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『オンライン/<裁判員研修ノート④>『明日はわが身か、冤罪事件』ー取調べの可視化(取調べの全過程録画)はなぜ必要か、その理由

   

 記事再録

前坂 俊之(毎日新聞記者)

 
 
 この原稿はいまから27年前の月刊誌『あらはん』1983年10月号に掲載した『明日はわが身か、冤罪事件』という原稿です。この年は死刑冤罪事件が続発して、別件逮捕、自白強要、拷問、代用監獄の問題点がクローズアップされましたが、その後も取調室での自白の強要が相変わらず続いており、その結果、冤罪事件はいまだになくなっていません。
冤罪を再生産する『取調室のブラックボックス化』を可視化すること以外に冤罪を根絶することはできません。その意味であえて、古い原稿を、そのまま載せることにしました。
 

 冤罪……無実の罪。

 
 それはある日、突然やってくる。身に覚えのない罪名で逮捕、裁判、そして死刑の確定。刑事訴訟法第四百七十五条「死刑の執行は、法務大臣の命令による」。また、「前項の命令は、判決の確定の日から六箇月以内に、これをしなければならない」。
更に、同第四百七十六条には「法務大臣が、死刑の執行を命じた時は、五日以内にその執行をしなければならない」とある。静まりかえった獄舎に、かすかに響いてくる足音。耳を澄ませれば、その足音が徐々に自分の部屋に近づいてくる。
 
身の潔白が証明されぬとま、いよいよ刑の執行か……。という事態が、もし、自分の身に起こったとしたら、なんという無念、不条理であろう。だが、現実にはその戦懐すべき、呪われた運命下に喘いでいる人々が、幾人もいるのである。
もはや、「疑わしきは罰せず」という法の鉄則はさびついてしまったのであろうか。 そもそも冤罪は、誤認逮捕に始まる。それはどのようにして我々を襲うのであろうか。また、薮の中といわれる取調べ室の実態、そして裁判のしくみは等々……。どちらにしても事件に関わった人々にとって冤罪とは、怨罪以外の何ものでもない。
 
 
捜査のやり方は戦前と変わったか
 
この1983(昭和58)年七月十五日、免田事件の再審公判で熊本地裁八代支部は免田栄さんに無罪判決を下した。
「今日か」「明日か」―死刑執行の悪夢に毎日のようにおびえていた免田さんは三四年ぶりにやっと、″死の恐怖から解放された。
 わが国の裁判史上、死刑確定囚に無罪が下ったのは免田事件が初めてのケースである。 しかし、こればっかりではない。
同じような死刑確定囚の再審事件である財田川事件、松山事件、島田事件などがあとに続いている。
 
 このほかにも、今年に入って、土田邸、日石郵便局、ピース缶爆弾事件や警視総監公舎爆破未遂事件などの
一連の公安事件でも無罪判決が相次いだ。まさしく、〝冤罪、再審の年〃なのである。
 関係ない人に死刑判決が下り、三〇年以上も絞首台の下で処刑の恐怖におびえていたとしたらまさしく戦懐すべき
事態であろう。人権を保護し、正義を具現すべき法の下でこうした恐るべき誤りが起きることは、民主主義の根幹に
かかわるゆゆしい問題といえる。
 
 なぜ、こんな信じられないミスが起きるのか、一般の人にはとても理解できないかも知れない。逆に、「本当は犯人なのだが、運よく無罪となって、死刑をまぬがれたのだ」という誤った俗説に傾くかも知れない。
 しかし、誤った裁判や死刑判決が決して少なくないことは戦後をみても、幸浦、二俣、松川、八海、二保事件など死刑判決後、
一転無罪になったケースが計六件あることをみればわかる。
 
