日本リーダーパワー史(359)1週間でGHQが作った憲法草案『憲法9条(戦争・戦力放棄)の最初の発案者は誰なのか⑥』
2015/01/01
日本リーダーパワー史(359)
<『わずか1週間でGHQが作った憲法草案>
●<クイズ>『憲法9条(戦争・戦力放棄)の
最初の発案者は一体誰なのか⑥』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
②昭和天皇説
「第九条の発想者は天皇だった」―という新説は1975年(昭和50)、元毎日新聞記者、国際事件記者の大森実が打ち出した。大森はマッカーサー憲法原案の起草者、チャールズ・ケーディス(GHQ民政局次長)に直撃インタビューして引き出した結論である。
大森の質問に対して、ケーディスは「誰が最初のサゼスチョンをしたか知りませんが、第九条の文言は私が書いたのです。私が第九条の文言を書いたとき、ホイットニーから手渡された黄色い一枚の紙片(マ3原則)を基礎とした。
この3原則はマッカーサーが書いたのか、ホイットニーが書いたのか、私は知りませんでした。私は心の中で、この発想は天皇から出ているものと考えて書きました。幣原でもない。
マッカーサーでもありません。その理由は天皇の人間宣言です。あの詔書の中に貫かれていたのは天皇の神格否定と徹底的平和主義です。私はこれはおそらく、政策の手段としての戦争放棄を述べたものではないかと思ったのです。そこで私は、戦争法規条項は天皇のアイデアだったのではないかと思ってもみたのです」
と『マッカーサーの憲法』(講談社・昭和50年刊)で答えた。
これを唯一の特ダネ証言として「幣原でも、マッカーサーでもない。天皇の人間宣言が真の発想者だった」と大森は結論づけているが、裏付けの材料、根拠が不足している。
天皇自身がこれについて言及していないし、天皇も幣原と憲法草案の内容について事前に十分、話し合ったこともなく、天皇が幣原にサゼスチョンもした事実はない。幣原、マ元帥のこれへの言及もないだけに、ケーディスの“推論的な発言”だけでは弱い。
このほか、昭和21年1月中旬に、ホイットニーとケーディスが『天皇が戦争放棄の詔勅を出す考えはないか、そうすれば国際的にいいイメージを与えられる』と幣原首相に、サゼスチョンを与えたことがあり、これが同月24日のマ元帥、幣原会談で幣原発言に影響を与えたのではないかと見る「ケーデイス・ホイットニーの共同発案説」も米大学の日本憲法研究者から出されている。
③では一体誰なのか!?
以上、いろいろな説を検討してきたが、誰がその最初の発案者なのか、再び振り出しに戻った感じだが、これからは筆者の推測である。
マ元帥の3原則のルーツは1月24日の元帥、幣原会談にあり、ここでの会話が9条の文言そのものになったのか、これを固めるきっかけになるほど大きな影響を与えたことは間違いないであろう。
それは2人の驚き、感動を見れば理解できる。この時の幣原はペニシリンのお礼と同時に、天皇への戦犯追及を避けること1点に主眼において、マ元帥の腹の内と連合国の意向を探ろうとした訪問であって、敗者の生き残りをかけた心境からのおもねる発言であり、決して本音からの発言ではなかったのではないか。
一方、マッカーサ元帥の腹はすでに天皇を戦犯として追及せずで固まっており、極東委員会の反対、介入を押さえ込むための日本軍の戦力無力化の規定を憲法にどう盛り込むかで頭を痛めており、たまたま幣原の口から同じ趣旨の発言が飛び出したことに感動、共感したのである。
勝者と敗者の2人の思惑は見事にすれ違っていたが、天皇制の維持と戦争放棄条項が極東委員会内部で天皇制廃止論を抑えるためにも必要であるという認識では完全に一致していた。どちらが先に言い出したか、よりも2人の強い共感、共鳴によって9条の発想は生まれたのであり、マ元帥が主導して、文言としたのであろう。幣原が本気で戦争、戦力放棄条項を考えてなかったことは、その閣議での発言や側近に熱心に話し、条文を盛り込むための裏付ける行動をとってないことからもみても明らかだ。
2月1日の毎日のスクープで見た政府草案と幣原発言とのあまりの乖離に激怒したマ元帥は自ら3原則を書き上げて、憲法草案作りを指示した。
幣原が本意でなかったことは2月21日の2人の会談で、元帥は憲法草案を自画自賛して「軍に関する規定を全部削除した。日本のためには戦争を放棄すると声明してモラル・リーターシップをとるべきだと思う」と述べたのに対して、途中で、あえて幣原は口を挟んで「他国でこれに従うものはないであろう」と否定的な見解を表明しており、これを裏付けている。
幣原は1951年3月10日になくなったが、マ元帥が9条の幣原説を名前をはっきり挙げて言い出したのは朝鮮戦争でトルーマン大統領に罷免された後の昭和26年5月5日の米上院の公聴会からである。
