百歳学入門(35)―『百歳長寿名言』グリコ創業者・江崎利一(97歳)『健康法に奇策はない』
百歳学入門(35)―『百歳長寿名言』
長寿経営者の健康名言・江崎利一(97歳)
① 健康法に奇策はない
② 事業を道楽にし、死ぬまで働き学び続けて
③ 息がきれたら事業の墓場に眠る。
前坂俊之(ジャーナリスト)
グリコ創業者・江崎利一(えざきりいち)1882・12・23~1980・2・2 佐賀県生まれ。家業は薬種業。
一九二二大正十こ年、江崎グリコを創立。九十七歳
一九二二大正十こ年、江崎グリコを創立。九十七歳
家族が多く家も貧しく、子供のころは体も小柄で病弱だった。父の死で十九歳のとき家
業の薬種商を継ぐが、生活は苦しかった。ある日、生まれ故郷の有明海で、カキの加工場
で捨てられているカキの煮汁を見て、それに含まれるグリコーゲンの企業化を思いついた。
一九二一(大正十)年、大阪に出て、江崎グリコを創立した。
「薬(グリコーゲン) よりも保健栄養剤の方が有望」といわれて、キャラメルの製造に転換した。「一粒300メートル」「一粒で二度おいしい」 のヒットCMで、グリコキャラメルは市場を席巻した。
1945年(昭和20年)、戦後、大阪工場を焼失したが、再建に努め、『アーモンドチョコ』『ワ
ンタッチカレー』など新商品を次々に開発し、食品業界の大手にのし上がった。
1951年(昭和26)、69歳の時、跡継ぐぎの長男に先立たれる大不幸に落ちた。失意のどん底につき落とされた。親類からは「事業をこれ以上広げずに縮小したら」と忠告された。
長年の親友で十歳年下の松下幸之助に相談すると「グリコはあなた一人のものではなく、日本のグリコでっせ。気の毒だが息子さんの死にくよくよしなさんな。私が応援する」と励まされて、奮い立った。
孫が一人前になるまでオーナー経営者としてガンバルと誓った。70、80歳代の20年間以上第一線でガンバリ続けて、一九七三(昭和四十八)年、九十一歳の誕生日にやっと社長から会長に退いた。しかし、毎日午前九時には出社して会議に出席、食品の専門、研究書には目を通して、生涯研究を怠らなかった。
九十四歳のときの自伝に、「健康法に奇策はない、平凡なことを一つ一つ、積み重ねてい
くだけである」として、
①養のバランスのとれた食事をとり、よく噛むことだ。トウフでも牛乳でも念入りに噛む。
②もう一つは精神を気楽にすること。
③難しい問題も、熟考する時間を決め、延々とのばきない。
④就寝する時間がくれば、すっかり切り替えてぐっすり安眠する
と自らの健康法を披露した。
江崎は健康について次のように書いている。
「健康はこれを失ってから、その価値を発見するといわれている。健康なときには、かえって健康の有難さはよくわからない。健康とはもともと、病気をしないということだけではない。身心共にもっともよい状態にあるのでなければならぬ。
健康な人は必ず明るい人生観を持ち、事実を事実として常に正しく見る。そして自己をも、他をもあざむかない。困難にあってもいたずらに心痛せず、静かに解決打開の方法を講ずる。失敗してもくじけず・その中に貴い教えを発見し、それを再起の踏台にして立ち上がる。あるいは、他人の批判を受けても、確固たる自信を失うことがない。
健康は人生最大の資産であり、資本である。病気は時としてさけられないが、たとえ虫歯1本でも、早期発見、早期治療が何よりも肝要である。
しかも私の第一とする健康法は、毎日の仕事に励み・仕事に興味を持ち、心身をこれにうちこむことである。」
江崎の経営哲学①
商売の成功の秘訣は2×2=5,6である。
「江崎の二にんが五」という有名な言葉がある。
二×二=四では大きな成功をおさめられない。努力に努力を重ね、常識を破って大成功
をおさめるには二×二=四ではなく、五、六にしなければならない。
二×二=五、六にするために、グリコはオマケをつけた。1927年(昭和二)頃から、
はじめは美術印刷のカードを入れていたが、本格的なオマケサービスとして豆オモチャを
入れた。単に景品だったオマケを商品の性格の中にとけ込ませたのが成功の秘訣であった。
「1粒二百メートル」のグリコの有名な標語は、江崎のすぐれた観察力とアイデアだった。
子供たちがいつもかけっこをしている。ゴールインする時、両手をあげてさっそうとして
いる。「これだ!」と子供向きの商標に取り入れた。
さらに念を入れ、ゾウ、花、ペンギン、ハトなどの絵とランニングをまぜ、子供たちに
一番いいのを選んでもらった。
江崎の経営哲学②
下から積み上げるよりも、山頂からころがせ
無名だったグリコを一躍有名にしたのは「三越」での販売だった。
江崎は一流商品になるべきグリコを一流店の「三越」からぜひ発売してもらおうと決意
した。
しかし、三越が全く無名のグリコを簡単に販売してくれるはずはない。
江崎は三越にお百度を踏んだ。断られても、断られても根比べで、何度も何度も三越に
ぜひ置いてほしいと頼みに行った。「下から石を積み上げて山頂に達するより、逆に山頂
から石をころがした方が勝負は早い」。これが江崎の持論。
ついに三越が根負けして、大正十一年二月十一日に売場に並べてくれることになった。
江崎はこの日の感激を永久に忘れない。
この日、二月十一日をグリコは創立記念日にしてスタート、今日の「グリコ」を築いた
