」
蘇峰は女秘書の八重傑東香(本名祈美子)が昭和十八年にガンで死亡するまで、百四十七日間に連続百三十通のラブレターを送った。八十一歳の時である。
「言いたいことは山程あれども、いざ面会ともなれば何も口には出ず候、私も察しますから女史もお察し下さい」
最後の手紙は -。
「Oh my dear Kimiko・How are you remember me・Love forever」
この書簡集が『蘇峰と病床の女秘書』と題して出版されたが、蘇峰は「世間では私を理屈ばかりこねる人間だと考えているので、世間のプロテストする意味で書いた」と答えた。
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