前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

<約700年前の「鎌倉やぐら」巡礼>中世の迷宮都市・鎌倉の歴史絶景スポット☆鎌倉やぐらを散索しようよ』

      2015/01/01

 
<約700年前の「鎌倉やぐら」巡礼>
 
中世の迷宮都市・鎌倉の歴史絶景スポット
鎌倉やぐらを散索しようよ』
 
 前坂俊之(ジャーナリスト)
 
 
 鎌倉は、確かな史蹟に乏しく、その数少ない痕跡が無数の山腹のやぐらであるといえる。その点では中世のお墓都市といってよい。しかし、そのやぐらも、施主知らず、供養人知らずのものが大半であり、その意味では半ば幻想と迷宮の中に鎌倉歴史はある、といえよう。
鎌倉アルプスの山道、山腹の崖が崩れ、土に埋もれて、苔むしたやぐらを眺めると「強者どもの(武士)の夢が跡」、栄枯盛衰は世のならいの歴史がヒシヒシと伝わってきて、人生のあわれ、無常を感じとる。鎌倉「古寺巡礼」から1歩進んで鎌倉「古道巡礼」して「やぐら」をたずねれば、それこそ鎌倉武士、鎌倉仏教、「鎌倉禅」の本質の一端に触れることができる。

 
 鎌倉のヤグラとは一体何なのか、
 
<奥富敬之『もっといきたい鎌倉歴史散歩』新人物文庫 2010年>がこう解説している。

北条泰時は仁治元年十一月二十一日、鎌倉内の各保の奉行人に、次のような下知を下している。
「鎌倉中の警固のため、辻ごとにかがり屋を置き、番を編成して、夜にはかがり火を焚
  くべし。その費用は、各保において負担すべ」
注目すべきは、武都鎌倉でありながら、治安維持に任じたのが、武士ではなかったことである。鎌倉に住む一般庶民が、自警団のような組織を編制したらしい。草屋が設置された数や場所は、まったく判らない。
ところで、鎌倉からはるかに離れた豊後国府中(大分市)で、仁治三年(1242)正月十五日、布令が出された。
  一、府中の墓所のこと
  右、一切、あるべからず。もし違乱あらば、かつは改葬すべし
 との由を喪主に仰せられ、かつは墓所にせる地を没収すべし。

 府中の市街地に墓が乱立するようになったのを、豊後国守護の大友頼泰が禁じた。
大友氏は、元々は相模武士で、相模国大友郷(小田原市大友) の領主であった。
当然、鎌倉の事情はよく知っている。この法令も、鎌倉で出されたものを、真似た
  ものではなかっただろうか。
  と言うのも、同じ頃、鎌倉でも市街地に墓所を設けることが禁止されたと思われるのである。頼朝以来の貴人の墓所としての法華堂も、この頃から建てられなくなる。代わって創始され始めた墓所が、ヤグラであった。
 ヤグラは、鎌倉の境界になる三方の山の尾根の内側に、横穴形式の墓所として数多く造成された。また、たんなる横穴ではなく、岩壁をくり抜いて、法華堂を横穴の中に造作した形をとる。従って木造の屋内にもあるタルキやガンなどが、ヤグラ内部に存在しているのである。
  鎌倉は、市街地に墓所を設ける余地がなくなるまでに、人口が増加していたのである。
(奥富敬之『もっといきたい鎌倉歴史散歩』新人物文庫 2010年)
 
 
 百八やぐらとはーーー
 
覚園寺から天園ハイキングコースの進むと、やがて多数のやぐらが見えてくる。
 180穴ほどあるといわれており、鎌倉では最大のやぐら群である。数が多いということで、仏教でいうところの百八の煩悩になぞらえて付けられた名。
 百八やぐらとは、仏教の説く百八煩悩にもとづいて、〝弘法八十八箇所霊場巡り″を、古来のやぐらを借りてここに設けたので、いつかこう呼びならわされたが、実際の数は200穴を越すだろうといわれている。
 もちろんだれの供養塔かわからない、施主知らずのやぐらばかりだが、中には五輪塔や宝篋印塔(ほうきよういんとう)が置かれてあり、岩壁には梵字、板碑、仏像の浮き彫り、あるいは線形に描いた美しいものもあって変化に富み、宝やぐら、梵字やぐら、地蔵やぐらなどの名がついている。
 その多くは、岩壁は崩れるまま、コケはむすまま、荒れ草は生えるまま、あるいは岩石に入口を半ば閉ざされて、ぽっかり開けたロの周囲に、オニヤブソテツなどシダ類が茂っている。
 この百八やぐらの中に、明治になってから、八十八体の石地蔵をまつり、「弘法八千八箇所霊場」と呼んで、納骨供養も営んだ。今もその跡をとどめている。昔、鎌倉地方の博徒仲間には、地蔵の首を懐にして賭場にゆくとツキがよい、という根強い風習があった。そのため、このあたりの地蔵の首は、博徒にかき盗られて胴体ばかりのものが多い。
事実また、ひと昔前までは、やぐらが賭場に使われてもきた。
 しかし・鷲峰山山頂の霊場巡り打ち止めにちなんだ、ひときわ大きい弘法大師坐像だけは、なお風雨にさらされながら五体健在である。
<御所見直好『誰も知らない鎌倉路』集英社文庫(1983年)>
 