  免田事件もそうだが、これらの死刑誤判事件には見込み捜査、別件逮捕、拷問、自白強要、長期拘留、弁護権侵害など共通した捜査上の問題点が浮かび上がってくる。
  免田事件では遊廓の女性を身請けしたいと 免田栄さんがその女性の実家を訪れ、事件の話をしたことが怪しまれ、逮捕される糸口になった。
  免田さんはまず玄米一俵を盗んだという窃盗の別件容疑で緊急逮捕された。取調べではもっぱら本件の強盗殺人を追及された。
しかも、別件逮捕の身柄拘束時間が切れた後の二四時間も不法に拘禁されていた。
  取調べでは殴る、けるの拷問が行なわれたはか、冬の厳寒期にほとんど眠らされず夜を徹して調べられ、
免田さんは意識がもうろうとして、自白へと追い込まれた、という。冤罪の典型的なパターンである。
 免田事件の発生と捜査は昭和二十四年の刑事訴訟法の施行前後にわたっている。敗戦後の混乱期で、捜査が
ズサンで未熟だったことも確かである。
 この点から司法当局は、今ではこうした自白偏重のズサンな捜査は行なっていないし、冤罪や誤判は非常に少ない、
と事あるごとに弁明している。
 しかし、本当にそうなのだろうか。三四年前の免田事件と比べて、今の捜査はすっかり科学的になり近代化
したのだろうか。
 残念ながら、そうではない。免田事件の判決できびしく批判された捜査のあり方が、そっくりそのままではないにしても、
大筋は今でも変わらず行なわれているのである。自白偏重の体質はさほど変わっていない。
 
取調べの実態はこうだ
 
 現在の警察の取調べの実態はどうなのであろうか。捜査において人権侵害への配慮は十分なされているのかどうか。
 それを知るためには、昨年二月二十日、暴走族の少年に東京家裁八王子支部が保護処分
取消し決定を下した事件が参考になる。少年事件での保護処分取消しというのは実質上の再審無罪判決と同じである。
 
 この事件が特異なのは、-被告が少年であることと、殺人事件などの刑事事件ではないこと、それに少年がポケット
に隠し持っていた録音テープに取調べの生々しい模様がおさめられ、これが無罪の証拠の一つになったことなどである。
 
 事件は昭和五十六年七月十二日未明、暴走族ねずみ小僧三人は、他の暴走族スペクター七人とオートバイ元台を連ねて、
東京・狛江市内から世田谷区上馬までの道路を集団暴走し、通行中の草を妨害した、というもの。この中でA少年は
スペクターのリーダー格であり、他の少年の自白で逮捕された。A少年は当初、この集団暴走には加わっていないと否認し続けていたが、逮捕され、五十六年十月、東京家裁八王子支部で非行を認められ(有罪)、中等少年院に送られた。
 
 ところが、弁護人らの調査で①暴走したという当日はA少年は自宅に居り、母親もそれを確認していた
②暴走したというオートバイは両親が処分するために、犯行当日もオートバイ販売店に保管されていた
③暴走に加わった三人の少年はAがいなかったことを供述した
④警察の暴行、脅迫、自白強要などでウソの自白をしたことなどがわかり、改めて「無罪に相当する
保護処分の取消し「非行事実なし」の決定が下った。
         

 少年の冤罪が晴れたのである。A少年はいかに真実を話しても、耳を貸さず、強引で脅迫的な取調べを続ける警視庁第二交通機動隊の捜査員に対して、ポケットにマイクロカセットを入れて、隠し取りした。
 
