前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『鎌倉紅葉チャンネル』鎌倉大仏を見物に行くなら、すぐ先の800年 前の錦秋の「大仏切通」(古道)を 見に行こう(12/07)」

      2015/01/01

 鎌倉通―鎌倉紅葉チャンネル』

 

鎌倉大仏を見物に行くなら、すぐ先にある800

前本物の錦秋に染まる「大仏切通」(古道)を

見に行こう12/07)」

 

         前坂 俊之(KAMAKURAウオーカー)

 

 

鎌倉大仏を見物に行くなら、すぐ先にある800年前本物の「大仏切通」(古道)を見に行こう

http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/det…

鎌倉駅からバスで藤沢方面行きに乗り、大仏トンネル、打越の次の「火の見下」で下車す­る。道路の渡り直前のバス停横2メートルにある細道をはいる。こんな民家の間を通って­よいのかとおもわれるほど狭い通路だが、迷惑にならないように静かにぬけて、山に突き­当たる
と、いきなり鎌倉特有の深山幽谷的な風景が広がって感動する。
大仏切通は高さ5ー10メートルほどの岩崖を切り開いた切通が100メートルほど続
くが、朝比奈や名越とは風情は違い、苔むして古色蒼然とした岩崖の迫力は鎌倉七切通で­はここが一番であろう。


鎌倉時代の自然を感じられる場所としてもここが最高のスポットと思う。

民家と道路のすぐとなりに、こんな豊かな自然文化を保存している鎌倉のすばらしさを感­じるところである。ただし、通りぬけする民家に騒音や迷惑はかけないように、しずかに­、大事に訪れたい。

 大仏坂の切り通しが開かれた時期は、仁治元年(1240)に巨福呂坂切り通しが着工さ­れ、朝比奈切り通しがその翌年に着工されたのと同じころであろう。それは大仏建立の工­事とも関連があったと思われる。
 鎌倉の大仏は、吾妻鏡の暦仁元年(1238)三月二十三日の条に「今日、相模国深沢里­大仏堂事始也」と初めて出ており、寛元元年(1243)六月十六日の条には、その供養­が行われたことが記されている。当時の大仏は木像であったことが、東関紀行で知ること­ができる。



 大仏坂北方常盤の谷の御所ノ内に、七代執権北条政村の屋敷があった。これは極楽寺口前­面の北条重時の屋敷と同じく、大仏坂口の押えの役割をもっていた。
吾妻鏡には、康元元年(1256)八月二十三日に将軍宗尊親王が政村邸を訪れたこと、­また弘長三年{1263)二月九日に政村邸で一日千首の和歌の会が開かれたことが記さ­れている。
 藤沢から大仏坂に向かう道の傍ら常盤の谷の入り口近く、常盤御所の硯水と伝える良質の­水のわく井戸がある。この地は旅人が足を休めるゆう水地の一つで、また政村邸の和歌の­会のときなどは、すずりの水に使用されたものであろ
.
 大仏坂道は、硯水の東方のやぐら(中世の納骨くつ)群の前から丘陵にかかり、現在の大­仏トンネルの上を通り大仏前に下った。

 

 大仏坂道は、硯水の東方のやぐら(中世の納骨くつ)群の前から丘陵にかかり、現在の大­仏トンネルの上を通り大仏前に下った。

 藤沢には鎌倉時代後期の正中二年(一三二五)に、時宗開祖一遍から四代目の春海により­西富の地に清浄光寺(遊行寺)が建立された。北条、足利両氏も同寺建立に積極的援助を­したと伝えられ、関東管領上杉氏の帰依も厚かった。
 また西富や隣りの大鋸は、その門前町として発展した。これらの地から弥勒寺(藤沢市)­を経て柏尾川を古館橋付近で渡り、深沢の谷から大仏坂に向かう道の利用が盛んになった­ものと思われる。(「かながわの古道」阿部正道著、神奈川合同出版、昭和56年刊)

前坂俊之YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/user/TOSHIYUK…

前坂俊之オフィシャルウェブサイト 地球の中の日本、世界史の中の日本
http://maesaka-toshiyuki.com/

●- 311after 日本・世界・地球の未来はどうなるのか
http://www.japanesemission.com/default

 

