日本リーダーパワー史(146)国難リテラシー・『大日本帝国最期の日』(敗戦の日) 陸軍省・参謀本部はどう行動したのか④
いま、歴史からもう一度学ぶ必要がある。
ぼう然自失する者、「承詔必謹」、大御心に従って行動すると決意する者、浮き足だつ者、ショックで放心する者、混乱とパニックが一挙に押し寄せて混乱の極にあった。すでに九日の第一回目の聖断以来、「断末魔になっても軍の抗戦意識は、平時の心理状態では想像もつかぬほど絶大なものであった」(『大東亜戦争の収拾』松谷誠著、芙蓉書房)という陸軍内の雰囲気をいかに鎮静させるか。
一方、徹底抗戦を貫き、クーデターを起こしても、本土決戦に持ち込もうとする陸軍省軍務局などの若手、少壮組の抗戦派。この二つに分裂していき、「何が起こるかわからぬ混乱状態」に陥っていった。
すでに陸軍省の庭のあちこちからは、機密書類を焼く煙が立ちのぼっていた。東京湾の近くに来ているという米軍上陸船団のデマやウワサが、大きな渦となって飛びかった。
軍規弛緩による混乱とパニックで、浮き足だってきたのである。
阿南陸相の秘書官・林三郎は『終戦ごろの阿南さん』(『世界』昭和26 年8 月号)の中
でこう書いている。
「クーデターを計画した将校や八・一五事件を起こした将校も、この噂を信じていた。彼らは、米国は強力な上陸船団を背景にして、日本に無条件降伏を強要しており、その船団の上陸は、極めて近い将来に違いないと判断していた」
このため、上陸してきた米軍に大打撃を与えることにより、無条件降伏を緩和させることができると本気に考えていた。クーデターを計画した将校ばかりでなく、阿南陸相もこのウワサを本当と思い込んでいた節がある。
この考えは、阿南の一時的な迷いといったものともとれるが、陛下の大御心に従い終戦するに当たり、陸軍の栄光と名誉を少しでも傷つけぬ方向での収拾を必死で模索していたのである。どのようにして混乱を最小限度にとどめるか、陸軍の項点に身を置くものとして最大の課題であった。阿南陸相の立場は鈴木首相以上に困難を極めていた。
大臣室に若手将校ら約二十人が集まり、クーデターを計画中の軍務局の畑中健二少
佐、井田正孝中佐らも必死の形相で説明を待っていた。「即時終戦の聖断が下った。力およばず諸官の信頼に副えなかったことをおわびする」
一人が大臣の決心変更の理由を聞き質すと、阿南は『言うまいと思っていたが』と前
置きし、「畏くも陛下が、この阿南の手をとって、涙を流しながら『阿南よ、お前たちの気持ちはよく分る。苦しいであろうが我慢してくれ。
国体のことは大丈夫であると朕は確信するからお前もそう思ってもらいたい』と仰せられた。自分としてはこれ以上、何も申し上げる事はできなかった」
ここで一旦言葉を継いで、語気を強めて
「もし諸官で、これでも納得がいかぬというなら、まずこの阿南を斬れ。…阿南を斬っ
てからやれ」と激しく言い放った。(『雄話大東亜戦争の精神と宮城事件』西内雅、岩田正孝、日本工業新聞社刊)この時、畑中少佐が絶叫に似た大声をあげて泣き始めた。みんな一瞬アッケにとられた。阿南は中座していた首相官邸の閣議に向かった。
4・・参謀本部の八月十四日
「比較的鎮静を感じさせた参謀本部内も今日(十四日)午後にいたって、さすがにいささか動揺の徴あり、廊下に血走るような隻眼涙ふく隻頬の往き来するにも会う」(『河辺虎四郎回想録』毎日新聞社刊、昭和五十四年)
この動揺を抑えて、陸軍省、参謀本部が一本にまとまるためには、署名して将校に厳達してほしいとの意見が参謀本部第一部長の宮崎周一中将から出された。
河辺はこれに賛成、若松陸軍次官の同意を得て、三人で陸軍大臣応接間で会談中であった杉山、畑両元帥、梅津参謀総長、土肥原教育総監のところへ入り、河辺次長が「陸軍としていかに今後進むべきであるか、を明確にお決め願いたい」と申し出た。
即座に「その通りだね」と畑元帥がと賛成したが、他は誰も発言しない。
