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「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙は「日韓併合への道』をどう報道したか② 「英タイムズ」(明治39年1月13日付)「日本と朝鮮』(下)

      2015/09/02

「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が

報道した「日韓併合への道』の真実②

 「英タイムズ」<1906(明治39)年1月13日付>の論評「日本と朝鮮』

(本社通信員記事)東京12月5日(下)

ロシアに勝ったということは相手の進出の機会を減じはしても,なおロシアに多くの実益をもたらしていたし,この北方の大国の策動になんらの制約も課すものではなかった。

一方,朝鮮側としてみれば,以前よりも力をそがれたロシアに日本に対する格好の平衡力を見出しこそすれ,ロシアがもはや日本に代わる手ごわい相手ではなくなることは,とうに予測のついたことだったかもしれない。

一部の筋は,日本の政府指導層がこの確信に基づいてもっと速やかに行動を起こさなかったことに驚きを表明し,日本の新聞も多少のもどかしさを表明した。

しかし,そこになんらかの遅滞があったと指摘するのは,妥当ではない。ポーツマス講和条約が批准の運びとなったのは,朝鮮の外交権を日本にゆだねることにした協約が11月17日に調印を見てから

のことだったのだ。仮に日本がそれ以上に事を急いだとしたら,理不尽とまでは言わないにしても,無分別だというそしりを免れなかったことだろう。

当然のことながら,日本政府は朝鮮の納得ずくで事を運ぼうとし,強要することは極力避けたかった。しかし,一国に主権の一部を放棄して外国の手にゆだねることを納得させるというのは,明らかに至難の業に違いなかったから,天皇(ミカド)はだれにも増して経験豊かで知略に富む政治家.伊藤侯爵に特命を下した。

伊藤博文侯爵が実行すべく指示された計画がどのようなものであったか,日本国内では一般の者が知る由もなかったが,それがきわめて重要なものであるに違いないことは,万人がよく承知していた。

1つには,周囲の情勢がなんらかの抜本的な措置を必要としていたからだし,また1’には,伊藤侯爵のような高い地位にある人物が選任されたことからも来ていた。

したがって,その交渉がいかにも敏速に進展したことに,世間は驚いた。11月15日の午後3時半,伊藤侯爵は韓国皇帝に拝謁を許されたが,その謁見は4時間にも及んだ。

伊藤侯爵が後に記したところでは,皇帝を説得するのは容易なことではなかった。皇帝とすれば,日本の要請に応じることは国家主権の一部を放棄するに等しいことをよく承知していたし,それを受け入れる必要があるとは思えぬこともはっきりしていたからだ。しかし最後になって,皇帝は不本意ながらも,伊藤侯爵の主張が議論の余地のない性格のものであることを認め,政府官僚に対し日本の要請に応じるように指示することを約した。

皇帝が譲歩する気になったのは,伊藤侯爵が皇帝に対し,日本の提案する協約に応じれば韓国皇室の安泰が一段と強固なものになると請け合ったことが,大きく響いたと伝えられている。

そのような保証は,波乱の生涯を送ってきた君主にとって,大いに心を動かされるものであったろうことは,想像にかたくない。翌16日,伊藤侯爵には朝鮮政府の官僚たちを納得させるというさらなる任務が待ち受けていたが,少なくとも表面上,その説得は成功を収めた。その上で,17日の午後3時に御前会議を開く手はずとなった。

日本の提案した協約について最終的な論議を交わし,結論を下すためだ。しかしこの宮中の会議には,皇帝は姿を見せなかった。15日の伊藤侯爵相手の長時間にわたる謁見の後.皇帝は気分がすぐれな

いことを口実に,表立って国事にかかわることを避けていた。だが,皇帝について言っておかなければならないが,皇帝はこの謁見で了解に達した取決めを忠実に守り,自己の影響力を行使してその実現を図ろうとしたようだった。

しかし,閣僚たちは皇帝ほどは従順ではないことを見せっけた。

16日の伊藤侯爵との長時間の会議から17日の宮中会議に至る間に,閣僚たちは発作的に憶病風に吹かれたり.逆に確信を強めたりした。したがって,宮中での5時間に及んだ会議を終えても,閣僚の間で意見の一致を見せるには程遠かったようだ。

そこで,伊藤侯爵は長谷川好道将軍を伴って会議の席に乗り込み,それまで朝鮮側との折衝に当たってきた林権助氏を強力に支援した。それでも,協約の調印になんとか朝鮮側を同意させるところまでこぎつけるのに,さらに5時間半を要した。どうにも乗り越えがたいかに見えた難関の1つは,閣僚のだれもが調印に賛成の意思表明の口火を切ることを極度に嫌ったことから来ていたという。

