日本リーダーパワー史(179)<国難突破力ナンバー1の出光佐三の最強のリーダーシップ>『逆境にいて楽観せよ』①
日本リーダーパワー史(179)
『国難突破力ナンバー1の男
<出光佐三の最強のリーダーシップ①>
『人間尊重』『つとめて困難を歩み、苦労人になれ』
『順境にいて悲観し、逆境にいて楽観せよ』
『順境にいて悲観し、逆境にいて楽観せよ』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
3・11以来「第3の敗戦」となった、とこれまで国難到来を何度も書いてきた。この国難を如何に突破するか、リーダーはいかに行動すべきか、また、国民、市民もいかに対応し、行動すべきかを、過去の国難と対比しながら考えてきた。
その中で、幕末(第1の敗戦)明治維新、関東大震災、太平洋戦争敗戦(第2の敗戦)などでの政治家、経済人、民間人、一般市民の対応ぶりを調べ、そのなかで見事に危機管理して国難を突破した見本となる人物をこの連載で紹介してきた。
その中で、今回取り上げる『出光佐三』こそ独自の経営哲学、人間観を持ち、太平洋戦争での敗戦(昭和20年8月15日)で示したその勇気と決断と見識と実行力は最も的確で最高のものだったと思う。当時の日本のすべての指導者といってもよいが、大混乱し、混迷状態で意気そそうし、右往左往して、敗戦の責任も取らず、ましてや将来の見通し、方針など全く示せなかった時に、出光ただ1人といってよいが、終戦2日後の8月17日に次のような訓示を行っている。
この文章は『わが60年間第1巻』(非売品、社内用,昭和56年)に全文掲載されたものだが、これをあらためて読んだ瞬間、その見事な洞察力と満々たる自信、勇気と、決断力に胸打たれてた。
同戦争を体験した多くの日本人、知識人、リーダーが終戦体験の1文をのこしているが、その中でもリーダーはいかに国難に当たっての今後の的確な見通しと、歩むべき方向を指し示すことができたか―という点では、数すきない1つであるのでここに紹介する。
昭和20年8月17日『玉音を拝して』
十五日恐れ多くも玉音を拝し御詔勅を賜はり涙の止まるを知らず、いい表はすべき通常なる言葉を持ち合せませぬ。
万事は御詔勅につきて居る。陛下は限りなき御仁慈を垂れ給いで赤子を救はせ給ふたのである。両も国民の心中を御察し遊ばして、五内もために裂くと仰せられました。恐懼の極みであります。最後に今後吾等の進む可き道を明かに御示し遊ばし、神州の不滅を信じ国体の精華を発揚せよ、と仰せられ、任重くして道遠きを念じ総力を帰来の建設に傾け道義を篤くして志操を堅くせよ、と仰せられて居る。吾々は朝夕奉讃し聖旨に答へ奉るのみであります。
私はこの際、店員諸君に3つの事を申上げます。
一、愚痴を止めよ
二、世界無比の三千年の歴史を見直せ
三、そして今から建設にかかれ
愚痴は泣き声である。亡国の声である。婦女子の言であり、断じて男子のとらざる所である。只昨日までの敵の長所を研究し取入れ、己れの短所を猛省し、総てをシツカリと腹の中に畳み込んで大国民の態度を失うな。

仏教の渡来は国民思想に一大混乱を巻き起し、遂に道鏡の暴逆となり、国体を危くしたのである。即ち宗教による国難である。
而して仏教は発生の地インドに亡び、支那に衰へて神州日本に抱擁、保育され発達して我国としても無くてはならぬ宗教となったのである。
ひとり仏教のみならず孔孟の教へも又、神州において咀嚼せられて国民道義の根幹となった。偉大なる咀嚼力である。
元寇の乱、これは今日に比すべき大国難である。神風東南に起りて三万の敵兵を海底の藻屑としといえども、元軍の再來は必至と息はれた。今日と異り敵状を知るに由なき時であるから、全国の津々浦々に防塁を作り待機の姿勢で居たのである。
半年は過ぎ一年は経過し、三年五年と待つあるを頼む中に、鬱勃たる闘魂はついに外に向って爆発したのである。敵来らずんば我行かんとの闘魂と化したのである。倭寇となりて今の清洲から山東省、中支、南文に向つて敵を震撼せしめた山田長政のタイ(シャム)征服も其の一である。神州不滅、隠忍持久、総力発揮の好歯の前例である。偉大なる積極的国民性である。
