日本リーダーパワー史(981)ーグラント将軍((米大統領)の忠告ー「日中友好」②『琉球帰属問題では日清(中国)両国の間に事をかまえることは断じて得策でない』と強調した。『なぜなら両国が争うことは、介入の機会をねらっている欧州列国に漁夫の利を与え、百害あって一利なし」
2019/07/07
グラント将軍((米大統領)の忠告ー「日中友好」②その対中国問題について、グラントは個人の意見と断わりながら、『琉球帰属問題では日清(中国)両国の間に事をかまえることは断じて得策でない』と強調した。『なぜなら両国が争うことは、介入の機会をねらっている欧州列国に漁夫の利を与え、百害あって一利なし」というのだ。
前回に続いて、グラント将軍の明治天皇へのアドバイスを続ける。
グラント将軍が来日した1879年(明治12)と言えば、国内では西南戦争(10年)で西郷隆盛が敗れ、翌11年までには大久保利通が暗殺で倒れ、木戸孝允も病死し、明治の三元勲がそろって歴史の表舞台から去った後。国際社会にデビューしたばかりの世界の田舎青年の明治新政府は国内内乱はやっと収拾できたが、今後の国内政治の改革や国際外交の方針については考える余裕もなかった。グラント将軍を国賓として大歓迎した明治天皇、明治政府の狙いは今後の日本の長期戦略についてアドバイスをいただくことだった。
一方、観光気分で世界漫遊中のグラント将軍はアメリカ人の典型の陽気で素朴な「カントリーゼントルマン」(いなか紳士 )。西欧文明に汚染される前の徳川時代の自然風景がたっぷり残り素朴な日本人のおもてなしが気にいって、二ヵ月近く東京、関東各地を見て回り、すっかり日本びいきとなった。
明治天皇との2時間の会談は1問1答式で日本側では通訳の元駐米公使吉田清成が記録をつくり、アメリカ側では随行の記者が書きとめ、グラントもその旅行記(「グラント将軍日本訪問記」雄松堂書店1983年)などに出ている。
グラントは大統領時代は米国以外の世界について全くの無関心だったが、旅行に出て、ロンドン、ヨーロッパから中近東からインド、中国などが植民地にされた国々を回って衝撃を受けた。「ヨーロッパ列強がアジアの国々をこんなにひどく搾取していようとは、私は夢にも思っていなかった。」(同上書)
当時のアジアでは、わずかに中国と日本だけが、まがりなりにも独立を維持していたが、他のすべての劣等民族という烙印をおされ、ヨーロッパ列強の支配化下で苦しんでいた。
正義感の強いグラントは米国も英国、フランスの植民地となり苦労しただけに強い憤りとアジア諸国への同情心を持った。中国を訪れた時、李鴻章(首相)からも日本と紛争中の琉球問題について解決、斡旋を依頼されていた。
その対中国問題について、グラントは個人の意見と断わりながら、『琉球帰属問題では日清(中国)両国の間に事をかまえることは断じて得策でない』と強調した。『なぜなら両国が争うことは、介入の機会をねらっている欧州列国に漁夫の利を与え、百害あって一利なし」というのだ。
さらにアジア・モンロー主義(相互不干渉)とでもいうべき考え方を提言した。
「米国の政治家は、以前から南北アメリカ大陸の政治に欧州が干渉する危険を感じてきた。
そこで自衛の手段として、欧州のいずれの国もアメリカ大陸内の事件にかこつけて領土を増大、勢力を拡張することを禁止するという原則を立て、これを合衆国の国是としてきた」と説明し、東洋においては、中国と日本が同様の原則を打ちたてるならば、米国はこれに同意し、アジア各国の領土を保全し、独立を維持することを米国の政策とするであろう」と進言した。
さらに、植民地化を阻止するための方策として「エジプトの独立が英国によって浸蝕(エジプト、英国の共同出資で建設されたスエズ運河はエジプトが財政難に陥ると、1875年に英国が株式を買収し経営権を握った。イギリス帝国主義の第一歩)とされる経過を詳しく説明し、日本が欧州諸国で外債を募集することは、帝国主義に乗ぜられるもととなるので大いに気をつけるように」と警告した。
この点は現在中国が進めている「1帯1路」計画について「債務のわな」を警戒する周辺国との間でトラブルが起きているが、これと全く同じケースであろう。
琉球の帰属問題はこの時グラントから示された話し合い方針によって日中間で進められたが結局うまくいかなかった。しかし、140年前の時点で、グラントが提案した「日中両国の融合と協力がアジアの平和と独立のために不可欠なキーワードである」というのは今日まで続いている教訓であろう。
