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片野勧の衝撃レポート『太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災⑱』 『なぜ、同じ過ちを繰り返すか』
原町空襲と原発<上>

   

  片野勧の衝撃レポート

 

太平洋戦争<戦災>と<311>震災⑱

『なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すか』

 

原町空襲と原発<上>


片野勧(ジャーナリスト)

 

 

南相馬市の、とある詩人

 

私は南相馬市へ飛んだ。詩人・若松丈太郎さんに会うためである。南相馬市は22,700世帯、66,300人が暮らす街だが、ほとんどの店は閉まっていた。2011年11月9日。時計の針は午後3時を回っていた。原ノ町駅近くの自宅で1時間ほど話を聞いた。

彼の生まれは岩手県だが、福島大学で学んだことや妻が南相馬市出身ということから、相馬市の相馬高校、原町区の原町高校、小高区の小高農工高校などで国語教師として、多くの若者たちに日本語の魅力を教えてきた。

また、相馬出身の埴谷(はにや)()(たか)と島尾敏雄の両作家やドキュメント映画監督亀井文夫の業績を地元の人々に紹介するなど他の人が顧みない仕事もやり続けている。

その一方、彼は一詩人として南相馬市から25キロに位置している福島原発の問題点を追求してきた。1971年に発電を開始してから今日まで原発の技術的な危うさと、その管理運営の問題点を告発し、警告してきた。彼は自著『福島原発難民』(コールサック社)にこう書いている。

「詩が時代を告発する役割を担っているものであるとするならば、詩人はことばをもってこの核状況を撃つべきであろう。詩によって福島県<浜通り>の地域的な問題を世界の普遍的な問題に重ねることが可能となるのである」

また詩集『ひとのあかし』(清流出版)にはこう謳っている。

「ひとは作物を栽培することを覚えた/ひとは生きものを飼育することを覚えた/作物の栽培も/生きものの飼育も/ひとがひとであることのあかしだ//あるとき以後/耕作地があるのに作物を栽培できない/家畜がいるのに飼育できない/魚がいるのに漁ができない/ということになったら//ひとはひとであるとは言えない/のではないか」

3月11日。東日本大震災が起こり、福島第1原発の6機のうちの4機に冷却機能が失われて1号機、3号機、4号機が水素爆発で建屋が破壊された。また汚染水が海に漏れ出して、日本はもとより世界に衝撃を与えた。

若松さんは事故を隠し続けてきた国や東電の体質から、いずれ福島原発もチェルノブイリのようになり、南相馬市周辺にも放射能が降り注ぐだろうと警告してきたのである。

 

人々の暮らしを分断

 

――緊急時避難準備区域に指定されたとき、どんな思いでしたか。

「私たちは、弟が得た情報によって自主判断し、15日早朝に、福島市の妻の姉の家に避難しました。その後、同日午前11時に屋内退避指示が出されました。しかし、南相馬市は独自に全市民に対して市外への避難を勧めました。問題は人々のあたりまえに暮らしが分断によって成り立たなくなったことですよ」

人々の暮らしが分断されたことの怒りを抑えながら、若松氏は冷静に淡々と語る。

「透析をしていた私の同僚は、透析を続けられなくなって亡くなりました。また仮設住宅に住んでいた老人ですけれども、ストレス(心的障害)で突然亡くなられた人もいます」

3月15日。南相馬市原町地区が屋内退避圏に入ったことから、希望者を市外へ避難誘導した。その際、原発近くや地震・津波被害が甚大な地域を避けるため、多くの住民が飯舘村・川俣町方面に避難。放射性物質の飛散方向と重なったのに国からの指示はなかったのである。

――国と東電に対して、どう思われますか。

「住民は当初、比較的冷静に対処していました。しかし、政府の方は住民のパニックを恐れて放射線量の高いところは発表しなかったので、全然、知らされていませんから住民は放射線量の高い浪江町の津島に避難した人も多くいました」

地震直後の3月12日早朝、福島県浪江町は政府の指示を受け、役場機能を町北西部の津島地区に移転し、町民を津島地区や福島第1原発から半径10~20キロ圏に避難させた。

しかし、身を寄せた同町津島地区が実は、放射性物質が降り注ぎ、放射線量が高かったと、あとになってわかった。震災から4日目の3月14日午前10時40分。放射性物質の拡散を予測する機関「原子力安全技術センター」から外務省北米局日米安全保障条約課の外務次官、木戸大介ロベルトにメールが届いた。

SPEEDI(スピーディー)。放射性物質の流れ方を予測するデータである。しかし、このSPEEDIは総理官邸に届かず、住民避難に活かせなかった。だが、米軍は早々とメール1本でそれを取り寄せていたのである(『朝日』2012/1・3付「プロメテウスの罠」)。

そのことは2011年11月26日の事故調査・検証委員会の中間報告でも出されていた。結果的に放射性物質が飛散した方向と重なり、住民は外部被ばくしたのである。

 

権力は巧みに争点をすり替える

 

「危険なら、当然避難指示があると思っていたのに、これでは住民は見捨てられたも同然ですよ」

若松さんの憤りを聞いていると、戦前・戦中と問題の構造は驚くほど似通っていることに気づく。特定の地域に基地や原発を押しつけ、目を背けてきたこと。国家が国民を欺いているのに、権力は巧みに争点をすり替え、マスコミも追従したこと……など。

「日本が今、直面している問題は67年前の戦争時とそっくりですよ。勝てない戦争なのに、『勝った、勝った』と煽って、事実を隠していたのですから」

また、「節電しよう」「15%削減しよう」――。2011年の夏、福島第1原発事故による電力不足から東京電力はもちろん、政府も政治家もマスコミも一丸となって呼びかけた。その呼びかけを聞いていると、戦時中の「ゼイタクは敵、ガマンは美徳」というプロパガンダを思い起こす。

 

節電の大合唱は戦時体制と似ている

 

節電の大合唱は戦意高揚と物資の調達のために家庭の鍋釜まで供出させた戦時体制下と似ている。猛暑の中、自宅のエアコンをつけず熱中症になった老人もいた。東京・立川市に住んでいる私自身も計画停電のため、2度、明かりのない夜を過ごした。ローソク生活も続けた。そのことについて疑問を挟もうとすると、異端児扱いされそうな雰囲気だった。

再び、若松さんにインタビュー。

――今回も、67年前の政府発表も大した違いはないのでは?