ひとり仏教や儒教のみならず支那に於ける古き芸術絵画、陶磁器、銅器等の文化はその本家支那において亡びて、日本において保有せられ、育成せられ、日本化されて無限に発達しておる。偉大なる保存抱擁の力である。
若し神州日本が無かったならば、東洋の文化、芸術、宗教と言ふようなものは亡びておったと言ひ得る。大東亜にとりては有難き日本であり、無くてはならぬ国体であり、国体の精華発揚が大東亜の幸福であり、やがては世界人類の幸福である事も間達ひないことである。国体の尊厳がやがては世界全人類の幸福である事も間違ひないことである。
陛下は、任重く道遠し、と仰せられて居る。人類に対する吾々の任務は実に重いのである。戦後の始末をなし、更に日本の眞の姿を全世界に示し、眞の任務が果されるのは実に遠いのである。重き荷を負ひて遠き道を歩かねばならぬ。それには非常なる力を要する。然るに率直に申して、国民は悲観のドン底に落ちて力も出ない、また極度の不安のためその日その日にさへ堪へられない気持もあり、お先真暗の感あると言うべきである。
無理からぬことではあるが、しかしながら、そんな弱い事では祖先に対して誠に申し訳けないのである。
何故悲観せねばならぬか、勝負も決しないのに敗戦の形を押付けられた事は理念であり、その失う所は大きく、前途に横はる苦難は測り知れないものがある。祖先に対し言葉がない。しかし、それはわずかに五十年の逆転に過ぎない。吾々は国体護持と、特攻精神の発露によりて三千年の歴史に千金の重さを加へた事実を見逃してはならない。
この磐石の事実の上に毅然と立った時に、日本の新しい建設と使命とはハッキリとする。そして希望に満ちた新らしい力は無限に出る。愚痴など言つとる時でない事がわかる。
しかしながら、この後最も直接に深刻に諸君を不安ならしむるものは、この後の苦しみである。焼け野が原におけるドン底生活、更に加はる新たなる負担、突破せねばならぬ建設の苦しみ、これらに堪へ得るかの不安である。この大任を果し、祀先の霊に報告するは容易の事でない。これは、死に勝る苦しみを覚悟せよ、との一言に尽きると思ひます。この後、引続き程々なる苦難が来る毎に、死んだ方がましだと思う事が続くと思う。
私は創業二三十年前、人生はかくも苦しいものか、死ななければこの苦しみより逃れる事は出乗ないと苦しみ続けた。親友も私が自殺するであろうと何度思ったか知れないと、語ってくれた。この連続した苦しみは私を今日にしておるのである。
艱難、汝を玉にす、と言う事はどうしても忘れられない。三国干渉、日露戦後の国難が過去において日本を強化し発展させ、第1次世界大戦の一時の安逸が日本を如何に国歩艱難に導いたかは、るると述べた通りである。
苦労は力(つと)めてせよとは、店是であり私の座右銘である。戦時中の今までの苦労が偉大なる精神的根幹を強化した事も述べた。
此後の苦労が国家の前途に大なる結果をもたらす事も争えない事であるとするならば、吾々はいかなる苦しみも堪えへ忍ばねばならぬ。しかしながらこの苦労は吾々がかつて知らない深刻なものである。
食糧の不足、失業問題の解決、思想下の闘争、働いても、働いても追いくる窮乏等々、一つだけでも相当の苦労である。これら大苦労の重複、しかも連続する艱苦、死んだ方がましという事になる覚悟をせねばならぬ、これが国家に対し祖先に対する責任であり、すべては、世界人類に対する務めである。第一線にある同胞、同志のこん後の苦難を思う時、吾々の苦労はまだやさしいものであると思う。
日本人は艱難を永久の友とする所に、日本精神あり、武士道あり、人類に対する貢献があるのである。苦労を恐れるものは日本人たり得ないものである。祖先の墓前に割腹すべきである。
安逸の末路の恐ろしさも充分に知り抜いた。死に勝る苦みも、只汝を玉にするのみであるとの見透しもついた。
