知的巨人の百歳学(128)ー大宰相・吉田茂(89歳)の晩年悠々、政治健康法とは①<長寿の秘訣は人を食うこと>『「いさざよく、負けつぷりをよくせよ」を心に刻み「戦争で負けて、外交で勝った歴史はある」と外交力に全力を挙げた。』
2013/11/04 記事再録/百歳学入門(83)
大宰相・吉田茂(89歳)の晩年悠々、政治健康法とは①<長寿の秘訣は人を食うこと>
『別刷歴史読本』「晩年長寿の達人たち」07年11月号掲載
前坂 俊之(ジャーナリスト)
1・・65歳で総理大臣に
六十五歳で総理大臣になった吉田茂は遅咲きである。日本が太平洋戦争で負けなければ、吉田は一介のへそ曲がりの外交官として生涯を終えていたであろう。敗戦という未曾有の国難に一時、囚われの身だった吉田は一挙に歴史の表舞台に返り咲き、六十五歳で宰相になった。普通ならばとっくに引退し、第二の人生に入っている年齢である。
もともと政治への野心はなかった。公職追放された鳩山一郎から自由党党首の後事を託された際、吉田は「人事に口をはさむな」「やめたいときはいつでも辞める」など虫のいい条件を出していやいや引き受けた。
昭和二十一年(一九四六)五月、第一次吉田内閣が発足したが、吉田の心境は正にマナ板にのった鯉であった。
鈴木貫太郎前首相からの忠言「いさざよく、負けつぶりをよくすること」を心に刻み「戦争で負けて、外交で勝った歴史はある」と外交力に全力を注いだ。
新たに支配者となったマッカーサーとさしで五分の外交を展開、そのユー モアとジョークで、マッカーサーの厚い信頼を勝ち獲った。マ・天皇会談が十 三回なのに対して、吉田は合計七十五回も面会しており、いかに強い信頼関係で結ばれていたかを示している。
強力なリーダーシップと戦略で吉田政権は七年余の長期におよび、この大混乱期をみごとに乗り切り、廃墟と飢えの中から経済、社会を奇跡的に再建し、高度経済成長の基礎を築いた。当時、「全面講和か」「単独講和か」で国論は真っ二つになっており、吉田の「早期単独講和」、首米安保条約締結の決断がなければ、日本の独立はもつと遅れ、こんなに早く経済大国になることはなかったであろう。 その点で、「終戦後の大混乱を上手く乗り越えられたのは、天皇陛下と、日本を理解してくれたマ元帥のおかげである」と深く感謝しており、周囲の者に常々話していた。
2・・悠々自適の生活
昭和二十九年十二月、「造船疑獄」で吉田は政権を投げ出した。すでに七十六歳。神奈川県大磯の三万六千坪という広大な邸宅「海千山千楼」に引っ込んで、悠々の晩年を送った。その名の由来は「訪問者が海千山千の連中ばかりなので……」と彼一流のユーモアで煙に巻いた。
退陣しても、政権運営している吉田学校の教え子たちから、〝元老″に祭り上げられて、大磯詣で政治家、要人は引きも切らずの、その〝リモート.コントロール″が話題となった。
この大邸宅の効用について「このごろは外国からのお客さんを接待するものがいなくなったからね。以前は三井や住友がやっていた。それをと風刺漫画家・清水箆に話している。
二階の居間兼書斎からは、吉田の大好きな富士山と相模湾がパノラマのように一望できた。当時珍しかった曲面ガラスを使用したサンルームもあり、どの部屋からも富士山が見えるように設計してあった。この広大な邸宅で、政治の行く末を見守りながら、後添えのこりんと住み込みの執事、コック、看護婦ら六人の使用人と悠々自適の生活を過ごした。
トレードマークの和服、白足袋、葉巻は相変わらずで、新聞は毎日『ロンドン・タイムズ』に目を通し、愛読書は英国のユーモア小説や捕物小説『銭形平次』、食事ではウイスキーとビーフステーキなどを欠かさなかった。
吉田は長い外交官生活から美食家と思われがちだが、そうではなかった。ただ、食には彼一流のこだわりがあった。アルコールは日本酒、ウイスキー、コニャック、ワイン、シェリー酒など何でもござれ。ただし、ウイスキーはジョニーウオーカーの黒、シェリー酒はスペインもの、ワインにもうるさかった。
昔は日本酒一点ばりだったが、酒の肴はウニ、カラスミのたぐいはだめ、サシミも厚いものより薄手を好んだ。八十歳を過ぎてからは、その日本酒もプツツリやめて洋酒一身党になった。好物は目玉焼き、豆腐、湯豆腐、はんぺん、いもの煮っころがしなどだった。
吉田の長寿は、ひとえにその気概にある。大久保利通、岳父の牧野伸顕(宮内大臣)の家系からくる国士、臣茂と揮ごうした愛国者としての強烈な国への思いである。
3・・長寿の秘訣は人を食うこと
西ドイツのアデナウアー首相の「常に何かひとつ、しゃくの種をもっていることこそが、長寿の秘訣だ」との言葉も愛し、「長生きの秘けつ!だって、そりゃカスミを食うことだよ、いや人を食うことだな」と冗談を飛ばしては大笑いしていた。
昭和三十八年十月、八十五歳となった吉田は政界から完全に引退した。
しかし、〝大磯参り″が政界の流行語になり、静かな楽隠居というわけにはいかなかった。依然、吉田は日本での最高実力者であった。難しい外交問題が最後には持ち込まれ、吉田も老体に鞭打って奔走した。
昭和三十九年二月には、日中貿易、政治懸案を処理するため、首相の特使として台湾に飛び、蒋介石とさしで会談して、解決した。その二ヵ月後の四月五日、マッカーサー元帥が亡くなった。周囲が海外旅行での健康を心配する中で、直ちに娘の麻生和子を連れて米国に飛び立って葬儀に列席した。
何が何でも、「マ元帥の恩義に日本を代表して感謝しなければならぬ」という一念だった。
関連記事
-
-
日本メルダウン脱出法(657)「中国人の李小牧が帰化して新宿区議選に出る理由「当選すれば、民主主義のない中国は大打撃」ほか6本
日本メルダウン脱出法(657) 「中国人の私が帰化して新宿区議選に出る理由 …
-
-
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2022年5月24日)忍者・カワハギ君と久さしぶり決闘、逗子マリーナ沖の魚クンにもご挨拶しましたよ.