ようやくのこと,文部大臣の李完用が意を決して賛成を表明したが,それがたたって翌日,自宅を焼打ちされるはめとなった。一説によると,そこに至るまでの間に,首相の韓圭ソルは,自分が突然退席をすることで会議を散会させようとしたという。

しかし,結局は日本側に説得されて席にとどまったが,協約に反対の者たちはすかさず,この説得が力ずくのものだったといううわさを流した。また別に流布されているセンセーショナルなうわさ話によると,外務大臣の朴斎純はわざと印鑑を携ずさえずに会議に臨んでいたが,日本の官憲が外務省から急いで大臣の印鑑を取り寄せ,朴の抗議を無視して協約書に押印したとい

う。しかし,朴齋純が現在首相を務めているという事実を考えると,この話の真偽のほどは怪しくなる。ともあれ,11月18日の午前1時20分,この10時間余りに及んだ長い会議は終わりを告げた。協約は日本が提示した原案通りの内容で調印されたが,1つだけ修正を加えた条項がある。

率直かつ端的な文書ながら,この協約は起草にあたって困難があったことを示す内的な証拠を宿していた。

協約の条文のうち,朝鮮の外国に対する関係は今後は日本政府の指揮監督のもとに置くべきこと,外国における朝鮮臣民の利益は日本の外交代表者および領事の保護にゆだねるべきこと,

日本政府は朝鮮と他国との間に現存するすべての条約を履行する責任を負うべきこと,朝鮮政府は日本政府の仲介によらずに国際的性質を持つなんらかの行為もしくは契約に携わることを控える旨を約束すべきこと-といった条項については.条文をまとめるのは容易だった。

しかし,ソウルには日本政府の代表者を駐在させる必要があり,その権限は閣僚を上回りはしても総督はどの権力は持たないことにするが,さてそういう代表者の公式の肩書をどうするかとなると,なかなか厄介だった。

日本の外交当局の意図では,ソウルに駐在する代表者は「レジデント・ゼネラル」の職務を遂行するべきだったが.この言葉に該当する表意文字を当ててみても,その職務の実際に意味するところを少しも伝えそうになかった。

いちばん適切だと思えたのは「統監」という言葉を用いることだったが,この表意文字は「統治当局者」という意味を持っていたので,朝鮮人の反対を促すのに一役買ってしまった。この特異な規定を含む条文は,子細に検討してみる価値があるというのも,それがアジアの今後の事態の展開に重要な役割を占めることになるからだ。次に.その条文の全文を掲げておこう。

第3条 日本政府は,韓国皇帝の宮廷にその代表者として統監1人を置く。統監はソウルに駐在し,主に外交に関する事柄の責任を負い,指示する。統監は韓国皇帝に非公式に個人的に接見することができる。

日本政府は数か所の開港場および必要と思われる箇所に理事官を置く権利をも有する。そのような理事官は,統監の指示のもとで,これまで日本領事に属していた権限と機能を行使し,この協約の条項を完全‘に実行するために必要な任務を行う。

日本の帝国議会が召集されれば,この協約の意味するところについて,内閣が詳しい説明を求められるのは間違いない。そのときを待たずに,われわれは伊藤侯爵自身から説明を受けた。以下に記すのは,数日前にソウルで伊藤侯爵が報道機関の代表に対して述べた発言内容だ。

日本国内の一部には、今回の新協議約は朝鮮を完全に日本に隷属させるもので,朝鮮の征服をもくろんだも同然だと思い込んでいるやに見受ける者がいる。そのような見方は,中国のことわざにあるような,雄鶏のときの声を聞いて卵を産んだのは雄鶏だと思い違えるたぐいの,軽率な早とちりだ。

確かに日本は朝鮮の外交権を継承しはしたが.その一方で日本の皇帝は韓国皇室に特派大使を送り,あくまでその安寧と尊厳を維持するという保証を伝えている。このことは,きわめて重要な核心をなす。

そればかりか,あらためて述べるまでもないことだが,朝鮮の政府機構はこれまで通り,皇帝陛下の総括と指示を受けることに変わりはない。

このような変革のときにおいて,朝鮮人の方が日本人よりも大きな過ちを犯しそうにもないと言い切れるわけではない。したがって,今後朝鮮に対して遂行すべき政策については,行為の上でも意図においても,最大限の誠意をもって通知されなければならない。

朝鮮は日本の支援のもと,漸進的な進歩の道を歩んでいくことになり,性急に強制する傾向のあるものは,何事であれ,すべて排除される。

わたしがこの新協約の条件に関して韓国皇帝陛下に謁見を賜った際,陛下がいたく心を煩わしていると見受けたのは,朝鮮が中国暦を使用し中国の事実上の属国であった当時でさえ,外交問題の処理は自らの手に掌握していたのに対し,今や500年の歴史を持っ王朝の自分の治下で初めて,国家を破滅させ祖先の目に照らせば有罪を免れない協約に署名を求められているという事実だった。