残念ながら、その後140年の「日米中・三国志」の歴史ではもつれにもつれて、中国との間では日清戦争から、日中戦争に発展、米国との間では日米戦争、太平洋戦争と戦争の歴史が1945年(昭和⒛)まで続いた。その後は朝鮮戦争(1950年)で米中は戦い、安保条約による「日米同盟」を締結以降は、日本は世界第2の経済大国にまで躍進、一方、中国は1978年からの鄧小平による改革開放路線が成功し、2011年には42年ぶりに日本を抜き第2位の経済大国に躍進、今日の米中の覇権争いに至る三国興亡史のサイクルである。
トランプ米大統領の登場以来、南シナ海をめぐる日中間の対立から『米中新冷戦』が再燃し、この5月の対中の制裁関税25%引き上げ決定によって、ついに本格的な『米中貿易戦争」に突入している。 米中は「ツキジデスの罠」(急に国力を増大させてきた第2の覇権国(中国)と最強覇権国(米国)の間の対立がエスカレートして戦争に発展することを言う)にはまり、どちらかが倒れるまで戦い続けるのか?!。
関連記事
-
-
速報(246)『中国の富裕層こそ狙えー上海在住経済記者松山徳之氏のアドバイス③』『白川方明・日本銀行総裁の記者会見』
速報(246)『日本のメルトダウン』 『中国の富裕層こそ狙えー上海 …
-
-
速報「日本のメルトダウン」(492)「国借金が1000兆円でも国債が暴落しなかった 訳」「独占公開、サムスンが呑み込んだ日本技術」
速報「日本のメルトダウン」(4 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(626)「世界に衝撃を与えた南極トッテン氷河の溶解縮小」「グーグルは結局検索以外で稼げないのか」
日本メルトダウン脱出法(626) ◎「世界に衝撃を与えた南極トッテ …
-
-
『地球環境破壊(SDGs)と戦った日本人講座』★『約110年前に足尾鉱毒事件(公害)と戦かった田中正造①』★『鉱毒で何の罪もない人が毒のために殺され、その救済を訴えると、凶徒という名で牢屋へほう込まれる。政府は人民に軍を起こせと言うのか。(古河市兵衛)こんな国賊、国家の田畑を悪くした大ドロボウ野郎!」と国会で「亡国論」の激烈な演説を行い、議場は大混乱した。』★『ただ今日は、明治政府が安閑として、太平楽を唱えて、日本はいつまでも太平無事でいるような心持をしている。これが心得がちがうということだ』
22016/01/25世界が尊敬した日本人(54)月刊「歴史読本」 …
-
-
『オンライン講座/日本を先進国にした日露戦争に勝利した明治のトップリーダーたち①』★『日本イノベーションに学ぶ』★『軍事参議院を新設、先輩、老将軍を一掃し、戦時体制を築く』★『日露開戦4ヵ月前に連合艦隊司令長官に、当時の常備艦隊司令長官の日高壮之丞ではなく、クビ寸前の舞鶴司令長官の東郷平八郎を抜擢した大英断!』
日本リーダーパワー史(821)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争 …
-
-
世界一人気の世界文化遺産『マチュピチュ』旅行記(2015 /10/10-18>「朝霧の中から神秘に包まれた『マチュピチュ』がこつ然と現れてきた水野国男(カメラマン)⓶
★<世界一人気の世界文化遺産『マチュピチュ』旅行記 (201 …
-
-
日本リーダーパワー史(123)<辛亥革命百年(25)>犬養木堂と孫文の友情ー国民外交の重要性
日本リーダーパワー史(123) 辛亥革命百年(25)犬養木堂と孫文の友情 <日本 …
-
-
百歳学入門(239)<ネット・SNS・youtubeで健康長寿、ライフワークを完成する法>★『湘南海山ぶらぶら自由勝手にビデオ散歩して、youtubeにアップ、楽しく長生き創造生活する』
百歳学入門(239) 2012/02/16 …
-
-
世界/ 日本メルトダウン(912)『投資家に朗報、遠のく英EU離脱とトランプ大統領』●『英国EU離脱でも中国でもない、ジョージ・ソロスが怯える「第3の危機」』●『日銀緩和すでに「ヘリマネ」化、財政危機は杞憂=エモット氏』●『日本:20年後世界経済のトップに返り咲く、人口構造の若返りで=中国メディア』
世界/ 日本メルトダウン(912) コラム:投資家に朗報、遠のく英EU離脱とトラ …