のである。
江崎の経営哲学③
必死では生ぬるい、決死でいけ
江崎はそれまで蓄えた金を資本金にして、「江崎合名会社」を設立した。そこで売り出したのが、グリコーゲン入りの菓子。しかし、商売はズブの素人であったため、全く売れない。
二年目に入っても売り上げは伸びず、資金は減るばかりであった。
思案にくれた江崎は、家の前の橋の欄干に寄り掛かって、事業の前途を考えた。そのう
ち「このまま身投げしたら苦しまないですむ」との思いが頭をかすめた。しかし次の瞬間、
気を取り直し、「死んだ気でやればできないことはない。死ぬことぐらいは、いつでもで
きる。必死では生ぬるい、決死で行け」と自分自身を励ました。
次の日から、生まれ変わったように、猛烈に仕事に取り組んだ。
そして、独創的な宣伝方法を思いつき、グリコの名が全国に広まり、急速に売り上げを
伸ばしていった。
江崎の経営哲学④
面倒をいとわないと、成功はあり得ない
江崎は商売についてこう書いている。
「商売は儲けたり、儲けさせたりの仕事である。売ったり買ったり、利便を図ったり、
図ってもらったりの相互利益である。そこで立派な商売人といえば、結局立派な社会への
奉仕人というわけにもなる。
奉仕による相互利益こそは商売の神髄であり、要諦であろう。儲けようと思ってやる商
売にはおのずと限度がある。あくまで社会の要求に沿うような、奉仕の精神で打ち込めば、
必ずその事業は大成するに違いない」
その商売を成功させるためには「人のやらない面倒なことをやらなければ、商売は成功
せんよ」と次のようにも述べている。
「面倒な仕事だとか、これは出来ないとか、簡単に諦めず、工夫に工夫を重ね、粘り強く
取り組むことだ。面倒の中にこそ、商売のチャンスが隠されている」と。
関連記事
-
-
『オンライン/2022年はどうなるのか講座➂』★CO2とEV世界戦の2022年』★『COP26では石炭火力発電は、当初の「段階的な廃止」から「段階的な削減」と表現を後退させた』★『●EV市場の将来を予測する週刊「エコノミスト」(2021年9月7日付)の「EV世界戦特集号」』
CO2とEV(電気自動車)大競争の2022年になる 前坂俊之( …
-
-
『Bathing in KAMAKURA SEA』<2011/3/11/福島原発事故4ヵ月後、『梅雨明けて夏本番、海よ!鎌倉材木座海岸のシーズン開幕-逗子市小坪沖でサバが大漁だった』★『15年後の鎌倉海は海水温の上昇で和賀江島、逗子マリーナ沖の海藻がほぼ全滅、磯焼けで根魚が激減している』
2011/07/10/「3・11福島原発事故より4ヵ月」記事再録、 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(832)「日本は「構造改革」から逃げてはいけない」●「欧州諸国の関心は、日本より中国へ」●「起業家がデンマーク人の働き方に学ぶ4つのこと」●「コラム:マイナス金利でも円安進行は期待薄=山田修輔氏
日本メルトダウン脱出法(832) 日本は「構造改革」から逃げては …
-
-
『Z世代のための『バガボンド』(放浪者、世捨て人)ー永井荷風の散歩人生と野垂れ死考 ③』★『「人生に三楽あり、一に読書、二に好色、三に飲酒」』★『乞食小屋同然の自宅の裸電球のクモの巣だらけの6畳間の万年床の中で洋服を着たまま81歳で死去した。』
2015/08/02 …
-
-
最高に面白い人物史⑩人気記事再録★『全米の少女からラブレターが殺到したイケメン・ファースト・サムライ』-『大切なのは英語力よりも、ネアカ、快活さ、社交的、フレンドリー、オープンマインドだよ』
2004、11,1 前坂俊之(ジャーナリスト) 1860年(万延元年)6月16日 …
-
-
知的巨人の百歳学(140)-『六十,七十/ボーっと生きてんじゃねーよ(炸裂!)」九十、百歳/天才老人の勉強法を見習え!』★『「日本経済の創始者」/「日本資本主義の父」渋沢栄一(91歳)』★『「論語とソロバン」の公益資本主義を実践、その哲学は「会社の用はわがものと思え。会社の金は人のものと思え」★『年をとっても楽隠居的な考えを起さず死ぬまで活動をやめない覚悟をもつ』
記事再録・2017/08/06/百歳生涯現役入門(177) 渋沢栄一1840年( …
-
-
『巣ごもり動画一挙公開(60分)これを見るだけで現地にはいかないでね!』★『日本の「秘境」を往く』-『熊本県の平家の落人伝説のある五家荘→五木村(五木の子守唄の里)→二本杉五家荘へ」(自然林と大峡谷)へ
日本の「秘境」を往く➊ー熊本県の平家の落人伝説のある五家荘、平家の里、五木村(五 …
-
-
日本リーダーパワー史(699)日中韓150年史の真実(5) 福沢諭吉はなぜ「脱亜論」に一転したか④<英国ノルマントン号事件ー徳富蘇峰のいう『死に至る日本病』の『外国恐怖症』『恐露病』『恐英病』『恐清病』の真相>
日本リーダーパワー史(699) 日中韓150年史の真実(5) 「ア …
-
-
知的巨人たちの百歳学(112)-『早稲田大学創立者/大隈重信(83歳)の人生訓・健康法ー『わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る』
『早稲田大学創立者・大隈重信の人生訓・健康法― ➀語学の天才になる …