 普通、取調べは被疑者と捜査員が一対一の密室内で行なわれるので、外部のものにはその実態が
なかなかわかりにくい。「拷問された」「やっていない」などいつも水掛論になってしまう。
 ところが、その取調べの模様、一間一答が克明に記録されたのである。その内容の一部を、次に紹介しよう。
少年はAで取調官は交通機動隊の捜査員である。A少年が事件に関係ないと主張した時のやりとりである。
少年「でも僕は知りません」
 取調官「○○が言ってんだよ。ハッキリ」
 少年「知りません」
 取調官「まだ否認するのか」
 少年「ハイ」
 取調官「よし、いいな、これで鑑別所から少年院だぞ。逮捕されればだよ。送るよ。おどかしじゃないよ。(逮捕)令状とるのは簡単なんだよ…」
 少年「乗ってないっていいますよ。僕は先 輩とその時は一緒にいたんですから」
 取調官「そういう作ったことを言ってもダメなんだよ。黒岩がもし、なあ、そういうふうにはっきり言って、おまえが居たって言っても、それでもお前はシラをきるんだな」
 少年「ハイ」
 取調官「きるんだな」
 少年「ハイ」
 取調官「じゃ令状取るしかないなあ。私の方はさあ、そういうんだったら、しょうがないよ。それでよく、がんばれるなあ」
 少年「ええ、居ませんでしたから」
 取調官「とぼけるんじゃないよ、え?ちゃんともうはっきりしてるんだよ。おまえ、そんな、いくらがんばったって通りやし
ないんだよ。理詰で言ってるんだよ、あてずっぽうで、おまえが居たとかなんとか」
 少年「じゃ、間違えてますね」
 取調官「誰が」
 少年「これが、僕の名前が出てるってことが」
 取調官「とぼけるんじゃないよ、おまえ、誰が伊達や酔狂でお前の名前出すんだよ、この野郎。ふざけるんじゃねえよ。
あんまり(大声で怒鳴る)」
少年「ふざけてないです」
 
◇              ◇
 
少年「知りません」
取調官「消せないぞ。お前、え、知らねエじゃ通らねえんだよ、お前」
少年「ウソついてるんじゃないですか」
取調官「誰が」
少年「○○行った連中が」
取調官「よく、そういうことが言えるな」
少年「言えますよ、出てないですから」
取調官「令状取って来るからさ。いいよそれでいいのだったら。お前そんな警察を甘く見るなよ。なめんなよ。お前、え。私ははっきり言うけどさ。そんな甘くないぞ。えー。留置場へ入るか」
 
 これだけでは文字だけで、実際の言葉の調子がわからないが、この時の取調官の言葉はヤクザそのものでドスをきかした脅しそのものだった。
 威かく、脅迫的な言辞の連続であり少年の弁明に対して、事実を確認しようとせず、頭から犯人扱いして、
ウソを言っていると決めっけて対応している様子がよくわかるであろぅ。こうしたやりとりが延々と続き、警察を恐れ、脅しや誘導に乗って、自白へと追い込まれる。
 
 この事件で取調べを受けた計三四人だが、このうち、三三人がウソの自白をした。なぜ、少年たちはウソの自白をしたのか。少年たちの証言ではー。
 
 ①取調官によって暴行や脅迫を受けた。帳面のようなもので、往復ビンタをはられ、頭や肩などを殴られた。道場へ連れていかれ、一
時間も正座させられた。そこで、おでこを突いてあおむけに倒されたり、竹刀で身体を殴られた。
 ②取調べで否認すると、「ふざけんな、警察をなめんなよ」「今日から留置場に入れる。渋谷の留置場にはヤクザがいっぱいいるし、ヤ
クをやっている奴も多いんだ」と大声でどなって脅し、否認を続けると、「道場へいこうか。道場へ」といって連れていって暴行し
    た。
 しかも、驚くべきことにA少年が乗ったというオートバイが販売店にあり、乗れなかったという販売店の店主の供述調書を警察はとっており、検察庁への送付書につけていたのである。(以上法学セミナー増刊「日本の冤罪」の中の「集団暴走行為冤罪事任」の項
を参照した)
 
相互チェック機能がマヒしている
 
 以上、この事件の概要を知って、「今の警察がまさか、こんなことを‥」と驚く人が大半だろう。信じられないような、ひと昔前の拷問、自白強要の取調べが相変わらず生き残っているのである。
 しかも、この事件は象徴的である。相手が暴走族に入っているとはいえ、まだ少年である。少年の交通事件に対しても、これほどひどい取調べがまかり通るとすれば、大人でしかも殺人などの凶悪事件に対しては、どれだけエスカレートした取調べが行なわれるかは
容易に察しがつく。
 
