記事再録/知的巨人たちの百歳学(138)ー『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボルー 映画監督・脚本家 新藤兼人(100歳)-「仕事をしながら死にたい。それには一人で考える時間と空間と孤独、自由が必要」★『 宗教思想家 西田天香 (96歳)-「下座の行で便所掃除を徹底」「真の自由を望むならば、行き過ぎを戒めねばならない」
2015/11/05/知的巨人たちの百歳学(135)
映画監督・脚本家 新藤兼人(100)
、宗教思想家 西田天香 (96)に学ぶ
仕事をしながら死にたい。それには一人で考える時間と空間と孤独、自由が必要」
100歳 映画監督・脚本家 新藤兼人(1912年4月22日~2012年5月)
95歳にして今なお現役で活躍する世界最長老の映像作家、新藤兼人。老いというものをまったく感じさせない理由は独特の生活スタイルにある。
最愛の妻であった音羽信子を亡くしてからは一人暮らしを続けている。心配する家族が同居を申し出るものの、断り続けている。なぜなら「仕事をしたいからである。私は仕事をして生き、仕事をしながら死ぬものだと思っている。それには自由が欲しい。一人で考える時間と空間が欲しい。孤独であること、それが私の切なる願いである」。
糖尿からポリープまで、老人病といわれるすべてを抱えているが、
「仕事があるから病気は克服しなければならない」と、自ら考案した健康法を実践し続ける。
「規則正しい生活のすすめ」である。6時に起床、7時に朝食。食卓に必ず登場するのがトマトジュースとバナナだ。それから散歩。季節やその日の天気、気分に応じて自宅周辺をゆっくりと1時間ほど歩くが、歩きながらも人々を観察したり、空想に耽ったり、物語を作るなど、無駄がない。仕事先や打ち合わせの場所には約束の時間よりも早めに到着する。
「社会生活を営む最低条件、それは時間を厳守することである」。
時間に関しては自分にも他人にも厳しい。
「気持ちよさが創作の原点」である。部屋にいるときは真冬であろうとも裸足が気持ちよい。この感覚が脳を刺激し、シナリオのイメージを膨らませる。そしていまだに鉛筆でシナリオや原稿を書く。「自分の手で字が書きたいからである」。待たれる新作もこうした気持ちよさから生まれるに違いない。
————————————————————————-
「下座の行で便所掃除を徹底」「真の自由を望むならば、行き過ぎを戒めねばならない」
96歳 宗教思想家 西田天香 (1872年2月10日~1968年2月29日)
滋賀県長浜市の商家生まれ。当地の農民家族とともに北海道に渡って土地開拓事業を行う事業家として西田は20歳で出発した。
だが、開拓事業中に資本家と小作人の間で争議が起こり、西田の生活はこれを機に一変した。人とは何か、欲とは何かなど、西田は争いのない生き方を求道した。
その後、「争いの因となるものは食べまい」と決意し、堂で三日三晩の断食を実践したり、乳児の無垢な泣き声を耳にして覚醒し、「争いなき生活」を基本とする一燈園生活を始める。無一物を原点にして托鉢を基本とする生活であった。中でも下座の行」を徹底して行なった。「下座の行」とは禅でいう「作務」にあたり、掃除、食事、生活全般にかんする作業のことで、特に便所(トイレ)の掃除を一軒ずつ回って頼み込む托鉢での修行である。
明治37年、京都に「一燈園」を創始した。自然にかなった生活をすれば人は何物も所有しない、働きを金に換えないでも許されて生かされるという信条によるもので、懺悔の心を持って奉仕の生活を開始する。やがて、厳しい実践による生き方を記した『懺悔の生活』が大正10年に出版されると、一大ベストセラーとなり、西田の一燈園の名は全国に響き渡った。
だが、西田の願いとは裏腹に世の中は争いが絶えなかった。第一次世界大戦後の国際連盟発足と同時に、平和を願って六万行願と呼ばれる便所の掃除を全国各地で実践、さらに大正末から昭和初期にかけては朝鮮半島、中国東北部、アメリカなどに渡り托鉢を行いながら平和を訴えて「日本のガンジー」と呼ばれるまでになった。
祈りの生活を持続させる中、生活共同体が形成され、昭和4年、京都の山科に光泉林が開設され、西田は96歳までここを拠点に活動を続けた。そこでは今もなお、西田の教えを基本とする生活が実践されている。
関連記事