したがって,わたしは陛下のこの疑念を払拭すべく,時代の変転がこの協約を避けがたいものとしていることを詳しく説明し,また朝鮮の発展が確実なものとなった暁には,日本政府としても速やかに朝鮮の外交権を回復するよう切望していることについて,委細を尽くして説いた。

いよいよ協約に調印のときを迎えると,首相の韓圭ソル氏は感きわまって鳴咽をもらし,ひどく取り乱しているように見えた。このような経緯にかんがみて,今肝要なことは,日本は進歩のパイオニアとして,朝鮮のあらゆる階層に対し最大限の慎重さと誠意を尽くして振る舞い,日本の本当の目的を誤解されたり意図を疑われたりすることのないようにすべきであるということだ。

 

統監は設置されるが,その人事については,わたしが日本に戻った後でなければ何も分からない。だが,ここではっきりと述べておかなければならないのは,統監の政策は決して一挙に大変革をもたらすたぐいのものではなく,あくまで漸進的な進歩をめざすものだということだ。

朝鮮の国内の状況を吟味してみれば分かることだが,君主と臣民の関係,政府と被治者の関係はきわめて他人行儀のよそよそしいもので,日本の場合のような近しい関係とはまるで異なる。

それ故,政府の施策については,多少とも強制的な性格を帯びたものにせざるを得なくなる。しかし,朝鮮の国民はきわめて温和で内気であるから,朝鮮人に対する政策は説得を第1とする寛大なものであるべきだ。

この点は,わが国の政府当局者ばかりでなく,朝鮮に居住するすべての日本国臣民が念頭に置くべき重要な事柄だ。朝鮮在住の日本国臣民は,戦勝気分がもたらしかねない粗暴な振舞いを厳に慎み,朝鮮人と接すにあたっては親切を旨として行動しなければならない。

ソウル駐在の合衆国代表は,すでに本国政府から公使館を閉鎖するように訓令を受けており,他の列強諸国もアメリカ同様,この日韓協約を承認する見込みだ。

そこで,日本としては,天から負託された職責を忘れないことはもちろん進歩をめざして朝鮮人に手を貸し,親切に指導することが大切なことになる。

仮にも勝手気ままな振舞いをしたり,高圧的な行動をとったりしようものなら,朝鮮に諸外国の同情が集まり,日本の正当かつ永続的な政策は間違いなく挫折させられてしまう。

日本政府は確かに,伊藤侯爵がこの演説で述べた原則に恥じない行動をとろうと努力するだろうし,日本国民もまた自分たちの偉大な政治家,伊藤侯爵の言葉をしっかりと心ことめておくことを期待されよう。

それというのも,日本にとって朝鮮問題が厄介なものとなったのは,かなりの程度まで,この半島を訪れた日本人の多くがとった行動にも原因があるからだ。

これらの日本人は,自分の国にあっては生来きわめて穏やかで愛想のよい人々なのだが,朝鮮にやってくると,今ではすっかり評判を落としている横柄な西洋人の風習をまねて,朝鮮人の間に日本に対する嫌悪と恐怖の念を募らせた。

そういう反日感情は,日露戦争中に一段と高まった。

日本の文官行政当局と軍部の間に全面的な協力が欠けていたため,そこに誤解が生じて不法行為を引き起こす結果となったからだが,それはとりわけ,日本が軍事目的に使用する土地の徴発問題をめぐって著しかった。そういった反日感情はまた,地元の外国報道機関にあおり立てられて,さらに大きく燃え上がった。

一部の外国新聞は日本に激しい敵意を抱いていて,日本の行動はすべて圧政的な私利私欲の追求にはかならないと見なしていた。この間題に関しては,例によって歴史は繰り返すという性向が見てとれる。

比較的最近に至るまで,各地の開港場の外国の新聞雑誌は,ほとんど例外なく日本に対して強い反感を抱き,日本に国家的な成果を収めるなんらかの能力があるとは認めようとしなかった。

 

同様の悲観的で軽蔑に満ちた対日観は.先に日本が台湾問題に没頭していた際にも,盛んに流布されたものだった。そして今,朝鮮における日本のやり口に大々的な非難の声をあげているだけでなく,それが結果的に大きな災厄を招くことになると予測している。

事態の進展を見てみれば分かることだが,過去2回の対日非難の大合唱に加わった新聞は,著しく信用を失った。今回の場合も,おそらくは似たような結末となることだろう。

 - 戦争報道

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