24日午前5時半、川越名人とスタート。快晴、無風、ブルースカーイ、富士山がかすん …
-
-
『『オンライン/藤田嗣治講座②』★「最初の結婚は美術教師・鴇田登美子、2度目は「モンパルナスの大姉御」のフェルナンド・バレー、3度目は「ユキ」と名づけた美しく繊細な21歳のリュシー・バドゥ』★『夜は『エ・コールド・パリ』の仲間たちと乱ちきパーティーで「フーフー(お調子者)」といわれたほど奇行乱行をしながら、昼間は、毎日14時間以上もキャンバスと格闘していた
2008年3月15日 「藤田嗣治とパリの女たち」 …
-
-
知的巨人たちの百歳学(165)ー『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル・植物学者・牧野富太郎(94)植物学者・牧野富太郎 (94)『草を褥(しとね)に木の根を枕 花を恋して五十年』「わしは植物の精だよ」
94歳 植物学者・牧野富太郎 (1862年5月22日 …
-
-
速報(221)『日本のメルトダウン』ロバート・フェルドマン氏と富士通総研・柯隆氏の今年の世界、中国経済の見通し』
速報(221)『日本のメルトダウン』 ★『ロバート・フェルドマン氏 …
-
-
日本リーダーパワー史(810)『明治裏面史』 ★『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス㉕ 『日英同盟の核心は軍事協定で、そのポイントは諜報の交換』★『日露開戦半年前に英陸軍の提言ー「シベリヤ鉄道の未完に乗じてロシアの極東進出を阻止するために日本は一刻も早く先制攻撃を決意すべき。それが日本防衛の唯一の方法である。』
日本リーダーパワー史(810)『明治裏面史』 ★『「日清、日露戦争に勝利』した …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(88)記事再録/★ 『拝金亡者が世界中にうじゃうじゃいて地球の有限な資源を食い尽し、地球環境は瀕死の重傷だ。今回のスーパー台風19号の重大被害もこの影響だ』★『9月23日、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンペリさん(16)が「人々は困窮し、生態系は壊れて、私たちは絶滅を前にしているのに、あなたがたはお金と永続的経済成長という『おとぎ話』をよくも語っているわね!若者は絶対に許さない』と国連に一堂に介した各国の首脳たちをチコちゃんにかわってをしかりつけた。会場に突然、現らわれたトランプ大統領を刺すような強烈な視線でにらみつけた。。彼女にこそノーベル地球賞を与えるべきだったね』★『 今回も百年先を見ていた 社会貢献の偉大な父・大原孫三郎の業績を振り返る②」 つづく
2012年7月16日 /日本リーダーパワー史(281)記事再録 < …
-
-
正木ひろし弁護士の超闘伝⑧全告白・八海事件の真相ー真犯人良心のうずきから「偽証を告白」
◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦い …
-
-
『世界漫遊/ヨーロッパ・パリ美術館ぶらり散歩』★『ピカソ美術館編⑦」★『(5/3日)⑦ピカソが愛した女たち「マリ=テレーズ・ワルテル」』
2015/06/03『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッ …
-
-
『 Z世代のためのス-ローライフの研究』★『元祖ス-ローライフの達人・仙人画家の熊谷守一(97歳)のゆっくり、ゆっくり、ゆっくり』★『小学校の時、先生はいつも「偉くなれ、偉くなれ」というので、「みんなが、偉くなったら、偉い人ばかりで困るのではないか」と内心思った』
2023/11/12の「」百歳学入門」の記事再録 <写真は5月29日 …