-
-
百歳学入門(44)カルピス創業者・三島海雲(96)の健康法>一に散歩、二に日光浴、三に食養生。早朝散歩と日光浴を毎日実行。
百歳学入門(44) <カルピス創業者・三島海雲(9 …
-
-
知的巨人の百歳学(118)ー『米雑誌「ライフ」は1999年の特集企画で「過去1000年で最も偉大な功績をあげた世界の100人」の1人に葛飾北斎(90歳)』(下)★『北斎の生き方を尊敬し、「Silver Yutuber」となってビデオ片手に鎌倉、全国をぶらり散歩しながら1日1万歩目標に「現代版富嶽百景」を撮影、創造力アップ、長寿力アップに努力』
知的巨人の百歳学(118) 知的巨人の百歳学(117)ー『米雑誌「 …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(201)』-冬の京都・三千院、比叡山延暦寺、湖西の石山寺、三井寺を周遊、『この数年ヨーロッパばかり回り、石造り建築の露骨な存在感に食傷しておりましたので、自然と一体となった日本の寺院建築の楚々とした佇まいに改めて魅了されました。』
2017/02/23   …
-
-
片野勧の衝撃レポート(80)原発と国家―封印された核の真実⑬(1988~96) 「もんじゅ」は世界に誇れる知恵ではない(上) ■チェルノブイリ以降も日本は原発に依存
片野勧の衝撃レポート(80) 原発と国家―― 封印された核の真実⑬(1988~9 …
-
-
「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『幕末、明治維新から約170年、日本を近代国家に発展させる基礎を築いたのは誰か?』★『勝海舟(76歳)であり、その大国難(徳川滅亡→明治維新を平和裏に遂行)突破力を学ぶ』『政治家の秘訣は正心誠意、何事でもすべて知行合一』★『すべて金が土台じゃ、借金をするな、こしらえるな』★『1千兆円(2012の時点)を越える債務をふくらませた政治を一喝、直ぐ取り組めと厳命)
2012/12/04 /日本リーダーパワー史(350)記事再録 「国家興亡史の第 …
-
-
『オンライン/日本政治史講座」★『 日本議会政治の父・尾崎咢堂の語る<150年かわらぬ日本の弱体内閣制度のバカの壁』★『 明治初年の日本新時代の 当時、参議や各省長官は30代で、西郷隆盛や大久保利通でも40歳前後、60代の者はいなかった』
『 青年の意気は天を衝くばかり。40を過ぎた先輩は遠慮がちであった』 2012/ …
-
-
『ぜひ歩きたい!鎌倉古寺巡礼①』★「鎌倉駅から10分の妙本寺の梅が咲き誇る」★『鎌倉・花と仁王像の妙本寺ーこの深閑とした森に囲まれた古刹はいつきても新たな発見、サプライズがあるよ①』
鎌倉ぶらぶら散歩日記・前坂俊之 Wiki 鎌倉・妙本寺」 https://ja. …
-
-
『世界一人気の世界文化遺産「マチュピチュ」旅行記』(2015 /10/10-18>「朝霧の中から神秘に包まれた『マチュピチュ』がこつ然と現れてきた」水野国男(カメラマン)⓶
2015/11/02★<世界一人気の世界文化遺産『マチュピチュ』旅行記 ( …
-
-
百歳学入門(156)生死一如、生きることは毎日死に向かって行進中。 「生き急ぎ、死に急ぎ、エンディングス トーリー」を考える。『 健康寿命が真実を示す~日本は寝たきり年数ワースト1位!?』●『どうなる? 日本の「死」と葬儀』
百歳学入門(156) 生死一如、生きることは毎日死に向かって行進中。 「生き急ぎ …
- PREV
- 記事再録/知的巨人たちの百歳学(137)ークイズ<超高齢社会>創造力は老人となると衰えるのか<創造力は年齢に関係なし>『 ダビンチから音楽家、カントまで天才が傑作をモノにした年齢はいずれも晩年』★『 ラッセルは97歳まで活躍したぞ』
- NEXT
- 記事再録/知的巨人たちの百歳学(139)-百歳学入門(92)「国難突破力NO1―勝海舟(75)の健康・長寿・修行・鍛錬10ヵ条」から学ぶ』★『⑨昔の武士は、身体を鍛えたが学問はその割にはしなかった。今の人のように、小理屈(こりくつ)を言うものは居なかった。一旦、国家に緩急の場合は決然と行動した。 ⑩学問に凝り固まっている今の人は、声ばかりは無暗に大きくて、胆玉(きもったま)の小さい。まさかの場合に役に立つものは殆んど稀だ。』
