人気記事再録/日本天才奇人伝③「国会開設、議会主義の理論 を紹介した日本最初の民主主義者・中江兆民―③<明治24年の第一回総選挙で当選したが、国会議 員のあきれ果てた惨状に「無血虫の陳列場」(国会)をすぐやめた>
2012/12/02明治24の第一回総選挙で当選したが、あきれ果てた国会議員の惨状に「無血虫の陳列場」(国会)をすぐやめた>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
明治十五年(一八八二)に土佐の赤岡海岸で、約二千人が集まって海南自由党の大懇親会が開かれた。この中で一際目立ったポロをまとい、頭には折笠をかぶり、腰にはミノをつけて走り回っている者がいた。
人々は不思議に思い、「狂人か、乞食かと、よく見れば「今、ルソーの中江兆民」であった。
●ある時、自由民権の集会に兆民は印ハンテンに腹かけ、股引きという大工、左官と同じスタイルで登場して演説して、聴衆を驚かせた。明治になっても、人々の士農工商の身分差別は変わりなかった。「平等」「自由」「人権」などの概念は西欧語の翻訳語として入ったもの。「すべての人は平等である」という兆民の「平民主義」を、聴衆にわかるように行動で示したのである。
●兆民は水浴びが大好き。ある夏、東京・新宿で、暑さにたまらず道端の大きな天水桶に飛び込んだ。人だかりができ、飛んできた警官が「道で水浴びして醜態をさらすのは犯罪にあたる」と命令した。
「お前が言うのは裸のこと、私は裸ではない」と兆民は立ち上がり、衣服のままを見せてもう一度、首までつかった。警官は立ち去った。
明治二十二年二月十一日、大日本帝国憲法が発布された。
●兆民は憲法を一読するや黙って苦笑した。お粗末な、〝憲法″と呼ぶにはほど遠い「ニセモノ憲法」であっだ。兆民は明治二十四年の第一回総選挙で、全く選挙運動をせず大阪郊外の被差別部落から立候補して当選した。しかし、土佐出身の先輩・板垣退助、後藤象二郎らが伊藤博文に買収されて藩閥政府に寝返って自由党を裏切ったことにあきれ果て、
「小生こと、近日アルコール中毒症相発し、行歩困難、何分採択の数に列し難く、よって辞職
つかまつり候」と辞表を出して、「無血虫の陳列場」の国会を去った。
つかまつり候」と辞表を出して、「無血虫の陳列場」の国会を去った。
●ノドに異常をかんじて医者に診てもらうと、喉頭ガンと診断された。兆民は「あとどれくらい生きていられるのか」とストレートに質問した。
「長くみて一年半の命……」と宣告された。それならば残された命を「一日たりとも多く利用せん」と考えて 『一年有半』を書き始めた。
「一年半、諸君は短促なりといわん。余は極めて悠久なりという。もし短といわんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり。百年も短なり。それ生時限りありて、死後限り無し」
当時、ガンの痛み止めの薬などなかった。
激痛と闘いながら一冊の参考書も手元になく書き上げた『一年有半』は一大ベストセラーになった。続けて『続一年有半』まで書きあげ、明治三十四年十二月十三日、五十四歳でなくなった。
『一年有半』の中で「大人長者の風あり、かつ今の世、古の武士道を存している者は、ひとり君あるのみ」と最も評価をされた頭山満が東京麹町の兆民宅を見舞いに行った。奥さんが「病人が毎日々々会わせてくれと、あなたの名前を書いております」という。
兆民は大変喜んで、頭山の手を握り涙を流した。しかし、喉頭ガンのため声が出ない。側の黒板に、バクボクで、「伊藤、山県だめ、後の事たのむ」「マダ、立ったっ」と書いて、拳を突き上げて、笑った。その日から一、二日してなくなった。
関連記事
-
-
<日本最強の外交官・金子堅太郎①>『ルーズベルト米大統領をいかに説得したかー驚異のディベート・テクニック①』
<日本最強の外交官・金子堅太郎①> ―「坂の上の雲の真実」ー 『ルーズベルト米大 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(572)☆「なぜ香川真司はドルトムントで復活したのか」◎「2戦連続弾の本田に高評価
日本メルトダウン脱出法(572) 本日の …
-
-
『日本占領・戦後70年』昭和天皇の『人間宣言』はなぜ出 されたのか②『ニューヨーク・タイムズ』などの『占領政策と天皇制』の論評
・ 『日本占領・戦後70年』 「1946年(昭和21)元旦の天皇の『人間宣言』は …
-
-
「Z世代のための台湾有事の歴史研究」②★『2023年台湾有事はあるのか、台湾海峡をめぐる中国対米日台の緊張関係はエスカレートしている』★『1894年(明治27)の日清戦争前夜の雰囲気に似てきた歴史の復習問題
前坂俊之(ジャーナリスト) 、徳川時代の鎖国政策で、小さな木造船さえ持つことを自 …
-
-
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2022年11月16日)-逗子マリーナ沖で大カワハギ(30㎝)をゲット。
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2022年11月16日)-逗子マリーナ沖で大カワハギ( …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(179)記事再録/★ 『本田宗一郎(84歳)』ー画家シャガール(97歳)に会ったいい話「物事に熱中できる人間こそ、最高の価値がある」★『私は生きていく大きな自信をもったのは貧乏な家に生まれたからだ』★『貧乏はクスリ、人生も企業も、一度貧乏とか不況とか克服すると一層強くなる』
2015/03/11 / 百歳学入門(105)の記事再録 …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究⑨』★『児玉源太郎の電光石火の解決力➄』★『児玉参謀次長でさえ、元老会議や閣議から除外されることが多かったので、軍部は国策決定の成否を知り得なかった。』★『児玉参謀次長に日露外交交渉の詳細が知らされなかった日本外交の拙劣ぶり』』
2017/05/29 日本リーダーパワー史(817)記事 …
-
-
鎌倉カヤック釣りバカ日記』回想録『人生とは重荷を負うて、遠き道を行くが如し』=「半筆半漁」「晴釣雨読」の「鉄オモリ」のカヌーフィッシング暮らし』★『15年後の今、海水温の1,5度上昇で、磯焼けし藻場も海藻もほぼ全滅、魚は移住してしまったよ!』
2025/02/05 2011/07/07記事再編集 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(776)「大阪ダブル選挙圧勝! 橋下維新「恐るべき強さ」の謎を解く」●「香港からも欧州からもいなくなる中国人観光客、 年末、年始は日本に殺到か?」●「貧乏老大国が目前の中国、夢も希望も捨てた韓国 アジアの少子高齢化(3)~国家消滅の危機にも」
日本メルトダウン脱出法(776) 「大阪ダブル選挙圧勝! 橋下維 …
-
-
百歳学入門(30) 『歴史有名人の長寿と食事① 天海、御木本幸吉、鈴木大拙、西園寺公望、富岡鉄斎、大隈重信
百歳学入門(30) 『歴史有名人の長寿と食事エピソード① 前坂 俊 …