 このほかにも、ごく最近の例をあげれば福岡県で大きな問題になった市会議長への拷問事件をみてもこのような違法な取調べ、自白の強制が広く行なわれていることをうかがわれる。
 
この事件は福岡県大川市議会の議長選挙をめぐる贈収賄事件で、事情聴取を受けた古賀斗一同市会議長(六一)が福岡県警察捜査二課の捜査員に暴行をふるわれ一週間のけがをしたとしてこの七月十六日、アザだらけになった体のカラー写真を添付して同県警に抗議したのである。
 古賀議長は午前七時半ごろから、午後十時十五分ごろまで、三人の捜査員に聴取を受け「議長選でカネを使っただろう」と追及され「使ってません」と否定すると、計五〇回以上も殴られたり、けられたりした、という。
 
 さらに、柔道の払い腰をかけられたり、長時間、直立不動の姿勢で立たされた、と拷問、暴行の事実を訴えた(覇日新浬58年7月16日付)。この事件は当初福岡県警が事実を全面的に否定、古賀議長の証言も、自ら暴行の事実を否定するなど二転三転した。
 結局、同県警監察室の調べと、取調べの過程で「うつむいていた古賀議長の顔に手をかけて、顔をあげさせたり、両肩をつかんで無理やり、向きをかえさせる」など行き過ぎた調べがあったことを認めた。八月十二日、取調べに当たった捜査員ら計二人に対して減給などの処分を行なった。
 
 警察が暴行などの取調べの行きすぎを認めて、処分するというのは全く異例のことである。それ以上に、人権尊重が空気のように当り前のことに思われている現在に、このような一昔前のやり方がまかり通っていることに驚かない人はないであろう。
 
 この場合も相手は市会議長という地位の高い人である。これが前科者やヤクザならば、暴行の事実を認めたかどうか…・。
 免田さんは無罪判決後の記者会見で「わが国の司法は西欧と比べて一世紀以上おくれていますから‥」と述べた。”無実の死刑囚〃として三〇年以上も司法と戦ってきた免田さんの言葉だけに考えさせられる。
 
 冤罪、誤判を生むもの、それは警察、検察裁判の中に人権尊重の精神、「一〇人の犯人を逃しても、一人の無実の犯人を出すな」という鉄則を守る体質が根づいているかどうかである。
 
 冤罪は一部の警察官のデッチ上げや人権無視だけに帰せられるものではない。相互に間違いや不正、人権無視をチェックすべき検察官、裁判官が免田事件の場合のように三四年間も誤りをただせず、免田さんの叫びに耳を貸さなかった司法全体の人権感覚の欠如にこそ問題がある。
 
 いうまでもなく、わが国の警察官、検察官、裁判官は公務員であり、官僚である。誤りがなかなかただせない体質には、こうした官僚同士の保身、なれ合い、かばいあいがないかどうか。
 逆に、クサいものにはフタ、誤りには絶対目をつぶって認めようとしない官僚の独善主義国民に背を向けた閉鎖的な体質が根強く流れていることは、過去の冤罪、再審事件をみるとよくわかる。
 
 アメリカやヨーロッパでの陪審制度の復活が最近、論議を呼んでいる。わが国でも、一般市民が裁判官として、裁判に参加する陪審制は戦前、実施されていたが、太平洋戦争が激しくなって中止された。
 
 国民の常識、正義感を裁判に反映する陪審制は、官僚の官僚による裁判ではなくて、市民の市民による市民のための裁判である。戦後三八年、民主主義が定着しっつあるわが国で裁判だけを官僚の独占物にしていてよいのか、どうか。免田事件は単なる”死刑因が生還〟した珍しい事件という把え方ではなく、民主主義の一番、根にあたる市民のための裁判を考えていくための契機にしなくてはならないと思う。
 

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