「大本営発表は今も昔も変わっていません。都合のいいところだけ発表して、あるいはごまかして被害を少なく見せる。そして今はなし崩し的に訂正していますけれども、原発事故が起きる前から結構、事故は起こっているんです。なるべく隠して、後になって訂正する体質は全然、変わっていませんね。また原発事故が起きて新しい時代が始まるようなことをおっしゃる人がいますけれども、それは違うんじゃないでしょうか。私はまだ戦争状態と思っています。原発を相手にした戦争です」

――なるほど。

「そう理解したほうがいいのではないですか。原発を廃止しなければ、戦争が終わったとは言えません。原発から25キロ圏に住んでいて感じることは、そういうことです」

我々の敵には色もなく、匂いもなく、目には見えない。それでも我々を支配している、その敵とは何か。それは原発である、と若松さんは見ているのだ。

絶対安全といってきた原発の事故後、打つ手打つ手が後手に回り、必死に防衛策を講じては、失敗に見舞われてきた原子力ムラの人々(東電や政治家、官僚、学者たち等々)。第2次大戦後、不戦を合言葉に国民国家のあり方を模索してきたはずなのに、有効な処方箋を描けないうちに第3の敗戦を迎えてしまったといってよい日本。今度こそ国民が原発に審判を下すべき時ではないのか。さらに私は質問した。

――今回の取材は『戦災と震災』というテーマです。お父さんは戦争を体験されたのですか。若松さんは答える。

「海軍に召集されました。しかし、どこへいったかというと、秋田県の田沢湖です。戦争末期には乗るべき艦船がなくなっていたので、山奥にあるミズウミというウミに派兵されたのです。そこで終戦を迎えました。その時、私は子供心にバカな戦争だなと思いましたね」

さらに言葉を継いだ。「実はこの原町も空襲に遭っています。陸軍の飛行場があって、特攻隊の訓練場所でしたから」

えっ、こんな東北の片田舎にも空襲があったのか――。私は原町空襲については、ほとんど知らなかった。実を言えば、若松さんに会うまでは知らなかった。今回の一連の取材のなかに、原町空襲も入れようと思った。

 

 

東北地方初の空襲

 

しかし、資料を漁って見たが、公的な記録は皆無だった。あるのは、二上英朗編『原町空襲の記録』(原町私史編纂室)くらいである。東京では絶対、目にすることができない資料だろう。

私は、その資料を立川市の図書館を通じて、福島県立図書館から取り寄せていただいた。その資料を踏まえながら、原町空襲の体験者に取材するほかなかったからである。

私は原町空襲の取材で再び、南相馬市を訪れた。2012年11月25日――戦後67年もたつのに、次々と証言してくれた。高齢にもかかわらず、丁寧に質問に応えてくれた。

「あの日は朝から快晴でした。しかし、町のところどころに雪が残っていて、少し寒い日でした」

光井フミ子さん(83)は、ずっと心の中に眠っていた、あの日”のことを思い出しながら、語り始めたのである。

あの日”とは、米艦載機16機(グラマンとアベンジャー)が原町飛行場の格納庫付近と原町紡績工場(原紡)を繰り返し爆撃した、1945年2月16日午前8時40分のこと。1回目の原町空襲である。

「まさか、敵機がこんな静かな町にやってくるとは、誰も思いませんでした」

光井さんの語る言葉は平易で静かである。話す被害も原爆や沖縄戦、東京大空襲などの都市被害に比べると、あまりにも軽微である。しかし、戦災であることに変わりはない。私は光井さんの話から米軍のB29は大都市だけでなく、全国のあらゆる町や村を容赦なく攻撃したということを改めて知った。

「空襲警報が鳴ると、防空壕に逃げました。おかげさまで助かりましたが、戦争中は食べるものもなく、本当に苦労しました。2度と戦争はあってはなりません」

光井さんにとって、戦争で負った心の傷”は相当、深かったようだ。しかし、その傷跡を誰にしゃべることもなく、また体験として書くこともなく、67年が過ぎた。私は、その心の底に沈殿している重いおもりを拾い上げなければならないと思った。

じっと胸にしまってきた心の傷跡――。私は戦争のもたらした庶民の“苦悩の真実”を捉えてみたい。それが平和への確たる足場を築き、そして犠牲者に対するせめてもの償いになると信じているからである。

2・16。1回目の原町空襲は空襲警報もなく、誰もが予想しなかった突然の爆撃だった。この日の米艦載機は延べ1000機。主に関東地区各飛行場を攻撃したが、そのうちの16機が原町を攻撃したのである。

この攻撃で原町紡績工場の女子挺身隊員ら4人が犠牲になった。いずれも原町紡績工場に動員されていた人たちだ。彼女・彼らは始業の点呼が終わって、これから仕事に就こうしていた矢先の爆撃だった。米軍の攻撃の狙いは原町飛行場と軍需工場の原紡だった。

 

                              つづく

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