戦う日本人の姿、掌を返したるが如き平和人の姿、こが日本の眞の姿であり、大国民の襟度である。世界は再び震撼するであろう。戦争より更に苛烈なるものが前途に横はつておるのであるから、明日と言はず今から直ぐ建設に力を致すべきである。
かく論じ来る時に、あるいは詭弁と言い、負け惜しみとも見る人もあるであろう。しかしながら、出光の諸君は容易に私の言う所を解し、真相にふれる事が出来ると思う。
さて吾々出光は、人間尊重の旗の下に、自治即ち自己完成、団結即ち大家族という主義の行者として三十年間終始した。力めて艱難に向つて自らを錬磨して来た。戦前たると戦時中たると、政治や経済の制度や機構の如何に頓着無く、終始一貫し変更の必要を認めなかった。もちろん、この後もこのままで進めばよいのであり、恐らく永久に変わる事はないと思う。
私も従来『出光は事業そのものを目的とするにあらずして、国家に示唆を与えるにあり』と諸君に訓して来ました信念から申しましても、戦後の難局に応して、国家が出光主義の行者を要する事は論をまたたないのであります。暫く経過を見たいと思ひます。
終戦3ヵ月の昭和20年11月15日の『詔書奉読式を終り所感を述べる』
●『活眼を開いてしばらく眠っていよ』
各地よりの情報は次第に集まって来た。朝鮮よりは一部の帰還者あり、北朝鮮の一部を除いて全部が無事である。満州も北満は不明だが、南満は大たい無事である。支那、台湾も安心らしい。南支は全然便りがない。
分った所けでも一同が出光人らしい動き方をして、同僚相より、相たすけ殊に他店が朝鮮人に迫害されておるに反し、新京にあっては朝鮮人運転手人が店を守る。内地における復員者も相当、増加し待機中である、今後各地よりの帰還者も増加する事と思う。仕事を見つける事に努力せねばならぬ。出光人としては石油の配給を簡易化する事が国家のためであるとの信念の下に、石油配給統制会社に援助を頼んだが同情がない。復員者は待機の姿勢を続ける外はない。
『人間しばらく眠るもよいと思う。ただし活眼を開いて眠っていよ』という。
『人間しばらく眠るもよいと思う。ただし活眼を開いて眠っていよ』という。
以上のように、1945年(昭20)8月15日。敗戦により海外資産を一挙に失った。この時、出光は還暦60歳であった。政府、指導者、国民の大部分が敗戦に打ちひしがれて、意気そそうする中で、出光だけは意気軒高、その強靭な、神がかり的な日本精神、日本民族への自信は微動だにしなかった。
終戦の2日後、不安と途方にくれる従業員に対して「愚痴をいうな。世界無比の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ」と高らかに宣言した。
9月からは中国や海外から約1千人もの社員と家族がぞくぞくと引き揚げてきた。焼け野原と化した国内は混乱と食糧難の極致で巷には失業者が溢れ、出光にも当然、仕事は全くなかった。
敗戦1ヵ月後の9月15日には、「人間尊重の出光は終戦であわてて首切りなどしない。千人が乞食になるなら、私もなる。一人たりとも首を切らない」と宣言した。
世の中では約1千万人の失業者が出て、出光の石油タンクはすべて空っぽ、何の仕事もないのにである。同11月には「まだ仕事は見つからないが、人間しばらく眠る時間も必要、各地に待機のまま眠っていよ。しかし、活眼を開いて眠っておれ」と訓示した。
危機に際してトップリーダーはいかにあるべきか。その見事なお手本である。「人間尊重の精神」そのものが出光を不死鳥のようによみがえらせ、全社員は一致団結してあらゆる仕事に取り組んだ。
当時8百万台あったラジオの3分の2は、使いものにならなかったが、GHQの依頼でラジオ修理を始め、旧海軍の危険な燃料タンクの底さらえにも勇敢に取り組み、印刷、農業、水産、醗酵など何でも行い再建の足がかりをつかんだ。
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