 - 湘南海山ぶらぶら日記 , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

★⑩リバイバル公開『百歳学入門(194)』<海楽人の快楽・天然・自給自足生活をしよう!>『★動画大公開―『Midsummer in KAMAKURA SEA』 <シーラが海上を大乱舞、イナダ、ソーダガツオと カヤック・フィッシングは大漁じゃ>』

2011-08-13 公開したもの。 『2018、2,6大寒波襲来を飛ばせ!』 …

『鎌倉カヤック釣りバカ快楽日記』★『釣った魚のおいしい食べ方「ワカシのカレー粉オーブン焼」★『忍者「カワハギ君はこうして御用じゃ」-釣り仙人の教え(稲村ケ崎沖)』★『35㎝巨大カワハギとの決闘!ー大地を釣ったズシン!重い感じ、ガツガツ、・グイ-グイー!そう暴れるな、細竿が折れるよ!』

鎌倉カヤック釣りバカ日記ー釣った魚のおいしい食べ方「ワカシのカレー粉オーブン焼」 …

『鎌倉から見る富士山絶景チャンネル』この冬一番の寒波の中で鎌倉材木座海岸からみた富士山とサンセット富士』2023年1月25日午後5時15分)

鎌倉から見る富士山絶景チャンネル この冬一番の寒波の中で鎌倉材木座海岸からみた富 …

no image
『F国際ビジネスマンのカメラ・ウオッチ(52)』「日本の至宝・奈良の唐招提寺に古寺巡礼②天平の風と時間が今も流れる②

     『F国際ビジネスマン …

『長寿逆転突破力の時代へ』★『人生折返し後半戦の50 ,60. 70 ,80からのスタートダッシュの研究』★『人生/生涯マラソンレースに参加しようよ‼」

  オンライン講座/清水寺貫主・大西良慶(107歳)の『生死一如』12 …

『2022年よさらば!鎌倉材木座ウインドーサーフィン』-冬の嵐のキラキラ海で波と遊ぶサーファーたち、見るだけで太陽光・波動発電で体内バッテリーがアップする』★『鎌倉材木座・由比ガ浜海岸は健康・スポーツ・長生きロングビーチ、高齢者の健康ランドだね』

鎌倉材木座ウインドーサーフィン(2022年12月24日pm100)-冬の嵐のキラ …

no image
『美しい冬の海湘南』スペシャル!『冬の葉山海は素晴らしい。名島・裕次郎灯台・カヤック・レッスン絵のように美しい』

<『美しい冬の海と湘南』スペシャル!>   冬の葉山海は素晴らしい。名 …

鎌倉海水浴場(由比ガ浜、材木座海岸)のサーファー数百人(7月31日午前700)-台風がそれたので波低し、それでも日曜日とあってサーファーラュシュの賑わい。

前坂俊之チャンネルー湘南海山ブラブラ日記

no image
<鎌倉つりバカ・ボケ日記>『早春カヤックフィッシングー鏡のような春の鎌倉海で魚と遊びダイエットしようね』

<鎌倉つりバカ・ボケ日記>   『早春カヤックフィッシングー鏡のような …

『Z世代のための  百歳学入門』(2010/01/25 )★『<日本超高齢社会>の現実と過去と未来②』 ★『人生は長短ではない。「千の風になって」の「私は墓にはいない、眠ってなんかいません」のように、命はすべて有限で、時間の長短はあれどいつかは死んで行く。肉体は滅んでも、その精神は永遠に生き続けるのです』 

  2010/01/25  百歳学入門⑩記事再録・編集 &n …