同じカテゴリーの記事

湘南海山ぶらぶら日記
★4 『盛夏の鎌倉、逗子、葉山の海岸ぶらぶら散歩はステキ!だよ』鎌倉材木座、逗子、森戸、真名瀬、一色海岸へ
『鎌倉通―伝統行事をみる』≪2014年、鎌倉鶴岡八幡宮での節分祭(2/3)を見に行った、『福は内』までの全中継です」
熊本・天草の「聖地巡礼」に往く①「島原・天草の乱」舞台の富岡城址などを訪れる>江藤則幸のビデオレポート

この記事のキーワード

この記事についてのコメント コメントは承認制です。承認後公開されます。

コメント

ニックネーム

 - 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

新著刊行しました !★『人生、晩節に輝く(長寿逆転突破力)』(日経新聞出版社 2022年6月刊 1700円+税)★『渋沢栄一は「人の生涯を重くするか、軽くするかは、一にその晩年にある。人は晩年が立派でありさえすれば、世間はこれを許してくれる』  

   前坂俊之著『人生、晩節に輝く(長寿逆転突破力)』(日経 …

『 リモートワーク/魚クンと遊ぶ動画(20分)/鎌倉カヤック釣りバカ日記(2020/5/27am8)』★『-逗子マリーナ沖で大カワハギ(28センチ)、大サバを連発、6月のベストシーズンへ』★『魚クンが遊びに来ないときは、まき餌をしながら浮雲と波のデザインを楽しむ』

  『鎌倉カヤック釣りバカ日記』(2020/5/27am8)-逗子マリ …

no image
日本リーダーパワー史(975)-「メジャーを制したイチロー引退」―『天才とは学習の産物である』★『イチローは「考える人」であり、「自分の努力をボールを打つ感覚で的確に表現できた詩人、肉体を極限まで鍛え上げて野球場でパフォーマンスした創造者でもある』

「メジャーを制したイチロー引退」―天才とは学習の産物である。           …

『オンライン講座/引き際の研究①』★『日本リーダーパワー史(102)日本一見事な引き際・伊庭貞剛の晩晴学②』★『  有害なのは青年の過失ではなく、老人の跋扈(ばっこ)である>  <無能で見識のないリーダー、政治家の跋扈(ばっこ)が国をつぶす。』>

2010/10/25  日本リーダーパワー史(102)記事再 …

『オンライン講座/『生死一如ー 鈴木大拙師(96歳)を偲んで』★『敢えて、今日から明日へ、来年また来年と、将来に希望をかけることが私の九十三歳の健康法だ』●『特別に健康のことを考えて暮らすわけではないが、わしは過去のことは考えんな。いつも未来のことを考えておる。あれをしなくてはならぬ、これをしなくてはならぬとな』

    2017/03/30 &nbsp …

『Z世代のために<日本史上最大の英雄・西郷隆盛の即断・即決のリーダーシップ>の研究⑰』★『『山県有朋が恐る恐る相談すると、西郷は言下に「至極、結構なこと」と了解し、断固実行した」(徳富蘇峰『近世日本国民史』(明治の三傑))』

2012-03-24 /日本リーダーパワー史(246)記事再録   & …

『Z世代のための百歳学入門』★『物集高量は(元朝日記者、大学者、106歳)は極貧暮らしで生涯現役、106歳の天寿を果たした極楽人生の秘訣①』★『父・高見は「学者貧乏、子孫に学者は出さぬ」と遺言したが、息子・高量のハチャ、メチャ流転人生』①

『日本一の大百科事典を創るため土地、家屋、全財産をはたいて破産した明治の大学者( …

日本リーダーパワー史(565)『超高齢社会日本』のシンボル・107歳平櫛田中翁に学べ<ギネス世界長寿芸術家の気魄・禅語・長寿名言10ヵ条>

日本リーダーパワー史(565) 『超高齢社会日本』のシンボル・107歳平櫛田中翁 …

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(21)』『オーストリア・ウイーンぶらぶら散歩』「シュテファン大聖堂」でモーツアルトを想う。

2016/05/26『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(167)』 …

『Z世代への昭和史・国難突破力講座』★『戦後政治の礎を築いた大宰相・吉田茂首相のインテリジェンスと胆力・ユーモア』★『マッカーサーと昭和天皇の会談が13回、 吉田は合計75回も面会した』●『大往生(89歳)の秘けは「カスミを食うこと、いや人を食うことだな」

  2016/02/11 /日本リーダーパワー史(666) 昭和の大宰 …