河辺が「この際、何の議論もないと思います。聖断に従って行動するだけと存じますが…」というと、全員賛意を表わしたが、畑元帥だけが「僕は同意だ」と口に出した。直ちに「皇軍ハ飽クマデ聖断二従ヒ行動ス」と書き、これにサインしてもらった。帰ってきた阿南陸相も異議はなく、全員が署名し、捺印した。
一方、陸軍省では午後三時から課員以上全員を第一会議室に集めて、阿南陸相が訓示。「今後、皇国の苦難はますます加重せられるが、諸官においてはもはや玉砕は任務を解決する道ではない。泥を食い、野にふしても、最後まで皇国護持のため奮闘せられたい」
支部派遣軍からは「(終戦は)実行不可能。戦争遂行に邁進すべく御聖断あらんことを伏して祈る」との電報が返ってきた。事態はどう推移するか、未だ予断を許さぬ状況だった。
5・・阿南陸相は終戦への意志を自決で示す
タイミングを見計らつて自決し、終戦の不可避なことを身をもつて全陸軍に知らせ燃え上がる抗戦意識に水を注ぐ。天皇の聖断と同じく、陸相の自決が不可欠とみえた。
十四日午後十一時、すべての終戦手続が終了したあと、阿南は首相官邸をたずね、鈴木首相にいとまごいをした。その前には、ことあるごとに対立した東郷外相にも、非をわび、同じくいとまごいをすませていた。
十五日午前七時十分、陸相官邸で割腹自殺した阿南は絶命した。衛生課長出月三郎大佐の鑑定では「下腹部へそ下一寸の所に左から右へ引いた創があった」
割腹から絶命までに時間がかかったのは頸動脈が切れていなかったためであった。
6・・『遺書』 一死以て大罪を謝し奉る
「一死以て大罪を謝し奉る
昭和二十年八月十四日夜
陸軍大臣阿南惟幾 花押」
「大君の深き恵に浴し身は言ひ遺すへき片言もなし
八月十四日夜、陸軍大将 惟幾」
阿南の最期の様子は平常と全く変らず、疲労の色もなく、若松次官は「進退堂々、挙措典雅、悠々迫らず、いつも微笑をたたえた温顔を、最後の日まで変りなく保ちつづけたことに驚きを禁じ得ない」(『一死 大罪を謝す』角田房子著 新潮社)
用意万端整えた上での見事な自決であった。連絡を受けた妻綾子の態度も落着いており、平生とかわりなかった。ちょうど前日(十四日)に戦死した阿南の二男惟是の戦友が訪れ、戦死の模様を報告したいとして阿南家に宿泊していた。
綾子は夫にこのことを何度も連絡したが、結局とれずじまいだった。
十五日朝、夫の自決を知らされた綾子は相次いで息子と夫の死に向かいあうことになった。
換言すれば大臣の自刃は、天皇の命令を最も忠実に伝える日本的方式であった」(同前掲書)
1 大本営ノ企画スル所ハ、八月十四日、詔書ノ主旨ヲ完遂スルニアリ
2 各軍ハ、別二命令スル迄、各々現任務ヲ続行スベシ、但シ、積極的進攻作戦ヲ
中止スベシ。又軍紀ヲ振粛シ、団結ゴノ強固ニシテ、一途ノ行動二出デ……
また『機密終戦日誌』 には次の記述がある。
1 次官閣下以下二報告
2 十一時二十分、椎崎、畑中両君宮城前(二重橋卜坂下門トノ中間芝生)ニテ自
決、午後屍体ノ引取リニ行ク
3 大臣、椎崎、畑中三神ノ茶毘、通夜、コレテ以テ愛スル我ガ国ノ降伏経緯ヲ一応
潤筆ス
「すべては終った。残されたことは退り際をよくするだけのことである。大東亜全域に各種それぞれちがった状況で散らばっている大陸軍を、どうして整斉と解体するか。
十四日の私にはとても考えられなかった。ほんとうに放心に近い心境であったが、最後の御奉公と気を取り直して……」
十五日夜、市ヶ谷台の海軍重砲西側で、阿南の遺体は茶毘に付された。陸軍省ではこの日、書類を焼く煙が一日中たちのぼっていた。
「斯クテ、我ガ大陸軍七十余年ノ盛衰ハ阿南大将ノ自決ヲ以テ終止符トナスベキカ」
帝国陸軍は精神主義を全面に押し出し将兵を教育してきた。そして最後は竹槍でもつて米軍を撃破すると絶叫したが、陸相の自決で降伏を徹底させたあたり、いかにも日本陸軍らしい最期ではあったといえる。
<前坂俊之『大日本帝国の最期』 新人物往来社 2003年7月刊より転載>
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