朝鮮戦争直前には「もし、私の銅像が立てられることがあるなら、太平洋戦争の勝利のためではなく、憲法第9条を制定させたことによるであろう」(マーフィー著『軍人ののなかの外交官』と9条が自分の最大の功績だと発言しているのだ。
ところが、25年6月25日 朝鮮戦争が勃発すると、2週間後には吉田首相に警察予備隊の創設を命じ、自画自賛していた9条を破ってしまった。マッカーサーは国際情勢の急変を見通すことができなかった自らの不明を恥じ、9条を与えたことを後悔したのであろう。
憲法を改正した4年前とは国際情勢は180度変わって、日本は対ソ連、共産主義への防波堤の役割を担わされることになったが、マッカーサーが武力を取り上げて、押し付けた平和憲法が今度は米国にとっては足かせとなってしまった。
朝鮮戦争の失敗でマ元帥は罷免され、その名声も地に落ちてしまった。米議会でも「誰がこんな9条の日本憲法をつくらせたのか」ーと問題化して、マ元帥の責任追及の火の手が上がってきた。ここで、マ元帥は「9条の発案者は自分ではなく、幣原首相である」と名前をはっきり出すことで責任を回避して、すり替えたのではなかろうか。
(終わり)
関連記事
-
-
片野勧の衝撃レポート(76)★原発と国家【封印された核の真実】⑫(1981~84)風の谷のナウシカーイスラエルが建設中のイラク原子炉を攻撃(上)
片野勧の衝撃レポート(76) ★原発と国家―【封印された核の真実】⑫ (1981 …
-
-
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟の清国への影響」⑦1902(明治35)年2月24日 『申報』『日英同盟の意図は対ロシア戦争ーこの機会に乗じて富強に尽力すべし』★『日本はロシアを仇とし『臥薪嘗胆』しロシアを破ることを誓っているが、自国の戦力、財源は 豊かではないので、イギリスを盾にした。』
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟は清国にどうはね返るか …
-
-
片野勧の衝撃レポート(77)★原発と国家【封印された核の真実】(1981~84)⑬■官房副長官として7人の首相に仕えた 石原信雄氏の証言(下)
片野勧の衝撃レポート(77) ★原発と国家―【封印された核の真実】⑬ (1981 …
-
-
日中北朝鮮150年戦争史(28)『「米国は旗色を鮮明にせよ」と元米国防総省日本部長 尖閣問題に米国はどう関与するのか(古森義久)」●『中国を弱体化させるには韓・露との関係改善が必要だ』●『海自とアメリカ第7艦隊の戦力分散を画策する中国 中国軍がこの時期に日本海で軍事演習を行った理由』●『日本から中国の我が家に帰宅、この寂しさは何だろう 李さん一家の「はじめての日本」~帰国後の振り返りの巻』●『ワシントンで「毛沢東」国際シンポジウム――日本軍と共謀した事実を追って』
日中北朝鮮150年戦争史(28) 「米国は旗色を鮮明にせよ」と …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(188)記事再録/近代のルネッサンス的巨人・日中友好の創始者・岸田吟香は『230年ぶりに上海に住んだ最初の日本人』★『ヘボンと協力して日本最初の和英辞典を出版、毎日新聞主筆、目薬屋、汽船、石油採掘、盲人福祉など10以上のベンチャービジネスを興した巨人』
2013/01/29 日本天才奇人伝④記事再 …
-
-
池田龍夫のマスコミ時評(12)大詰めの「沖縄返還密約文書開示訴訟」91歳の吉野・元アメリカ局長の証言
池田龍夫のマスコミ時評(12) 大詰めの「沖縄返還密約文書開示訴訟」 91歳の …
-
-
速報(379)『日本のメルトダウン』『1月12日 ラジオ・フォーラム初回特別版「原発事情の今・小出裕章」『天野之弥 IAEA事務局長会見』
速報(379)『日本のメルトダウン』 ◎『1月12日 ラ …
-
-
速報(378)『日本のメルトダウン』●『日本の新内閣:未来に背を向けて』●『外国人投資家の「安倍トレード」はまだ続く』(海外紙報道)
速報(378)『日本のメルトダウン』 ●『日本の新内閣:未来に背を …
-
-
『ウクライナ戦争に見る ロシアの恫喝・陰謀外交の研究⑦』★日露300年戦争(3)★『『露寇(ろこう)事件とは何か』―『教科書では明治維新(1868年)の発端をペリーの黒船来航から書き起こしている。 しかし、ロシアの方がアメリカよりも100年も前から、日本に通商・開国を求めてやってきた』
2017/11/16日露300年戦争(3) 『元寇の役』 …
-
-
速報(82)『日本のメルトダウン』●『<循環注水冷却>はうまくいかないー2策、3策に英知を結集し、国家対策で取り組め』
速報(82)『日本のメルトダウン』 ●『<循環注水冷却>はうまくいかないー2策、 …
